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§ピクトリアリズム§

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 15:03:15 ID:CuqDrHXa
写真における絵画的主題や長時間露光というプロセスを見直すスレです。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 18:06:19 ID:CYKg37XK
とりあえず2ゲト

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 21:11:40 ID:YFSD9DkJ
絵画的とはどういうことかを考えた時、
ひとつにそれは写真とは違って積層的な時間を内包する、
せざるを得ないということが考えられる
絵を描くというのは当然時間がかかる

写実的な絵画というものを考えた時、
例えば果物の静物絵ならその対象の変化というものがあり、
その対象が置かれた環境の変化というものがある
果物は腐っていくし、太陽は昇って沈む

そういう変化する要素を無くしてしまう場合も考えられる
果物はプラスチックのイミテーションにし、
完全な密室で人口の光を使う場合だ
だが、この場合に置いても変化するものがある
それが絵を描く人、それ自体だ
人は変わる
時間軸に沿って、心は変わるし、物理的にも変わっていく

よって写真を絵画に近づけていくという方法を考えると、
上記の要素を内包させていくという方法論があると思われる

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 22:29:16 ID:CuqDrHXa
時間のパラドックスを凍り付かせる意図されたシチュエーション
感情を手の所作や視線で表わすような演劇性
象徴性のある静物を並べる文学的要素
これらはジャーナリズムの世界では「やらせ」だが
どんな写真にも人間の理解しうる物語が存在し
誰もがその声なきシナリオを読みとろうとする。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 23:14:10 ID:YFSD9DkJ
>>4
「時間のパラドックスを凍り付かせる」ってどういう意味?
具体的な例をあげて説明して欲しいな

あと、
>どんな写真にも人間の理解しうる物語が存在し
>誰もがその声なきシナリオを読みとろうとする。
というのもよくわからないな

「どんな写真にも〜物語が存在」するってどういうこと?
写真に物語が存在してるわけ?
写真それ自体が物語とひとつになって存在してるの?

「人間の理解しうる物語」なんていうけど、
人間の理解しえない物語は物語じゃないんじゃないの?
写真から物語を読み取って、それを理解した人間がいるからこそ、
その写真に物語があると言えるんじゃないか?

「誰もがその声なきシナリオを読みとろうとする」という根拠は?
読み取ろうとしない人間がいることは普通に想定できるよね?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 23:50:44 ID:YFSD9DkJ
絵画が「積層的な時間を内包」するという観点から、
写真と絵画の違いについてまた少し

積層的な時間とは何か
それは積み重なった時間という意味で、
絵画が描かれるのは断続的な時間の中でなされるということ
対して、写真は主に瞬間的、連続的になされる

また、それぞれの「完成の時点」という点においても違いがある
絵画は「描き終わる」という時点が明確でない
ここで終わろうというのは人間の考えに因っている
対して、写真は現像やプリントというものをまた別にして考えた場合、
撮影それ自体は主に機械的に決定され、写した時点で終わっている

このように考えた場合、絵画において描くという行為を
写真行為に適用しようとした場合、それは写真を「撮り続ける」行為と
いえるのではないかと考える

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 07:08:05 ID:FWAsyKq3
>>5
19世紀の日常生活を描いた絵はがきなどをみると
一見スナップ写真にみえるようなものでも
被写体ブレを防ぐために静止して撮ってます。
つまり絵を描くときのモデルのように動かないのが
当時の写真の原則でした。

Julia Margaret Cameron,は長焦点のレンズを使い
5分間におよぶ露光でモデルに悲鳴をあげさせたことで有名です。
ttp://www.victoriaspast.com/JuiliaMCameron/juliacameron.htm
現在でもMarie Considasという写真家のように
10秒におよぶ長時間露光をする人も居ます。
そうすることでモデルの感情を引き込むと考えています。
ttp://www.robertkleingallery.com/gallery/cosindas

写真の物語性というのは
レイランダー「人生の二つの道」のような
寓意的なシチュエーションを描き出すことです。
もちろん構図についても意図された配置を
古典絵画に求めていたのがピクトリアリズムです。
ttp://www.edinphoto.org.uk/3/3_pss_exhibitors_robinson_thumbnails.htm

声なきシナリオというのは
ロラン・バルトが「写真はコードのないメッセージである」
と言ったことに呼応するもので、ありのままの現実ではなく
絵画的象徴性をモチーフとして用いることでメッセージ性を深めています。
もちろんこれは文化が違えば理解できないものも多く存在します。
現在ではブルース・ウェーバーのファッション写真などが
感傷的表現をフェイクして取り扱っているように思います。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 10:24:13 ID:YAayq4xd
>>6

一言で言うと違和感があるだが、それだけではなんなので。

いまいち、絵画が断続的に描かれ、写真が連続的に撮れると言うのが分からない

あと、創造的な手の動き(絵筆を動かす)と機械的な指の動き(シャッターを切る)は
異質なものだと思うので同列に並べて論じるには注意深く丁寧に行う必要が
あると感じる


特異な例として、多重露光はどう表現する?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 16:29:08 ID:hWAosGI3
>>7
うーん、その説明から「時間のパラドックスを凍り付かせる」という
表現の示すものがさっぱりわからないな

長時間露光をするとモデルの感情を引き込めるというのは
随分短絡的な発想という感じがするよね
生物学的に静止していられない人間という動物が5分なり10秒なり、
不自然な静止をさせられることでなんらかの感情を浮かべることは
考えられても、そこに何か感情一般が浮かぶというような考えは飛躍でしょ

「写真の物語性というのは〜描き出すことです。」という文章は
論理になってないよね
「どんな写真にも〜物語が存在」するなら描き出すという意図的な行為は必要ないでしょ
「意図的に物語を描き出した写真」と「何も考えずに写しただけの写真」は等価なはず
じゃあそこにある差異は何かといったら、それは「読みやすさ」なんだろう
こう考えた場合、写真の物語性というのは
「鑑賞者が容易に物語を読み取れる度合いの高い写真」ということになる

声なきシナリオというのは〜云々以下の文章は意図が不明だな
もっとわかりやすい、論理的な文章を書いて欲しい
「写真はコードのないメッセージである」というのは
「写真は規則のない情報である」と言い換えられるよね
「規則のない情報」がなぜ「声なきシナリオ」という表現で表せるのかわからない
「メッセージ性を深めています。」で終わる文章もおかしい
何が「メッセージ性を深めています」なのかわからない
>>5への回答が
>もちろんこれは文化が違えば理解できないものも多く存在します。
だけというのもいい加減なことを言ってるんだなとしか思えない

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 16:51:12 ID:hWAosGI3
>>8
>>6で言ってるのを説明すると
絵画の断続性というのは
環境があり、対象があり、キャンバスがあって、画家がおり、絵筆がある。
画家の視線が対象を見てからキャンバスを見る
画家が食事をしてる間に環境は変化する
絵筆はキャンバスから離れざるをえない・・・etc.
それぞれの所で断続していると考える
絵画というものはそれなりに時間がかかるので、
ぶつ切りの時間が積み重なってなされるという理解ね

写真が「連続的になされる」というのは長時間露光のことを指して使ってる
ここでは多重露光を考慮していない(だから>>6で主にと書いてる)

「創造的な手の動き」と「機械的な指の動き」を同列に語った覚えはない
俺は「絵画は断続的になされ、積層的な時間を内包し、原理的に終わりがない」という
定義付けをし、写真は「撮り続ける」ことによって絵画的となるのではないかと結論しただけ
別に試案だからこれが絶対だとも唯一だとも思ってない
可能性というものは当然無数にあると思ってる
「論理的」で「妥当」なものを探してるだけとも言える

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 18:04:28 ID:FWAsyKq3
>>9
あなたが可笑しいのは、ピクトリアリズムそのものには興味がなくて
単に論理だけに興味があるように思えること。それと歴史を知らない。

ストレートフォトとピクトリアリズムは、かつて拮抗して対決した芸術論だった。
>「意図的に物語を描き出した写真」と「何も考えずに写しただけの写真」は等価なはず
という、あなたの意見はそのまま浅はかな鑑賞姿勢に依存したもので
「読みやすさ」にしか感じないのであればそれもそこまで。

静止したポーズを取り続けるというのは撮影方法であって一般論ではないし
感情移入が感じられるというのもそれを実践した写真家の意見。
一般論ではないし、それに失敗した例のほうが過去にずっと多い。
しかし撮影のメソッドとして存在するということで
それを生かすも殺すも写真家とモデルの関係次第だ。

>「写真は規則のない情報である」と言い換えられるよね
という意見は、あなたの写真論であって、ロランは別のものを言ってる。
写真はメタファを引き起こすコードがないままに事実として存在するという意味。
ロランの時代がモダニズムの先鋭性を帯びていたことを考えると
ピクトリアリズムのもってた絵画的手法はおそらく理解されない。
もちろん非西洋の世界にも西洋絵画のメタファは理解されないことが多い。
いい加減というよりピクトリアリズムの限界かと思ってる。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 18:20:34 ID:JkjAtCqF
こういうバカがバッコしている仮想世界

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 18:29:38 ID:hWAosGI3
>>11
歴史は歴史でしょう
歴史の上に立つことと、歴史を妄信することは違うしね

>>「意図的に物語を描き出した写真」と「何も考えずに写しただけの写真」は等価なはず
>という、あなたの意見
は、「どんな写真にも〜物語が存在」するというあなたの意見から導き出したものだよ

俺自身の意見を言えば、写真に物語など存在しないと考えている
物語はその写真を見ている者の内にある
そういう意味では「「どんな写真にも〜物語が存在」すると言えるだろう
しかしそれは写真に物語が内在してるという考えとはまったく違う

3段落目は結局何が言いたいのかわからないな
だから何?としか言えない

>>「写真は規則のない情報である」と言い換えられるよね
>という意見は、あなたの写真論であって、ロランは別のものを言ってる。
「写真はコードのないメッセージである」を訳すと
「写真は規則のない情報である」になるんだけど、
バルトが違うことを言ってるとしたら、コードのないメッセージという言説自体
意味がないということになっちゃうね

>写真はメタファを引き起こすコードがないままに事実として存在するという意味
これはどういう意味かな?
共通の了解性を持つレベルの言語で平易に語って欲しいな

そこ以降の文章には何の意味があるの?
だから何としか言えない

君の文章は総じて生産性がなさすぎると思うよ

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 18:50:16 ID:FWAsyKq3
過去の写真機の限界からきた長時間露光というメソッドと
ローキーに焼き込むという行為も少し似てないこともないかなと思ってる。
上田義彦さんのモノクロ作品もローキーで白がない感じだけど
こういう静物の質感表現に共通性を感じる。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 19:48:43 ID:FWAsyKq3
>>7で紹介してるMarie Considasは
長時間露光のポートレートの数少ない実践者ですが
作品はローキーながら色がこってり乗ってるという不思議な色調です。
モデルの内面的な強さを引き出すと言われますがどうでしょうか。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 06:14:53 ID:CbdjKBmR
ピクトリアリズムの絵画的主題は19世紀のものにほぼ限定される。
ダビッド風の新古典主義から始まり、バルビゾン派、ラファエロ前派など
比較的写実的な流派が模倣されている。
一見してフランス絵画の影響が多いのは、単純に英米に独自の絵画運動が
少なかったからで、亜流の作品像に甘んじたような感じはある。

印象派、キュビズムは含まれていないが、逆に絵画的主張の強い作品として
今でもとても人気がある。ユトリロがポストカードの写真を元手に白の時代を
築いたのは面白い逸話である。新古典派のアングルも写真をもとにつくった
作品が残されている。初期の写真はベルエポックのなかで育まれた。

写真が究極の写実だと思われる一方で、絵画的表現の理想化がはじまり
絵画における写実という行為が瓦解していく様子も伺える。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 06:32:28 ID:CbdjKBmR
絵画的主題というと漠然としてるが
あらかじめ意図された構図を写真の枠に組み立てる
というと判りやすいかもしれない。

ゴダール監督映画の「パッション」は
歴史的名画を実際のモデルで再現する映像プロジェクトが舞台だが
かなりの照明のこだわりをもって構成している様子がうかがえて面白い。
映画のなりゆきは衝突しながらも現実世界へ開放されていくのだが
ピクトリアリズムの求める究極とスナップ写真の決定的瞬間の差異が
対照的に描かれているようにも思える。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 13:50:08 ID:Ub6OejVp
>>13

中々面白いです

主題と副題の大きさ関係を自分の撮りたいイメージに近付けたくて焦点距離と
撮影距離を微調整することがあるんですけど、こゆのって13さんの想定されている
絵画的主題に含んで考えてみてもいいんですかね?
(外してます?)


19 :18:2006/06/21(水) 14:00:09 ID:Ub6OejVp
ありゃ?
>>17って書くつもりだったのに>>13って書いちまった


20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 19:57:45 ID:CbdjKBmR
>>18-19
絵画的主題は一般的な構図のバランスもあると思いますが
むしろ構図のもたらす印象や隠喩のほうが重要です。

例えばブルース・ウェーバーのファッション写真集の表紙は
キリストの十字架降下(ピエタ)のパロディです。
特に壮麗な赤いドレスの印象が際立ってます。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3832790985
ttp://www.abcgallery.com/W/weyden/weyden62.jpg
キリストの死という重々しい主題に対し
女性特有の薄っぺらいセンチメンタリズムを強調しているようにも思えますし
逆に女性のパッションを二人の男性は持て余しているようにも見えます。
単にドレス姿の女性の美しさ以外に、こうした仕掛けを潜ませることで
写真が面白いものになっているようにも思えます。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 14:49:18 ID:OmsGeRmF
次の覇者はFrank Horvathです。
ttp://art.transindex.ro/?cikk=137
油絵のような独特の質感。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 06:05:01 ID:VrAPoG7m
>>11
あなたが可笑しいのは、単にピクトリアリズムそのものに興味があるのか、
評論家的にその歴史や既存の作品の分析ばかりして、新しいものを
生み出すような創造的な話を、作り手側、写真家側から発想するような
ところがないこと。それと議論することを知らない。

一連のやりとりを見ても一切回答をしていない。
相手は反論、質問にちゃんと答えているのに、君はほとんど答えていない。
教科書を読んで知った”答え”を書いているだけのような文章はつまらない。
何も提案がない。

二人のやりとりを見て、非常にもったいないと思った。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 18:36:00 ID:aPZL3IGO
>>22
【対話】お前らの「写真論」を「脱構築」していく
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/photo/1150439165/l50

24 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/11(火) 07:48:18 ID:6/6baN9i
決定的瞬間という訳語に対して絵画的必然性というべきか

25 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/27(木) 02:31:41 ID:2Bs+lObx
つまり決定的瞬間というのは偶然だよね。
撮影者の能力は関係ない。

絵画的なものは自分でイメージを作りあげそれを撮影。
撮影者はだれでもよい、が、作家の能力は必要。

26 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/27(木) 03:07:47 ID:/UmHi2c5
> つまり決定的瞬間というのは偶然だよね。
> 撮影者の能力は関係ない。

何年も前に“やらせ”という素晴らしい技法が確立しますたよ。

27 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/27(木) 03:10:29 ID:SMtZxHvJ
「決定的瞬間」と「絵画的必然性」というものは対立項とならない
少し考えればわかることだ

「決定的瞬間」が「偶然」 で「撮影者の能力は関係ない」という式は成立しない
この式の中に「撮影」という能動的行為が含まれているからだ

「絵画的なもの」と「自分でイメージを作りあげそれを撮影」したものとはイコールではない
それにまず「絵画的なもの」の定義が必要だ

それらしい言葉を並べて思考した気分になるのは勝手だが、
筋の通らない話は何の答えも導き出さない

28 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/27(木) 05:21:10 ID:3EVAAUxj
また蛆虫がわいてる

29 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/27(木) 09:41:17 ID:2Bs+lObx
「自分でイメージを作りあげそれを撮影」を絵画的と定義してるんだけど。
やらせも絵画的。
「決定的瞬間」は撮影者さえ必要ない。
防犯ビデオが自動で撮影してる。


30 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/27(木) 09:42:23 ID:2Bs+lObx
>>28
自己紹介乙

31 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/27(木) 10:12:26 ID:SMtZxHvJ
>「自分でイメージを作りあげそれを撮影」を絵画的と定義してるんだけど。

「自分でイメージを作りあげそれを撮影」したものを「絵画的」だと定義するというのは無理なんだが
ちょっと頭を使って考えて欲しい

>「決定的瞬間」は撮影者さえ必要ない。
>防犯ビデオが自動で撮影してる。

まず「決定的瞬間」とはなんだろうかと考えて欲しい
「決定的瞬間」という確固としたそれ自体が「ある」と思うのか?

32 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/27(木) 10:30:08 ID:RQQcRv6N
>確固としたそれ自体
バカの壁

33 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/27(木) 15:52:14 ID:2Bs+lObx
>>31
なぜ無理だと思うのかな?言ってごらん。

>まず「決定的瞬間」とはなんだろうかと考えて欲しい

偶然性だね。

>>32
議論できないバカ、消えろ

34 :名無しさん脚:2006/07/27(木) 16:30:12 ID:SNGCk4kW
えっと「決定的瞬間」とはカメラマンの内面と
被写体の様相(ファインダー内の)一致をさすと
定義されているはずですが、、?

35 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/27(木) 17:13:04 ID:2Bs+lObx
カメラマンの要求していたイメージを被写体がしても、
それは決定的ではないよね。

36 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/27(木) 17:33:28 ID:eoolwNTi
34です。
>>35

写真家の内面=要求するイメージとは短絡かも。
一致の瞬間はスパークする様なものだとブレッソンは
言っていないのかなあ?

確か内面と構図が一致した瞬間とか言っていた。だから
森村氏に簡単に解説できる凡庸な作品も多い。

37 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/27(木) 21:19:20 ID:2Bs+lObx
>>36
君は2ちゃん初心者っぽいね。34を名乗るのにこっちの(`・ω・´)ジャジーン
をコピペしなくていいの。空白にしとけばデフォの(`・ω・´)シャシーン になるんだよ。
それはともかくブレッソンはモデルを使って自分のイメージをさせてたと告白してたから
彼のは決定的瞬間ではなく絵画的。

森村ってのは誰?

38 :(`・ω・´)ジャジーン :2006/07/28(金) 18:26:36 ID:lhnW+7GJ
で、どうした?
お前たちの救世主ブレッソンが絵画的だったとわかって怖じ気づいたか!


39 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/28(金) 20:33:36 ID:jglyG8EZ
彼は画家だが?

40 :(`・ω・´)シャシーン:2006/07/31(月) 08:05:01 ID:0v0zrq+b
ジャジーンが氏んだw

41 :(`・ω・´)ジャジーン:2006/07/31(月) 13:20:46 ID:1DsdtVUI
何でだよ。
ブレッソンは画家じゃないし。

42 :甘いなw:2006/08/01(火) 20:23:41 ID:YAFmCtNm
青年時代は画家志望だったし、写真との出会いも
マン・レイのようなシュルレアリスムの影響から。
構図への鋭い感覚も青年時代の修業の賜物。
晩年は写真をやめて画家に戻るなど
半生は画業を通じて自分のイメージを追求している。

43 :(`・ω・´)ジャジーン:2006/08/01(火) 23:33:57 ID:mWFNLaE/
そうか。じゃあウィキペディアに書いといて。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%EF%BC%9D%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%B3&action=edit

44 :ありがとう:2006/08/02(水) 07:05:08 ID:XF0ribpc
階と板よ

45 :(`・ω・´)ジャジーン:2006/08/02(水) 08:28:21 ID:6IRycyVe
乙。
2年前の今日死んだのか。
参考文献とかあったらそれも貝と板法がいいのではありませんか?
これが正しいのかわかんね。

46 :(`・ω・´)シャシーン:2006/08/02(水) 21:23:44 ID:XF0ribpc
アンリ・カルティエ・ブレッソン財団に略歴が書いてあるからそれがほとんど。

47 :お前名無しだろ:2006/09/10(日) 05:40:31 ID:ZbRAe7rj

20 新日本は腐ったミカン◆0puVYletLs 05/01/03 07:20:25 ID:pWJR67RN
俺はケツ感じるまで2年かかりました
最初はこんなんありえへんってくらい激痛だったけど
今じゃモロ感じまくってます。なので
痛いのを我慢して>>1さんも、回数こなしてみて下さい
その日の体調、相手が自分のタイプか
タチのチンポの形、大きさ、テク、ローションの種類
などでも左右されると思いますが頑張って下さい

22 薔薇と百合の名無しさん 05/01/03 07:27:19 ID:pWJR67RN
≫20
間違えた。。。名前とトリップは忘れてください

48 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/01(水) 23:33:21 ID:aTOSzRmk
脱構築ってなんだ?
わけわからん用語だ
デリダとかいうアホが勝手に作ったらしい

俺がなんとなく理解する所によると、脱構築ってのは
今までに作られてきた理論なんかにある
そういう「アホが勝手に作った仮定や、考えられる事もなく正しいとされた前提」を
暴き出して、「何も解決されてないじゃないか!何もわかってないじゃないか!」っていう事だ
俺はそういう意味で「脱構築」を使っていくからよろしく

俺がお前らの「写真論」を聞いて、理解できない所を指摘していく
「ここがおかしい」、「ここはよさそうだ」という議論によって
よりよいものにしていこうってスレだ
決して「ここが正しいから全部正しい」とか「ここが間違ってるから全部駄目だ」なんていうスレじゃない
みんなの対話の中で「よりよりもの」を目指すスレなのだ

ついでに私事ですが、聞いてください。
高校中退の超可愛い17歳の女の子がプレスで親指以外の指4本落とした時は両親や兄弟が来て
大騒ぎになった。破損した指はぐちゃぐちゃで原型留めてなかった。裁判沙汰になった
がどうなったか知らん(社長は今も健在なので金でカタがついたのだろう)。その後一度
夏に道ですれ違ったが、真夏なのに片手だけ分厚い手袋をしてたよ。顔は綺麗なままだが
すっかり鬱っぽくなってた。おれなら貰ってやったが。

彼女が事故にあったときはマジで凄かった。男なら切れた指の根元を押さえて
うずくまってしまうのが普通だが、あの子の時は泣き叫びながら、のたうち回った。見てる俺らも
怖かったよ。指4本一気だったのとショックが強すぎたのだろう。押さえるのに男3人かかったからね。
あの時の事故の後はその女の子の友達の女の子と若い工員が2人辞めた。あの子はまだ若いし立ち
直って欲しいです。


49 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/25(土) 17:13:11 ID:PRZRgTBB
何処かピントが外れている話題なきがする。
ピクトリアリズムを否定する流れは絵画の模倣を嫌うからじゃなかったか?
まして、写真の瞬時性とか絡む問題でもないことは確か。

そんな意味で現在ではピクトリアリズム全盛じゃないの?


50 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/25(土) 17:32:46 ID:PRZRgTBB
>>6
写真について知らないから書ける事なんだろう。
物理的な要素と精神的な要素を混合しているので自己破綻していると考える。
6が言う積層的な時間は写真にも被写体との対峙する時間があり、絵画と同様に
時間は長い場合も有るし、短い場合もある。

完成の時点 写真はプリントを終え鑑賞形態になったときに一応の終了を見るが
後年、ネガから異なるトーンや焼き方で違う雰囲気の作品に変化・変貌する場合
が良くある。 撮影時点で終了とするのは正しい考え方ではない。

何故、絵画と写真の差を無理やり見出そうとするのだろうか?意味がある行為とも
思えない。好きなら、18世紀末の写真論争から勉強しなおすといい。







51 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/25(土) 17:43:32 ID:PRZRgTBB
>>7
問題は書いてることを現在にフィードバック可能であるかだと思う。
レイランダーのコラージュは今や誰にでも出来そうな域にデジタルが
進歩したし・・・CM見ればレイランダーの手法があふれている。

長時間露光で心を引き込めるかどうか・・3人の真ん中とか横浜写真
の頃の魂の話に似ているが故人の思い込みにしか過ぎないでしょう。
作家はその手法でこめられると思うなら勝手にすれば良いだけで
1/4000で心が入ると思う作家と等価でしょう。

どうなんですかね?改めて懐古するより現実的に普通に使われている
事じゃないすか?

52 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/25(土) 18:20:02 ID:LDJVuGYM
>>50
>物理的な要素と精神的な要素を混合している
具体的にいうと、どういうふうに混合しているんでしょうか?
また、写真は物理的なものでしょうか?それとも精神的なものでしょうか?

>写真にも被写体との対峙する時間
それは被写体と人間であって、写真に関係ないんじゃないでしょうか?
またその時間が長いからといって、それは積層してるとはいえないと思います。

>完成の時点 写真はプリントを終え
>>6には
>写真は現像やプリントというものをまた別にして考えた場合
と書いてありますから、>>6ではフイルムへの像の定着までを考えているのではないでしょうか?

>何故、絵画と写真の差を無理やり見出そうとするのだろうか?
どこが無理やりなんでしょうか?
絵画と写真の差異を考えるのは、写真が光画として、
光を画材とした絵画として発展してきてしまった歴史を考えれば当然かと思います。
写真とは何だろうかと考えるのは必要なことではないでしょうか?
写真が写真として、写真でしかできないことは何であるかをしっかり見据えなければ、
長い歴史を持つ絵画と肩を並べることなどできないのではないでしょうか。


53 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/26(日) 02:41:44 ID:dzNpu317
>>写真は物理的なものでしょうか?それとも精神的なものでしょうか?
絵画と比喩するのなら、絵画と同じに精神的なものであると考えます。

>それは被写体と人間であって、写真に関係ないんじゃないでしょうか?
>またその時間が長いからといって、それは積層してるとはいえないと思います。
絵画も写真も被写体と人間との関係であって単純に積層で語れることではないと思う。
また、逆に絵画も時間的に長い・短いからといって積層しているとはいえないわけです。なのでこのような分類はできないと考えています。

< >完成の時点 写真はプリントを終え
< >>6には
< >写真は現像やプリントというものをまた別にして考えた場合
< と書いてありますから、>>6ではフイルムへの像の定着までを考えているのではない< でしょうか?
これは変な話になります。撮影終了時点と絵画の曖昧な終了点を比較している訳ですから制作過程の大きな部分を考慮していないわけです。「別にして」いるわけですよね。
考慮するなら、違った結論を導くはずです。途中の過程と終了した過程とを比較する
ことに無理があります。

>>どこが無理やりなんでしょうか?
19世紀〜20世紀初頭まで絵画と写真は真剣に比較されてきました。
そしてそれを払拭する20世紀の歴史だったじゃないですか。

>>長い歴史を持つ絵画と肩を並べることなどできないのではないでしょうか。
なぜ絵画と肩を並べる必要があるのですか?そうなることが美しいですか?
そして何の意味があるのでしょう?
また、いま絵画より劣っているのでしょうか?私は思いません。
絵画との比較という旧旧世紀の劣等感亡霊を引き連れて「写真にしかできないこと」
を考えてもバウハウスすら超えることができないのじゃありませんか。


54 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/26(日) 03:09:09 ID:e891Y9wx
>>53
「絵画と比喩する」という日本語がよくわからないので、
おそらく「絵画になぞらえて言えば」という意味と推測しますが、
「絵画になぞらえて言えば、絵画と同じに精神的なものであると考えます。」という
文章として考えても意味がわかりませんし、言わんとしていることが伝わってきません。
ですので、「写真は物理的なものであるか、精神的なものであるか」というと問いに
端的にお答えいただいて、その理由を明晰に論じてくださるとありがたいです。

次に「絵画も写真も被写体と人間との関係である」という定義を公理のように語っておられますが、
その根拠はどういうものなのでしょうか。
また、あっさりと絵画と写真を同列にして語っておられますが、絵画と写真はそのように
語れるものでしょうか。
この辺りも端的にお答えいただいて、その理由を明晰に論じてくださるとありがたいです。

次の問題は絵画と写真の製作過程の定義の問題になりますね。
製作開始から製作終了をどこからどこまでと定義するかということですが、これは難しい問題かもしれませんね。
ここで考える糸口として、写真の定義を考えるという方法があるように思います。
印画紙にプリントされたものだけが写真だとは言えません。
ネガやポジに浮んだ像は写真であるのか、ディスプレイに表示された映像は写真であるのか、
写真と静止画は違うものであるのか、疑問はつきません。
この辺りのお考えも端的に聞かせていただけるとありがたいです。

「19世紀〜20世紀初頭まで絵画と写真は真剣に比較されてきました。
そしてそれを払拭する20世紀の歴史だったじゃないですか。」
これは申し訳ありませんが勉強不足の私にはよくわかりません。
具体的にどのように「それを払拭する20世紀の歴史」というものがあったのか、
端的に具体例を挙げながらお答えいただけると助かります。

最後は考え方の問題ですので余りどうこう言いたいとは思いませんが、
写真の地位向上を考えると「写真にしかできないこと」を明確にすることは必要だと思います。
劣っていると思う思わないということではなく、実際写真は現在のところ絵画より低く見られています。
写真の本質というものを見据えることができれば、その地平からこそ写真の可能性というものが
浮き彫りにされるのではないかと思いますがどうでしょうか。
また、絵画との比較はここでたまたま行われているひとつの試論ですから、
ただそれのみ取り上げてもしょうがないと思います。

55 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/26(日) 12:12:16 ID:dzNpu317
>>「絵画と比喩する」
申し訳ありません、比較の間違いです。なぞらえるじゃ意味が通りませんね。

>あっさりと絵画と写真を同列にして語っておられますが、絵画と写真はそのように
>語れるものでしょうか。
絵・写真・陶芸・俳句・・・人が作る物で此処の話題でなら、表現でする手段ですか
ら同列に扱いました。
>「それを払拭する20世紀の歴史」
これを説明する個々の事象を挙げるのは膨大な量になり、私には荷が重過ぎます。
ニューホールの写真の歴史に私は影響を受けましたので検索して探してきました。
 http://www.pg-web.net/off_the_gallery/RE/shirabe/shirabe04.html

>>地位向上を考えると「写真にしかできないこと」
写真にしか出来ないことを己の写真の為に考えるのは大切なことで
あると思います。
しかし、「地位向上の為に」等は必要ないことであると思うのです。
それは貴方が書く「本質というものを見据える」につながるのかも
しれません。・・・・・・・・・・

余談ですが私は今の混沌・停滞に満足しています。いろんな、可能性
が在りそうです。あと数年〜10年充電して何か爆発しそうな予感が
しますね。



56 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/26(日) 12:15:05 ID:dzNpu317
追加
私は貴方がピクトリアリズムを賛していると誤解していたようです。

57 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/29(水) 13:40:39 ID:450Eyg+w
>>55
2日ほど考えなんとなく理解できそう。
写真の定義も必要なさそうだ。

疑問点をひとつ。
ピクトリアリズムを模倣と意識して撮影する行為っての駄目なのかなあ?

58 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/29(水) 14:42:39 ID:ceBriPPR
実行できるものは撮り、実行できないものは語る。
語る前に撮ればいいのに。

59 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/29(水) 17:29:29 ID:450Eyg+w
>>58
そろそろ、出てくると思ってたw
余計なお世話だ。


60 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/29(水) 23:13:22 ID:MwJTKkPv
>>58
逆だと考えます。
実行するから、疑問が湧いてくる!
実行して湧かないのなら・・・実行しているつもりに
なっている!或いは真剣に取り組んでないのかも知れません。

>>57
私は何も否定するつもりでありません。
写真は己が表現したいことの一つの出力方法にしか過ぎません。
写真表現の定義とは他の表現定義と同じであるべき筈です。
貴方にとって模倣の模倣の可否は貴方自身が判断する事だと
思います。

61 :58:2006/11/30(木) 02:54:15 ID:BPVeegs9
とりあえず撮った写真見せて、って言ってるだけなのだが。
俺は、写真が下手なくせに言うことだけ一丁前の奴が大嫌いなのだ。

62 :(`・ω・´)シャシーン:2006/11/30(木) 23:28:29 ID:SLahex1B
>>61
一応、職業として写真撮影を行っていますので
自分を特定される行為は慎みたく思います。
まして下手や上手いの判断しか興味がない程度の
レベルでどうこう言われるのは、あまりにも低すぎます。

この話題を進めるに下手とか上手いが必要条件とも思いません。
書き込むのは自由でしょうが会話に割って入り写真出せと言うのは
無礼ですね。それとも「写真を出せ」を恫喝の類と思われているのでしょうか?


63 :(`・ω・´)シャシーン:2007/01/01(月) 11:19:11 ID:l08bi184
ピクトリアリズムの一瞥して判るメッセージ性がコマーシャリズムと紙一重だ
という意見は何となく納得できる。

一方で、日本のコマーシャルは直接的な商品イメージではなく
美的イメージだけで構成される企業広告が少なくなく
外国企業のなかでは非常に不思議がられている。

こうした脱構築的な映像芸術がポストモダニズムとして語られる一方で
例えば韓流ドラマのような厚手の演劇性が新鮮に感じる時代でもあり
映像がもつメッセージやドラマという枠組みが以前よりずっと自由に感じる。

撮る側と観る側の対話が長く続く写真があるとすると
ナダールのようながっしりした肖像写真を撮ってみたい衝動にかられる。

64 :(`・ω・´)シャシーン:2007/01/02(火) 00:59:41 ID:zBIi9sc6
そう、ナダールのポートレイトを見ると真摯に写真と向き合う事の深さで
感動します。ほかとの比較から出てくる作風ではなく向き合った末に出てくる
如何なる作風でも素晴らしいものの可能性があります。


65 :(`・ω・´)シャシーン:2007/01/02(火) 09:09:09 ID:AU15Xfai
肖像画のスタイルを考えると
ルネサンスの時代から小道具を絵に忍ばせる方法と
オランダ絵画のような全く排除したものがあるけど
小道具の隠喩の意味が判らなくなった今では
両者が同じ地平(ヒューマニズム)にあったことに感服する。
腕のなくなったミロのヴィーナスも同じだとか。

つまり絵画的な言葉が失われたなかでも
その向き合う時間の間にあるものが
深く長く、そして実在的であるように思う。

66 :(`・ω・´)シャシーン:2007/04/24(火) 15:26:31 ID:Hw6WESoS
論理的な意見を出してくれてた>>3とか>>9とか>>52とかがいなくなってしまい、
戯言をほざいて一人悦にいってるようなのしか残っていないこのスレは
終了でいいんじゃないですか?

67 :(`・ω・´)シャシーン:2007/06/05(火) 00:02:33 ID:mpYS4KBA
絵画的とはどういうことかを考えた時、
ひとつにそれは写真とは違って積層的な時間を内包する、
せざるを得ないということが考えられる
絵を描くというのは当然時間がかかる

写実的な絵画というものを考えた時、
例えば果物の静物絵ならその対象の変化というものがあり、
その対象が置かれた環境の変化というものがある
果物は腐っていくし、太陽は昇って沈む

そういう変化する要素を無くしてしまう場合も考えられる
果物はプラスチックのイミテーションにし、
完全な密室で人口の光を使う場合だ
だが、この場合に置いても変化するものがある
それが絵を描く人、それ自体だ
人は変わる
時間軸に沿って、心は変わるし、物理的にも変わっていく

よって写真を絵画に近づけていくという方法を考えると、
上記の要素を内包させていくという方法論があると思われる

時間のパラドックスを凍り付かせる意図されたシチュエーション
感情を手の所作や視線で表わすような演劇性
象徴性のある静物を並べる文学的要素
これらはジャーナリズムの世界では「やらせ」だが
どんな写真にも人間の理解しうる物語が存在し
誰もがその声なきシナリオを読みとろうとする。

68 :(`・ω・´)シャシーン:2007/06/16(土) 23:57:43 ID:OfsD7KQp
なんるほど

69 :(`・ω・´)シャシーン:2007/06/18(月) 20:27:21 ID:oMsdxEek

\_/ ̄ ̄\_/|
\_|  ▼ ▼ |_/
   \  皿 /
  (⌒`::::  ⌒ヽ
   ヽ:::: ~~⌒γ⌒)  アタマおかしくね?
    ヽー―'^ー-'
     〉    │

70 :(`・ω・´)シャシーン:2008/06/09(月) 23:42:28 ID:rX3psflE


71 :(`・ω・´)シャシーン:2008/07/06(日) 14:59:34 ID:YsvtIkc4
http://imepita.jp/20080609/094600

72 :(`・ω・´)シャシーン:2008/08/25(月) 04:54:05 ID:Tn0m5B79
松山でも大分、山口、中国が何とか聞ける程度だった。
ANNをネットしていなかった時代は2部を聴くのに苦労した。
香川の西日本放送より長崎放送や福岡の九州朝日放送の方が受信し易かった。
愛媛で県外局を受信し易いのは今治界隈だけじゃないのか。

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