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戦国時代と室町時代ってどこがちがうの?

1 :人間七七四年:2008/06/13(金) 00:27:46 ID:gZSUXwz2
わざわざ区分する必要あるの?

2 :人間七七四年:2008/06/13(金) 00:29:41 ID:UtrWjBNd
うん、ある

3 :人間七七四年:2008/06/13(金) 00:32:55 ID:1NBW76gW
一般通念だと室町時代と江戸時代の間で、それぞれにかぶってるよな。

4 :人間七七四年:2008/06/13(金) 00:40:10 ID:H4/mFwXd
室町〜安土桃山だから江戸と被りようがないわけだが

5 :人間七七四年:2008/06/13(金) 00:41:31 ID:jXLnk7ci
大内政弘が山口に帰った時から戦国時代スタートでおk?

6 :人間七七四年:2008/06/13(金) 00:42:32 ID:aR1awwIk
下のスレ読んで勉強してこい

■ 明応の政変 ■
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157454306/


7 :人間七七四年:2008/06/13(金) 01:56:15 ID:Z2Xx4Yxj
>>5
一般には明応の政変からが戦国時代の始まり。
ただ関東に関してはその100年前から既に戦国状態といっていい。

8 :人間七七四年:2008/06/13(金) 06:06:54 ID:1NBW76gW
>>4
学術的な定義じゃなくて「一般通念」と断りを入れたのだが。
この板みたいに大衆的には本能寺から大坂の陣も戦国時代に入るわけだよ。
来年の大河ドラマも戦国時代を義と愛で生きた武士がいたとか宣伝しているだろう。

9 :人間七七四年:2008/06/13(金) 09:09:12 ID:X0nwEZtM
>>8
一般通念で大坂の陣が戦国時代って認識の奴が多いのかねぇ。
その理屈が不思議だ。

10 :人間七七四年:2008/06/13(金) 09:49:39 ID:shHMARUF
 最盛期の義満の時でも戦おこりまくりんぐじゃん

 尊氏から義昭まで戦国時代だろ?

11 :人間七七四年:2008/06/13(金) 09:52:11 ID:Dngf/OH1
幕府の威信低下→守護大名の威信低下→下剋上

これが室町時代から戦国時代へのきっかけじゃないの?

12 :人間七七四年:2008/06/13(金) 10:01:52 ID:Lk9xiOUJ
今は平成時代であり、高度情報化時代でもあるみたいな感じじゃないの?

13 :人間七七四年:2008/06/13(金) 10:10:21 ID:E2/Y1s7j
そもそも戦国時代なんてのは曖昧な表記なのよ。
事実上は織豊時代だね。

14 :人間七七四年:2008/06/13(金) 12:15:11 ID:Dngf/OH1
>>13
それは安土桃山時代じゃ

15 :人間七七四年:2008/06/13(金) 12:55:46 ID:YK8Hg/lo
信長みたいなやり方で成功した義教が配下の赤松に暗殺されてからでいいんじゃね?光秀の謀反みたいなもんだし。
南北朝の混乱もさることながら関東は鎌倉公方自体が室町将軍にとって変わろうと2代目からすでに野心だして緊張状態だったからな。
一応義満時代は奥羽の管轄も許されて融和的にはなったが。
義教が追い込んで持氏が挙兵し滅亡→結城合戦→義政が幼い頃に鎌倉公方復興したが成氏が挙兵と関東は大乱だらけ。


16 :人間七七四年:2008/06/13(金) 13:31:52 ID:Z2Xx4Yxj
明応の政変→将軍直轄軍である奉公集が解体→幕府の軍事的強制力がなくなる→地方割拠の戦国時代到来

そして広義の意味で戦国の終焉は、中央政府の管轄に従わない大名権力の消失、という意味で
豊臣家の滅亡とされる。

これが今の通説。

17 :人間七七四年:2008/06/13(金) 13:42:42 ID:H4/mFwXd
>>8
は?大衆?小学生ですら、「1615年は何時代か?」と問うたら「江戸時代」と答える
お前の脳内でだけ通用する一般論なんか理解しようとすら思わないし興味ないから黙って死ね

今は平成だけど、俺も「昭和の時代を生きた」みたいなキャッチフレーズ付くよ
1560年生まれなら戦国時代を生きたのなんて当たり前だろ
昭和末期生まれを昭和の人間って呼ぶ、今は平成だから平成の人間って呼ぶ
これと同じでどうとでも呼べるだろ
時代区分の話してんのに論点逸らすな基地外

>>13
明応の政変から義昭追放までの期間を織豊時代と呼ぶのは斬新な発想だな
好きなだけ信長の野望やってていいからもう来るな

18 :人間七七四年:2008/06/13(金) 14:19:16 ID:7R3XbDYf
広義:応仁の乱〜大阪夏の陣
狭義:明応の政変〜室町幕府滅亡

19 :人間七七四年:2008/06/13(金) 14:28:31 ID:Z2Xx4Yxj
関東の場合戦国時代は永享の乱から小田原の陣まで、と考えていいかな?

20 :人間七七四年:2008/06/13(金) 14:40:05 ID:hPGqkUtO
>>18
稀に島原まで入れる人がいるよ。
そこまで入れるのはどうかとは思うけど、そう考える人もいるというのは忘れないであげてください。

>>17
時代区分で言えば、戦国時代なんてのは無い。
室町→安土桃山→江戸だから。
だからこそ「戦国時代」の定義づけが難しいんじゃないか。

21 :人間七七四年:2008/06/13(金) 14:40:10 ID:X0nwEZtM
>>18
どんなに広く取っても小田原攻めが限界じゃね?<戦国時代

22 :人間七七四年:2008/06/13(金) 14:48:04 ID:Z2Xx4Yxj
>>21
だからそれは「戦国時代」の捉え方による。
現在でさえ「戦後」の定義って複数あるでしょ?それといっしょ。

23 :人間七七四年:2008/06/13(金) 14:48:51 ID:YK8Hg/lo
島原の乱と言えば神将立花宗茂

24 :人間七七四年:2008/06/13(金) 18:44:59 ID:1NBW76gW
>>17
お前脳みそあるのか?
この板にはびこるスレッド見なよw

25 :人間七七四年:2008/06/13(金) 21:57:17 ID:lTIGX35S
17は学術用語しか頭にない学者様のようです。

26 :人間七七四年:2008/06/13(金) 23:48:22 ID:gqsgx9cX
>>19
関東そのものが戦場になったのは小田原が最後だが
その後の関東支配者である家康が関ヶ原や大坂で戦い
そこには当然関東から徴兵された連中が付き従っているわけだから微妙だな

27 :人間七七四年:2008/06/14(土) 00:05:47 ID:xYR/8ti/
信長や秀吉の時代になって行われる政策の多くは、実は応仁の乱以降に室町幕府がやっていたりする。
ついでに言うと太閤検地から江戸期にかけて全国に施行された、土地の価値を米の生産高で表す
石高制も、室町期にそれまでの貫高制から転じる形で、畿内の幕府支配地域において始まったそうな。
これは明銭の信用不安から起こったことらしい。

28 :人間七七四年:2008/06/14(土) 00:59:04 ID:JbilEcav
>>22
戦後の意味がポツダム宣言受諾以降以外にあるなら教えてくれ
支那語は知らんが日本語では飽くまで戦争以前か以降かって意味しかない
廬溝橋事件(1937年7月7日)以前を戦前
廬溝橋事件以降、ポツダム宣言受諾以前を戦中
ポツダム宣言受諾(1945年8月14日)以降を戦後
複数あるなら提示して見せてくれ
因みに廬溝橋事件で交戦許可出したのは皇軍が誇る名将牟田口
これ豆知識な

>>24
脳内一般論はお腹一杯だから大坂の陣は戦国時代だ!って主旨の論文を提出してみ
戦国時代は飽くまで室町時代末期。室町期の中での一区分でしかない
自説に自信あるなら論拠をもって論理的に主張すりゃいいじゃん
全否定してやるけど

29 :人間七七四年:2008/06/14(土) 01:13:09 ID:YYfd1knf
頭悪いw

30 :人間七七四年:2008/06/14(土) 01:13:59 ID:xYR/8ti/
>>28
何で君はそんなに無駄に攻撃的なんだ?

「戦後」という時代区分については、それこそ「もはや戦後ではない」の高度経済成長期で一区切りついたという見方や
日米安保体制の成立、55年体制の成立、もしくは崩壊、冷戦の終結時、などなど、人によって様々な区切りの
つけ方がある。

同じように戦国という時代区分も人によって捕らえ方が違ってくる。という話だ。

31 :人間七七四年:2008/06/14(土) 07:26:55 ID:RhpPeJtG
「戦後」=第二次大戦終了以降現在まで、っていうのは単なる時系列としての「戦の後」でしかない
「戦後」というある種の時代の終了は、諸説紛々だろ

戦国時代という時代は>>16がベターかな

>>28は・・・とりあえず自説の元ネタとなる論文もってこいよw

32 :人間七七四年:2008/06/14(土) 08:47:25 ID:dI+576er
>>31
明応の変が始まりなのは異論が無いが、
最後の戦国大名が滅んだ1590年が終わりだと思う。
戦国大名たちが活躍していた時期、というのが俺の見解。

戦国大名の用件の一つは独立性(交戦権と外交権の保持)だからな。
これらが取り上げられた豊臣政権下の大名達はもはや戦国大名ではない。

もちろん異論はおおいに認める。

33 :人間七七四年:2008/06/14(土) 10:59:38 ID:xYR/8ti/
>>32
> これらが取り上げられた豊臣政権下の大名達はもはや戦国大名ではない。

もちろんその通りなんだが、だからと言って豊臣政権下の大名はまだ近世大名に脱皮できているわけではない。
その意味で幕藩体制の確立までを、あくまで広義の意味で「戦国」と呼ぶことも間違いではないのよ。

34 :人間七七四年:2008/06/14(土) 11:02:51 ID:xYR/8ti/
逆に当時の文献を見ると、あの時代に生きていた人間の意識では、元亀天正年間こそが「戦国乱世」って
感じで捉えられていたようね。学問的分類よりはかなり狭まるが。

35 :人間七七四年:2008/06/14(土) 11:05:00 ID:YYfd1knf
センゼンなんてものの定義もまだないよな。
大戦の前までなのか、終戦の前までなのかからしてはっきりしない。
そしてその戦前とやらはいつから始まっているのか。
有史以来なのか、明治からなのか、昭和からなのか、日中戦争からなのか。
それこそ>>28は自分の脳内一般論を前提に語っている。語るに落ちたとはこのこと。

センゼン・センゴなんて区分がそもそもおかしいという見方もあるね。
日本の国体は変わっているわけじゃないし、歴史性もそこで分断されていたりはしない。

36 :人間七七四年:2008/06/14(土) 11:57:53 ID:4L6tNPit
>>32
確かに秀吉が一定期間諸大名の独立性を抑え付けていたことは事実だが
秀吉さえ死ねば武断派は平気で三成と交戦を始められるし
家康だって会津征伐を始められるのだから豊臣政権下で戦国が終結したというのは間違い
その後すぐに家康が諸大名の独立性を完全に抑えるため秀吉の抑え付けがそのまま続いたと勘違いされがちだが
豊臣の抑えが一旦途切れ戦国が復活し始めた段階で家康が新たに戦国に終止符を打ったと考えた方がいい

37 :人間七七四年:2008/06/14(土) 12:28:04 ID:CLy9pRhw
 大カテゴリ

 戦国時代 1338〜1573まで

 小カテゴリ

 @ 幕府の時代
 
 足利尊氏から足利義教まで 1338〜1441

 A なんちゃって幕府 の時代

 足利義教から明応の政変まで 1441〜1493

 B 幕府? 何それ それ食えんの? の時代

 明応の政変から義稙まで 1493〜1521

 C 見ろ,幕府がゴミのようだ の時代

 義晴から義昭まで 1521〜1573

 

38 :人間七七四年:2008/06/14(土) 13:17:52 ID:BLhv7tX4
>>33
>豊臣政権下の大名はまだ近世大名に脱皮できているわけではない
それ言ったら、通説の江戸時代、少なくとも家康時代から秀忠の途中頃までは、
ほとんど近世大名に脱皮できていないんじゃないか?

>>36
それで戦国時代ってのも無理がないか?
>武断派は平気で三成と交戦を始められるし
これは通常の政権統治中にもありえる政争のレベル。鎌倉時代にもあったし、
室町期にもあった。三代義満の初期に管領細川実之が軍事的脅迫にまけて辞職
したなんて事件もある。これをもって戦国時代が到来したなんて言わないでしょう。
>家康だって会津征伐を始められるのだから豊臣政権下で戦国が終結したというのは間違い
これも同様で、別に反乱があったら戦国時代ってもんじゃない。室町にはそれこそ
守護大名の討伐戦争が何度もあった。江戸時代だって初期の天草の乱から大塩の乱など、
軍が鎮圧に出動する騒ぎは何度もあった。それをもって瞬間的にでも戦国時代になった
とは言わないでしょう。

39 :人間七七四年:2008/06/14(土) 13:29:40 ID:xYR/8ti/
>>38
> 室町にはそれこそ
> 守護大名の討伐戦争が何度もあった。江戸時代だって初期の天草の乱から大塩の乱など、
> 軍が鎮圧に出動する騒ぎは何度もあった。それをもって瞬間的にでも戦国時代になった
> とは言わないでしょう。

戦乱の有る無しではなく、中央権力(豊臣権力)の弱体化、無能力化が起こったことが
「一時的な戦国の復活」の内容なのでは?秀吉の死後の豊臣家は既に、政治問題解決の主体として
係われなくなってしまっている。戦国期の室町将軍家に近いと言えないだろうか?

40 :人間七七四年:2008/06/19(木) 12:01:07 ID:uSgiFN/H
嘉吉の乱とか明応の政変とか見ると、幕府の権力もあったもんじゃないな。

41 :人間七七四年:2008/06/19(木) 12:05:36 ID:xmMseLYo
つーか、明応の政変で将軍親衛隊である奉公衆が解体されたから、幕府は権力としての主体を失った。
室町幕府は滅びるまで3度、事実上消滅しているそうなw

42 :人間七七四年:2008/06/19(木) 13:29:27 ID:YgUz7fTY
人が複数で暮らす様になってから、世の中ずっと戦国時代。室町も江戸もない。

43 :人間七七四年:2008/06/19(木) 15:08:56 ID:WPwUPVU7
光栄のシナリオの範囲まで

44 :人間七七四年:2008/06/19(木) 18:18:06 ID:kF4V8ICr
もともと室町幕府は力がねえからな
将軍の裁定にも従わず内戦するし国人たちが守護の下知に従わずに荘園を荒らすし

45 :人間七七四年:2008/06/19(木) 18:32:30 ID:xmMseLYo
室町幕府という政権は、ビックリするほど公共予算を出さない。
田畑の開墾や河川の改修学問の振興といった、民生の分野で本当に金を出さない。
あれだけ民生に関心がないのは日本の長い歴史の中でも、ほとんど室町幕府のみに見られる特徴。

46 :人間七七四年:2008/06/19(木) 18:43:53 ID:XfP/8aL6
>>45
ナメクジウオ先輩お疲れ様です
早く進化して下さい

47 :人間七七四年:2008/06/19(木) 20:11:48 ID:OpN0XlQk
>>46はテレビっ子かと、他人の事をトヤカク言えない漏れだった。。

48 :人間七七四年:2008/06/19(木) 21:32:17 ID:5+EPjwDa
>>41
室町幕府は3度死ぬ! w

49 :人間七七四年:2008/06/19(木) 22:38:39 ID:N3GmqU6M
 江戸時代において幕府の命令無視して内戦した藩があるなら
 言ってみろよw 一部の藩士同士の小競り合いは除いてな

 無いだろw

 室町幕府は成立した時から戦国時代w 大体九州も統一出来てない
 のに幕府っちゃうのは如何かとw

50 :人間七七四年:2008/06/19(木) 22:54:40 ID:xmMseLYo
幕府と呼んでいいほどの実態があったのは、義満から義教くらいまでか?

51 :人間七七四年:2008/06/20(金) 14:17:42 ID:Daand6wx
幕府には政庁だとか将軍家の家政機関って意味しかない

52 :人間七七四年:2008/06/20(金) 14:34:09 ID:2L0Xtorl
ちゃんと全国から税取ってたし
その金で公共事業兼趣味で寺社や庭園作って国家安泰を願ったり贅沢品を作る産業を育成してたじゃん。
幕藩体制は全国から税を取る支配力が低下したじゃん。

53 :人間七七四年:2008/06/20(金) 16:13:01 ID:wr3KS3Hm
室町政権は出だしは豪族連合というより蛮族連合だし
南北朝も旧来の朝廷と鎌倉武士と新興武士の価値観の違いによる闘争が複雑化したもの
尊氏にしたって実力は確かにあるけど同時にその血統ゆえに祭り上げられて将軍になってる
豪族連合の盟主であって主君というほどではない
将軍の権威が確立してたのは義満と義教のみだな
その義満と義教の死後すぐに守護大名たちによる幕府内の露骨な権力争いが始まっている
将軍の権威に従っていたというよりは義満、義教個人に従ってたと見ていい
義尚も奉公衆の強化などをやってるけど畿内どまりだし、すぐに頓挫してる

将軍家の権力よりも豪族連合である幕府の権力が強く、
幕府に従わない将軍なんか変えちゃうよというのが露骨になったのが明応の政変
中央豪族連合の力が安定すればいいんだろうけど将軍家の求心力がないから不安定だし
そのうえ色々な施政案が本来は幕府の安定と守護大名たちの権力強化のはずだったのに
その傘下であるはずの地方武士の独立性を高めちゃったから世情にあわなくなり争いがたえなくなった

54 :人間七七四年:2008/06/20(金) 16:21:05 ID:wr3KS3Hm
室町幕府は将軍家と有力豪族との権力争いの場だからね
有利と見れば手を組むし、勝てるとみれば討伐令も出すし
とりあえず将軍家を中心としてますよという世間体を維持しつつ
私腹をこやす場所といってもいい
現代にも通じる純日本的な組織だと思う

55 :人間七七四年:2008/06/20(金) 16:27:51 ID:cA0x6aWy
ID:wr3KS3Hm

頼むから少しは勉強してから書き込んでくれ。

56 :人間七七四年:2008/06/20(金) 16:51:38 ID:ay21xJrB
どこかおかしいの?大体合ってると思うけど

57 :人間七七四年:2008/06/20(金) 17:15:35 ID:ay21xJrB
たぶん鎌倉や江戸幕府との比較だから辛いんだろうけど、
あれだけ大きな内乱とか内輪揉めしてると元から治める力が弱いんだろうと思う。
昔の人は権威に弱いからなんとかなったのかもね。

58 :人間七七四年:2008/06/20(金) 18:23:13 ID:fT4CuHPP
室町時代は全期戦国時代ともいえるから
いわゆる戦国時代は室町時代末期でいいんじゃない?

59 :人間七七四年:2008/06/20(金) 19:19:15 ID:HdDgWBqf
理論で定義するのは不可能だろうね。
広義には、一般にイメージされる通り、北条早雲にはじまって豊臣の滅亡に終了する、でいーんでね。
何々だからこの時期を戦国時代とするんじゃなくて、
この時期だから戦国時代とする、と。

60 :人間七七四年:2008/06/20(金) 19:52:56 ID:uQokB1Ck
オレもさ、戦国時代は室町時代でいいと思うんだよね。

で、足利義昭が信長に追い出されて、足利幕府が滅んでから、
家康が幕府を開くまでは、安土桃山時代でいいと思うんだが・・・。

室町の呼称を、もっと使って欲しい感じはする。

61 :人間七七四年:2008/06/20(金) 20:32:06 ID:Daand6wx
戦国時代末期と中の人が同じだから安土桃山・江戸時代までイメージが拡大しただけで、
本来は明応の政変〜義昭追放までの室町時代の戦乱を正式な区部ではないが、便宜上戦国時代と呼ぶ
広義では小国乱立による内戦状態が収まった秀吉の天下統一までが戦国時代

62 :人間七七四年:2008/06/20(金) 20:54:15 ID:cA0x6aWy
ただ当時を生きた人間の感覚では、「戦国の世」というのは元亀天正年間のことだったそうな。
それ以前は戦乱と言っても規模が大きくなかったから、当事者以外には生活に影響はあまり無かったのだろう。

63 :人間七七四年:2008/06/20(金) 22:11:59 ID:HdDgWBqf
戦国時代なんて呼称が定着したのはたかだか明治時代だから、今我々が再定義してもいいはず。

64 :中野区民憲章(トリ変え) ◆1Ixlm5F0XU :2008/06/21(土) 00:26:58 ID:sGS6sYyg
中国の戦国時代になぞらえて、その時代を「戦国」と表現したのは三条西実隆が最初だ

よって日本の戦国時代は大永年間限定とする

異論は認めんw

65 :人間七七四年:2008/06/21(土) 00:32:42 ID:qaHFK3TJ
認めろよw

66 :人間七七四年:2008/06/21(土) 02:04:49 ID:NgLeRhcr
豪族連合というより蛮族連合・・・有力豪族との権力争い・・・
そんなことないぞ。みんなビビってて、追い詰められやむなく反乱してるやつばっかで可哀相なくらい。。
義満は、斯波義将や土岐頼康を利用して細川頼之を失脚させ(康暦の政変)
頼之を解任させて斯波義将が管領になると、頼之に対して追討令が出るがその後赦免され政界復帰、
義満の将軍権威が確立して主導的な執政が行われはじめると
義将が管領から解任され頼之の弟の細川頼元が管領となり立場が危うくなる。
さらに義満は兄弟の不和を利用して土岐氏の分裂をはかり鎮圧(土岐康行の乱)
さらに義満は山名氏を家中分裂させ山名氏清を鎮圧(明徳の乱)
南北朝合一に成功。九州探題として独自の権力を持っていた今川貞世を罷免
西国の有力大名・大内義弘を挑発し鎮圧(応永の乱)
義教は、大内持世に命じて山名氏の手を借りて渋川氏や少弐氏・大友氏を撃破
比叡山を攻撃しよく翌々年には比叡山僧侶を焼身自殺に追い込み最澄以来600年の歴史を誇る根本中堂は灰塵にした。
興福寺への武力介入を行なったり関東公方を滅亡させ(永享の乱)(結城合戦)
後南朝勢力を壊滅させたり一色義貫や土岐持頼や権中納言・日野義資を暗殺し粛清。
畠山家の家督を、畠山持国から畠山持永に強制的に委譲させたので疑心暗鬼の赤松満祐に暗殺された。
その後、赤松は山名宗全に滅ぼされるが、赤松家臣が三種の神器の神璽を取り返し南朝皇胤を殺した功により、
山名の強い反対を無視して赤松政則のときに再興させる。
このように将軍権力を使って有力大名を追い詰め挑発し内乱を引き起こさせるべく煽り、
守護任命権を使い親兄弟親戚を争わせ破滅に追い込んでるのは将軍自身。
江戸幕府とは比べ物にならないくらい将軍権威は凶悪なんだぜ。
実力主義の足利将軍政権は武家の棟梁にふさわしく北条執権や徳川将軍のような無能でも大丈夫政権じゃねーけどな。
そのかわり将軍が無気力だったり幼少だと管領など代理が暴発させる諸刃の剣。
それが義政時代で斯波氏や畠山氏の家督相続争いに足利将軍家の家督争いが複雑に絡み出したことにより
将軍が無気力で細川・山名の両方に幾分かの正義と家督認可権が生じ始めた大分裂が足利幕府の衰退の始まり。
後は源氏一門、特に足利一門が繁栄し過ぎて在地有力国人との子種が増えすぎて俺も源氏だぜ!みたいなの増え過ぎて
貴種としての価値も下がったね。増え過ぎて把握できなくなってくるから「俺っちも源氏だべさ」みたいな自称が増えて
そのうちはぁ?源氏?だから何?みたいになっちゃって権威が低下。そして奉行衆の解体で終了。

67 :人間七七四年:2008/06/21(土) 07:29:24 ID:El6VgYA1
ことごとく内乱の歴史だな。
義満のあとなら安定期には入っても良さそうだけど
義教の時にあらためて将軍権力の強化を図らなければならないというのは
豊臣や徳川の時にあった公儀という考えが弱かったんですかね。
謀略は貴族のたしなみとかなんとか言うけど、そうすることでしか体制を維持できないんですね。
夷をもって夷を制すという言葉も浮かびました。
すこし違うけど。

68 :人間七七四年:2008/06/21(土) 12:35:26 ID:YKSsi4BN
南北朝の対立も1368年に好戦的な後村上天皇が死去を受けて翌年に南朝最強の楠木正儀が降伏&将軍義詮死去で区切りが付いていたので義満の時代にはハッキリいって室町幕府は完成していた。
義教の時代には将軍権力の強化を図る必要性はまったくない。義教はくじ引きによって将軍に決められた経緯もあり基地害と言っていいほどの極端な恐怖政治を敷き万人恐怖と言われる政治を行っていただけ。
義満時代でさえ反抗するだけの力がある者が野望を持って蜂起するのではなく将軍が追い込んで切羽詰まって絶望して自爆しているだけで幕府が不安定だったから内乱の時代と言うのは当たらない。
管領も守護も将軍にちゃんと従い切羽詰まって自殺的挙兵を討伐しに向かっているし地方割拠せず京に出仕している。
室町幕府には守護代や関東管領や京都御扶持衆といった守護や鎌倉公方を牽制監視する機能があり実際にはかなりうまく機能していたので幕府が危機的状況になる事はまったくなかった。


69 :人間七七四年:2008/06/21(土) 13:15:46 ID:El6VgYA1
比べる相手が悪いのかも
どうしても豊臣や徳川とじゃ分が悪い
将軍が追い込んで挙兵させるなんて手をとらなければパワーバランスをとれないようじゃね
それがこの時代のデフォルトの一つなんでしょう
豊臣が織田信雄や宇都宮や大友にやった取り潰しや
蒲生や丹羽にやった領地の一部召し上げはさほど大きな戦乱にはならなかったけど
ここらへんは体制と時代の差なのかね

70 :人間七七四年:2008/06/21(土) 13:31:23 ID:YKSsi4BN
徳川や豊臣の場合は当主が助命される可能性はあったり部下も他家で再就職できた。
足利政権は助命されない可能性が高い事に原因がある
また足利政権は嫡子を無視して庶子や弟や叔父を守護にしたりするので悔しいと言うか理不尽と言うか感情的になるので「あいつの部下になるなら死んだ方がマシ」と大人しく引き下がるわけにもいかないと思われ。
また家臣も赤松みたいに赤松再興運動したりね。

71 :人間七七四年:2008/06/21(土) 14:02:09 ID:El6VgYA1
実力主義の取り立てとかもあったろうけど、
身びいきの取り立てもあったろうからな。
小さな不安や不満がたまって各地の紛争が起こると。
由比正雪後の江戸幕府みたいに対策立てればいいのに。
戦をするのは諸刃の剣。
逆に戦国に入ってそこらへんの問題点が解消の方向にいったんだな。

72 :人間七七四年:2008/06/21(土) 15:07:03 ID:YKSsi4BN
身びいきと言うより牽制させ対立激化させるだけの手段だから目的を達したら取り立てられた側が捨てられ敵対した側に支持を出し煽るなんて事までやってるのが将軍。
秀吉や家康より悪魔かつ苛烈。
幕藩体制なんて外様藩の半独立王国を許すハメになってる。


73 :人間七七四年:2008/06/21(土) 16:05:41 ID:YKSsi4BN
ちなみに朱子学が江戸幕府統治に利用され幕藩体制が強化される以前と以後を分けて考える必要があるよ。


74 :人間七七四年:2008/06/21(土) 18:02:58 ID:umLd/UVg
>>72
> 秀吉や家康より悪魔かつ苛烈。
> 幕藩体制なんて外様藩の半独立王国を許すハメになってる。

アホか。幕藩体制のほうが大名への統率力は断然上だっつーの。
なんか君は上っ面の知識と空想で話を作っているな。

75 :人間七七四年:2008/06/21(土) 18:12:39 ID:YKSsi4BN
罵詈雑言の中傷でなく
論理的具体的反論でお願いします。

76 :人間七七四年:2008/06/21(土) 18:56:03 ID:umLd/UVg
外様だろうが譜代だろうが、政治が乱れたとか統治不行き届きとかの理由で「平和裏に」藩を取り潰したり
配置換えを行ったりするような圧倒的権力は、室町幕府には無い。

ID:YKSsi4BNは室町は勿論江戸幕藩体制のことも何も知らないとしか言いようが無い。

77 :人間七七四年:2008/06/21(土) 19:53:47 ID:MlLhV5XK
>>75
できるよ。
以上。
はい、次。

78 :人間七七四年:2008/06/21(土) 20:06:17 ID:/umtZWB/
出来てることの具体的な説明は?

79 :人間七七四年:2008/06/22(日) 03:05:39 ID:pghs8S+x
へぇ〜平和裏に島津や毛利を取り潰せるなら
なんでやらなかったの?
そしたら江戸幕府はもっと長く続いたのにw
つか平和裏に豊臣大坂城を潰せばよかったのに。

80 :人間七七四年:2008/06/22(日) 05:05:00 ID:OIByu99T
三管四職がことごとく足利一門という親戚かつ家臣筋だから改易みたいな真似はできない。反乱した場合は話は別。
ただ南北朝時代からけっこう配置変えはしてる。
将軍家はほとんど日野家から妻を迎え嫡子以外は養子にも出さずに出家させるし他有力者に娘も出さないので婚姻関係もないのにあの統制力は見事。


81 :人間七七四年:2008/06/22(日) 06:12:33 ID:WfezVWH9
横レスします
>>79
島津や毛利は徳川の被官になってからは忠勤に励んでるので、
その上で取り潰しを図るのは徳川の体制が危険。
忠勤を励むなら御家安堵が基本だし。
大阪は逆に徳川の被官にもならず、幕府の意向を聞かない上、
豊臣という貴種なので武力討伐に踏み切った。
淀君がお嬢様すぎたのと、秀頼が坊ちゃんすぎたのと、
家康の老いの一徹と、なんか秀忠の意地のようです。
大阪の陣の後は長州征伐まで200年以上も幕府対大名、
大名対大名の戦がなかったんだから大したもの。
家康も輝元も島津義弘も200年後のことは知ったこっちゃねーよだろう。、
薩長の幕末志士たちにとってはモチベーションの一つにはなっただろうけど。

島原の乱とか赤穂浪士事件とか大塩平八郎の乱とかもあるけど対大名とはちょっと違う。

82 :人間七七四年:2008/06/22(日) 07:02:16 ID:WfezVWH9
>>80
室町幕府は詳しくないので話せないけど、
徳川も豊臣も一門の取り潰しや改易はやってます。
豊臣は秀次、徳川は6男の忠輝がそう。
2男秀康の子、忠直は配流処分を受けてます。
また奥羽の親徳川の筆頭といえる最上は義光の孫の義俊の代で改易。
更に秀忠の代には多くの大名が改易、転封をされていますが戦乱にはつながっていません。
あえて言うなら豊臣秀頼ですが徳川幕府の外の存在ともいえますし、
豊臣家以降ですと長州征伐まで200年以上時間があきます

公儀に従わなければ身内といえど断固たる処置をとるとして全国の大名を従わせていたのでしょう。
また幕臣と各大名の陪臣たちが連携しながら無用で無駄な戦乱を防いでいたと思われます。
討伐という最終手段に訴えなければいけなかった室町幕府とはやはり統率力が違うと思われます。

もっともやりすぎて浪人があふれて由井正雪の乱が起きましたが、
徳川幕府はそれを踏まえて体制の見直しを行ったと言われています。

話はそれますが福島正則が改易されたとき福島治重が広島城の明け渡しをおこないましたが、
その行いが堂々たるものだとして名を高めました。
そんなことするなら篭城して一戦交えろよとも思うのですが、
これで名をあげられるというのは武士の価値観が室町時代などとは変化してるからでしょうか。


83 :人間七七四年:2008/06/23(月) 00:53:07 ID:URdj/S4A
そもそも室町将軍は武威を見せ付けるセレモニーのように追討していたので
改易なんてヌルいことはやらない。婚姻関係もないので誅殺するのみ。
追いこんで「殺されるくらいなら」で挙兵したら守護や管領を
忠犬のように使って滅亡させるがロクな褒美もやらないケースも多いし
要求すると次の標的にされる場合もある。

鎌倉幕府末期から南北朝時代にかけて単独相続制に移行し
その制度を利用して室町将軍が守護家の相続を操っていた。
この辺は豊臣政権でも徳川初期でも同じ
(最上の例のように家康や秀忠に近い人間が家督を継いだりしてる)

室町将軍が各家の家臣団の衆議・意向を汲み取っての言わば主君押込を利用して親兄弟親戚を争わせた。
だが江戸幕府安定期に入ると朱子学によって大名に仕える家臣が
主人のためではなく家の存続を優先するようになった。そのため主君押込が隠居強制などに変化しただけ。
改易した場合に暴発するより家臣それぞれが他家への仕官により家を残す思考になった(文治教育のおかげ)

朱子学や文治教育が盛んになる家光没後以降の人々の考え方の変化が安定へ向かっただけで
室町時代の方が貴種への尊崇もあり、先祖代々使えた主家のための意識もあり江戸初期より強固だったでしょう。
中央権力の衰退は義政時代に鎌倉府を再興させた挙句に古河公方を鎮圧できなかったから
(相次ぐ止まぬ戦乱に貢献しても幕府は褒美もロクにやらないので、伊達・葦名・白河なんかも出兵しなくなる)

>>徳川の被官にもならず、幕府の意向を聞かない
淀殿とか勝者によってモロに悪く書かれてるだけなんだが…しかも秀頼に家康を父と思えって諭したりして家康に従ってましたが。
妥協してわざわざ大坂城から伏見城へ出向いてやってるし。国家安康の件で無理やりケンカふっかけただけだろ。
>>豊臣という貴種
源平藤橘のような貴種じゃなくて下級武士もしくはただの百姓です。

84 :人間七七四年:2008/06/23(月) 11:31:58 ID:8vHlXpbf
>朱子学や文治教育が盛んになる家光没後以降の人々の考え方の変化が安定へ向かっただけで
改易乱発の秀忠時代はどうなの?

>源平藤橘のような貴種じゃなくて下級武士もしくはただの百姓です
徳川含め全国の大名の旧主の唯一の直系男子ですが

>主人のためではなく家の存続を優先するようになった。そのため主君押込が隠居強制などに変化しただけ。
>改易した場合に暴発するより家臣それぞれが他家への仕官により家を残す思考になった(文治教育のおかげ)
構造改革(思想改革)がおこなわれていると考えてよいわけですね

どっちにしろしょっちゅう討伐軍を起こさなきゃいけないようじゃセレモニーだの言葉を飾っても無駄
常に直接的な武威を示し続けなきゃいけない維持できない政権だったんでしょうか
黙ってても幕府の威に服すのが当然という状態を幕府は努力してつくらなければいけないはずなんですが
>武威を見せ付けるセレモニーのように追討していた
なんて自転車操業みたいなもんですな
関東なんか生かさず殺さず半独立全然OK状態でしょう


85 :人間七七四年:2008/06/23(月) 11:37:19 ID:8vHlXpbf
たぶん>>80>>83は同じひとなんだろうけど室町政権と足利将軍を美化しすぎのような
所詮は武家による中央集権政府成立の過程における過渡期なんだから
比較相手が徳川あたりになるし、判定基準が現代から見てどうかなんだけど
室町幕府的にはああするより方法がなかったというなら判るけど
運営システムがあれ以上進化させられなかったとかね

86 :人間七七四年:2008/06/23(月) 12:16:04 ID:1BGQrYxZ
なにをどうすれば ID:URdj/S4Aみたいな、歪みきった歴史解釈の出来る人間になれるのだろう?

87 :人間七七四年:2008/06/23(月) 13:47:41 ID:8CY6zfBa
お前ら美化された徳川捏造史観に毒され杉
室町幕府は全国からバッチリ税金取って統制してた。義政将軍就任以前に6年間も将軍がいなかったのにも関わらず安定してるほど強固。
江戸幕府なんて外様大名が半独立王国状態を容認したまま。


88 :人間七七四年:2008/06/23(月) 14:25:28 ID:1BGQrYxZ
ID:8CY6zfBaはこのスレを盛り上げるために、あえて馬鹿のふりをしているのか、
それとも本当に馬鹿なのか。

89 :人間七七四年:2008/06/23(月) 19:48:13 ID:e9P6JZQb
馬鹿のフリをしている本物の馬鹿じゃね?

90 :人間七七四年:2008/06/24(火) 03:53:10 ID:8WCQPUkw
元々、守護を任命派遣したのも足利家だし
管領や探題を派遣したのも将軍。
全国をちゃんと差配してたのが足利幕府。

徳川幕府はせいぜい安堵が限界で九州などに巨大な徳川機関を設置することもできなかった。


91 :人間七七四年:2008/06/24(火) 05:56:56 ID:jAmgpSyL
奥州探題と陸奥国守護職との矛盾について

92 :人間七七四年:2008/06/24(火) 12:23:11 ID:hk4CorD1
それは伊達の代々の貢ぎ物とおべっかのおかげ

93 :人間七七四年:2008/07/07(月) 20:54:09 ID:6Vl2GplA
>>90
そうした組織を置かなかっただけで実際には譜代大名と天領代官が分担してその役目を担っていた。

94 :人間七七四年:2008/07/07(月) 23:52:19 ID:DfbRwUJq
>>93
譜代大名と天領代官に、そこまでの行使力はない。
外様藩は独立王国も同然だった。

95 :人間七七四年:2008/07/08(火) 00:29:31 ID:bXi5vMuO
その代わりに手伝い普請があるけどね

96 :人間七七四年:2008/07/08(火) 09:31:25 ID:BHpIbT9Y
>>94
外様のどこが…

つーか独立王国って言葉好きね。なんかの信仰?

97 :人間七七四年:2008/07/26(土) 00:23:27 ID:KJrQPyKc
宗教界と左翼と日教組の戦乱と抑圧に苦しんだ民衆って言う洗脳である室町幕府無能説を盲信してるヤツ多いんだなw

右翼も南朝問題があるから室町幕府を悪く言うからなw

もう洗脳されすぎてワロタw

98 :人間七七四年:2008/07/26(土) 00:30:17 ID:4raNBEUR
>>97
お前は逆の意味で洗脳されてるタイプだな

99 :人間七七四年:2008/08/06(水) 03:00:12 ID:51xNrMWO
室町幕府は美術史上重要な時代
天皇と対立したから明治以降の室町幕府は否定的で扱いがひどくなったよな。

100 :人間七七四年:2008/08/07(木) 02:43:10 ID:hWZmnnHa
>>99
明治以前も酷いぞ。つーか同時代ですら酷いし。

101 :人間七七四年:2008/08/07(木) 05:03:30 ID:V1/O6rhV
南北朝の争乱
のせいで悪く書かれるのが足利氏
大河ドラマでも毎回、足利一門は悪く描かれる(独眼竜の最上義光しかり)
宗教関係でも一向宗や法華などを抑圧したから足利一門を描こうとすると圧力がかかる。
かわいそうだけど足利幕府も良く描くのは今もタブーなんだよ。

102 :人間七七四年:2008/08/07(木) 05:31:30 ID:K/mYnOud
徳川幕府は西国の統治はザルだったから密貿易とかガンガン出来てたしな。
島津80万石細川60万石黒田60万石鍋島50万石毛利50万石浅野50万石(支藩込み)でハッキリいって独立王国だぜ。
他にも豊臣恩顧系の池田や蜂須賀や山内とか外様大藩ばっかり事実上放置されている。
それら大藩が思いっきり江戸幕府滅亡原因になってるし。
こんなんで江戸幕府が強い支配力なんてよく言えるよ。


103 :人間七七四年:2008/08/07(木) 09:40:52 ID:hWZmnnHa
>>102
君はこんな所より心の病院がお勧め

104 :人間七七四年:2008/08/07(木) 09:58:29 ID:g3RJpY7b
それはいいすぎだw
まあ世間に思われているほど支配力が強いわけではなかったわけですね。

105 :人間七七四年:2008/08/08(金) 18:10:02 ID:qqjI1iWR
家康も死に臨んで、徳川幕府を滅ぼすのは西国からだって言ってるくらいだからな。


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