【現存・復元】天守について語ろう【復興・模擬】
- 1 :人間七七四年:2008/07/04(金) 12:36:16 ID:HWAn86Ui
- 歴史好きな人なら誰でもお気に入りの天守閣はあると思います。
ちなみに私は縄張や城郭の規模なんかを考慮せず、純粋に建造物としての
天守のみを観た場合に一番美しいと思うのは現存で言えば松本城です。
姫路城も悪くないですが意匠として外壁が漆喰のみのタイプより下見板張を
使った方が個人的に好きなので松本城の次点にランクしてしまいます。
ただ松本城がパーフェクトかと言うとそうでも無く、望桜が四重部分の階と同じ面積
なので外観が頭でっかちなバランスの印象を受けてしまう事がマイナス点です。
復元・復興を含めれば熊本城は、かなり私の理想に近い天守です。
あと天守の構成からすれば大天守単独の独立型より櫓や小天守が付随した
複合型や連立型の方が、建造物としての重厚感が感じられ好きです。
模擬を認てないかと言うとそういう訳では無く、中津城などは外壁が黒の下見板張で
覆われ、天守と櫓との連結式でもあり結構お気に入りだったりします。
- 24 :人間七七四年:2008/07/06(日) 05:11:11 ID:pj/cg4oM
- 彦根城天守は大津から移築した時に3層に圧縮したからな。
でも装飾パーツは5層時代のをほとんど使い回したから
5層天守並の装飾を持つ3層天守という過剰装飾気味な
ものが出来た。
まあ、江戸初期の流行が天守の装飾をどんどん減らしていく
方向に行ったことを考えると20年後には
「趣味わりーなw ( ´,_ゝ`)プッ 」と思われてた可能性も
高いね。
- 25 :人間七七四年:2008/07/06(日) 12:19:37 ID:xFNVIHnp
- >>24
そりゃあ質素倹約が美徳とされた時代に移っていったら、そういう風に捉えらえる人も
いたかもしれない。でもそんな事言っていたら世相が変わったら人々の美意識が
変わっていくってのは江戸時代に限らず現在でもまったくあたはまる事じゃないのか
バブリーな時代に建てられた意匠的にド派手な高層建築物を環境重視のエコニストが
批判したって、それはそれで当時の世相を反映したものだから筋違いってもんだろ
元々天守の発生経緯は権威の象徴というか城主の財力を見せつける意味合いの強い建造物
だったから、その根幹となる基本概念に沿えばいくら装飾が派手でも過剰過ぎる
という事はないよ
- 26 :人間七七四年:2008/07/06(日) 12:22:46 ID:K5CrtqJ/
- 信長なんて今の時代なら間違いなく天主にネオン取り付けただろうねw
- 27 :人間七七四年:2008/07/06(日) 23:05:57 ID:DNOLN81G
- >>26
いや信長は新し物好きだから発光ダイオードを使うはずだw
- 28 :人間七七四年:2008/07/06(日) 23:23:55 ID:K5CrtqJ/
- 関連スレ
【天守閣】日本の城と世界の城【城郭都市】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1174049759/
- 29 :人間七七四年:2008/07/06(日) 23:39:39 ID:GnwrtRqf
- >>24
彦根は江戸期に描かれた名所図会に天守の絵が出てくるし
その美しさは築城以来ずっと語られてきた。
明治天皇か大隈重信かどちらかは諸説あるが美しいのでぜひ残せと命じて残したほどだし。
逆に徳川政権安定後の大量量産型の層塔型天守は名所図会に描かれることさえない
城も多い。当時の人にとっても今の面白みの無いコンクリート巨大ビルみたいな感覚だったんだろう。
- 30 :人間七七四年:2008/07/07(月) 01:40:08 ID:NfRC88/C
- >>29
それは時間が経ってまた価値観が1巡したからだな。
一貫して桃山センスのまんまだったら名古屋城も
寛永江戸城も徳川大阪城も豊臣大阪城ばりの派手な意匠
になってるよ。
これらは少々の装飾コストなんぞ度外視できたんだから。
そもそもスッキリ層塔式にしたところでそんなに安くつく
わけじゃない。
高知城天守なんぞは財政の苦しい江戸末期にわざわざ
レトロな望楼型で再建してる。
現代人の面白いところはなぜか260年もの長い時代を
一貫して変化が無い平板な時代として一括りにしたがる
ところだ。
まあ、300年後ぐらいの時代劇では明治末期の時代設定
で神保町でフィギュアとエロゲを買いあさるヲタク文学青年キャラ
みたいな設定が出てくるんだろうがw
- 31 :人間七七四年:2008/07/07(月) 03:37:20 ID:TZ07YqiB
- >>30
なんか価値観と美意識をごっちゃにしているみたいだけど、それは分けて考えた方がいいと思うよ
美意識も例えば美人の基準なんかは時代が移り変わったら変わってくるもんだけど天守の様な恒久的な
建造物とか歴史的に有名な絵画などの美しさ素晴らしさは、時代を通り超えたある種普遍的なものがあるよ
江戸初期なんか世代にしたら僅か十数代前だし同じ日本人通しだから尚更だよね
だから彦根城なんか江戸中期の人が見ても、後期の人が見ても大方の人は素晴らしいと感じたはずだよ
価値観ってのは個人個人の好み、考え方の個性という考え方も出来るけど、もう一つは本人の本当の意思や
正直な気持ちに係わらず世の中の風潮や流れや権威に逆らわずに従わなければいけない方向性というか
ある種強制的に植えつけられる側面もあるよ
今現在で言えば地球温暖化や食料危機が囁かれ、世の空気がエコや節約の方向に向かっているよね
だけど皆心の奥底の本音ではそんな事気にせずにバブル時代の様に好き勝手に使いたい放題やりたい訳だ
例えが判りにくかったかもしれないけど、様は主に武家諸法度発布以降において手の凝った豪華な天守の
築城は、幕府が規制していたり大名が自主規制していたという事
それは各大名の美意識が変わったからで無く、質素倹約をモットーにした徳川家の価値観に逆らう事はある種
危険な事であり、改易まではいかないが目を付けられる事は少しでも避けなければいけないという事情があったから
それと高知城天守は江戸末期じゃなくて延亨年間に再建されたから江戸中期だよ
レトロな望楼型なのは再建という事で創建当時の様式が認められているから
美意識が一巡りしたからという理由ではないよ
- 32 :人間七七四年:2008/07/07(月) 10:02:59 ID:HdN23lAf
- >>31
長いが内容が全く無い。
3行でまとめろ。
- 33 :人間七七四年:2008/07/07(月) 12:40:06 ID:NfRC88/C
- >>31
建造物の美意識は短期間で変わるよ。
その例が>>29の「今の面白みの無いコンクリート巨大ビル」という表現だ。
そりゃ平成時代の若者には霞ヶ関ビルみたいなのは「面白みのない」建築に
見えるかも知れないが、できた頃にはまさに戦後モダンの象徴とも言える
格好のいいデザインだったんだよ。
まあ、現代人には帝冠建築や歴史主義建築みたいなものの方がむしろ
斬新で面白いように見えるかも知れないな。
これを流行の一巡という。
- 34 :人間七七四年:2008/07/07(月) 13:07:28 ID:TZ07YqiB
- >>32
確かに長々となって解りにくい文になった 要約する
@価値観と美意識はリンクする面はあっても決してイコールではない
A美意識は個人の感性だが、価値観によって洗脳される面もある
同時代の人通しでも豪華絢爛な天守を素晴らしいと捉えていた人がいる一方
当時の質素倹約の価値感に縛られダサいと捉えていた人もいただろう
B大名が画一的な層塔型天守を築城したのは、幕府の方針に沿った天守造りをした為で
大名全てが彦根城みたいな天守を美しくないと思っていたからという理由は短絡的
>>33
いやだから更に流行って単語が付け加わっているけど
被る所はおおいにあるけど、100パーセント価値感=美意識=流行では無いって
- 35 :人間七七四年:2008/07/07(月) 13:54:44 ID:TZ07YqiB
- 霞ヶ関ビルが出来た当初は人々は「おおっ」て確かに思っただろう
でもそれは日本初の高層ビル群だったから、大きさに対するもの珍しさと
他国に対する誇らしさの感情が優先した為で、美意識の感性とは食い違っている
君の考えだと高知城再建の時代は、流行が一巡して彦根築城当時と同じ流行りに
なっていたからとなるけど、何かファッションの流行や自動車の外観デザイン
なんかと同じ感覚で捉えていて少し無理があるっぽい
- 36 :人間七七四年:2008/07/07(月) 14:00:01 ID:HdN23lAf
- 建築としては層塔式のほうが高い技術が要求される。
美的問題以外の考え方として、高知城再建の時は、全体的に城郭建築の技術が落ちていたため、
仕方なく望楼型にしたのではなかろうか。
- 37 :人間七七四年:2008/07/07(月) 14:14:49 ID:On9Q9ZxD
- それはあると思うよ 一国一城制になってから再建や増改築以外の築城は基本的に
認められていなかった為、城郭建築の技術が忘れさられていった面も多いと思うので
例えが悪いが、オーストラリアの先住民アボリジニは元々海洋民族だった
海を渡ってオーストラリアに住み着いたのだが、内陸部で長年暮らす内に
造船術、航海術は完全に忘れさられてしまったみたいな
- 38 :人間七七四年:2008/07/07(月) 17:42:19 ID:TR/GOqO1
- 建築面の技術、実務的要求と美的センスを混同してるやつがいるな。
霞ヶ関ビルがあの形になったのは高層ビルを技術上もっとも合理的に
建築するのに最適だったからであって美的センスに基づくものではない。
日本美術家や文化庁の専門家が美術的に絶賛する高層ビルなど無い。
江戸初期以降の城も出来るだけ少ないコストで災害等に強く建築的に実務的な
ものが好まれるようになったから装飾が減っていっただけ。美意識が変化したわけではない。
豪華絢爛が時代遅れになっていないのは家光時代の日光東照宮の装飾を見れば明らか。
- 39 :人間七七四年:2008/07/07(月) 21:07:57 ID:NfRC88/C
- 実用性を言い出すと「天守なんかイラネ」で終わるw
- 40 :人間七七四年:2008/07/07(月) 22:02:56 ID:HdN23lAf
- 江戸中期以降の天主の最大の存在価値は都市の「ランドマーク」
天主を見上げれば自分がだいたいどの辺にいるかわかるという実に便利な存在だった。
- 41 :人間七七四年:2008/07/07(月) 23:16:27 ID:8mnk+wLK
- 実用性といえば軍事拠点の要素は形骸化されてきたが
城主の権力象徴というもう一つの側面は充分残っていた
だから武家諸法度発布以降、新規天守築城が許可されていなかった
外様大名は櫓建設の名目で三重の天守を築城を行った
- 42 :人間七七四年:2008/07/07(月) 23:59:49 ID:NfRC88/C
- 軍事的価値は始めから期待されてないよ。有力火点として
運用したかったのなら城の一番奥に置いてどうするw
西洋のキープゲートハウスのように城門と一体化するか
城門の側に置かないと意味がない。
高層櫓を軍事的に役立てようとしたのは徳島城
ぐらいか。
- 43 :人間七七四年:2008/07/08(火) 02:14:31 ID:jNRA4cKV
- 小僧ーw オマエさんは何を言ってるw
天守は篭城戦の際の最終拠点としての本部という
最大最重要な軍事的価値を持ってるじゃないか
天守の物見は櫓より高い位置にあるので当然司令部になるよな
まったく価値感や流行は一巡するだの、天守の軍事的価値はないだの
ことごとくズレまくりだなw
あとズレた反論が返ってきそうだから、予め言っておくけど
天守に狭間や石落が設置されていても実際にはほとんど
使われなかったじゃないかと言ったって
それはあくまでも後世の人から見た結果論に過ぎないから
- 44 :人間七七四年:2008/07/08(火) 02:34:09 ID:4ZTd64Qy
- 小倉城天守近くの蕎麦屋の櫓かな?w
- 45 :人間七七四年:2008/07/08(火) 15:29:15 ID:8R4xbavr
- まぁ熊本城からして天守を自ら燃やしたって話もあるからね。天守は役には立たないだろ。
- 46 :人間七七四年:2008/07/08(火) 22:55:21 ID:7hwfa9P7
- >>45
あれは失火か薩軍に内応したものの犯行だろ
自軍の損失になる事をわざわざ行う理由はどうしても考えにくい
- 47 :人間七七四年:2008/07/08(火) 22:58:04 ID:BHpIbT9Y
- でも実際問題として砲撃の的になって邪魔だったわけで
- 48 :人間七七四年:2008/07/09(水) 00:00:51 ID:J22A8Hg1
- >>43
なんか当時の戦について現代戦のようなイメージを持ってる
ようだが、無線の無いこの時代には巨城の統合指揮なんぞ
できんよ。一旦戦闘が始まれば基本的に郭ごとの
現場指揮官に任せるしかない。
中央から伝令走らせても着いた頃には情勢変わってる
し、かえって指揮系統が混乱する。
だから城主がリアルタイムに情勢掴んだところでそれを
生かすことはできないんだよw
まあ、情勢がわかれば気休めにはなるが、それは
ただの井楼櫓で充分。巨大な楼閣建築である必要は
無い。
あと、天守が火点としてどれぐらい役に立つかだが、
まあ、ただの隅櫓でも天守に指定されれば天守なので
ここでは誰が見ても天守に見える5重クラスの大櫓
や郭の中央部に配置する櫓がどれぐらい役に立つ
かを考える。
基本的に近世城郭の隅櫓の場合は塀と並ぶ1層目が
堀端に対して最適な射点となるように設計される。
ということはそこから上の階層になるほど射撃対象点
への射距離も伸びるし、鉄砲の見下ろし角も増える。
前装式滑腔銃の場合、弾の精度が悪いと銃口が
下を向きすぎた時に弾が転がり落ちてしまう危険が
あるわけで、自ずと俯角に限度が出る。
そういうわけだから結局、重層トーチカとしての櫓は
2重ぐらいが一番コストパフォーマンスが良く、有効性
があるのは3重目ぐらいが限界ということになる。
なんで天下人の城が5重の大櫓だらけにならないかと
いうと、つまり櫓はでかけりゃ強いというわけじゃないから。
さて、次に郭の内部に櫓を配置する意味について。
基本的に城というのは郭外縁部の射撃戦で数的劣位を
覆すという思想で設計されてる。
郭内部に進入されたら白兵戦に移行するよりないわけで、
そうなれば数的に劣位な籠城側に勝ち目はない。
つまり、実質的にその郭が落ちたも同然の状況にならないと
戦闘に参加できないようなところに配置されてる櫓には
意味が無いわけだ。
まとめると、郭の隅に配置された隅櫓兼用天守の場合は
隅櫓としての火点機能は期待できる。だがでかいからと
言って格段に強力な火力が期待できるわけではない。
本丸中央部に配置されたものについては「落城が確定してから」
初めて戦闘に参加できるんだから役に立つかどうか言うまでもない。
よってわざわざ「天守閣」として特別な櫓を建造することに軍事的な
価値はない。つか、そもそも軍事的実用性と離れてる櫓だから
特別な一品でいられるわけで。
そこが天守指定されただけの只の隅櫓と「生まれながらの
天守閣」との差。
- 49 :人間七七四年:2008/07/09(水) 00:05:28 ID:7CyMyOiZ
- 家康なんてさすがに天下とってからは天主立てたけど、それまではどうも「あんなもの意味はない」って
思ってた感じがあるな。
- 50 :人間七七四年:2008/07/09(水) 01:42:53 ID:U+a9BL85
- >>48
文長すぎ 何行使ってるんや 読む気無くすやんw
そんなに難しく考えんと天守は最期の悪あがきの場と単純に考えた方が分かりやすい
本丸に立て篭もるより充分時間稼げるので最期に城主が華々しく自害する余裕も出来る
- 51 :人間七七四年:2008/07/09(水) 01:49:29 ID:J22A8Hg1
- >>50
攻城側の主攻軸によっては本丸が最後の抵抗拠点に
なるとは限らないんだよ。
ちなみに秀頼と淀君が自害したのは山里丸の菱櫓だった。
- 52 :人間七七四年:2008/07/09(水) 01:54:47 ID:B89FYe36
- 江戸城再建が保科に却下された時点で無用の長物なのが天守
戦時に御殿に住んでた非戦闘民らも含めて天守に引き篭もるくらいの役にしか立たん。
城主の自害を条件に兵らの助命の交渉でもする時に籠もってるだけ。
- 53 :人間七七四年:2008/07/09(水) 02:20:17 ID:HwximVJm
- >>49
江戸の町は家康が移封した当時は、一面湿地帯の寂れた辺境地で
日常生活の真水にも事かく有様。
そういった訳で城下町建設を最優先しなければいけないが事情あり
天守閣建設は当然後回し。
- 54 :人間七七四年:2008/07/09(水) 02:38:27 ID:WzrDzORC
- 百戦錬磨の信長や秀吉とその配下の諸将がこぞって建てた天守が無用の長物なわけないだろ。
実戦経験ゼロの保科ごときに天守の有用性がわかるものか。
- 55 :人間七七四年:2008/07/09(水) 03:49:49 ID:KTjZF1bm
- 難航不落と言われながら6度も落城した岐阜城ってw
- 56 :人間七七四年:2008/07/09(水) 10:44:39 ID:7CyMyOiZ
- >>54
信長は戦乱の途中ではなく、自分の天下がほぼ安定して初めて天主を立てた。
天主とは戦乱の最中に立てるものではない。つまり実戦のものではないと言うことだ。
- 57 :人間七七四年:2008/07/09(水) 11:35:14 ID:WzrDzORC
- 倭城にだって天守が建てられたじゃないか。
あれは戦乱の最中じゃないのか。
認識がおかしいわ。
- 58 :人間七七四年:2008/07/09(水) 12:04:27 ID:7CyMyOiZ
- 貴重な資材で天主なんて作ってたから朝鮮で負けたんだろ。
いや結構マジな話で。
- 59 :人間七七四年:2008/07/09(水) 14:31:52 ID:KTjZF1bm
- 倭城の天守の多くは主郭類戦上に造られたっていうからね
かなり実践的な築城だった訳だ
敗因は資材よりか食料や防寒具の不足の影響の方が大きいんじゃない
- 60 :人間七七四年:2008/07/12(土) 09:35:54 ID:I3abJuqs
- まあ天守なんて、幕末の戊辰の時は単なる砲撃の的にしかなってなかったからなあ。
- 61 :人間七七四年:2008/07/12(土) 11:40:42 ID:iKrK589Q
- >>60
幕末どころか、大阪の陣の段階ですらそうだったし。
- 62 :人間七七四年:2008/07/12(土) 12:25:16 ID:OSoaDNS0
- 政宗は仙台城を築城したけれど天守は造らなかった
青葉山上に天守を建てたりなんかしたら、それこそ謀反の疑いを掛けられる危険性が高い訳で
平坦な地に天守有り(象徴性)より、要害の地に天守無し(実用性)を選択した訳だ
そういう意味で政宗は賢いと言うか抜け目ない
- 63 :人間七七四年:2008/07/12(土) 15:47:15 ID:teQ0iyUY
- 大阪陣以降の天守の築城は大名間の見栄みたいなものも多分にあるだろうな
今のサラリーマンに例えれば持ち家や高級車を持ってるだのそう言った
当時の人のステータスにかかわる様な武功とはまったく違う感性という意味で
- 64 :人間七七四年:2008/07/23(水) 08:41:53 ID:F3e/SDs8
- >>27
第51回さっぽろ雪まつり2000
http://suzuden.web.fc2.com/douou/next002.htm
http://www.nishida-s.com/main/categ4/yukimatsuri/yukimatsuri.htm
http://www.nikonet.or.jp/~kana55go/yukimatu/51yuki.html
http://homepage1.nifty.com/sanshiro-photo/yukimatsuri.htm
内藤昌氏の復元天主の図面(平面図&立面図)を元に自衛隊が製作。
伊勢・安土桃山文化村の模擬天主同様、全体的に小さく感じる縦横比。
1階の不整形、2階の凸凹、5階の八角形も、城オタが大騒ぎするほど目立たないもんだな。
- 65 :人間七七四年:2008/07/23(水) 11:10:30 ID:VON6xOKQ
- 政宗の場合は、ただ単に天守閣を作る技術を持ってなかっただけだから。
- 66 :人間七七四年:2008/07/23(水) 15:32:28 ID:CA8tTL46
- >>65
無茶苦茶な解釈するなや
- 67 :人間七七四年:2008/07/26(土) 15:45:18 ID:pU9ZGbx/
- >>60-61
慧眼。
姫路城天守が焼失を免れたのは、アメリカ軍が天守閣を姫路市街地爆撃の目印とするため。
同じくナチスドイツへの市街地爆撃でも、大聖堂だけ焼け残ったのと一緒。
- 68 :人間七七四年:2008/07/26(土) 15:47:50 ID:4raNBEUR
- >>67
いや慧眼もなにも
- 69 :人間七七四年:2008/07/26(土) 19:27:53 ID:kD4FGJaR
- 高石垣も満足に築けない伊達政宗が五重天守築くなんてムリだな。
- 70 :人間七七四年:2008/07/27(日) 02:44:55 ID:/X+D3ZFW
- >>65>>69
アンチ政宗だな
- 71 :人間七七四年:2008/08/04(月) 15:30:38 ID:Ett3Uq0N
- まっ実際、穴太衆などの石積み集団を貧乏すぎて呼べなかったんだよ政宗。
だからいい加減な石積みの上に技術不足な天守閣なんて、さらに作れない。
戦国の軍事技術だからね。
- 72 :人間七七四年:2008/08/11(月) 20:32:55 ID:VqbesqKo
- >>67
と言いつつ、焼夷弾が姫路城天守にも命中してたらしいけどな。
- 73 :人間七七四年:2008/08/12(火) 17:05:22 ID:jE62zpVO
- 名古屋城はたまたまその時金鯱降ろすための足場があったことで天守が燃えちゃったんだよね〜。
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