2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

昭和30年代生まれの鉄ヲタの盛り場 3番線

1 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 19:40:30 ID:Km7yxtAf0
昭和30年代に生まれた鉄ヲタは現役SLをはじめ、旧型ELや旧国
を追って、ワイド周遊券を持って東奔西走したものだ。
同志よ、若かりし頃の思い出を語れ!

1番線 http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/train/1158123716/l50
2番線 http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/train/1173187365/l50

2 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 19:50:37 ID:Km7yxtAf0
前スレ終了につき、age

3 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 19:56:54 ID:MVoapWcF0
>1
乙!

4 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 20:15:24 ID:HDmtRf820
ヨンげっと

5 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 21:32:04 ID:DqdVA1Qp0
まさか
「8月15日に汽車はいつも通り動いていた」
の生き証人はこの中には紛れ込んでいないですよね?

6 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 21:53:16 ID:OEA4mZ6C0
>>1
乙!
規制がなんたらで立てられなかったよ。

>>5
東武伊勢崎線の昭和20年8月15日の運行図表(もちろん、写真でだが)を見せてもらった事がある。
当日は初電からいきなりダイヤ乱れが発生していて、表にはあちこち赤線や欄外に書き込みがあり、すごい混乱ぶり。
当時の関係者の苦労が偲ばれる。
東武の記念物として大切に保存してあるという。

7 :名無しでGO!:2008/08/15(金) 23:51:03 ID:Rtz/2k4n0
>>5

 時は止まっていたが汽車は走っていた。
 まもなく女子の改札係が坂町行きが来ると告げた。父と私は今泉駅のホームに立って、米沢発坂町
行の米坂線の列車が入ってくるのを待った。こんなときでも汽車は走るのか、私は信じられない思
いがしていた。
 けれども、坂町行109列車は入ってきた。
 いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったかの
ように進入してきた。機関誌も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレット
の輪を受けとっていた。機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が
聞かねばならなかったはずだが、と私は思った。
 昭和二十年八月十五日正午という、予定された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通り
に走っていたのである。

 (中略)

 しかし、昭和二十年九月号の時刻表を信用することにしよう。天皇の放送を聞いたあと、坂町行
の列車が来るまでの間、私の「時」は停止していたのだから。

― 宮脇俊三 『時刻表昭和史』より ―

8 :名無しでGO!:2008/08/16(土) 01:23:40 ID:y+9QD/wM0
発進警笛全盛

9 :名無しでGO!:2008/08/16(土) 07:54:08 ID:N6Rlx6aJO
昭和天皇崩御の時、朝の通勤電車はいつものように動いていた…。
満員だけど不気味なほど静かな車内に「只今昭和天皇が崩御なされました」というアナウンスが流れた。
しかし、誰一人反応する人はいなかった。
普段通りに満員の特急は、駅を次々に通過して行った…。

夕方、羽田から徳島に飛んだ。機内では喪に服すため飲み物サービスは中止、
徳島に着いて市内のホテルに入れば、レストランは臨時休業、街もネオンが消され、
ほとんど全ての店がシャッターを下ろしてまるで深夜の様相。
コンビニもまともになかった時代、夕飯を食べる店もなく、諦めて戻ったホテルの自販機で買った
カップ麺をすすりながら、どこも延々と続くテレビの特番をボーっと眺めていた、
昭和の最後の日…。
でも、街の灯りは消えても、列車はいつも通り最終まで走っていた。

10 :名無しでGO!:2008/08/16(土) 08:54:57 ID:tske46WE0
>>1
乙!

>>9
よく覚えてるな〜。もう20年経ったんだ。
「あの日」俺は何をやってたんだろう。
TVがやたらつまらなかったのは覚えている。
CMが自粛なのは良いが、嫌になるほど暗い映像が流れてなかった?

11 :名無しでGO!:2008/08/16(土) 15:18:24 ID:AGBpz7X40
あの日の前は、宴会・社員旅行なんかが、自粛の嵐だった。
CMは、口パクのが流れたりしていた。そして、崩御のあとは、
むやみに明るいCMは、広告機構とかの、どうでもいいお知らせに
差し替え。

で、そういうオイラは、鶴見線の昭和駅に切符を買いにいった。
終電後も、ファンのために自販機で切符を買うことが出来た。

でも、ツウは、鶴見駅に行って、昭和駅発の硬券乗車券を買った!

レンタルビデオ屋に行ったら、ありとあらゆるビデオが貸し出し中で、
借りるものがなかった。

12 :名無しでGO!:2008/08/16(土) 19:22:02 ID:Z1khH8Gc0
その日の晩に新年会をやった俺様が通りますよ。
山手線某駅前の某居酒屋は通常営業、お客の入りもそこそこだった。
「乾杯!」は自粛して、「じゃ、そういうことで」で宴会開始。
各自持ち寄った号外が酒の肴になった。

13 :名無しでGO!:2008/08/16(土) 19:41:20 ID:LC5fx1Mh0
>>12
えらいっ!立派!

というか、自粛強制はヒドイやなぁ。北朝鮮を嗤えない。
お笑い系芸人・タレントは酷い目にあって餓死寸前。(w
ビルマとかの東南アジア式に歌舞音曲で楽しいイヴェント化の方が良いんだが、
ねらいが右向け右の従順な国民作りにあるから威圧で従わせる実績作りだ。

開戦責任・戦争責任を「言葉のアヤ」とか言ってはぐらかすやなヤシだったが、
癌末期で血液垂れ流し状態を特別処理の輸血で長期に生かされ
烈しい苦痛を耐える羽目になったのは、個人としては哀れだった。

14 :名無しでGO!:2008/08/17(日) 01:11:15 ID:pw1YDYpo0
>13「下血はありません」

15 :名無しでGO!:2008/08/17(日) 11:45:08 ID:tX/GvUhL0
鉄ヲタにとっては「国鉄最後の日」も同じくらいの大事件だったと思う。
幼い頃から当たり前のように「国鉄」といい、首都圏の電車は「国電」と呼ばれ、それがすっかり身に付いていたのが、
「明日から『じぇいあーる』だ!」と言われても、素直に信じられないものがあった。

その日、テレビはさすがに夕方のニュースの頃から騒ぎ始めていた。東京から各地へ「旅立ち号」が発車して行く様を
リポーターが興奮した口調で中継しているのを会社のテレビで視ていた。
抽選に全て外れた自分は、その乗車できた幸運な乗客をちょっとうらやまし気に視ながら、
いつものように淡々と仕事をしていた。
帰りの山手線の車内では「明日からじぇいあーるに変わります…」というようなアナウンスが流れていた記憶がある。
家に帰って、特番のような形で流れているテレビを視ながら、SLが汽笛を鳴らすお祭り騒ぎを視てからふつうに寝た。
翌日、出勤で品川から山手線に乗ったら、先頭の車両のサイドに大きな「JR」のマーク!
見れば向こうの東海道線も横須賀線も京浜東北線も、すべてに「JR」のマークが一夜にして一斉に貼られているのに驚いた。

今ではさすがに「国鉄」とは会話の途中でも言わなくなった。当初は違和感もあった「じぇいあーる」もふつうに使っている。
さすがに「E電」は馴染めなかったが、「JR」は意外に人々に自然に浸透していった感がある。
でも、幼い頃、特急型車両のサイドに付けられていた「JNRマーク」がカッコイイなと思っているのは今でも変わらない。

16 :名無しでGO!:2008/08/18(月) 21:58:30 ID:IpkCEb/+0
>>15
俺もJNRマークは今でもカッコいいと思う。
特急だけでなく、地下鉄乗り入れ車にもあったよ。
蒸気のデフにもあった(C5833?)


17 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 00:52:29 ID:NPvDWp300
>>16
小学校の頃は181系,481系のボンネットの特急しか見れなかったが今と違い
特急の本数は少ないので高嶺の花でもあり憧れだった。
そんな先頭車のサイドにあるJNRマークがその象徴のように思えたもの
だ。それを見ては父に特急に乗りたいとダダこねたものだが今では仕事で
嫌でも新幹線や航空機に乗せられる立場に...。

SLのデフにあったのは紛れもなくC5833で釧網本線で幸運にも撮影
出来た。

18 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 01:18:51 ID:HxoWEYBA0
>15-17
ボンネット・貫通・非貫通問わず、国鉄型特急車には濃赤とクリーム
JNRマーク、特急のシンボルマークが良く似合う。
JRになって、JNRが外され、特急のシンボルマークが外され、
塗装が変更されと、決して国鉄型特急車に似合った物ではなかったように思う。
(最悪はJR東の初代あずさ塗装か)
って書くと若ぇ衆からなんだかんだ云われそうだな。
しかしJNRマーク、扇風機や灰皿、国鉄バス等どこにでもあったが
ほとんど見かけなくなったな。絶滅寸前といったところか。


19 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 01:38:39 ID:sq4Q0kDeO
インドネシアへ

20 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 03:29:52 ID:6EVdS4zP0
>>18
先日乗った秩父の101系の扇風機に残ってたなあ。
JNRに限らず優れたデザインのロゴが
平成初期のCIブームでたくさん消えたのが惜しい。

21 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 11:04:17 ID:gzfgHYmY0
>>20
秩父の101系見に行ったよ。
たまたま来たカナリアイエローの101系、懐かしくて・・・

しかし、乗ってみると秩父の線路が悪いのか、老朽化が激しいのか、ガタガタの田舎電車そのものに。
かつての中央特快や総武線でのスムースで心地よい走りはどこへやら。
高速域では103系よりはるかに勝る101系なのに。

若い人が乗ったら、101系ってこんなもんなんだと思われてしまうな。

22 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 11:23:20 ID:gzfgHYmY0
連投スマソ

21で同じように感じたのは、かつての京阪神緩行線のクモハ51もそうだった。
厨房の頃、関西に初遠征。
既に103系が多かったが、わざわざ旧型車を選んで乗ったもんだ。
その時のクモハ51、唸りを上げて100`近くまで出して、いい走りだった。

その後に乗った、飯田線や宇部、小野田線でのクモハ51はやはり田舎電車になってしまっていた。

23 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 13:25:15 ID:DVW98jIC0
>>22
それは両方とも軌道の状態だと思う。
道床の厚さで乗り心地ががらりと変わるし。
和田岬支線の103系も揺れること、揺れること。

24 :名無しでGO!:2008/08/19(火) 17:02:03 ID:L9bICHyP0
キハ58もそうだった。幹線の急行とローカル線の普通とでこうも乗り心地が違うとは。
最近では大井川の旧近鉄16000でも同じ気分になれるよ。

25 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 03:31:01 ID:+LO+KXIP0
線形…分岐の番数、曲線半径とかもあるかと。
73だって京浜東北では結構かっとんでたが仙石線仙台駅付近とかでは。

逆に、TR11を履いたオハ61とかの本線走行。スムーズなんだが縦揺れが。
でいん、でいん、でいん…。

26 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 11:18:29 ID:CnWRFArN0
>>25
でいん、でいん、でいん・・・ワロタw
まさにその通り。上手い表現w

スハ43などのTR47も、実は凄く乗り心地が良いのだ。
この場合、スハ級の重い車重も関係あると思われ。

27 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 17:50:07 ID:dGwuGpfQ0
>>26
戦後の国鉄のコイルバネ台車は乗り心地が良い。
基本設計がほぼ同じ、113系辺りのDT21台車と
キハ58辺りのDT22台車を乗り比べるとキハの方が柔らかく
感じるのも車重の違いだろう。

DT20だっけ?80系で使われたゲルリッツの乗り心地が最高。
最悪は301系の台車。

28 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 21:56:37 ID:/Biwd3Rm0
>>27
どっかのスレで見たし、おれも同意だけど115系1000番台のDT21は非常にいい幹事。
特に雪の中を走るとき、硬さといい、音といいばねの特性が走行にあっている希ガス。

29 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 22:17:02 ID:z18TC94b0
キハ58系は何回くらい乗ったんだろうな…。旅の記録はノートに忠実にメモしてあるから書き出せば分かるはずだけど、
さすがにそこまで調べる気力はない。でも、1000回は超したかな…?
昔は北海道から九州まで、急行自由席しかフリーでなかったワイド周遊券ではさんざんお世話になった。
急勾配でエンジンふかしながらやっとの思いで峠を越え、カランカランと軽快なアイドリングの音と共に、
駆け降りて行く時の気持ちよさ…。
でも、キハ58系で一番好きだったのは、本線を高速で走る時のエンジンの音と、その時の爽快感。
一気に直結にシフトしてカッ飛んで行く時のあの高速走行がたまらなく好きだった。
函館、室蘭本線の平坦区間、山陰本線の倉吉−米子、鹿児島本線なんかが線形が良くて、
制限速度一杯で走っていた。せわしない継ぎ目の音も、より高速感を増す材料でもあった。

そのキハ58系も、そろそろ終焉が迫って来たようだ。自分の第1回目の記念すべき南近畿への旅で、
初めてキハ58系に乗った。新宮から海南までの「きのくに2号」、キハ28 3003だった。
以来1200回を数える旅の記録の中で、キハ58系は間違えなく一番多く乗車したグループのはずだ。
でも、最後にキハ58系に乗ったのは、調べてみたら昨年の夏…。もう1年も乗っていない。
そろそろ、キハ58系に乗るのが目的の「旅」の計画でも立ててみようか。

30 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 23:42:36 ID:Otyedo4/0
>>29
なかなかの乗り鉄で30年以上は乗っているようですかね。
自分と言えばやはり峠越えでエンジン全開で登り、サミットでエンジン切った
時は不思議と遠くへ来たって感じだった。
これが電車だったら何も感じないかも知れない。

 初めて乗ったキハ58はS39で6歳位の時だが酒田から上野までの急行「出羽」
お盆のUターン時期なので途中の余目、狩川で今からでは想像すら出来ないが
見送りの人が凄かった。そして終着の上野で酒田を出る時に3両だったのが
10両以上に長くなっているのにはびっくりしたものだった。

31 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 02:13:12 ID:99j43i+40
キハ58初乗りは小学生のときの急行「のべやま」
乗車区間は清里〜松本

清里ブームの初年あたりで駅前にもホームにも白樺の木
駅前ロータリー(らしきもの)はまだ砂利道だった
みやげ物屋や喫茶スナックが数軒程度あるだけで
高原の駅そのもの

夏休み期間であふれるような人だかりのホームに
やってきた列車は3両編成・・・
だれかが「急行なのに3両カヨォ・・・」といっていたのを覚えている
今じゃ2両特急だって珍しくもないのにねwwww


32 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 14:30:51 ID:6uSGdnd20
キハ58系初乗りは、恐らく房総西線だか東線だか(内房、外房線になる前ね)だったと思う。
千葉気動車区の銀色キハ35-900に乗りたかったのを覚えている。
小学校2〜3年の頃かな?
もちろん、その時は形式なんかわかるはずも無くちょっと変った車両に目が行った。
その後、川越線へ転属後に乗ったけど、タラコ色にされてた。

恐らく最終は、今年の春に乗った米坂線のキハ282371になるだろう。

33 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 21:03:47 ID:XHUygmhY0
キハ35で統一される前の八高線に乗ったことがある。
子供だったからよく覚えていなかったが
当時の一般乗合バスと同じような形の窓の車両だったのだけは
かすかに覚えている


34 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 22:07:04 ID:QK3V/Elt0
昭和46年かな、初めて小海線に乗ったのは。
「日本一高い所を走る線」「高原のポニーC56が走る線」ということで、
首都圏からそう遠くもない小海線に足を運んだのが旅の2回目になった旅行。
「山岳夜行」で知られる新宿発長野行きの普通列車(もちろん客車)で出発した。
しかし、時はGW。始発の新宿駅の「アルプスの広場」には、夕方くらいからその列が徐々に延び始めていた。
でも、そこには人ではなく大きなリュックばかり…。登山客やハイカー御用達のこの列車に乗るのは大変だった。
駅でも乗車整理の為のワッペンを配付して、乗車の際はそのワッペンに記された車両毎にホームに上げて乗車をさせていた。
乗ってみれば車内は超満員。中には勝手知った常連客だろうか、網棚を“C寝台”にして横になる強者も。
デッキは身動きできない状態だから、途中駅の乗降は窓から…という凄まじい状況だった。
その夜行列車が小淵沢を目前にした日野春で約1時間の大休止をする。小海線への接続を考慮しての時間調整だったが、
乗客にとっても、ホームに降りて一服するにはこの1時間は丁度良い“休憩時間”だった。
暫くすると東の空がうっすら白み始めて、南アルプスの山の稜線がはじめぼんやり、そしてそれが徐々にはっきりとした
シルエットに変化してくる…。この夜明けの風景がまた格別だった。

35 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 22:08:47 ID:QK3V/Elt0
小海線に乗換えて初めて降りたのが清里。
当時はハイカーが10人程降りただけで、静かな高原の駅はしっとりと朝霧に包まれていた。
肌寒いくらいの朝に駅舎の中ではストーブが焚かれ、都会からやってきて震えている人たちを
暖かく迎えてくれるような、そんな良い雰囲気の駅だった。
駅を出れば辺りは白樺林。車も少なく、鳥の啼き声が時折響くだけの本当に何もない静かな駅だった。
その当時のそんな風景を知っている人には、恐らく、今の想像もつかないような清里の風景が、
どう考えても結びつかないのではないだろうか。
八ヶ岳をバックに、C56が僅かの貨車を牽いてのんびり走っていた「日本鉄道最高地点」の手前の鉄橋。
時刻表の表紙にもなった絶景だったのに、無粋なバイパスの橋がこの風景を見事なまでにぶち壊してくれた。
何年か後、久しぶりに訪れた小海線は、噂には聞いていたが、それにしても余りにも“ぶっ飛んでいた!” 
以来、用でもない限り通ることは無くなって、今日に至っている。

36 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 22:13:03 ID:15QHu1UK0
>>33
キハ17系辺りか、20系の初期型か。
小海線でキハ17に乗ったことがあるような・・・
小諸から乗って野辺山まであえぎあえぎゆっくりと上っていったと思ったら
野辺山から小淵沢までの下りのかっとびぶりにびっくり。
それとも、キハ20かなぁ。。。

37 :名無しでGO!:2008/08/21(木) 22:29:32 ID:0FUYjxuv0
>>36
小海線でキハ17はなかろう。
10系2エンジンの珍品キハ51だったとか。

38 :名無しでGO!:2008/08/22(金) 00:28:35 ID:sqLdh3VD0
昔の小海線

http://jp.youtube.com/watch?v=jUXkQKWOzWg

39 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 07:13:40 ID:8Dw3WT8S0
昔の思い出
小学生の頃、急行「まつしま」のビュッフェで
立ち食いそばやカレーライスを食べた、とても美味しかった。

客車の臨時急行だと、黒磯駅の九尾かま飯、今でも有るのかな?
扇風機の付いてない窓の小さい客車は嫌でしたけど、
今となっては懐かしいです。
鈍行列車の電球の照明が蛍光灯に変わってって、
停車中の静かな時にピーっと高周波音がして嫌でした。
(大人には聞こえない音域っていうのかな?)

昔は列車の窓から駅弁売りから弁当や飲み物を買えました。(特急を除く)
冷凍みかんが好きでした。
東北地方へ入るとお釣りの殆どが100円札だった。

40 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 08:16:10 ID:g8IJIb+DO
そうだね、100円札って懐かしいね!
初めて北海道や九州に行った昭和40年代半ばの頃、都会ではもう100円札は滅多に見られなくなってきたんだよな。
それが北海道や九州へ行くと当たり前のようにお釣りが100円札で渡されるんだよね。
東北ではあまりもらった記憶がないんだけど、とにかく北海道や九州は多かった。
その珍しくなった100円札を一杯貯めて、“お土産”みたいな感じで持って帰ってきたな。
北海道や九州は他にも、コーラの缶が関東じゃ250mlだったのが350mlだったのが嬉しかった!

冷凍みかんやビニールの容器に入ったお茶も、今となっては思い出だな。
両方とも自分には決して美味いとは思えなかったけどね。

41 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 10:03:29 ID:J+QNnvzt0
九尾釜めしはもうないんです。
製造していたフタバ食品は健在ですが,同社にたずねたところ
旧黒磯営業所でだしていた駅弁等の類似品すらもいまはどこにもないそうです。

というか黒磯駅自体が廃れています。

100円札の思い出といえば,昭和45年ごろ九州を旅行したとき普通に出回っていた
のを覚えている。当時仙台で生活していましたが,仙台では,1度だけ母親と買い物に
いったときおつりで100円札をもらって,「これ珍しいからとっておきなさい」といわれて
1枚だけ保存していた。


42 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 10:07:21 ID:J+QNnvzt0
連投スマソ

100円札の話題でたが

100円硬貨も2種類覚えている。今と同じデザインのものと,別のものがあった。
あと穴空きでない50円硬貨,5円硬貨も覚えている。


43 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 16:16:26 ID:nR9nCPxE0
穴空きの50円玉もあった
サイズは穴無しと同じ(今の500円玉と同じくらい)
あの頃の50円は今の500円より貴重だった

44 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 16:53:07 ID:LCcFDsky0
記憶では
1円:(今と同じ)
5円:穴無し同サイズ、穴あり明朝?体
10円:ギザあり
50円:大型穴無し、大型穴無し
100円:同サイズ鳥の絵
100円札:板垣退助
間違ってたらスマソ


45 :39:2008/08/23(土) 21:30:20 ID:SuAdcTqJ0
関連のレスありがとうございます。
私は昭和32年生まれです。よろしくお願い致します。親の実家が会津若松です。

黒磯駅の釜飯はなくなってしまったのですね。
もう何十年も鉄道利用で会津に行ってませんが、
新幹線も止まらない黒磯駅は寂れてしまったのでしょう。

急行のビュッフェに行ったのは磐越西線が電化後でしたので、
急行型電車もぴかぴかの新車でした。

急行「いいで」も良く利用しました。

磐越西線電化前の事は、うろ覚えなのですが、
郡山から蒸気機関車の牽引列車でした。

中学、高校になると一人で日中線や会津線の普通列車に乗りに行きました。
会津線(現在の只見線や会津鉄道)の旅客車両はいつの間にかディーゼル車に
なってしまいましたが、日中線はSLが蒸気機関車最後まで(その後も)客車でした。

オハ61系は好きだったのですが、現在では旅客列車で残ってませんでしょうか?

46 :名無しでGO!:2008/08/23(土) 21:59:46 ID:6c8FCZK50
さすがにオハ61系が現役で走っている所はないな。
保存されている車両も思いつかないが、丹後にある廃止された加悦鉄道の加悦駅に、
このオハ61系を改造して誕生したキハ08が保存されている。
客車から気動車に改造されたゲテもの車両だけれど、塗装と妻面、台車を除けば、
ほぼ原形のオハ61系を残している車両だ。

47 :名無しでGO!:2008/08/24(日) 10:30:59 ID:hYs0FeZV0
>>45
やっぱり32年うまれの方でしたか・・・・

30年代前期・・・SLや急行ビュフェ,・・・といった言葉が自然にでてくる
30年代後期・・・SLや急行ビュフェの経験は「特別」の話としてでてくる
旧客,103,キハ58,65の話題は共通の土俵だねwwww
旧客といえば東北本線松川駅構内にたくさん留置されていたやつらはもうなくなったのかな

そういうオレは38年生まれ。いまだに高崎線のことを「汽車」と呼び,
山手・京浜東北線のことを「省線電車」と呼んでいる母親も健在www





48 :名無しでGO!:2008/08/24(日) 21:48:27 ID:eb6goJCO0
今月発売のR/P誌の特集が151系だったけど、残念ながら自分はこの151系に一度も乗ったことがない。
東海道を「こだま」で往復していたのが小学校の低学年の頃だから、まだ漠然と「電車が好き」という年代、
絵本の中には必ずと言って良い程「こだま」の絵が描かれていたが、本物とは全く縁がなかった。
中学になり、やたら鉄道に詳しい友人の影響で、一気に鉄ヲタに驀進してしまったのだが、
その頃には既に151系は第一線を退き、181系と名を変え山陽路に移ってしまった。
しかし、やはり一度は乗ってみたかったクロ151のパーラーカー。既に興味を持った頃はクロハ181に改造され、
辛うじて「しおじ」に使われているだけになっていた。
しかし、高校生の分際でそこまで大枚をはたいてその特別室に乗車する余裕などなく、
就職した友人が、運用末期のその特別室に乗ってきたのを羨ましく思ったものだった。
考えてみれば、その181系も「とき」で2回だけしか乗車していない。
国鉄車両の傑作とも言える、美しいボンネット車両の礎となった151系、181系にほとんど乗る機会がなく、
意外に早く消えていってしまったのは、今もちょっと残念に思っている。

49 :名無しでGO!:2008/08/24(日) 22:08:55 ID:WL2tlkP70
>>49
私の生まれた年に新幹線が開通して、その後岡山、博多と着々と
線路を伸ばしていきました。

就職して間もない頃、九州に旅行した時、偶然乗ったのがクハ481-502。
れっきとしたクハ181の改造車。妙に隣のモハと段差があった記憶があり
ます。
私の181系絡みはそんなところでしょうか?
でも、同じボンネットでもクロ481形の特急「みどり」は4両編成で
インパクトがありました。肥前山口駅での特急「かもめ」との分割
併合のシーンは、wktkして眺めていましたね。

50 :名無しでGO!:2008/08/24(日) 23:14:46 ID:228sJWdk0
181系の思い出は「あずさ」「とき」だな。
1969年、初めての一人旅で特急を驕ってもらった。
俺が乗ったのは「あずさ」先頭車のクハ181-71。
サハ改造の珍車でもある。
新宿〜松本はあっという間だった。
小淵沢でC56も見られた。

「とき」は12連?だったか、モロ+モロユニットが珍しくて乗ってみたかった。
厨房の分際でグリーン車はおろか特急など持っての外だったので、良くて165系「佐渡」が精一杯だった。
高校に進学し、アルバイトをして稼げるようになった時には既に183系に・・・

51 :名無しでGO!:2008/08/25(月) 00:12:32 ID:lnS2L2nV0
「蒸気機関車最後の10年」スレにこんなのがあった
鉄道世代論(現役蒸気機関車の撮影旅行に関して)
昭和50年(1975)を国鉄蒸機実質最後の年(厳密には51年だが)とすると、最後の10年は昭和41(1966)〜50(1975)年となる。(前2〜3年は配慮)
昭和30年代生まれの鉄道ファンの興味の多くを占めていたのはやはり「蒸気機関車」であり
(無論それがすべてではないが)、昭和30年代生まれを厳密に30(1955)〜39(1964)年
生まれとすると、その世代で鉄道趣味に目覚めた、というより実際に蒸気機関車を撮影しに長期の休みを利用して
ひとりで(または友人と)遠出の撮影旅行を許された年齢というと下限は中学2年(13〜14歳)、
3年(14〜15歳)あたりになるだろうか。
 とすると30年生まれだとすると43年が初めてになり、奥中山に間に合い、ニセコも布原も味わえたということになる。この微妙な「差」が消え行く蒸機との出会い・経験の「差」になるのだろう。

無論、下限の差といっても家庭環境などで個人差はあり、こちらが高校生の時、中一でひとりで一眼レフや望遠を下げてひとりで蒸機撮影旅行をしているのに出会ったこともある。

またほぼ蒸機が最後の働きしていた時期の学校休みである昭和50年度の冬休み(50年12月〜51年1
月)に(北海道へ)出かけられた世代の下限は昭和36年(1961)生まれあたりになるだろうか。

あくまでも首都圏や関西在住のファンとしての考えであり、地元の方々ではまた経験は違うのでしょうが。


52 :名無しでGO!:2008/08/25(月) 00:36:10 ID:pA1nCd2v0
 自分が唯一乗った181系はS49,8の「あさま」。
友人と往路夜行での信州撮り鉄旅行だったが「信州」に乗り遅れたために
料金奮発して「あさま」の厄介になったもの。長野から上野まで急行と特急
自由席で500円位差があったが高校生だった自分にはきつかった。

 あと、S40年代半ばで餓鬼の頃に中央沿線でよく見たのが「あずさ」でボン
ネットの先頭車に車内が別世界のように見えた食堂車の存在は「アルプス」
よりはるかに格が上に見えたものだった。当然乗りたくて憧れたものだが
なかなか叶わなかった。
S49からの高校のスキー教室や部活合宿等で白馬まで行く事があり、ウキ
ウキしたものだが大糸乗り入れ「あずさ」は既に183系だった。
その帰りの「アルプス」だがビュッフェが営業しており、かけそばが200円
位だった記憶がある。

181系「あずさ」が189系化されたのはS50,11頃だったがあれから30年以上
矢のような年月が経っており、その189系も残り僅かとなってしまったね。




53 :名無しでGO!:2008/08/25(月) 00:49:51 ID:PlBnK55v0
>>32

  キハ35-900は、川越線に来た当初はステンレスのままでしたよ。
  その頃はまだ一般色もあったので、ステンレス+一般色+たらこ色
 なんて3色編成もありました。
  形式も、キハ30,キハ35,キハ36、更に細かくキハ35-900、あとに
 なって新潟からキハ35-500なんてのも来ましたから、さしずめキハ35系
 の博物館ってな感じでしたな。
  ちなみにキハ35-900は、碓氷峠の鉄道文化村でしたっけ?に1両展示
 されてます。たらこ色だけど...。

54 :名無しでGO!:2008/08/25(月) 08:53:06 ID:TcW8lkEV0
自分の小遣いで特急に初めて乗ったのは小学校5年のときで昭和50年3月10日改正時。
新幹線で博多までねだったけど「遊ぶなら自分の小遣いで!」と却下されて
それならばと思いたったのが特急「あやめ」。乗車区間は東京〜成田。

なぜに鹿島神宮までいかなかったかといえば・・・
東京〜成田だと乗車券分を10円にできたから。

特急券350円運賃10円,計360円の乗り鉄旅行
まあ親が心配してイザというとき用に2000円くらい握らせてくれたけど
車掌さんが親切な(?)人で2000円の世話になることもなく無事帰宅できた。

その1年前の4年のときは,小田急ロマンスカーに大人無友達2人で乗ったな。


55 :名無しでGO!:2008/08/25(月) 19:37:42 ID:cSrzrs9R0
「とき」って12両で6・7号車がロザだった気がするけど、
一時的に異系列車を組み込んだ事が無かった?


56 :名無しでGO!:2008/08/25(月) 20:35:56 ID:mDjHIgOh0
>>55
サロ181-1100番台のことかな?

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84181%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#1000.E3.83.BB1050.E3.83.BB1100.E7.95.AA.E5.8F.B0

57 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 00:30:53 ID:rlSsfzAL0
おーサンクス。
編成が凸凹だった記憶があるから多分それでしょうね。

58 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 00:43:39 ID:Ysfhdn2+0
>55
30年代後半生まれの方でしょうか?
181系、12両食堂車付きの頃わざわざ新潟近郊まで撮影旅行をしましたが、
53.10対応で凸凹編成絵入りヘッドマークになって以来、萎えてほとんど撮影していません。
181系「とき」、12両食堂車付きが最後の華で、あとは余生だったのでは。

個人的には「あずさ」食堂車無し10両編成が一番のこのみですが、
写真を見るとクハ180-1〜3の怨念?が・・・・・・・

59 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 00:56:40 ID:rlSsfzAL0
>>58
そうです。
国境の辺りまで2時間余りしか乗らないので食堂車はあんまり行けなかった。
業者は聚楽でしたよね?新幹線にも一部引き継がれましたね。

ところでヘッドマークには漢字の「朱鷺」(「鴇」では無いんですよね)
の文字もあったけど、その写真もお持ちですか?


60 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 04:53:42 ID:2Gm5GAPX0
>>59
58氏では無いですが手持ちの写真から。
多分、昭和51年くらいの撮影。
http://upload.jpn.ph/img/u25007.jpg

61 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 11:58:48 ID:rlSsfzAL0
>>60
懐かしいですね。

高崎線方面の特急って上(5〜8?)から出る事が多かった気がする。
常磐線の急行(ときわ、そうま)は下の端っこのボロホームが多かったのに。


62 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 12:26:44 ID:G676MHyG0
俺なんか正調181系に乗れたのは、サロ110-301(←サロ180-1001←サロ180-101)だけだ。
他の300/350番台車より低い車高に昔を偲ぶしかなかった。

63 :名無しでGO!:2008/08/26(火) 16:27:01 ID:0AileG3U0
>>61
高崎線系統は高架から、東北、常磐線系統は地平からが多かったね。

確か、15:22だったか、常磐線のEF80普通客レがあって、20番線からだったかな。
高校の頃、部活をサボって大急ぎで上野に行けば間に合った。
それで我孫子まで行き、成田線の72系を見て帰ってくる。
帰り際、時々馬橋で降りて流山電鉄、松戸で新京成、北千住で東武の凸型電機やDRCを見てくる。
取手で常総線も良かったが、小遣いの関係でいつも我孫子までだった。
そうそう、松戸ではクモヤ90が単行でホームにいて、電車区まで職員輸送?をしていた。
驚いた事におばさんや高校生が勝手にドアを空けて(手動)乗り込んでいくことがあり、不思議に思っていた。
恐らく職員の家族だったのだろう。
俺も是非乗りたかったが、勇気が無かった。

常磐線ってけっこう面白くて好きだった。

64 :60:2008/08/26(火) 21:35:38 ID:EIZUp8oW0
走るホテル
http://upload.jpn.ph/img/u25066.jpg

ED16。多分八王子
http://upload.jpn.ph/img/u25068.jpg

撮影はいずれも母親が持っていたCANONのハーフサイズカメラだったかな。

65 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 01:06:20 ID:/6BpbLeI0
上野駅は語り出すとキリがないな。
丁度鉄として血気盛んな頃、在来線特急群が一番華やかだった事もあるし、
脇役の急行がいい感じで花を添えていた。

多分今はないだろうし、いつまでやっていたんだろ?この放送。
「業務連絡、1014M接近・・・・・・まもなく16番線に(以下略)」

66 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 03:48:46 ID:4WlyHcabO
ちなみに、
「1014M、16番接近…」は、
「“じゅうろくばん”接近…」ではなく、
「“とう・ろくばん”接近…」ね。
そういえば、最近はそういう駅の“業務放送”を聞く機会が余りないな。
こういう放送を聞いてワクワクしたもんだけど。

67 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 06:46:59 ID:fjBXbM+G0
ワクワクはしないけどイライラする業務放送ならよく聞くぞ

「業務連絡 ○番線××T通知・・・」

68 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 07:51:40 ID:o8U9DxtK0
>>66
北斗星とかの入線時に言ってない?
「とおさんばん、いちれせっきん」

69 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 08:12:49 ID:U9Qj0cOl0
>>63
自分は松戸で降りて、上りでやってくる客レでとんぼ帰りというのをやってました。

馬橋も軽便鉄道の車両が保存してあったりして面白かったですね。
今でもまだあるのでしょうか…

70 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 21:57:09 ID:wRUaN4be0
東京ミニ周遊券
上野―大宮
東京―大船
新宿―八王子
両国―千葉
ずいぶん「急行」で利用させていただきました。(特に上野―大宮)



71 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 22:22:21 ID:fjBXbM+G0
岩手県の花巻〜盛岡間あたりは,至近のミニ周遊券発売駅までいったとしても
毎日急行で往復していたら元がとれるので,最初の片道1回だけ発売駅まで
普通に乗車券を買って移動し,あとは急行乗り尽くめにしている勤め人がいた
と新聞記事にあったとか。

昭和55年くらいで静岡発の東京ミニが7日間有効で4000円。28日間で16000円
1ヶ月の通勤定期が16000円以上の区間ならお得だったし,急行タダ乗りできたんだな。



72 :名無しでGO!:2008/08/27(水) 23:57:36 ID:V5dQdaE30
久々、上野で銀座線から中央改札に出た。
今は地下通路から正面玄関脇に上がるエスカレーターになっているところ、
近年まで中華ソバ屋があって、一帯その匂いがただよっていたっけ。

好きな匂いだったが、妻はつわりのときつらかったので嫌な思い出だと言ってた。
おかめ、若尾×子より…ていうのれんが掛かっていたっけ。

銀座線のあの改札は自動改札になってもなんだか昔の匂いがちょっと残っている気がする。

73 :名無しでGO!:2008/08/28(木) 07:22:49 ID:H9d0KXIj0
>>48-61の方々と、>>17-18さん
電車特急のボンネット型マークは文字とローマ字のイメージで、イラスト入りは
違和感出て萎えた口ですか?

74 :名無しでGO!:2008/08/28(木) 08:24:48 ID:zQIpnbDgO
違和感がない訳ではなかったけど、あれはあれでよかったね。
ボンネットのイラストHMで興味があったのは、ふだんクハ481-200、300代車両で運転されている列車が、
イレギュラーでボンネット車両が入った時のイラストHMに興味があったね。
ふだん見慣れている正方形に近いマークが横長になるとどうなるかな?ってね。
晩年は常時運用に入ったけど、ふだんは貫通タイプだった「白鳥」「はくたか」(まだ上野まで来ていた時代ね)や、
「やまびこ」「かもめ」「そよかぜ」「新雪」なんかね。
「白鳥」はうまく処理されていたけど、「はくたか」は何か間延びしていた感じがしたな。
「やまびこ」〜のは結局イラスト入りのボンネットHMは見れなかったけど、存在したのかな?

75 :名無しでGO!:2008/08/28(木) 21:58:01 ID:H9d0KXIj0
>>74
やまびこは昭和40年代後半から青森配置の485系になってからボンネットはない。

最初のボンネットのイラストは181系ときだったけど、それまでの「朱鷺」の文字
が入ってたのは格調高かったのが、イラストは間抜けな感じで相当違和感があった。
181系ときはその前年に食堂車を無くし、車高の違うサロの凸凹編成で萎えたが、
イラストマークはそれに追い打ちをかけた衝撃だった。


76 :名無しでGO!:2008/08/28(木) 22:12:59 ID:oJmLs3RY0
今のLED表示に較べれば遥かにマシ。
みんないいおもひで。


77 :名無しでGO!:2008/08/28(木) 22:24:11 ID:Jx3f6aYoO
俺の思い出は、常磐線の準急『ときわ』
いまでも国鉄色を見ると


青く塗られたキハ6614車内より。


追伸
前回国鉄色のキハ66、67のトップナンバーに乗り
萌 でした。

78 :名無しでGO!:2008/08/28(木) 23:12:19 ID:C8VXw9P50
>>77
長崎の旅乙。

Qなら、415赤電くらいしか他にないか・・・

79 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 00:32:21 ID:HOHAUT3w0
>>74
53-10当初はボンネットは絵入りでなかった記憶がある。
だから逆に、「あいづ」の絵入りがレアだった。
上野寄りはボンネット固定、下り方もボンネットのことが多くて。
当時「ひばり」は片側のみボンネットが多かったっけ。

80 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 00:44:08 ID:1cRnqvl20
昭和30年生まれだが181系の営業運転には乗ったことがないが,
向日町に住んでいたので,留置されているクロハにこっそり乗り込んで区分室でまったりした
ことは何度かある.
道路との境にフェンスなど無かったいい時代の話.
ものを取ったりはしてませんので.

81 :58:2008/08/29(金) 01:16:22 ID:g/6cNCnc0
>73
最初は違和感たっぷりでした。見慣れるとそうでもないのですが。
53.10では交直流ボンネット車は対象外だったような。
今でもボンネットには無地で文字だけの似合うと思っています。(老人性頑固w)

結局デザイン次第ってことでしょうか。国鉄は自信満々で出していたようですが。
白山など、いい出来のものもありましたが、仲間内で酷評したものも多い。
あまぎの取ってつけたようなわさびや、マンガ候のはくたか、檻に入ったしなの、
いまいちぱっとしないやまびこ等、なんだかなぁと思うものも数多くありました。

絵入りで、ボンネットに似合う一番の傑作は、赤地に白の現行「はくたか」ですか。


82 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 01:22:22 ID:ylVdCj3u0
>>79
その通りでときのイラスト入りは昭和54年1月から。同年夏にはくたか・白山の
ボンネットがイラスト入りに。
あいづはまだクロ481が健在で、反対側のクハ481が稀に200番台だったから。
ひばりはその改正から仙台配置編成は片側ボンネット・青森配置編成はボンネット
なしで、両側ボンネットが無くなったはず。ちなみにどちらの485系も編成は同一
で時刻表の編成案内では見分けがつかなかった。

83 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 01:31:27 ID:SjLBLnKU0
絵入りヘッドマークの時期って
商売下手の国鉄があれやこれやと話題作りしていろんなことやった時期だな。
それ以前からも各鉄道管理局等でとってつけたような「記念」切符を売っていたが,
このとき,上野駅で「絵入りヘッドマーク登場記念入場券」が発売されて
これがなんと上野発の全種類のヘッドマークについて1入場券みたいなセットで
数千円した。ヲタ友と「こんなの買うやついるんかねー」とか話していたら
東京出張した父が「ホレみやげだ!」といって渡してくれたのがこのセット入場券

「こんなセット買うなら現金でくれよー」なんて憎まれ口きいたけど
今となったら貴重なセットなんだよな。

Thanks!My Dad!


84 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 21:40:48 ID:M76pxxF20
絵入りマークはどこかイラストと文字が幼稚な感じだった。またエル特急ならL文字、
寝台特急なら流れ星マークを入れ、貫通型・非貫通型の限られたスペースでごちゃ
ごちゃした雰囲気を醸しだしていた。
当時はそんなことするならブルトレ全列車に機関車のヘッドマークを復活させろと
思ったが、巻き取り式なので作業や手間が比較的簡単だったのが理由だったろうな。
当初ボンネット型や気動車特急に取り付けられなかった理由もそのあたりにありそう
な気がする。
ブルトレ機関車のヘッドマークも昭和59年2月に九州で復活し、秋に上野口の
あけぼの・ゆうづる、昭和60年改正で全ブルトレに復活した時は嬉しかった。
でもその時は急行列車はほとんど消え、国鉄解体のカウントダウンの時だったな。


85 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 21:53:25 ID:Xuhg+SCR0

絵入りマークは幼稚なおこちゃま向きで今でも、馴染めんな。

86 :名無しでGO!:2008/08/29(金) 22:36:57 ID:YDVt0+7E0
昔の列車に付き物だったホーローのサボ。
上野駅などのターミナルでは、折返し運転の為にそのサボの入れ換えが頻繁に見れたものだ。
着いた列車の前から、または後ろから早足で歩きながらその列車のサボを次々と抜いて行く。
抜いたサボはホームに設けられた所定の置き場所に置くと、交換する新しい行先のサボを小脇に抱え、
今度は逆方向に向かって次々と差し込んで行く。
ドアの上より高い位置にあるサボ入れに手際良く入れるのは、やってみると分かるが、見ている程簡単ではない。
係員はそれを「カシャーン」という響きとともに、実に華麗に投げ込んで行く。
面白かったのは号車札の差し換え。これもドアの上より高い位置にあり、出し入れは上方向になっているから、
手でそれをするのは面倒だ。そこで1mくらいの長さの鉄棒の先をフック状に折り曲げた“道具”を使うのだ。
このフックの先で号車札をヒョイと引っ掛けて抜き取り、今度は新しい号車札をこの道具を使って差し込む。
その係員の手際の良さと響き、何か引き寄せられるような魅力があった。

上野駅とか東京駅にはそんなホーローの行先サボや、時にはボンネット車両の特急のヘッドマークなんかも、
ホームに作られた置き場や柱に立て掛けるような形で置かれていた。
今そんなことをしていたら、あっという間に全てが盗って行かれちゃいそうだが、
当時はそんなことをする不心得者の鉄道マニアはいなかった。

87 :名無しでGO!:2008/08/30(土) 07:52:31 ID:ZVkUl2/90
懐かしいです。
サボも最初はホーローでしたが、アルミニウム⇒プラスティックになりました。
これは軽量化による作業の効率化でしょうが、

盗難多発で紙で手書きで書いた物やサボ自体が無いものも有りました。
編成固定の列車は針金で留めたのもありました。

私の好きなのは北海道の列車に多い、上の穴の部分が凸型になってる物です。

88 :名無しでGO!:2008/08/30(土) 08:15:53 ID:XJlLY+9z0
>>87
北海道では終始ホーローだった記憶が。

S53頃だったが函館駅では「おおとり」が到着すると>>86氏の書き込まれた
ほぼ同じ要領で「おおぞら」に、「おおぞら2号」が到着すると「北海」に
手際よく抜き差しされていた。

89 :名無しでGO!:2008/08/30(土) 10:42:40 ID:Ck8sr/ag0
終着駅の儀式
降車終了ホーム側ドア閉鎖ーーー
反対側ドア開放


90 :名無しでGO!:2008/08/30(土) 12:13:14 ID:NzigafWQ0
昭和40年代、スカ線も先頭車だけは
.__________
|  横  須  賀  線. |
|   Yokosuka Line.  |
. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
というサボを差していた。

91 :名無しでGO!:2008/08/30(土) 13:59:32 ID:xDuG5rpI0
>>88
北海かあ、
最後まで山線経由で残ったんだよね。
食堂車もあった。でもガラガラで廃止は時間の問題って感じだったな。

92 :名無しでGO!:2008/08/31(日) 16:53:10 ID:xfJpo7sq0
>>48
亀レススマソ。その181系「しおじ」に乗った事のある俺が来ましたよ。
もう38年前の1970(昭和45)年の夏休み。大阪万博を見るために家族親戚一同
打ち揃って上阪する際乗ったのが「しおじ2号」181系編成。3号車(ロザ!)
だった。生憎181系との逢瀬はこれが一期一会に終わってしまったが…
1号車クロハ181の区分室のグリーンマークが気になってはいたが其処は結局
一度も体験はおろか見学も出来なかったが、確かに181系編成は485系や583系
より強いオーラがあったように思う。

田舎の消防は指をくわえて見送るだけだった…

93 :名無しでGO!:2008/08/31(日) 23:38:08 ID:OTkm4gNT0
>>91
88です。
S49年頃は上りに一度乗った事あるが乗車率も良く、運転時間的に食堂車も混んでいた。
長万部を出た時だが「長万部から赤帽が乗りました。荷物を...」と車内放送があった。
当時は青函連絡船や青森からの接続列車まで荷物を運んでくれていたようだね。
この時までは盛況だったように見えたもの。

ところがS50年代になると航空機へのシフトか次第とすいてきて食堂車の混雑もそれに比例
しているようだった。S60には編成も6両となり、食堂車もなくモノクラス編成も出た時は
鉄道での本州〜北海道連絡の衰退をまのあたりに感じたものだった。

94 :名無しでGO!:2008/09/01(月) 00:30:10 ID:OOFrDRnk0
>>93
>>88の号車札で思い出したんですが
北海道の特急の号車が函館基準から札幌基準になったのは
S60年3月改正でしたかね?
あの時に鉄道がようやく本州〜北海道連絡の使命を終えた気がしました。

95 :名無しでGO!:2008/09/01(月) 01:52:02 ID:066V9zzq0
運転室内がすっきりしてましたよね!
日を重ねるごとに後付け配線がごちゃごちゃしてきました。
それも決まって体裁良くない配線ばかりで・・・

96 :名無しでGO!:2008/09/01(月) 08:20:36 ID:X+RGxNj0O
「MLながら」が来年春から多客時のみの臨時化されるようだ。
来年春には「はやぶさ・富士」も廃止が確実視されているので、
最早「夜行列車」というものが“昔話”になってしまう時代が目前に迫っているようだ。
ワイド周遊券片手に、夜行列車を宿代わりに全国を乗り回していた時代からは想像もつかない出来事だ。
決して快適ではない、いやむしろ苦痛だった夜行列車だったけれど、
それもこういう時代になると懐かしい思い出だ。
夜行列車、食堂車、SL、旧型車両、連絡船、国鉄…。
既に消えてしまったり、風前の灯のこれらが活躍していた時代をリアルに体験できて、
しかも、最新の素晴らしい車両やシステムにも、今体験できている昭和30年代生まれは、
鉄道に限らず、あらゆる面で楽しい年代なんだなと改めて思う。

97 :名無しでGO!:2008/09/01(月) 10:18:39 ID:l2QITmDL0
>>96
国鉄運賃料金値上げラッシュの時期も関係すると思う。
種氏の会合にいって,某K川氏の中学高校時代の思い出話きいていたら
ちょっとうらやましかった思い出がある。(当時僕は高校生,彼は社会人)

自分が高校時代は東京発の北海道ワイドはすでに2万数千円だったので
高値の華だった。1度だけ親から「援助」受けて夏休みに北海道いった。
急行「津軽」に乗ってみたものの,上野駅で並びはじめたのが遅くて座れず,
福島で盛岡行普通列車に逃げ出した。「津軽難民」の何人かが乗り換えて,
近くに座っていたヲタ2人組は2人で手分けして,宇都宮,黒磯,白河,郡山
といった駅で乗り継いで入場券集めをやっていた。
仙台で長時間停車するので,みどりに回って「くりこま」のハザを求めたら
運よく青ランプ。これで青森までの足が保証されたとほっとした。
当時は青森は遠かったけど,今となればそういうヲタ旅行は贅沢なんだよね。


98 :名無しでGO!:2008/09/01(月) 21:48:14 ID:+VVw2YZw0
>>96
昔って寝台が高嶺の花で、夜行は座席利用が多かったなぁ。
上野から青森まで十和田や八甲田、乗り換えて連絡船が唯一身体が伸ばせる。
枡席を縦長に確保したらシャワーを浴びて後は横になったり、並走するイルカを見たり。
連絡船を下りたら、特急北斗。札幌で数時間の乗り換えで、まりもや大雪なんかに。

後年、飛行機で北海道に行って余りの楽さに行った気にならなかった。

SLやまぐち号運転初年度も、大阪まで各停、大阪から雲仙・西海で行ったっけ。
帰りは岡山から夜行の鷲羽で153系に乗った気がする。

99 :名無しでGO!:2008/09/02(火) 11:53:23 ID:Y76EgeAUO
アゲ

100 :名無しでGO!:2008/09/02(火) 19:54:14 ID:4KkTeQ0s0
中央、京浜東北、常磐、総武に乗って東京23区を外れると
田園風景、農村風景でしたな

101 :名無しでGO!:2008/09/03(水) 22:15:24 ID:Ymd77mHAO
横浜育ちの自分には、根岸線の開通が驚きだった。
だって、根岸から磯子にかけての根岸線の線路が敷かれた所は、
つい数年前までは「海」だった場所だったからだ。
市電の窓の向こうに海を埋め立てて広い道路が出来たと思ったら、
そのうち電車も走って来るとは…。

102 :名無しでGO!:2008/09/03(水) 22:22:10 ID:S9pXJ9ZQ0
そういえば、この年代生まれってボンネットバスも結構普通に乗っていたのでは?
私は、小さい頃(昭和40年代前半まで)足立区の竹ノ塚駅利用だったけど、
それなりの頻度でボンネットバスに乗っていた記憶がある。
運転席横のシートが好きだったっけ。後、車掌も乗って切符を売っていたっけ。
終点の竹の塚で電車待ちの間に見る東武のDRC、当時は
「何で国鉄の特急がこんなところに走っているんだろう?」と思っていた。
どうやら、151系と同じだと思っていたらしい。
それが、東武DRCだと知ったのはずいぶん経って、昭和も50年台に入ってからだった。

103 :名無しでGO!:2008/09/04(木) 19:42:12 ID:RVjrBfTL0
>>102
ボンネットバスの運転席横のシート。
最高のかぶりつきでした。
ロングシートなんだけど、そこは仕切りのパイプの中に足を入れると、
クロスシートのように座れて前を見られましたね。
また真横から曲がる度にバナナのようなアポロが、
ひょいっと上がるのを見るも楽しかった。
うちのあたりの都バスは昭和40年頃までだった気がします。
昭和48年頃には普通営業のボンネットバスも珍しくなって、
けっこう趣味者の話題にのぼり、あそこはまだ走ってるとか話した記憶があります。


104 :名無しでGO!:2008/09/04(木) 21:11:02 ID:Kw8TF9HzO
ボンネットバスじゃないけど、ツーマンでそういうバスはよく乗った。
運転席横の“特等席”は、目の前の展望はもちろん、大きなハンドルとギアチェンジレバーを巧みに操る
運転士の姿に憧れ、兄弟でその席を争ったものだ。
最後にこういうタイプのバスに乗ったのは、昭和50年頃だと思う。
明知線の明知駅で「国鉄全線完乗」を果たし、駅長に見送られて乗った瀬戸行きの国鉄バスが最後になったね。


105 :名無しでGO!:2008/09/05(金) 00:50:04 ID:odqNt10f0
 そういったバス車内の床板は、防腐の薬剤だか油だかがギトギトに塗られてて、
若い女性は乗るのを嫌がっていた記憶があります。(羽織っていたものを落したり
とか、当時流行の白いブーツが汚れるとかで。昭和40年代終わり頃の記憶です)

106 :名無しでGO!:2008/09/05(金) 01:48:35 ID:6NykqgIy0
京成バスの小55でボンネットバスは昭和45年くらいまでは見た。
ただし夏限定だった気がする。
高校の卒業式にいく日に乗った都バスで車掌さんから切符を買った。
(昭和55年春)
木張りの床は都内の京成バスには10年前にはまだ走ってた。

107 :名無しでGO!:2008/09/05(金) 05:20:14 ID:lmtB+s4T0
一般乗合タイプのツーマン仕様バスの最後の乗車は
昭和56年の国鉄バス福浪線,船福線だったな。

ボンネットバスの最後の記憶はかなり古く
昭和42年の西武バスだったな。



108 :名無しでGO!:2008/09/05(金) 05:50:06 ID:E7lQ2e/v0
>>107
立川バスの国立-けやき台団地線、かなり遅くまでツーマンだったな。
途中の道が狭いので誘導員を兼ねていたんだけど。

109 :名無しでGO!:2008/09/05(金) 18:58:33 ID:+0CS7C7w0
幼稚園のころ、ボンネットバスがイヤで何台もバスを見送り、親を困らせた私が来ましたよ。
で、乗りたかったのは日野―金産のアンダフロアエンジンバス。

が、去年だったか、彦根で久しぶりにボンネットバスに乗って妙に嬉しかった。
アンダフロアエンジンバスも乗れる所があるといいが。
バスネタなのでこれ位でsage

110 :名無しでGO!:2008/09/05(金) 22:19:15 ID:9R5aWtG70
バスの話が続いていますが、ちょっとレールに戻して、
「レールバス」と呼ばれるものがありますね。古い所では国鉄のキハ01、02、03がそれですが、
さすがに閑散時にはよくても、ラッシュ時間にはキャパが足りず、しかも重連運転の時は
双方に運転士が必要ということから短命に終わってしまいました。
実際、私も「気動車ガイドブック」でその姿は知っていても、実車を見たことはありませんでした。
でも、ここにいる方の中にはこのキハ01系に実際に乗ったことのある方っておられるんでしょうか?

自分も、また恐らく多くの方が“これなら乗ったことがある”というのは、やっぱり南部縦貫鉄道の
レールバスですよね。とにかくあの振動と騒音には驚きでした。つり革の留め金が外れたままで、
一部に妙に固まっていたりしたのもおかしかったですね。他にもシートや室内灯に昔のバスの面影が残っていて、
それが妙に懐かしく思えたものです。

近年第三セクターなどに一時期こぞって単車の現代版のレールバスが導入されましたが、
これも案外使いにくかったようで、やはり短命に終わっているものが大半のようです。
妙にフワフワした乗心地が異色でしたけど。


111 :名無しでGO!:2008/09/07(日) 11:24:26 ID:OjkDQZ5G0
>>108
高木町の住人でした。
おもろいおばちゃんの車掌と、ハーフのお兄さん車掌が「有名でしたね」

技研の横を通る路線でした。ED30やらML100を見る事が出来ました。




112 :名無しでGO!:2008/09/07(日) 14:17:19 ID:3Sm7azlE0
>>108
交換待ちする路線バスも珍しいよね

113 :名無しでGO!:2008/09/07(日) 21:10:23 ID:qgxh9JWW0
>>112
結構あるぞ


52 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)