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孔明に軍事の才能は無い

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 00:55:45 ID:Yg/+OHy70
北伐なんて無駄

2 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/22(土) 01:03:42 ID:Yg/+OHy70
孔明がやったこと

勝てない北伐を延々と繰り返す

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 02:08:30 ID:Y6xaLPsO0
コピペしてください。
日本人に危機が迫っています。
----------
ネトゲで対戦した中国人曰く
チベットの次の次は日本。
日本人の年寄は皆殺し。
日本人の男の9割は強制去勢。
日本人の女には中国人の子供を産ませる

冗談のようだけど、チベットでは実際にそれが行われている
チベット弾圧漫画「慈悲と修羅」 著:業田良家

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4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 08:34:38 ID:EjpT3xo30
お、復活しとる。
ちょっとは勉強してきたか?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 10:30:54 ID:5S8XrzfB0
してないからこんな糞以下のスレを立ててるんだろう

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 11:16:30 ID:4ARw3qqV0
それまで南蛮制圧くらいしか戦の経験がなかった素人にしてはよく頑張ったほう。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 11:44:45 ID:lnLgS0lK0
しかし、今の中国の気風は蜀が復活しそうな勢いだぞ。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 13:04:20 ID:0y+XTTY10
>>6
おいおい入蜀戦は?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:28:40 ID:0iY7wRAnO
公明の乳食戦は実質的には張飛趙雲の草刈った後を通っただけ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:35:49 ID:EjpT3xo30
しかし大変だな。
そのうち諸葛亮は槍でもふるって敵兵をぶっ殺してないから大したことない、とか言われそうだな。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:53:24 ID:VMwvlBC70
      \ │ /
       / ̄\
     ─( ゚ ∀ ゚ )─
       \_/
      / │ \
    ○○○   ○○○
   ○,,・ω・○  ○・ω・,,○
    ○○○   ○○○ o
 o〜(,_uuノ    とuu_,)ノ

     FREE TIBET

12 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 01:27:05 ID:hPl4H7TP0
孔明カルト信者は呉の方が蜀よりもったということを直視できない

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 01:41:28 ID:woEnYcn/0
呉厨の妄想癖は凄いな

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 03:26:41 ID:jr4GopBg0
http://www.daito.ac.jp/~y-wata/prof/gyou/ronbun/g_r_12.pdf
昔の方が孔明礼賛も孔明批判も理性的に行われてた訳だ
儲もアンチも先人に倣え

W先生への質問。
諸葛亮の軍事に二つの見方がある。三国演義では軍事的成功がある。
三国志ではそれほど成功をおさめていない。赤壁の戦いでは、戦いは周瑜で
荊州をとったのも劉備・ホウ統で、諸葛亮は何もやっていない。
南征は成果でありますが、それは単に南蛮の人たちが弱かった(会場、笑)。
漢中を奪ったのでも劉備・法正で、諸葛亮は何もやっていない。
中国でもこういった二つの見方がある
(大衆は小説から諸葛亮を軍事に優れているとおもっているとのこと)。
W先生ご自身は史実の諸葛亮をどう評価するか。

回答。「『一流である』と言い張ることに」(場内笑)。
おっしゃるとおり負けてばかりだけど「負けっぷりが良い」とのこと(場内爆笑)。
諸葛亮は負けるときには兵を損なわないという兵法において最も難しいことを実践している。
曹操に勝てないのは仕方ない。曹操は超一流だから(場内爆笑)。
諸葛亮が超一流に勝てないからといって諸葛亮が一流でない証明にはならない。
諸葛亮を徹底的に擁護した人に朱子がいる。私の勤務校は朱子学の大学なので
朱子に反することはできないという政治的立場かある(場内爆笑)。

さらに質問。諸葛亮は確かに軍事的に優れていたが、
蜀という国の力が劣っていたという見方もあるが、W先生はどう見るか。

成都からいらっしゃっている先生の前で四川は国力で劣っているなんて言えない(場内爆笑)。

15 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 03:34:41 ID:hPl4H7TP0
敗北でそんな兵を損なうなんて無いと思うが

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 10:04:46 ID:eISZVF3/0
敗走すると落伍者が大量発生するの。んで敵の捕虜になるのが通例。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 10:08:03 ID:8UYlAlrL0
撤退戦の強さは異常。というか、撤退してる時のほうが強い。
王双も張?も撤退中に討ち取ってるし。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 13:35:31 ID:xxlrcMMG0
渡辺センセイも軍事に関しては曹操>孔明だという訳ね

しかし赤壁の前に無位無官のままで呉と同盟したってのは
無職引きこもりが零細企業のバイト採用のまま営業に出されて
一部上場企業と大口契約取り付けた、みたいな感じ
その後社長になって業界最大手と張り合ったんだからこれはこれで凄い

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 14:19:43 ID:xxlrcMMG0
蜀漢は歴代の四川軍閥の中でも長持ちした部類である事を評価の対象にすべき
春秋から20世紀まで、四川に割拠した勢力の中で関中・中原に進出できたのがどれだけあったかって話
韓信の成功がいかに特別だったかが判る。要は入蜀の時点で孔明の軍事能力に関係なく9割方詰んでた
魏延が「韓信のマネしようぜ」と言ったのに孔明が反対したのもその点から理解できる

20 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 15:33:30 ID:hPl4H7TP0
王奴って誰?
魏ではほとんど活躍してないはずだ。

21 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 15:34:05 ID:hPl4H7TP0


劉備建国

長持ちした理由



22 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 15:34:29 ID:hPl4H7TP0
敗北で大打撃だらけなんてことは無く、殿がある程度やられるだけ

23 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 15:38:24 ID:hPl4H7TP0
劉備はたびたび大敗北をしたが、あれはあれで仕方が無かった。
孔明は余力があるうちに撤退しすぎで逆に攻勢をかけられただろというのが多い。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 16:11:40 ID:QqwEHtfy0
しんがりってのは、ある程度なんてなまやさしいやられ方ではなく、追撃を受ければ
ほぼ壊滅するもんだけどな。
敵前撤退中に潰走を起こし、本拠にたどり着いたときは、出陣前の三分の一とか
よくある話。
たまには、崩れず帰ってくるのもあるけど、数度に渡るのはちょっと特筆してもいいかな、と。

>>長持ちした理由

>>呉

は?

25 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 16:22:47 ID:hPl4H7TP0
ははは。

孔明信者の気持ち悪さ。

撤退を潰走に、敗北を敗走にする。

26 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 16:24:31 ID:hPl4H7TP0
呉に主軍が向いていたおかげで助かった。
蜀は劉備死後2回しか攻められていない。

蜀を建国した劉備、長持ちさせた劉禅。

あれ孔明は

27 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 16:26:30 ID:hPl4H7TP0
数度にわたる

1回目 惨めに敗走

2回目 王奴みたいなほとんど活躍してないやつを討ち取る。

3回目 撤退もクソも無い

4回目 成功

5回目 孔明が運悪く死亡

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 16:32:38 ID:QqwEHtfy0
なるほど、国にはトップのみで、宰相や僚佐は必要ないという発想か。
まぁ、ゲームならそうでもなんとかなるか。
いや、ごめん。君の言うとおりだね。今度から考えをあためr(ry

29 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 16:39:21 ID:hPl4H7TP0
蜀建国

劉備
法正
孔明
ホウ統

孫権

蜀建国は孔明一人じゃない

長持ち

劉禅
孔明
蒋延


一人じゃない

30 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 16:43:23 ID:hPl4H7TP0
王双の間違え立ったな

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 17:05:19 ID:Q/qBgiH2O
どこかに蜀建国の功績、或いは蜀維持の功績を孔明一人に帰したやつがいるのか?
いずれにせよ、それらは孔明に軍事の才能がなかったことの証左にはならない。

32 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 17:13:14 ID:hPl4H7TP0
19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/03/23(日) 14:19:43 ID:xxlrcMMG0
蜀漢は歴代の四川軍閥の中でも長持ちした部類である事を評価の対象にすべき
春秋から20世紀まで、四川に割拠した勢力の中で関中・中原に進出できたのがどれだけあったかって話
韓信の成功がいかに特別だったかが判る。要は入蜀の時点で孔明の軍事能力に関係なく9割方詰んでた
魏延が「韓信のマネしようぜ」と言ったのに孔明が反対したのもその点から理解できる

33 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 17:17:26 ID:hPl4H7TP0
曹操

呂布戦

袁家戦

劉備戦

全部勝っている

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 17:33:07 ID:QqwEHtfy0
なぜか曹操は曹操ひとりに功を帰したがるダブルスタンダード。

35 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 17:42:19 ID:hPl4H7TP0
曹操は、かなりの割合があるから評価するべきだが
孔明は蜀の建国は他人で、長持ちは呉が大半なので評価はしにくい。

36 : ◆cDxBKQcd4A :2008/03/23(日) 17:53:31 ID:hPl4H7TP0
http://hobby9.2ch.net/chinahero/kako/1184/11846/1184667658.html

曹操スレが見事に落ちる

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:07:01 ID:Q/qBgiH2O
なぜ曹操と比較したがるのかわからんが。
曹操の戦略の根底には「漢帝擁立」があり、
これは彼の勢力の戦略上の優位性に多いに寄与したが
これは荀イクらの進言。
呂布討伐・対袁氏戦に関しては、郭嘉・荀攸の進言によるところも無視出来ない。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:29:15 ID:ee3v2YHQ0
http://www.google.co.jp/search?q=%E2%97%86cDxBKQcd4A&hl=ja&lr=&filter=0

39 : ◆1p9PW1ZyXE :2008/03/23(日) 18:37:20 ID:hPl4H7TP0
でいいだろ

40 : ◆adwxXDSpfs :2008/03/23(日) 18:38:24 ID:hPl4H7TP0
 

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:38:32 ID:ee3v2YHQ0
あぼーんリストが増えるだけ

42 : ◆Z9V/YmoqsU :2008/03/23(日) 18:38:45 ID:hPl4H7TP0
これで行く

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:39:05 ID:hPl4H7TP0
じゃあ名無しで行こう

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:57:05 ID:UORLbb0L0
>>37
つっても軍師達の意見を聞いたうえで総合的にプラスになる判断をするって言うのはトップとしては当たり前だから
そんなこと言ったってしゃーないと思うけど

曹操と比較したら戦い続けた期間とか勢力の拡大版図とか違いすぎると思うんだけどねぇ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 19:03:54 ID:hPl4H7TP0
戦い続けた期間

曹操
30年 たった3敗だけ
孔明
8年 4敗

拡大
孔明
2郡
曹操
中華の3分の2

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 22:42:24 ID:8UYlAlrL0
この連投からはキチガイ臭がプンプンする・・・

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 22:47:14 ID:dbWAZ/HS0
とりあえず曹操の3敗はどれとどれとどれ?
董卓に挑んで負け
張繍に負け
エン州乗っ取られて徐州から撤退
赤壁で負け
江陵を守りきれず
漢中を奪われ
漢中奪回に出たのに空手で帰った
最低でもこのくらいはあると思うんだ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 23:11:33 ID:UORLbb0L0
>>46さん
俺は44だけど45さんとは別人
ID見てから言ってくれ

それに45さんの意見も尊重すべきモンだと思う
むやみにキチガイ臭がプンプンする・・・とか言うもんじゃない


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 23:35:56 ID:hR+nD2hC0
>>48
そういう意味じゃないと思うんだ・・・。
妄信的というか、他人が引くような自論の展開というか
相手にするのがめんどくさいのよ。
水掛け論になるのがオチなんだから。
どうせ、自論を全く譲る気ないんでしょ?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 23:37:07 ID:dbWAZ/HS0
そもそもなんで曹操との比較になってるの?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/24(月) 00:01:35 ID:FRnau/yKO
>>50
むかしむかし蒼天航路という漫画があってn(ry

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/24(月) 01:04:41 ID:qcrCxkzH0
簡単な質問。先生方の一番好きな登場人物は誰ですか?

W先生の回答。日本では曹操の再評価というより学術的な話じゃなくて変な漫画?(場内笑)
の影響で曹操ファンが増えていたり(暗に田中先生のことをさす?)、
呉のファンがいたり(暗にゼミの学生をさす?)するので、いつも肩身の狭い思いをしていた
(後略)

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 22:03:20 ID:/bOfERbM0
はち

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 03:06:01 ID:B0NVvjHMO



北伐なんて無駄

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 04:10:00 ID:hayKfPIpO
今度聞いとくよ。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 10:04:55 ID:bE3nkAPy0
>>1
軍事の才能が無い訳じゃないけど、
最終的な漢の復興という目標を達成するには足りな過ぎた。

これは目標の方が壮大すぎだねえ。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 00:41:44 ID:jxvfJm4SO
戦術家ではなかったよね。政治家、強いては戦略家?ただなあ、軍事的才能は無いっていうのも酷だよね。国力的に大バクチも打てないし。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 21:18:57 ID:fDR7N/q2O
仮に軍事的才能があれば、どの程度の成果を残したんだろ?

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 21:52:33 ID:zNtWJF1d0
天下統一

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 00:43:31 ID:6qOXm7knO
諸葛瞻w

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 05:46:27 ID:K81rjEx40
魏延案を採用しなかったのは評価する。
長安が落とせるか(笑)

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 11:24:08 ID:CCqjiYOfO
だがちまちま削っていけるものでもない。
魏延の策を採らなかった時点で失敗は自明。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 11:28:23 ID:B3DY7clV0
>>62
第一次北伐は別に魏延案程過激でもないが、チマチマという程のものでもないんだが・・・

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 14:59:14 ID:CCqjiYOfO
>>63
一次北伐の戦果は魏延のお膳立てによる。
漢中督として10年にわたり事前工作を積み重ねた成果だ。
魏延が電撃作戦を主張したのも、その成算があってのこと。

逆に二次以降は事前工作を行っていないため魏領内にほとんど侵攻できてない。
どうせ乾坤一擲の戦なら、魏延案を採用すべきだった。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 15:01:13 ID:mHltKAU5O
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事は正史と演義、どちらにも載っている。
また正史で仲達は孔明の事を天下の奇才と評している。
仲達の過大評価か?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 15:12:38 ID:TB5orMPV0
>>正史と演義、どちらにも載っている

三国演義ねぇ。それにあるからなんなんだ、という。
大河ドラマでも歴史故事は採用してる、そういうのと一緒なんじゃないの。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 17:57:53 ID:hrWufYn10
兵力の所以外はある意味軍事の王道の人物だよな、兵站を整えて冒険しない。
兵力差の部分ですでに冒険だからそれ以上の冒険が出来ないってのもあるけど。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 18:54:36 ID:v3gmaEyy0
>>66
それは見解が狭すぎだな
幾ら語り合おうが所詮は昔の話
正史、演義にそれほどの差を設ける必要なんてないだろう
寧ろ、三国演義の方が常識として語られてる
正史なんてあってないような扱いだよ

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 19:28:50 ID:VXvZ0+4s0
それは逆。
正史にもその故事があればこそ、天才軍師孔明は演義で作られた、
という意見にようやく反論できるというもの。
天才軍師はありえないが、少なくとも凡将ではない。
それは正史で孔明が死んだ時に、
司馬仲達が『天下の奇才』と言っている事からもわかる。

70 :68:2008/04/09(水) 19:40:22 ID:v3gmaEyy0
ああ、すまん
俺の文章の下2行が余計だったんだな

ようは正史、演義で温度差を設ける必要なんて
ないだろうと言いたかったのよ
結局は稀代の逸材として語られてるんだから

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 19:46:50 ID:TB5orMPV0
>>68

ほんとうに『三国演義』を読んだことがあるなら、歴史的考察の場(ですよね、ここ)に
ソレをもってくるのが、いかに愚かしいかわかるはずなんだが。
たしかによくできているし、ほかの「演義」に比べれば軍談してますが、
あくまで小説。講談口調だし。萌え要素なども入っている。
ただ、「三国志」というのが世間一般には「三国志演義」を指していることも了解しているよ。
世間一般では(中国)、射鵰英雄伝の郭靖なども実在と誤解してもいるくらい
人気と知名度は、それを詳しくない人には多大なる影響を与えているからね。
自分も演義は好きだけど、正史といっしょくたにはできない。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 19:57:02 ID:v3gmaEyy0
それだけ分かってて何故そこまで頭が堅い
別にスレタイを見る限りでは正史、演義の区別を
つけるよう言ってる感じには見えないが?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 20:09:50 ID:sMT1cfxtO
よく魏延の策がどうのって言われるけど、ホントにそんなに凄いのか?
まるで採用されてたら、魏と蜀の力関係が変わるとか、
魏には全く防ぐ手だてがないとか、それほどの妙策なの??

軍事的な見地から解説してもらえると助かる。
もっとも、専門的すぎると理解できないけど。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 20:19:20 ID:TB5orMPV0
>>72
そうか?
『三国演義』ならば、孔明の才能は世を覆うが、惜しむらくは天のときを得ていないから
逆賊国家魏を倒せなくて、非業の、そして感動的な死を遂げるのでしょうが。
それを「軍才がない」とするところで、アンチ演義なんじゃないのかな。
と、思っていたが…?

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 22:08:09 ID:CCqjiYOfO
>>73
軍事的な見地というわけではないが…

第一次北伐が破竹の進撃となったのには、蜀側による事前工作が奏功したといえる。
現地住民への根回し、魏側拠点の調査、街道や間道などの把握…
これら下準備を指揮していたのは前線司令官の魏延である蓋然性が高い。
その自分の成果に自信があっての長安奇襲策だろう。
逆に言えば、これらの算段がありながら正攻法を選んだ孔明の弱腰も明らかとなる。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 23:41:26 ID:v3gmaEyy0
>>74
だとしたら>>66での意見が紛らわしいな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 04:15:39 ID:m3qzQ2AkO
>>75
維持する事ができただろうか?
長安は守りにくいらしいし,かくわい?も回りに居たと言っている
落とせても維持出来ないだろうと思う

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:56:45 ID:DarlcGV8O
函谷関まで抜けば長安守れそう

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 14:03:18 ID:IvwYSH3Y0
>>75
当時の長安は対北方騎馬民族対策に前後合わせた漢帝国400年の間、常に整備、拡張が続けられた巨大城砦
そういう砦は数万規模の大軍勢による守備に適し、寡兵による守備に全く向かない
魏延の策ではそんな長安を5000の兵で落とし、そんな長安を5000の兵で守るという代物

あとお前は大きく勘違いしてるけど、北伐当時魏延は前線司令官じゃないぞ
また、諸葛亮は北伐の前に年単位で準備してるので、そういう裏工作の主が魏延だという蓋然性も低い
というかわざわざ北伐1年前に諸葛亮は漢中入りしてるんだから方々と連携取ってたと考える方が自然

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 15:33:00 ID:pmJLF10JO
>魏延の策ではそんな長安を5000の兵で落とし、そんな長安を5000の兵で守るという代物

5000という規模だからこそ可能なのでは?
5万もいれば隠密行動もできないし補給も厳しい。
長安に万単位の常駐兵がいるのでもなければ5000で電撃作戦は不可能ではない。

>北伐当時魏延は前線司令官じゃないぞ

え?魏延の経歴調べた?

>諸葛亮は北伐の前に年単位で準備してるので、そういう裏工作の主が魏延だという蓋然性も低い
>というかわざわざ北伐1年前に諸葛亮は漢中入りしてるんだから方々と連携取ってたと考える方が自然

最高責任者は諸葛亮だろうが実施責任者は当然存在する。
219年から227年までの8年間、最前線の司令官て誰だっけ?
てか裏工作って一年かそこらで可能かね?

ついでに言っておく。
北伐は劉備の遺詔だ。それは諸葛亮のみならず蜀人士の悲願。
諸葛亮以上に劉備に傾倒していた魏延が、219年時点から
独断で裏工作を進めていたとしても不自然ではない。
諸葛亮は確かに不世出の人傑だ。
宰相として政務をこなし、軍議を行いながら前線で指揮するなど尋常ではない。
だが果断さでは劉備にも魏延にも及ばない。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 23:17:33 ID:+K2EL42zO
>>80

> 5000という規模だからこそ可能なのでは?
> 5万もいれば隠密行動もできないし補給も厳しい。
> 長安に万単位の常駐兵がいるのでもなければ5000で電撃作戦は不可能ではない。


だから、仮に長安を落としても、確保し続けられないんでしょ!?
戦線の維持が望めないなら、そんな作戦を企画するじたい無理がある。

この件に関しては、正しい判断を下せたのでは?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 01:30:04 ID:rNCFRVXFO
それは史実が傍証になる。
蜀軍が隴西に出ると、隴西諸郡はこぞって蜀に降り魏は関西を失う危機に瀕した。
つまり魏延隊が長安を奇襲陥落させ、諸葛亮本隊が隴西に進出すれば
長安は孤立することなく蜀の頑強な前線拠点となりえた。
蜀魏両軍が街亭で前線拠点を争奪したのと同じ光景が長安を部隊に繰り広げられただろう。
その雌雄は予断できないが、蜀にとってはより有利な局面となりえたかも知れない。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 02:13:01 ID:ZGwv8+MqO
なんか演義と正史を同じに扱えとか、演義を孔明天才説の根拠として認めろとか、無茶苦茶言ってる奴が居るなw
演義にもエンタメとしての価値はあるが、史実が問題なら正史の方が資料的価値あるだろフツー
「史実ブッチで孔明を天才だと妄想するスレ」なら別にいいが

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 05:07:23 ID:V5m1ioOy0
長安は落とせない

85 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/11(金) 06:54:48 ID:bDJw26nQ0
石原、日本のやくざわかっているだろな。よく知っているはずだ。
刑務所になぜいるんだ。お金もらって身代わりだ。みんなばらすぞ。
中国語でかくか。チイソルーペン。
しょうがないな。言語IMEが無理かな。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 08:07:10 ID:bsgcxw1LO
>>82
関羽が襄陽を落としただけで魏領内で叛乱が相次いだから、
長安落とせば維持できるくらいの呼応する兵力は集まりそう。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 13:59:44 ID:p/vJ6/7W0
>>82
史実は確かに傍証になるけども
隴西諸郡の内いくつかの郡は頑強に抵抗し続けて蜀軍に攻撃されるも結局、街亭戦後蜀軍撤退までずっと落ちなかった
隴西が全て蜀に靡いたわけではない
このことから判る事は長安に特攻してたら孤立する可能性大だった

>>86
包囲しただけで落としてないけどな

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 02:15:24 ID:XoA65qikO
襄陽は呂常が守っていて、結局落としてないようだ。
ちなみに襄陽も樊城もは後に呉の陳邵が落としているのが、
火事場の泥棒みたいな行為なのであまり自慢にならんな。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 04:09:52 ID:yXCarqdNO
馬謖がバカなことをしなければなあ。
出来れば兄の馬良に孔明の後継者になってほしかった。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 11:34:47 ID:MdmPTAaB0
>>88
維持できてれば自慢になるけど、維持できてないしな

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 15:36:52 ID:aLJeE+pnO
>>89
それは結果論。
ひとつ間違えば馬謖が大功を立てたかも知れない。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 00:45:25 ID:5+VMpEEIO
諸葛亮は結果オーライにはしないんじゃないか?
仮に馬謖が敵を破ったとしても、何らかの処罰を下すのでは。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 22:13:39 ID:O+KeoWKlO
過去に散々議論したのにこんなスレ立ててる>>1って頭おかしいのか?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 08:33:22 ID:nIC6zWG50
じゃあ全部罵倒にまみれる曹操スレ削除しろよ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 18:46:04 ID:LVjW2Pbh0
北伐は勝つ事が目的なんじゃなく国防の意識を高めるための延命措置なのでわ

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 17:15:17 ID:bNoF4e3v0
孔明は孫策より下だよな。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 16:38:54 ID:y2pETEEi0
天寿?を真っ当した人間と
怨み買い捲りで暗殺された人間

どっちが上かは考えなくてもわかるだろクマー

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 17:09:25 ID:qEklfohY0
ははは

孔明信者はこれだからな

自分を上回る相対的には孔明より厳しい状態で攻め取りまくって政治的にも成功していた孫策と
2群しか攻め取れなかった孔明なら孫作のほうが上だ。


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 17:28:16 ID:hlmRTY0yO
孫策は劉表の領土を掠め取れなかったわけで。
そもそも後漢末の流動的な流れと三国時代の固定的な状態では比較不可能。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 18:28:35 ID:RGhCOReA0
ゲームの話じゃないの?

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 19:27:39 ID:qEklfohY0
孔明信者は頭おかしすぎるだろ。
孫策が勝った敵は孫策より強かったわけだ。
しかも劉表を攻めるよりももっと他の敵を攻めていた期間がおおきい。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 20:59:10 ID:hlmRTY0yO
なんで「頭おかしすぎる」とか個人攻撃するんだ?
それじゃ議論も成立しないぞ。
一応劉ヨウや厳白虎と曹真や司馬懿じゃ格がちがうということは言っておく。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 21:24:00 ID:qEklfohY0
意味がわからない。

孫策の劉ヨウの方が
魏より強敵だったことだけは確かだ

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 23:17:18 ID:qEklfohY0
そもそも、

97 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/04/21(月) 16:38:54 ID:y2pETEEi0
天寿?を真っ当した人間と
怨み買い捲りで暗殺された人間

どっちが上かは考えなくてもわかるだろクマー

なんて頭がおかしいレスに対して頭がおかしいと書いた


そして、劉表の領土なんていうまたまた頭がおかしいレスに対して

頭がおかしいtかいた。


なぜ孔明信者は頭がおかしいとレスされたら個人攻撃とかほざいて正当化するんだろうか。
反省なり反論なり城夜ボケ

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 00:07:41 ID:tfrEeAnP0
1000人ぐらいの兵を袁術から借りて呉群を平定したんだろ、孫策は
対して諸葛亮は何人の兵を使って北伐失敗したんだったっけ?w
街亭で負けなかったらとか言うけど街亭で勝ったところで
魏にその後勝ち続けることは不可能

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 10:34:09 ID:TieAOGeh0
>>101
んじゃあ孫策よりも強かったという証明は?
史料を根拠とした数字で表してもらえるかい?

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 10:36:28 ID:Sd5KTKtq0
ははは。

1000で補給すらない軍隊を率いていた孫策が、袁術を撃退していた劉ヨウより強いのか馬鹿

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 10:41:41 ID:Sd5KTKtq0
孔明信者は頭がおかしいが、俺は孫策信者ではない

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 14:55:18 ID:we/VjBFHO
そもそも「孔明の北伐なんて無駄」っていう意見には陳寿も同意だろ。

それから比べたら孫策の武勇と周瑜の軍師的才能のほうが歴史的評価は、はるかに上。

まあ結論を言えば「北伐なんて無駄」

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 15:34:39 ID:TieAOGeh0
>>109
無駄だと思ってたら季漢輔臣賛なんて採録しない
あの内容は「諸葛亮は勝てなかったけど北伐やって凄かった」だぞ?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 16:01:31 ID:dFALQdPE0
142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 01:17:53 ID:o/Ns5Xem0
孔明やら曹操やらの基地外アンチスレが存在自体うざい、三戦でやれと言いたい
せっかく歴史に関心持ちながら、人物の優劣を決める基準が戦いの勝敗だけって
自分で勿体無いと思わんのかね。しかもその勝敗すら公平に判定できてない
一応は隔離病棟として機能してるし、まじめな考察系スレを荒らされるよりマシだがな

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 18:40:39 ID:g7v7p0d70
糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ
糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ
死死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
その老いたすがた気持ち悪すぎ
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その老いたすがた気持ち悪すぎ
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その老いたすがた気持ち悪すぎ
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113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 21:11:04 ID:AVwPjCaFO
馬謖。
馬良なぜ死んだ!
孔明の後継者はお前なのに(涙)

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 21:41:53 ID:SKxxS/Q+O
でかい釣針だな

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 22:26:18 ID:we/VjBFHO
>>110
>北伐やって凄かった


北伐に対して陳寿はそんな評価しとらんよ。

陳寿の北伐に対しての評価ははっきりと「孔明に軍事の才能は無い」って批評してるじゃん

それから比べたら孫策の武勇と周瑜の軍師的才能のほうが歴史的評価は、はるかに上

まあつまりなんて言いたいかと言うと「北伐なんて無駄」

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 22:39:15 ID:7o6M4lNk0
なんで今頃こんなこと言ってるやつが出てくるよ。
>>「孔明に軍事の才能は無い」
ソースよろ。
まさか、「然連年動衆,未能成功,蓋応変将略,非其所長歟?」
で、軍才が「無い」とかほざいてるんじゃなかろうな?もっと漢字勉強せい。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:35:03 ID:QswNoVa50
>>115
>孫策の武勇と周瑜の軍師的才能
2対1ですかw
ばーか、ばーか、おたんちんw
なら、劉備+法正の方が上だーいw

劉表すら倒せなかった、孫策は屑。
ぶっちゃけ怨まれすぎだろ、孫策は。…陸氏にも怨まれてたし…
政才は皆無だね。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 09:25:42 ID:g+vNyYDl0
孫策伯符は本当に覇王か
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1197027808/

【孫策】 小覇王 【周通】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1192458289/

孫策はスレ違い。孫策のスレにいけ。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 10:21:06 ID:GOmJr/kg0
劉表とはほとんど戦ってないんだが

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 10:27:46 ID:56KoXJyq0
>>115
どーせ>>116の白文読めないんだろ?

然ども連年衆を動かし,未だ成功能わざるは,蓋し応変の将略,其の長ずるところに非ず歟
しかし毎年軍を動員しても成功出来なかったのは、もしかしたら応変の将略が得意ではなかったということかもしれない

その前に
可謂識治之良才,管・蕭之亞匹矣.と述べられていて
管夷吾、蕭何と比較されるわけだが、ずっと後方支援してた蕭何はともかく
管夷吾の方は軍事的にも成功を収めてる
そういう人と比較しているのだから、陳寿は諸葛亮が軍事的に無能だとは思っていない
ただし、得意ではなかったのかもしれないとは思ってる(他の面があまりにも凄すぎて比較すると見劣りするという程度だが)

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 16:02:02 ID:jZ8kSa8aO
でも諸葛孔明死んでから蜀はかなり続いたんだね。
誰が丞相やってたの?
廃止して合議制にしたの?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 16:14:08 ID:23OB9ZEyO
八陣図を完成し残した男が軍事的才能がないなどと…
因みに後に晋の馬隆が孔明の兵法を用いて異民族を平らげる功をあげている
また陸抗が羊コを「楽毅、諸葛亮も彼には及ばない」と評している
じゃあ何でそんな兵法家が連年兵を出して成功しなかったかというと、臨機応変さに欠けてたからかも知れないなあ
…って陳寿と同じ結論か

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 16:14:19 ID:56KoXJyq0
>>121
それくらいは自分で調べろ
基本的には諸葛亮の残した権力機構のトップがそのまま国の指導者になってる

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 16:27:18 ID:GOmJr/kg0
馬隆ばかりだよね孔明を指示する人って


だったら曹操最強だな

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 16:47:03 ID:A7WC02dd0
諸葛亮が開発した武器や防具というのも残っている。
連弩元戎。明代の諸葛弩はこれに仮託したものと言われるが、レプリカというわけではないらしい。
筒袖鎧。三国末期から南北朝初期にかけてよく使われた防具。
軍隊の運用では八陣は有名。
など、諸葛亮の名は結構見られる。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:20:03 ID:GOmJr/kg0
八陣は孔明が作ったわけではない。

筒袖鎧

こえも孔明は作ってない


孔明信者の特徴

孔明が作ってないものを孔明に帰する

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:30:32 ID:A7WC02dd0
>>126
ほぉ。とりあえずモノは知っているようだね。ググったの?
しかし可能性は否定できないんだということも、知るべきだったね。
で、軍才が「無い」のソースはまだかな?
訳文は120さんがやっちゃったからアレだけど。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:33:57 ID:2npamHXH0
>>124
李靖の六花陣は孔明の八陣図を基にしてるという話もあるよ

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:39:25 ID:23OB9ZEyO
>>126
言っとくけど八陣と八陣図を混同しちゃいかんよ

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:42:27 ID:l39VuS5VO
実際には幕僚が考案しただけだろ。
多忙きわまる一国の宰相が戦術レベルの用兵を研究するヒマなどない。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:43:59 ID:GOmJr/kg0
歴史で考えると項羽と劉邦の逸話が大きすぎる。
曹操はネームバリューが低いし小粒すぎる。
だけど巨人だ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:47:11 ID:2npamHXH0
>>130
まったくだ、曹操が孫子の註約してたなんてありえないよねw

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:48:34 ID:GOmJr/kg0
曹操は文化史では巨人だろ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:50:46 ID:qybK88vU0
筒袖鎧については、宋書や南史の殷孝祖伝に、
「御仗先有諸葛亮筒袖鎧」とあるけどね。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:51:19 ID:GOmJr/kg0
なんだその疑わしい本は


三国志正史に出てこなかったら駄目だ

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:53:25 ID:LHpSMGwi0
>>133
そうでもない
器用貧乏なんだよ、曹操は

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:56:05 ID:GOmJr/kg0
詩では当時詩聖だし

孫子の功績も

酒も

息子も詩がうまい

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:59:29 ID:qybK88vU0
>>135
そりゃ正史とは言え諸葛亮の死の数百年後に編纂されたものだから、
信用したくないと思うのは勝手だけど、三国志に記述が無ければだめだ、というのは了見が狭いように思う。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:00:03 ID:GOmJr/kg0
そんな功績なら精子に名前出てくるだろ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:04:33 ID:A7WC02dd0
>>131
悪いけど、それはアンタの頭の中だけの話だ。
他の時代の逸話を知らんだけだろ?認めたら楽になるぜよ?
みんなちゃんと教えてくれるんだから。
意地張ってるとおちょくり倒されるだけ。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:04:33 ID:qybK88vU0
>>139
諸葛亮集の散逸してしまった部分にあったのかもしれんよ。
と言うか、正史に書かれていなければ駄目という事は、
裴松之が注に引いているものも否定するってスタンスかい?

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:07:07 ID:LHpSMGwi0
>>137
当時というのがショボい
詩の巨頭と言えば陶淵明、李白、杜甫
これらのネームを超えられないことにはね

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:08:07 ID:A7WC02dd0
なんかちょっと前、伝が無いからと言って、李儒も華雄も架空の人物とか言ってたヤツがいたっけ。
司馬懿も架空でしょうか?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:17:18 ID:GOmJr/kg0
何かあると項羽と劉邦

が中国だろ

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:17:42 ID:RqYW7N/FO
そいつらは名前だけ一緒の別人だろ。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:26:03 ID:FaDftuoU0
ついでに言っとくと孫子に注釈をつけたのは曹操だけじゃない
というかむしろ曹操はいろんな人が注釈つけて肥大化した孫子を整理した人

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:28:21 ID:c7gCeF+R0
三国志は諸葛亮の死後約半世紀後に編纂されたので
>>135もアレだが>>138もアレだな

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:38:34 ID:GOmJr/kg0
曹操は詩ではトップ10に入るだろ


孔明が発明した根拠が数百年後の書物で朱子学後

意味が無い

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:39:33 ID:bo/H9xSO0
陳寿は諸葛亮集を編纂してるくらいだから孔明に関してはまだマシだろうが
曹操や劉備となるともうまったくの伝聞便りだったんだろうなと思う

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:40:55 ID:A7WC02dd0
>>147
>>138の言ってるのは《宋書》《南史》のことでしょ。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:41:00 ID:UBUx3oKG0
孔明は、軍事の才能が無いのではなくもともと政治家指向の人間であり

天才軍師=孔明というのは三国志演技及びゲームのイメージがあまりにも

強くそれが人格成長期の少年少女時代に読み、聞き、見ると大衆が生んだ

立派な知的な英雄像として完成する。三国志の時代は動乱の時代であり

統一された後であれば、守成期における国家の偉大な政治家となっていた

のではないだろうか。もちろん歴史にタラ・レバはないから空論に過ぎない。

いつの時代も軍略とは政略のことだからね。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:47:06 ID:bo/H9xSO0
第一曹操の詩とやらが載ってる文選って書物も曹操の死後300年後ぐらいの書物なんだけどな
まあ馬鹿か馬鹿を装ってる荒らしだろうからこんなこと言っても無駄だろうが

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:56:17 ID:GOmJr/kg0
曹操の詩は、詩だから残り続けた謡われ続けただろう。

しかし孔明の功績は精子に乗ってるはずだ馬鹿

孔明信者は何が何でも肯定

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 19:56:46 ID:GOmJr/kg0
連弩元戎は掲載されてるのに 哂

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 20:52:18 ID:g+vNyYDl0
孫策の次は曹操?

まんがそうてんこうろん(笑)でも読んだ馬鹿か?

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:11:04 ID:l39VuS5VO
えらい加速したなw

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:34:39 ID:C7iTzurP0
諸葛亮はもともと兵の雇用体制について進言したのが見込まれたスタートっちゅう話だから
やっぱ出身は文官で軍事は畑違いみたいな所あったんだろう。劉備も入蜀するまで単独で指揮は取らせてない。ベテランの軍人とセットで使ってる
専門じゃねーのは確かだな。そのうえで曹操や孫策みたいな現場の能力まで期待すんのはムリな話だろう。むしろよくやった方だ。1回目の北伐以外ボロ負けするようなことはなかったんだから

つーか諸葛亮は北伐が本気で成功すると思ってたんだろうか?北伐そのものが中国史全体でみても数えるほどしか成功してない大事業なのに
蜀の地理条件や国力じゃどう考えてもムリだと思う

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:35:58 ID:GOmJr/kg0
曹操を否定したな

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:40:57 ID:C7iTzurP0
曹操くらい何でも屋気質な人間もそうそういないぞ
こう書くとまんがそうてんこうろん(笑)でも読んだ馬鹿か?って言われちゃいそうだけど
三国志の中では万能すぎ

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:42:56 ID:C7iTzurP0
念のため言っとくけど「万能」とはいったが「全能」とはいってないからねw

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:46:32 ID:L36SnCdxO
曹操は何でも屋みたいなかんじだな

孔明は軍事での臨機応変が苦手ってなかんじだな統制力はあるみたいだけど

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:46:39 ID:g+vNyYDl0
石勒は曹操を否定したねぇw

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:47:52 ID:C7iTzurP0
石勒は神様かなんかか?
偉人だって人間だぜ。絶対評価はありえない

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:50:29 ID:A7WC02dd0
文官が全体の指揮をとり、武官が最前線での戦闘指揮を執るのが常態なんだよ。
あるいは監軍として武官の目付け役に文官が置かれたり。
だから文武の軋轢もできるし、逆に武官優位になりすぎると収集つくのに時間がかかる。
それを群雄割拠というがな。
治にはいるときは、だいたい文を重視していく過程になるのと違うかな。

>>数えるほどしか成功してない

秦嶺や大散関を越えての成功と言えば、漢中から出発した韓信(劉邦)しか知らない。
五代十国中期に、一度後蜀が大散関、子午谷と二方面から長安(京兆)を伺ったことがあるけど
陳倉付近で足止めされ、また子午谷から出てきたところで遭遇戦になって大敗している。
そのときの指揮官はそう無能でもないし、6万の大軍だったのにも関わらず。
まぁ、長安での寝返りを約束してたヤツがあっさり反故にしたっていうのもあるけどw

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:54:36 ID:g+vNyYDl0
詩とか、軍才に関係ない話をしているから、石勒の名前を出しただけだが?
あの人字読めないし。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:56:59 ID:bo/H9xSO0
>>163
神様ではないが曹操よりは戦争は強いだろうな
あと「孤児(献帝)をだまして天下を取った」ってのは事実だからしゃあない

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:03:29 ID:GOmJr/kg0
曹操に討伐された騎馬民族が調子に乗るな

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:06:30 ID:g+vNyYDl0
・・・すまんID:GOmJr/kg0って馬鹿か?

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:07:33 ID:YbvKpbK60
「大丈夫たる者は事を行うにあたって、日月のようにはっきりしていなければならない
 曹操や仲達のように、孤児や寡婦を騙して天下を盗み取るようなことはできぬ」
強い弱い以前に男として許せない奴だと思ったみたいね石勒は
すげーかっこいいよこの人

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:08:54 ID:GOmJr/kg0
曹操に対する妬みにすぎない。
彼は天下の大半を取ることが出来なかった。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:10:20 ID:C7iTzurP0
俺は個人的には奴隷から身を立てた石勒が好きだがそいつの人物評を引き合いに出して曹操の評価を出すのはお門違いだと思ったから反論したまでだ
あと俺は詩についての功績は多大だと思うけど今の話題については関係ないので今はそのことには触れてません


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:13:01 ID:C7iTzurP0
>>170
いや、それは賛成できない
確かに版図は曹操より狭いけどそれだけで評価を下すのは早計

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:13:43 ID:hmqh5Grt0
>>170
石勒は天下の大半取ってるぞ
魏より広いくらいな

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:16:15 ID:GOmJr/kg0
は?魏より狭いだろ。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:17:11 ID:GOmJr/kg0
レベルが低い5湖時代で頑張ってもなあ。
曹操にあっさり粉砕された騎馬民族が英雄亡き後混乱に乗じただけ。
もし曹操が生きてたら討伐されて終わりだったな


176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:19:19 ID:U35NuBHN0
ID:GOmJr/kg0=>>1

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:21:57 ID:Gd0RQGqS0
>>128
李衛公問対だな
「わたくしの『六花陣法』は、諸葛亮の『八陣法』をもとにしたものです。大きな軍陣のなかに小さな軍陣があり、大きな軍営のなかに小さな軍営があり、
八つの戦隊がつながって中軍を囲むように折れ曲がり、前後左右が対称になっているのが、『八陣法』による陣法です。
 わたくしの考案しました『六花陣法』は、この『八陣法』にもとづいたものですので、外側の六つの戦隊は方陣で、それらの戦隊に囲まれた内側の中軍は円陣で、
うえから見るとまるで花びらのようなかたちをしています。ですから、『六花陣法』と呼ぶのです」
「@陣形が方形になるのは、歩調をあわせるからですし、A陣形が円形になるのは、奇策をくりだすからです。@方形にすることは、隊列をととのえる手段ですし、
A円形にすることは、動きを円滑にする手段です。そこで、@隊列は、大地のように安定していなければならないので、このように方形となり、
A行動は天空のように連動していなければならないので、このような円形となるのです。こうして隊列が定まり、行動がととのえば、
陣形が臨機応変に激しく変動しても乱れることはありません。この『六花陣法』は、中軍をとりかこむ戦隊の数が八から六になっているわけですが、
しかし諸葛亮の『八陣法』から逸脱したものではありません」

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:22:31 ID:g+vNyYDl0
>>170
まんがそうてんこうろん(笑)読んで、満足してれば?
曹操スレもあるだろ?ソコ行ってこいよ。



で、諸葛亮の話題が消し飛んでるんだが…

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:23:22 ID:A7WC02dd0
>>175
ええと… なんかデジャヴ。前スレの自称中学生か、おまい。
まず、誰が曹操に粉砕されたって?
そこから行ってみようか。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:30:29 ID:IVPzy1Po0
太宗問他:「卿所用六花陣法出何術?」
李靖回答:
「臣所本諸葛亮八陣法也。大陣包小陣,大營包. 小營,隅落鉤連,曲折相對,古制如此,
臣為圖因之;故外畫. 之方,內環一,作畫之圓,是成六花,俗所稱耳。」

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:30:37 ID:x3fybeSA0
ID:GOmJr/kg0=ゴンタJrであり、頭の中身0kg

174は正しいといえるが、曹操の版図は最後まで、後漢のもの
減った領土を取り返しただけともいえる。石勒は全て己の版図

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 23:31:38 ID:XQxw/oddO
北伐なんて無駄

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 23:41:53 ID:g+vNyYDl0
曹操は存在が無駄

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 23:49:13 ID:C7iTzurP0
>>曹操にあっさり粉砕された騎馬民族
多分これ曹操が帰順させ移住させた北方民族のどれかのことだと思う

あと事実上後漢を乗っ取ってたんだから漢のモノってのは名目だけで今言うことじゃないと思う
漢の中に魏って国があるから実際不可分だし

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 23:57:20 ID:LHpSMGwi0
曹操って日本人が勝手に過大評価してるだけなんだよな。
日本における三国志演義の小説や漫画でダーティヒーローに押し上げてもらって
それにえらく感銘を受けてしまった本書き連中がやたらと史書の存在を
持ち上げ始め曹操マンセーと気が狂わんばかりに書きたてる。
そういう本を見て洗脳されてしまった世代はすっかり誤解してしまいましたとさ。

中国では再評価されてる?
若干はマシになった程度だよ。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 00:03:47 ID:7KpYwva00
>>177
それを孔明アンチに言ったところで仕方ないよーな気がする
別の場所で六花陣のことを指摘したら、
「李靖は過大評価されすぎ。突厥は弱っていたから負けて当然」
と言い出し始めたからなぁ…

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 00:11:47 ID:88G92aw1O
そもそも「諸葛亮は軍才が無かった」ということを、他者と比較することで証明することは厳しいと思う。
例えばいま曹操が比較対象として挙げられているが、諸葛亮が彼より軍才を欠いていたとしても、
証明出来るのはあくまでも「諸葛亮は軍才において曹操に劣っていた」ということだけだ。
つまり何がいいたいかというと、何をもって軍才があるとし、何をもって軍才がないとするか、という客観的基準を設ける必要があると思うのだが。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 00:13:14 ID:EdDcRVvF0
曹操で戦べたなら孔明なんてゴミだ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 00:43:44 ID:psyOx4YE0
曹操を貶めたところで、諸葛亮の軍才が高く評価できるわけでもないもんなあ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 01:15:29 ID:EZjBEF21O
>>186
まず、その仮託されただけの書物は置いといて…


李靖の評価については、それはそれで別スレ立てて議論する命題なのでは?

確かに某作家の某作品以来、まるパクリの文章のせといて
「だから偉大です。中国史上、最高の武将です」
って発言には食傷気味なんだが。
そんな発言を見ると、過剰評価しすぎでは?とは思う。
いち個人が勝手に決めた条件に当てはまったからといって、
その人物が評価されるとは限らない。

ある人物を評価したいがため、その人物に当てはまる条件を勝手に決めたなら、
意図的に、その人物の評価を上げることができる。

その条件に作意的な意図が含まれてないか?
その正当性は検証して然るべきだとは思。


つまりナニが言いたいかというと、李靖の話はまず外せと。
ましてや、李靖に仮託された疑いが強く、
李靖が評価してたという論証にならないモノは、この際、外そうよ。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 08:05:27 ID:C+PeZnZ00
分かった、じゃ兵法書である「李衛公問対」の作者には
諸葛亮は古代の見習うべき優秀な兵法家として挙げられているということで
ちなみに最初に言っとくけど曹操の話も話題として出てくるからねw

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 10:46:37 ID:bXip5HAi0
>>137
当時の詩聖の名は曹植が縦にしてて曹操なんかかすりもしないんだが
唐代の評価では曹操は下品、曹丕が中品、曹植が上品
曹植は詩聖の名を杜甫に明渡した後も詩仙として今も称揚されとる

>>139
三国志ではそういう事は書かれない
あれは国家の動きにのみ特化して書かれた史書だ

>>151
自分を管仲、樂毅に例えてる人間が政治志向なわけないだろ
こいつらどっちも文武両道

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 10:47:58 ID:bXip5HAi0
>>191
曹操の軍の編成は古式に則って戦車一台に歩兵云々って話しもあったな

曹操って物凄いガッチガチの保守派だよね

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:27:21 ID:EdDcRVvF0
>三国志ではそういう事は書かれない

個人の伝が書かれているかぎり何かそういう発明をして国家に貢献した功績がかかれて当然だ

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:35:43 ID:bXip5HAi0
>>194
国家のダイナミズムに関係のないことは基本的に書かれないのが三国志

実際に神刀、蒲元の名前が全く出てこない
10年前後の抗争を繰り広げて魏側にはチョコチョコと戦功が書かれるけども蜀側には全く記載のない荊州攻防
発明家として有名な馬均も本文には登場しない
大まかな事以外本当に何も書かれてない

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:39:03 ID:EdDcRVvF0
どこで見ても孔明が元戎はともかくよろいを発明したなんて無いよな。
南史は朱子学だろうし。


詩はかかれないものだ。
詩の本なんて消える。今の漫画みたいなものだ。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:46:18 ID:bXip5HAi0
>>196
筒袖鎧もそうだし槍も諸葛亮の発明
当時は戟や矛が主流だったが武器の王と後に呼ばれる槍に改良したのも諸葛亮

朱子学だから、は理由にならない
明確に否定する他の証拠を出せ

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:48:43 ID:EdDcRVvF0
肯定する根拠出して欲しいよな。

数百年後の朱子学隆盛時代の書物なんて話にならない。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:49:46 ID:EdDcRVvF0
旧石器時代には既に人類は槍を使用していたことがわかっている。

旧石器時代には既に人類は槍を使用していたことがわかっている。

旧石器時代には既に人類は槍を使用していたことがわかっている。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 11:51:53 ID:EdDcRVvF0
孔明信者


旧石器時代には既に人類は槍を使用していたことがわかっている。

旧石器時代には既に人類は槍を使用していたことがわかっている。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:07:53 ID:xniuSaBCO
南史=朱子学にコーヒー吹いた

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:23:32 ID:EdDcRVvF0
朱子学でも曹操は巨人だね

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:24:37 ID:TCJ/0l/t0
>>201
そこにはあえてツッコまなかったのだが。
朱子学は唐代にあったとははじめて知った。
上の《宋書》も、もしかしたら《宋史》と勘違いしてるかもしれない。


204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:32:35 ID:bXip5HAi0
>>200
残念ながらそれは石槍な
金属製の槍はずっとあとの武器
槍ってのは穂先が金属で出来てる物を指すという日本語さえも理解してない子なのね

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:37:45 ID:Syup1/LS0
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news2/1192185408/14
人権派左翼の女の子たちもエッチのときはアンアン喘ぐんだなw


206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 13:13:08 ID:EdDcRVvF0
ははは
石槍自体が、槍として使われていたなら金属でも同じのが使われるのは至極当然だろ。

よく考えてみろ?

ローマだって槍使ってるぞ?ロンギヌスは孔明以前だろ馬鹿。


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 13:13:54 ID:EdDcRVvF0
そうだったな500年は唐じゃなくて陳あたりじゃないか?
300年後なんて伝承に過ぎない。

中国しか知らない。


208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 13:39:34 ID:TCJ/0l/t0
>>207
もうやめれば?
そろそろ支離滅裂になってきてるぞ。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:04:14 ID:35k8qZl10
朱子学の言葉が出てきてるのなら、朱子学的に考えていいのか?

なら、正統王朝は、漢(後漢)、漢(蜀漢)、西晋。
曹魏はゴミ。

孔明=漢の功臣

曹操=漢の逆臣

って、評価になったりする。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:14:26 ID:EdDcRVvF0
違うな

曹操→漢民族の敵である騎馬民族を倒した
漢民族の帝を保護した。

孔明→頑張って北伐した。

だな。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:21:29 ID:TCJ/0l/t0
>>210
だから、誰が誰を倒したって?
そのあとの五胡流入ではどうなったんだ?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:24:22 ID:35k8qZl10
>>210
あちゃー、朱子学、朱子学言ってるから、少しは勉強してると思ったんだが。
朱子学自体を全く理解出来てないんだね。
こりゃ話にならんw

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:27:18 ID:35k8qZl10
>孔明→頑張って北伐した。
何これ?

朱子学はそーゆー評価はしねえよw

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:52:20 ID:TCJ/0l/t0
>>204
今確認したけど、長兵器としての今で言う「槍」を軍事利用に用いたのは諸葛亮だったんだね。
これは知らなかった。
それまでの槍は漢字の意味どおりの「先端を尖らせた木」だったようで、使用目的は敵の侵入を
防ぐためのものらしいね。
矛がその元ネタになっているようで、ゼロからの発案ではむろんないけど、その後槍が主要
兵器として君臨しえたのは、たしかに諸葛亮の発想の転換かもしれない。

槍で有名な人物に、五代の王鉄槍(王彦章)、白杆兵の秦良玉がいる、だそうだ。
『武器と防具 中国編』より

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 15:00:45 ID:cOz53KFyO
孔明は万能かよ
諸葛亮集が現存してないのが惜しいな、他にどんな著作を残してたんだろうか

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:08:21 ID:psyOx4YE0
>>211
五胡の責任は西晋政府のものだろ?
長城内に異民族を導入するのは後漢時代からずっと行われてきたことだし、
魏王朝時代には異民族は特に問題は起していなかった。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:19:51 ID:uCiknoCK0
当時の中国では発明の技術って程度の低いモノとしてみなされてたみたいだからな
功績云々はともかくそういう方技の類を一国の宰相がやってたってのは面白い話ではある

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:20:01 ID:TCJ/0l/t0
>>216
違う違う。
曹操が漢民族の敵である騎馬民族を倒したって言ってるでしょ?
しかし五胡流入では幾多もの騎馬民族が漢民族の中原を争ったでしょ?
曹操が脅威を取り除いたというわけではないんだよ。
過大評価しすぎてはダメ。
ということ。
前はそれで、突厥を滅ぼした李世民は曹操よりはるか上という話題になって
唐李氏は鮮卑系だから漢民族じゃないからカウントしない、とかいうアホな
流れになった。つまり、前例があるんだ、今の流れw

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:23:44 ID:uCiknoCK0
まあ後の五胡が曹操の責任ってのはさすがに結果論ってかこじ付けだね
曹氏の代は北方の異民族は帰順してたし異民族を軍に取り入れたりするのは曹操以前からあるやり方
こいつらを押さえ切れなかった晋の問題

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:35:31 ID:TCJ/0l/t0
>>晋の問題
別に曹操のやり方にケチをつけてはいない。
烏丸なら烏丸と言えばいいのに、なぜ騎馬民族と広義の名称を使うのか。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:36:09 ID:xniuSaBCO
>>219
曹操一人の責任ではないよ、確かに
でも魏の時代から危険性を指摘する声はあったが軌道修正もままならず、百年しないうちに最悪の事態に至ったことになるから、まさに国家百年の大計を誤ったとみなされてもやむを得ないよ
後漢以降の異民族南下を押しとどめることができなかったばかりでなく、推進したことになるんだから、それまでもやっていた、は理由にならない
やりすぎだった、という点では曹操にも責任はあるよ

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 17:17:12 ID:35k8qZl10
異民族問題は、新の王莽や、光武帝から考えないと駄目かもね。

光武帝が長安に都を置けなかったのが原因の一つでもあるから。
まあ、光武帝の治世では異民族問題は安定してたけれど。

次の後漢明帝の時代には班超が出てきて、匈奴の片割れをボコボコにしてる。
でも、章帝以降が・・・ねぇえ?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 17:27:37 ID:mQKIxuYv0
4〜5世紀はゲルマンやら五胡やら、ユーラシア大陸の東西で民族大移動が起こってる
大陸の気候変動が引き金になったとか言われるようなグローバルな現象を
個人の軍事の才能や王朝の力の責任に帰するのは無謀じゃないか?
それに化外の者の侵入を許すことまかりならん、みたいな流れになってるが
そもそも中華思想をおれたちが共有する必要もない

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 17:44:25 ID:EdDcRVvF0
中共は曹操を崇拝している

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 17:51:28 ID:35k8qZl10
うわーい。中華思想って学術的に言ってねえし…

中華思想ってーのは、
中国(シナって言った方がいいか)漢人だけの物じゃないよ。

日本の水戸学とかも中華思想。
水戸学的に江戸時代の中華(世界の中心て意味)は日本。
清を中華と認めてないよ。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:07:42 ID:O3bTuRW40
章帝以降も班超存命中は後漢の対外関係は安定してたよ。
章帝の帰還命令を班超が無視したおかげで結局西域は班超存命中は無事に統治されてた。
班超の死後はgdgdになっちゃったけど。


227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:19:53 ID:cOz53KFyO
目先の利益に惑わされて後に禍根を残したのは曹操の責任ではあるけど
そんなの予測するの無理じゃん、超世の英雄ってわけじゃないし

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:22:40 ID:EdDcRVvF0
超世の英雄だ

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:28:31 ID:35k8qZl10
>>228
で、その超世の英雄さんは、どの騎馬民族を粉砕したんだ?
はよ答えろw

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:33:58 ID:TCJ/0l/t0
>>229
ついでに《南史》あるいは《宋書》がいつの時代の正史であるかも聞いてみて。
さらに朱子学がいつの時代のものかもね。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:46:07 ID:EdDcRVvF0
鮮卑

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:47:21 ID:oNujN4oJ0
超世の傑、そもそも非常の人言うべし

これって中国語ではどう読むんだろうな?
個人的な妄想に過ぎないけど、非常を「非情」に置き換えると
面白い意味になる気がする。
「世を超えかの傑王が現出、非情な人間だしな」
とかにもなる。
なに?妄想のいきすぎに加え、史書の意味を勝手に解釈するな?
へいへい、すんません。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:50:46 ID:Ygzf8vrF0
>>223
永嘉の乱がいわゆるアジア版の「民族大移動」なのは間違っちゃいないが、
その視点だと、曹操が異民族を討って従えていたことにも意味が見出せない(単なる圧制者にしかならない)し、
永嘉の乱も別に晋に責任があるとか云々することではなくなる

民族大移動という大変動自体は不可避であるなら、出来る限り被害を抑え、漸進的に進んだ方がいいだろう
そうならなかった、しなかったという点に曹操や西晋に問題があるんだよ

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:52:28 ID:EdDcRVvF0
精神に問題がある

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:01:35 ID:35k8qZl10
>>234
そうか、ID:EdDcRVvF0の精神が問題か…なんてなw

鮮卑ってどの鮮卑?

鮮卑にも種類があるのは解るよな?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:12:42 ID:5lt7j9iE0
>>228
実際には超世ではなく50年に1人くらいの英雄だったということだろう
仲達もいるし

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:12:45 ID:EdDcRVvF0
鳥丸と匈奴とテイ

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:13:11 ID:EdDcRVvF0
仲達は曹操にへこへこしてただろ

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:16:49 ID:EdDcRVvF0
西晋に問題がある

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:17:25 ID:35k8qZl10
>>237
はいダウト!
匈奴は鮮卑族じゃありませんw

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:19:20 ID:EdDcRVvF0
アホだ。

匈奴も鮮卑もテイも服属したんだ。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:21:59 ID:TCJ/0l/t0
諸葛亮も南b(ry
いや、なんでもない…

>>232
中国語ではって、発音のこと?
意味ならそのまんま。
当代に冠絶した人傑。普通でない人(とかいうと変態みたいだがw)。
ちなみに、夏の桀王とは字が違うよ。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:23:08 ID:35k8qZl10
>>241
またダウト!
南匈奴は曹操活躍以前から後漢の支配下w

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:25:18 ID:EdDcRVvF0
ははは

しかし曹操も服属させてたのは事実だな


245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:26:10 ID:35k8qZl10
ってか、全鮮卑族を曹操が何時倒したんだかw

湧いてる?君w
ってか釣りかな?これらw

246 :232:2008/04/24(木) 19:26:17 ID:oNujN4oJ0
>>242
そういう意味だったか。
丁寧に教えてくれてアリガトさんw
やっぱり俺の単なる思い込みだったね。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:26:56 ID:EdDcRVvF0
打倒と服属は事実だろ?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:29:26 ID:Ygzf8vrF0
鮮卑はむしろ魏の時代以降に中原への干渉が活発化してるだろう

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:30:23 ID:EdDcRVvF0
しかし服属は事実だな

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:31:42 ID:35k8qZl10
>>247
うん君の頭の中だけだと思うけどねw


って、討論しない人なんだねー。そうてんこうろ読んでなさいw

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:32:36 ID:EdDcRVvF0
事実を覆してもなあ。
曹操に服属したぞ、鮮卑の大半は。
離反しても暗殺されたし。
曹操に逆らった騎馬民族はいないな。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:36:43 ID:+/W382vg0
>>251
騎馬民族が何種類いると思ってるんだ…

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:38:23 ID:Ygzf8vrF0
諸葛亮は官位を得てからはそもそも一度も軍事を職とする官から離れたことがなく、本人も軍事的能力に自信を持っていた。
益州攻めでは張飛と共に兵を率い、南征すれは半年で平定した。敵将からも賞賛されている。
当代第一であることに異論はあっても、「軍事の才能は無い」なんてのは妄想もいいところだろう。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:40:32 ID:35k8qZl10
…もしかしてID:EdDcRVvF0=>>1

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:40:46 ID:EdDcRVvF0
南征 大軍
益州 通っただけ



256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:43:04 ID:TCJ/0l/t0
>>255

おい。大軍なら勝てても大した事ないらしいぞ。
これはもしかして、赤h(ry とか漢ty(ry とかわざわざ引き合いに出さざるを得ないのか?

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:44:32 ID:Ygzf8vrF0
益州攻めについてはちゃんと諸葛亮、張飛、趙雲が分かれて郡県を平定したと書いてあるのにな

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:44:51 ID:35k8qZl10
>>256
曹操の軍才は周喩以下は確定したみたいですねw

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:45:31 ID:EdDcRVvF0
大軍で圧倒的少数だな。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:46:22 ID:35k8qZl10
>大軍で圧倒的少数だな。

日本語が変ですよ?

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 20:52:31 ID:u5fRC3u2O
一万前後の軍司令官としては優秀だったろうな。

ただし数百とかの部隊指揮官になれる武勇もないし
十万以上の大軍団の将帥となる器量でもなかった。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:02:29 ID:+/W382vg0
>>261
最後の北伐の規模が大体10万くらいと推測できる
んでその最後の北伐で陣没する前には散々魏を苦しめているのだが

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:14:59 ID:psyOx4YE0
後漢の後期から攻勢を強めていた北と西の異民族問題を、曹操とその後継者の魏王朝はあらかた解決させた。
少なくとも魏王朝の頃は、外でも内でも異民族が国家を揺るがす大問題にならなかった。(潜在的な脅威を指摘
する声は過去からあったが)。

見方を変えれば、曹操は五胡の到来を一世紀遅らせた、とも言える。もちろんかなり好意的に言っている事は
承知の上だが。

内の民族の制御が出来なくなったのは西晋政府の問題。内に異民族をいれたこと自体を問題にするのなら、
後漢歴代執政者がまず問われるべきで、なんで曹操の責任が大きいになるんだが。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:27:22 ID:iQIFi3BN0
>>206
兵器としての槍は石突が付属していることを特徴しており
石器時代のいわゆる槍とは構造が異なるのでその指摘は的外れ。
無知を晒して楽しいのかお前はw

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:29:18 ID:EdDcRVvF0
形状だぼけ

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:36:44 ID:5lt7j9iE0
>>263
曹操は北方異民族を漢土に引き入れたからね
まあ蜀も呉もそうなんだけどやっぱ魏のそれが一番致命的だった

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:39:00 ID:EdDcRVvF0
曹操が異民族を引き入れたなんていってるやつは秦自体が異民族ということを知らない

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:52:11 ID:TCJ/0l/t0
異民族として分別するのは妥当ではないのは確か。
>>267は一貫して騎馬民族と言ってはいるからなぁ。
騎馬民族は制御できても、華南の平定には至っていない曹操。
しかし、誰かも言ったように曹操を貶めたからといって、諸葛亮の評価が上がるわけでもない。
逆に、曹操を誉めたからといって、諸葛亮が大した事がないという根拠にはならないのである。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:01:30 ID:EdDcRVvF0
違うな。
曹操が最高なら孔明は普通だが、
曹操が駄目なら孔明はもっと駄目なのだ!

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:04:15 ID:TCJ/0l/t0
>>269
でもなんで諸葛亮の話題に曹操もってくるん?
どっちかっていうと、世代が違うと思うのだけど?
むろん、孫策もw

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:39:22 ID:u5fRC3u2O
>>262
苦しめた?
逆だろ。魏の横綱相撲の前に為す術もなかっただけだろ。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:40:37 ID:BPXm7yIGO
陳寿「北伐なんて無駄」

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:41:05 ID:35k8qZl10
>>267
秦がどう周王朝の諸侯の列に加わったか位は知ってるんだよな?

曹操と比較するのなら、やっぱ劉備だと思うのだがどうか?

山陽公載記からだと、曹操は劉備と同レベルで、策を思いつくのが早いだけ。
ってなったりするんだが・・・(かなり頭悪い翻訳しました。ええw)

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:44:10 ID:TCJ/0l/t0
>>272
いきなりケータイになって現れるなよw

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:54:41 ID:EdDcRVvF0
それでも「異民族」

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:07:08 ID:35k8qZl10
>>275
はいダウトw
秦は紂王の臣下の末裔。ってか実際はそんな事解らない。昔過ぎるからw

ちなみにその理論でいくと周王朝も「異民族」の王朝w

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:09:20 ID:EdDcRVvF0
そうそう異民族王朝だね。

漢族自体がいつできたのかわからない状態で動乱の責任は曹操には内

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:11:58 ID:35k8qZl10
>>277
易姓革命位は勉強しとけw
アホかお前w

>漢族自体がいつできたのかわからない状態で動乱の責任は曹操には内
自分理論?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:24:04 ID:EdDcRVvF0
そもそも八王の乱だろ。原因は。
曹操は皇族に権利を与えなかったが厚遇はしていた。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:24:59 ID:EdDcRVvF0
ID:35k8qZl10 お前にーとかよ昼からいるな

俺は中学校休んだからいいけど

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:35:29 ID:TCJ/0l/t0
でたw
やはり自称中学生だったか。
あんま、というか全然成長してないね。
でも学校はちゃんと行かないとな。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:38:33 ID:EdDcRVvF0
一つ
『天地神明に誓い
死ぬまで ネット等に 殺人予告や書き込みはしない。』



お前にどんな権利あるんだよ

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:45:13 ID:Ygzf8vrF0
>>279
ちゃうよ
夏侯氏や血のつながってない曹氏は将軍や都督として積極的に重用していた
ちょうど漢の時代の外戚のように

兄弟など血の繋がった近親者は王公にこそしていたが徹底的なまでに冷遇した

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:46:23 ID:iQIFi3BN0
>>280
学校と言ったらやはり斉国だろうか。
たしか荀卿が学長をやっていたと思った。
彼の弟子の韓非が書いた論文を諸葛亮が熱心に読んでいたと記憶しておる。
はやく劉禅にも読ませないとな。
というわけで劉禅を呼んで来てくれないかな?

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 00:10:11 ID:ABH/Wu4P0
>>205
激しくスレ違いだけど、おっぱい大きいね。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 00:54:02 ID:0y1qv3iD0
なんか揚げ足取りばっかになっちまったな
マンセーが気に食わんのかもしれんが
はいダウト!なんていってるのは客観的にはすごく寒いよ

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 08:35:44 ID:KZwbqpaW0
>>286
全部読んでみてそう思った?
ならしょうがない。
あれは自称中学生をいじって楽しんでいるんだよ。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 10:14:18 ID:s0yjr0yE0
>>277
漢民族は漢の時代に出来たに決まってるだjk


289 :劉邦:2008/04/25(金) 16:13:10 ID:yv9sgMwY0
諸葛亮 個人的に参照する人

290 :名無しの権瓶:2008/04/25(金) 22:23:06 ID:ZqGMrBRi0
孔明は軍事的な才能よりも組織を作る才能に長けていた。
蜀の軍隊は、劉備の死後、孔明の組織改革で高い戦闘力を持つに至っている。
騎馬の魏に対して、弓矢の割合を増やすなどして火力で大国している。(火薬なないけど)
司馬仲達が決戦を避けたのは、その時点で兵の戦闘力が魏を上回っていたためだ。
逆に魏はトリッキーな闘い方で孔明の侵攻を防いでいる。

魏の侵攻は無謀に見えるかもしれないが、それだけ蜀軍団の戦闘力に自信があったと思う。
勝てなかったのは、司馬仲達が孔明よりも軍事的に有能だったからだと思う。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 22:36:39 ID:0y1qv3iD0
>>290
兵力は10万という誇張表現を鵜呑みにしたとしても魏には及ばんでしょうな
司馬仲達が決戦を避けたのは、ハナから国防のための戦なんで一番リスクの少ない方法を選んだだけでしょうな。ほっといたら勝手に退いてくれる相手だから

蜀の土地だけじゃ明らかに国力のキャパに限界があるから。確かに開発は行き届いてたし兵も限界ギリギリまで動員してたと思うけどそれでもまだまだ足りなかったと思うよ

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 22:52:52 ID:s0yjr0yE0
>>291
リスクの少ない手段を選んだんじゃなくてリスクある行動で殲滅しようとしたらボコボコにされたから
取れるのが引き篭もって待つ事だけになってただけなんだが
その上、引き篭もって我慢してたら徐々に各地の連絡を寸断されて、最終的には援軍まで貰った挙句
諸葛亮の寿命切れで助かってるだけ

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 22:56:29 ID:hjcKlyYz0
どこが分断されたんだ答えろよ。

演技かそれとも

294 :名無しの権瓶:2008/04/25(金) 23:05:02 ID:ZqGMrBRi0
結果的に負けたので、あれは無謀だと言われるが、当時ではどうかわからない。
魏が蜀の国力を圧倒していたのは事実だ。
つまり兵力もそれだけ蜀のほうが少ないことになる。
それなのに軍事的才能が孔明よりも上の司馬が、防衛策しか取れなかったのは何故か?
現在の認識ではそれが一番有効だと言うが、自国より弱い敵が攻めてきても防衛しか取らない将軍を
君主や民が有能だと思うのか。
防衛策をとらざるえないほど、蜀が強かった証拠ではないか。

後から視点でそれが有効だとわかるが。一般的に積極案のほうが指示されるし。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 23:08:02 ID:hjcKlyYz0
あほすぎる。
防衛作が楽だからだ。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 23:16:44 ID:AW4ldJ250
つーか、少数でも守れてうまみの少ない漢中と
取ればほぼ天下が取れる南郡じゃあ、比べるまでもないだろ?

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 23:27:06 ID:0y1qv3iD0
>>294
防衛策を取ったのは防衛戦で相手の補給が困難なのがわかりきってたから。それ以上でも以下でもない
戦おうとするとたとえ相手とどんなに力の差があっても大なり小なりダメージを被ることになる。大軍の総帥としてそれを嫌っただけ。
追いかえしゃ十分で、わざわざ殲滅するような必要はない。この戦で蜀をしとめるつもりなんて魏にはないし、そんな準備もしてないんだから。
前任の曹真が異常に積極的だっただけで、戦略的に考えたら当たり前のこと。

それがなんで蜀が圧倒的に強い軍隊だったとか言う証拠になる、とまで話が飛躍する?
そもそもそんなに強い軍隊で諸葛亮に自信があったのなら一回目の北伐で迂回ルートをとらないで魏延の急襲作戦をとってたはず。(まあ迂回自体は見事にハマったけどね)遠征が長引けば長引くほど不利なのは諸葛亮が一番よくわかってたハズだから。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:20:06 ID:EtRL2/ho0
>>293
ニセクロ氏の北伐再考でも読んで来るといいよ

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:27:44 ID:It9rl+JH0
どこも分断されていない。

しかも分断しても本軍撃破しなきゃ、いつか退却。

不可能だなははは。

そもそも、孔明が生きてたら攻め込めないなら孔明死ねば攻め込めばいいだろ

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:28:51 ID:EjI6XsfJ0
>>205
そんな奴は少数派。ほとんどは真面目な人達だよ。
巨乳だからってそいつ馬鹿だ。


301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:33:45 ID:gEpsIFyU0
>>297
違うだろ。
積極的に決戦戦力である騎馬の大軍を
最も優秀な将軍である張コウに率いさせて大攻勢をかけたら壊滅したからだろ。
野戦じゃボコられるから篭城したと解釈するのが妥当。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:34:10 ID:It9rl+JH0
そもそも壊滅したんだったら、追撃できないだろアホ

303 :名無しの権瓶:2008/04/26(土) 00:34:13 ID:e+ZUBaDF0
防衛策は楽ではない。
確かに持久戦であれば確実かもしれないが、防衛でも兵士を養わせるんで金や食料が消費される。
それ以上でもそれ以下でもないと言うが、一万人を一日養うのではとてつもない食料や金を使う。
格下相手ならば、防衛策をとるのは難しいのではないか。

一回目の戦闘で孔明が消極的たったのは、まだ実力的に確信が持てなかったからではないか。
飛躍のしすぎと言うが、戦争をしかけている時点でそれなりの勝てる要素がなければ仕掛けられない。

通常の資料や演技を見ているだけでは、慎重な孔明が戦争を仕掛けまくっている理由がわからない。
蜀の弱体化、自分の寿命を悟ったとか言われるが、逆にそれであれば内政を強化し、次の世代にかけるのではないか。



304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:38:47 ID:EtRL2/ho0
>>299
何言ってるの?
生前に侵攻作戦やって散々な目に遭ってるじゃない
まあ実行したのは前任者の曹真だけど

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:46:27 ID:EtRL2/ho0
>>304>>299を読み違えたものなので無視していいよ

>>303
勝てるから挑んでるんだよ
刀の改良、槍の改良、鎧の改良、元戎の改良、食料の改良、輸送の改良、陣形の改良、色々改良
テクノクラートでさらに優秀な部隊指揮官でもある諸葛亮によって蜀軍は驚異的なまでに戦闘に強くなっている
実際に諸葛亮本体との会戦に持ち込まれると毎回とんでもない被害を魏は受けている
演義はインチキ軍師が魔術的采配で連戦連勝するから直接対決を望んでいるという風に描写される反動からか
正史の諸葛亮微妙って言う人がいるけれども、正史の諸葛亮は堅実で地道な努力によってやっぱりとんでもない強い将軍だった

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:50:14 ID:L1hyGnCJ0
武功水東岸に布陣してた孟琰を攻撃してきた司馬懿を撃退したぐらいかね、五丈原の戦いは
この間北原を守ったり頑張ったのは郭淮で司馬懿は先の敗戦など精彩を欠く
第四次北伐時の会戦での敗北、さらに張コウを死なせたことといい
司馬懿は戦術レベルでは孔明に一歩劣るね

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:51:42 ID:It9rl+JH0
魏側が受けた被害

第四次の被害はたいしたことがない
もしそうなら魏は負けていたがそんなことは無い。

そして、3次は寡兵だった。

魏延が頑張ったのもあるが、魏延に当てたのは二級戦だ。

そして5次は戦闘を挑んでない

挑んだとしても、小競り合いレベルだし
背後に打って出て被害を与えたりしている
(晋書)

そして、劣るとほざいているが勝ったのは司馬家である。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:08:22 ID:It9rl+JH0
そもそも晋書を無視しすぎだよ

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:08:25 ID:p7v5NBq40
晋書を信じるなら孔明は第四次で大敗してるでしょ
死者捕虜を合わせて数万というイリョウを上回る大敗w

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:09:32 ID:It9rl+JH0
晋書を信じるなら普通に会戦はあって、孔明側が撤退したんだと思うよ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:10:34 ID:p7v5NBq40
皮肉が通じなさそうだから言っとくけど
少なくとも宣帝関係は疑ってかかる必要があるって意味だからね念のため

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:15:06 ID:EtRL2/ho0
>>307
第四次北伐 諸葛亮対司馬懿 直接対決にて蜀の戦果 
甲首3000 →3000人の正規兵(しかも兜が貰える程の精鋭)
玄鎧5000 →5000個の金属製鎧(超高級品)
角弩3100 →3100張の弩(弩は当時の歩兵の主力武器の一つ)

3000人の首を落としたという事は、負傷者は死者の数倍ということから考えて10万弱規模の軍勢を打ち倒したということだ
そして軍需物資を大量に取得したということは、本陣から物資を運び出して逃亡する暇もなく総崩れになったということ

つまり諸葛亮対司馬懿は諸葛亮大勝利ってことだ

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:15:16 ID:Mfvdbhgw0
ID:It9rl+JH0=1
なんでそこまで孔明が嫌いなの?

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:20:30 ID:It9rl+JH0
普通に考えて誇張だろうな。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:23:01 ID:It9rl+JH0
明らかに負けた孔明を支持するやつらが多いが、そんな次元だったら劉備や曹操は 神 である

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:26:00 ID:EtRL2/ho0
>>309
魏晋に関しては公式記録の戦果報告10倍の法則があるので数万の戦果だったら数千の戦果ってことだよ
まあ晋書と三国志英雄紀合わせて考えると司馬懿も大敗はしたものの蜀にも少なからず犠牲は出てたって事だろうな
演義で両者大損害みたいな第四次北伐の描かれ方されてたけどあながち間違ってるとも言えない不思議

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:26:03 ID:It9rl+JH0
晋書は誇張だろうが、あってるのもあるだろう。
まさか晋書を全部否定するのか?
それ考えると孔明には負けてない。

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:26:25 ID:Wraeyl190
劉備は神でしょうよ。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:26:39 ID:EtRL2/ho0
>>315
論拠が不明瞭なので、どうしてそうなるのか
「論理的に」説明してくれ

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:26:41 ID:It9rl+JH0
なんで司馬イ大敗っていえるんだ?
ただ単に孔明に肩入れしてるだけだ。」


321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:30:48 ID:It9rl+JH0
明日部活だから寝る

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:33:32 ID:EtRL2/ho0
>>320
蜀には戦果10倍の法則がないから
魏では国淵伝に見えるように公式記録で戦果10倍にするようになっている
死者3000人甲首(死者が精鋭部隊3000人)対死者捕虜合わせて記録上1万(実数1000)
どう見ても諸葛亮勝ちなので

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:34:28 ID:It9rl+JH0
なんで10倍の戦果が無いっていえるんだアホか

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:36:08 ID:It9rl+JH0
そもそも精鋭3000死ぬなら普通のやつは800人で捕虜と負傷あわせると24000だな

無理がある

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:39:46 ID:EtRL2/ho0
>>323
魏ではそういう風に記録を残してた事が正史三国志に記録されているが
蜀ではそういう粉飾記録はしてた証拠がない

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:40:39 ID:It9rl+JH0
しかし晋にそれを引き継がれたとは限らないな

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:41:15 ID:EtRL2/ho0
>>324
無理ないよ
高級な装備品を大量に残して逃げ帰っているのだから
数万〜10万規模の軍勢が3割くらいの行動不能で全滅に陥ってる可能性大

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:41:42 ID:It9rl+JH0
お前馬鹿だろ

全滅ならなんで孔明帰ったんだろうなははは

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:42:01 ID:EtRL2/ho0
>>326
司馬懿に関する戦果の記録は魏の時代のものだが…

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:43:18 ID:It9rl+JH0
晋書の話しをしている

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:43:30 ID:EtRL2/ho0
>>328
兵糧切れだろ
書いてあるじゃないか、三国志諸葛亮伝に

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:45:07 ID:EtRL2/ho0
>>330
晋書を書くに当って唐代の人は何を元に書くか
晋の記録だろうな、じゃあ晋の記録は何が元か
魏の記録だろ
一度10倍で報告された戦果をわざわざ元の数字に戻すかね?
戻している根拠があったら教えてくれ

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:45:42 ID:It9rl+JH0
兵糧切れって笑

兵糧切れたとしても司馬を討つ時間はあっただろ?

そしてなんで司馬が追撃できてるんだよ

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:46:05 ID:It9rl+JH0
戻す根拠だな。

わざわざ引き継がずある程度の真実書いてもいいはずだ。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:50:32 ID:EtRL2/ho0
>>333
全滅したって兵士が全て失われるわけじゃないから再度集結も出来るし
元々兵士は大勢だからな、司馬懿以外の部隊だって居たわけだ

>>334
それ無根拠じゃないか
俺が言う根拠ってのは国淵伝の「10倍水増し」という記述のように
「晋書は実数に」という事を示す証拠だよ、証拠、ソース

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:53:27 ID:It9rl+JH0
蜀が誇張されてないという根拠を

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:53:53 ID:It9rl+JH0
潰走でどうやって孔明打攻撃できるんだよ 

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:58:44 ID:EtRL2/ho0
>>337
司馬懿と諸葛亮が直接対決した時分隊だった張コウと魏延は魏延の勝利で終わったものの
それ程大勝したわけでない(記述だけで見ると魏延は張コウをただ防いだだけかもしれない)
そちらが残っていたし、他に本営もあったようで司馬懿が諸葛亮に当った時は配備された全軍ではないから

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:59:59 ID:EtRL2/ho0
>>336
蜀に誇張されてると言う証拠でも?
疑義を抱いてるなら誇張されてる証拠でも出してくれ
魏は誇張が為されているのは国淵伝に証拠があるからそう言ってるまでだ

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 02:00:58 ID:It9rl+JH0
お前あほ

晋には根拠を

蜀には誇張された根拠を



341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 02:01:53 ID:It9rl+JH0
まあいいや茶道部だからサボっても

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 02:05:18 ID:EtRL2/ho0
>>340
晋は魏の後継国家
公式記録は魏の物が継承される
んで継承された元の記録が改竄済みであるし
晋の史官は当然ながら晋が成立してから記録を開始するので
魏の時代のものは魏の時代に書かれた記録がそのまま残る
北伐の頃は魏なので、当然記録は魏のものがそのまま残る

これは「青史」と「史官」という独特の中国史の基本だぞ

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 02:06:22 ID:It9rl+JH0
アホだなあ。
魏の書物に無いだろ
だったら意味無いな。

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 02:08:08 ID:EtRL2/ho0
>>343
史官というシステムを、本当に知らんのか…

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 02:19:43 ID:It9rl+JH0
蜀も誇張だな

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 03:17:43 ID:Mfvdbhgw0
孔明の北伐の終了=曹叡馬鹿皇帝誕生

緊張の糸が切れたちゃったのかなー。内政がボロボロ

実質、曹叡馬鹿皇帝が曹魏を潰してるよね

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 03:43:18 ID:EtRL2/ho0
>>346
いや、潰してない
曹叡はむしろケインズ経済学に基いて考えてみると公共事業による景気刺激策を行ってるように見受けられる
あと諸葛亮死後から大規模工事を頻発するようになったと印象を受ける人も多いが
生前から運河の整備とかを盛んに行ってた
内政は色々と好色なせいで悪い面もあるが、それだけではないよ
と言うか曹叡による各地のインフラ整備がなければ晋の統一ももっと遅くなっていた可能性さえある

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 07:14:42 ID:nB6a4paD0
>>338
堅守して張郃軍を撃退したのは王平だね(王平伝)
漢晋春秋と正史王平伝との記述には矛盾はないが晋書と王平伝には明らかに齟齬がある

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 08:14:02 ID:03N24dwrO
内政と戦争よく2つを兼務出来たよね。
普段の丞相職だけでも激務はずなのに。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:13:59 ID:Mfvdbhgw0
>>347
経済学はお手上げ。私は解らない。だから、そちらの言い分が正しいのかもしれない。

曹叡は軍事の才はある。北伐対策とか遼東公孫氏の倒し方とかは鮮やかだが、これは皇帝の仕事の一部分に過ぎない。

陳寿からみて皇帝としては落第点。内政的な物が欠落しているからだ。

始皇帝や前漢武帝が行なった、宮殿増築は統一後や外敵討伐後に行なうのが普通。
外部に敵が居る時点での曹叡の宮殿増築(孔明死後1年後から)は、馬鹿皇帝と言われてもしかたない。

あと内政には人事も含まれている。
佞臣を死罪に出来なかった事や成人した跡継ぎを選ばなかった曹叡は皇帝失格。
コレ以降曹魏は斜陽の王朝になる。
どう贔屓目にみても曹叡の人事&後継者選びにより、曹魏が斜陽し始めたのは紛れもない事実。

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:25:18 ID:Wraeyl190
>>宮殿増築は統一後や外敵討伐後に行なうのが普通

これはただ曹叡をバカにしたいために、とってつけた理由だな?
でなければ、後周世宗をもバカ呼ばわりしたことになり、看過しえない。

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:28:31 ID:SwYilhwZ0
蜀にだって程度の大小はあれど誇張はあったに決まってるだろ
普通に考えたらありえない数字じゃん常識的に考えて
つーか古代の歴史書を鵜呑みに出来るのがおかしい


353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:33:12 ID:SwYilhwZ0
曹叡は親父も含めて統治機関が短かったってのが大きいだろうな
あれじゃ後継の人間が育ったり安定した政治体制を整えんのが難しい
後々名士の権力が強くなりすぎたのもここら辺に起因してるんだろな

354 :353:2008/04/26(土) 13:33:49 ID:SwYilhwZ0
わり、機関じゃなくて期間

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:36:12 ID:Mfvdbhgw0
>>351
>宮殿増築は統一後や外敵討伐後に行なうのが普通
陳寿の曹叡評からの引用ですがなにか?

後周世宗って…何年後の話をしているんだ?
いちゃもんつけたいだけとしか取れないね。

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:44:28 ID:Mfvdbhgw0
>>353

>後々名士の権力が強くなりすぎたのもここら辺に起因してるんだろな
曹叡が名士に辛く当った(官位はぎ取りとか)報いですかね?

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:45:46 ID:It9rl+JH0
そもそも第五次は意味が無い。

呉を撃退したから援軍がわんさか来るだろ

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:53:22 ID:SwYilhwZ0
>>356
そこら辺もあるだろうね。
だからあのまま長く統治してもっと家柄とかの影響力が薄い体制に出来れば…ってことさ

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 14:00:09 ID:It9rl+JH0
八王の乱に言われたくない

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 14:05:58 ID:Wraeyl190
>>355

あほか… どこが引用だよ。
陳寿も曹叡個人に対しての評であって、「〜するのが普通」などと前後世に適用するようなことは言っていない。
君の言いようは、外敵が存在しているのに土木作業に従事するすべての皇帝を弾劾していることになる。
そのへん、言い方や表現に気を使った勉強を教えてもらうといいと思うよ。

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 14:12:43 ID:xxjawst40
622止まない雨は名無しさん2008/04/26(土) 13:30:48 ID:I/ZO12bg0
http://jp.youtube.com/watch?v=QXV5qTBBxco

日本人の姿、必見

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 14:23:18 ID:EtRL2/ho0
>>351
三国志読んでればある程度うっすらと感じる事だけど陳寿は政治と歴史、それから軍事には物凄い明るいのだが
政治の中の経済と公共事業に関する関心が大分薄い
だから劉備の貨幣鋳造話をスルーしたり、まあ貨幣鋳造していいのは正式な政府だけなので蜀呉で改鋳話を出すと
「お前はこいつらを正統とするのか」と言われかねないので書けなかったのかもしれないが
五銖銭の改鋳、新造した話しは魏の帝紀と董卓伝、呉主権伝にちょこちょことは出てくるのだが、本当に淡々として描かれている
曹叡は230年頃から各地の運河の整備を行い、インフラを本当に丁寧に整備している
でもこれらは明帝紀には記されておらず、陳寿は公共事業の有用性とかを全く考えていないようにすら見受けられる

>>355
一つ勘違いをしているが、宮殿の修築をするのは必要があったからだよ
諸葛亮死亡直後に大地震が起こり、宮殿のあちこちが破損していた
瓦が揺れる地震て言うと震度5〜6とかのかなりの地震だぞ
地震の少ない中国で耐震設計の発達してない古代の建物がどうなるかは推して知るべし
だから、修築する必要性があったのに陳寿はそれがわからないようだ
この辺からも陳寿は公共事業に関しては全然気を使っていないのではないかと考えられるのだよ

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 14:33:42 ID:Mfvdbhgw0
>>360
最後の1行が無ければ謝っていたんだがね。
君みたいなタイプは嫌いだね。君如きに上から目線で見られたくないねw

>>362
大変勉強になりました。三国志だけでは、無理な点が既に出てきているのに、
それに無視し、追従して疑わなかった私が愚か者です。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 14:42:19 ID:Wraeyl190
>>363
わかってくれればいい。

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 15:03:18 ID:phViS32HO
修繕じゃなくて増築だろ非難されてるのは
それに経済学も何も古代は支配者や貴族の個人財産で成立ってるもんだろ
皇帝が無駄使いをした分はそのまま魏そのものの国力低下に繋がる

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 15:47:30 ID:EtRL2/ho0
>>365
ん?増築ってどこにある?
三国志も晋書も改修したって書いてあったと思うけど
それと改修工事は最初、農閑期に行われていて、収入のない農民への仕事という形で
エジプトのピラミッド建設に同じく、公共事業という救済になっているんだよ

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:04:57 ID:i4+5NI/N0
やっぱ儒教的士大夫として農本思考になると、そういった視点がなくなるのかね?
日本だと足利義政なんかが誤解されつづけているけど。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:20:13 ID:87dARbmD0
ちゃんと賃金は支払われたのだろうか?


369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:51:24 ID:SwYilhwZ0
賃金って言うか食は保証されたと思うが

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:52:40 ID:aJQuPuMbO
賃金は分からないけど、人が集まるところには金が動くから、
経済的な観点だけでいったら、プラスなのかも。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:57:38 ID:W0RRg/Lg0
陳寿の評には「宮館是營」とあるから改修じゃなく造営ですな
農民が潤ったかは知らんが「農桑失業」つまり農業や養蚕が出来なくなって
陳群が諫言して規模を縮小させたという話がある
というかこの時代の重臣には一度は明帝に上表してる記述がある

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 19:02:38 ID:x0Uc51QV0
本来の目的そっちのけで造営に熱中して
農産力を低下させてしまったというのが実際のところらしい

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 20:17:55 ID:WckMgl7a0
>>372
ところが本文では
「是時,大治洛陽宮,起昭陽、太極殿,築總章觀.」
全体の見た目を整えて作り直した、つまり増築じゃなくて改修、地震で損傷した建物を改修したってことだよ
それに晋書では
「是時大修宮室,加之以軍旅,百姓饑弊.」
とあって、百姓、つまり民衆が飢えてる時に工事をやめるべき、という司馬懿の進言が記載されてる
どちらの「是時」も時期は大体諸葛亮死後〜公孫淵討伐後でこれらは同一時期の事だと思われる

三国志でも同時期に民衆が農業の時機を失ったと言うように書かれているが
前年末の大地震で、建物は倒壊、損傷、畑は荒れて新年の農業が出来なかったのではないか?
そうなると俄然、公共事業説が真実味を帯びてくる(推測で導いてる答えなんだけどね)
新潟とかの大地震で田畑が物凄い荒れてしまった事を考えると、洛陽周辺の地域も農業は壊滅的打撃を受けてる可能性大なんだよね
当座の収入を与える目的と実益を兼ねて大々的に宮殿の修築を行ったと考えた方が話しが通る


374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 20:36:03 ID:O/0ag7fo0
>>372は当初の目的を忘れてって言ってるんだから切欠がどうなのかは関係ないだろ?
それにそんなことが原因で農業が出来ないのなら
@陳羣が工事をやめるように言う意味がないじゃない・・・
第一そんな状態ならA宮殿の工事なんかやらずに農地復興に力を注ぐのが筋だろ
あんたの言ってることは推測にしても滅茶苦茶だ

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 20:40:52 ID:aJQuPuMbO
重農業主義で、商業蔑視的なため、実利を得ても悪く言われるから、
この点に関しては割り引く必要がある。

ただ、本当に実利があったかは、分からないけどね。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 20:43:12 ID:lYoHl3FZ0
>>373
>前年末の大地震で、建物は倒壊、損傷、畑は荒れて新年の農業が出来なかったのではないか?
農業インフラが壊滅的な被害を受けてるときに宮殿増築やってたんなら
本当にすごい馬鹿殿だな明帝は
でもそんなに頭悪くないよ、むしろ明晰な方だと陳寿は書いてると思うんだけど
評も内政での暴走っぷりだけが惜しいいいいいって感じだし

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 20:51:15 ID:87dARbmD0
始皇や漢武と比較されてるあたり、有能ではあるが暴君的素質があると見られてたんだろうな。

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 21:05:33 ID:WckMgl7a0
>>376
何度も言うけど改修であって増築じゃないぞ

それから、農業インフラが打撃を受けたのが前年11月
宮殿の大改修が3月、半年近くの隙間がある
3月ってのは農繁期だが、何故農繁期になってから仕事を始めるのかってこと
推論の上に推論を重ねるけど地震の起こった11月から即座に農業インフラの再整備を行ってたんだと考えられるのよ
でも種蒔きの時機には間に合わなかった
だから3月の農繁期に改修工事を始めて、農民に収入を得させたのだと推測できる

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 21:18:42 ID:c6AMvbDd0
農繁期に工事を始めたのは皇帝の気まぐれっていう普通の可能性を捨てて
何で推論に推論を重ねるのやらと思った
第一そういう理由なら何で重臣たちがこぞって考え直しを迫るの?
普通に農繁期に造営やらせて農業が疎かになったからみんな上表したとは何で思えない?

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 21:37:57 ID:WckMgl7a0
>>379
理由は幾つか考えられるけども
一つに経済というものに対する認識が当時薄い人が多かったからではないかね
そして二つ目に、当時公共事業による施しというのは全く認知されていなかった様子が見受けられること
当時の皇帝による施しは現物で穀物を〜石渡したとか、免税したとかそういう事で
雇用の確保による救済ってのが救済と見られていなかったからという事は言えると思うのよ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 22:17:20 ID:c6AMvbDd0
陳羣はハッキリ労役のせいで仕事が出来ないからって諫言してるんだが・・・

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 22:30:37 ID:Wraeyl190
>>381
そのへんよくしらないのだけど、文面からの推測で言わせてもらうと

>>379さんの言っていることは、
地震があって田畑が壊滅した→即座に復旧作業にはいる→しかし種まきの時期に完了できない
→今年の農業は絶望的→農民という労力が宙に浮いている
→なら宮殿改修の人夫とすれば給金をだす方が合理的→農繁期であっても改修工事にかりだす
→田んぼがほったらかし→宰臣らはそれはあんまり、と騒ぎ出す。
こんな感じですか?


383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:08:48 ID:gEpsIFyU0
>>380
なるほどケインズっぽいやつね。面白い考えだ。
史書のみだと経済政策がわからないと思ったら史官が疎いからか。
司馬遷は穀物の市場価格について述べていて実態が想像できて面白いんだけど
他の史書はいまいちだと思う今日この頃。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:15:53 ID:Mfvdbhgw0
魏書 明帝紀評価本文を持ってきた。

評曰:明帝?毅断識,任心而行,蓋有君人之至概焉.于時百姓彫弊,四海分崩,不先聿脩顕祖,闡拓洪基,而遽追秦皇?漢武,宮館是営,格之遠猷,其殆疾乎!



ついでに日本語訳をググッタ。

評にいう。
明帝(曹叡)は沈着剛毅で決断力と識見をもち、心意気を持って行動し、
人民にとって君主としてまことにすぐれた気質を有していた。
(しかし)この時代、人々は疲弊しきり、天下は分裂、崩壊していたのに、
まず先祖のすぐれた事業をととのえ、大業の基礎をかためようとはせず、
にわかに秦の始皇帝や漢の武帝の轍をふんで、宮廷を造営した。
将来への考慮という観点に立てば、重大な失敗であったろう。


…どう考えればいい?

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:21:48 ID:Mfvdbhgw0
ちなみに私が訳してみたら

明帝は決断力のある皇帝であり、
臣下を信頼しそれを任せられる度量の・・・以降gdgd(オレ涙目)

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:27:49 ID:aJQuPuMbO
農地が荒れ放題で使えない。彼らが流民化するおそれ有り。だから労役させようぜ。

という観点からの発案に対し、イヤ、それなら無駄でも整備やらせません?
っていう意見が出たって解釈なんでしょ?


当時、実利が見込めるほど貨幣経済が発達してたの?

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:40:21 ID:L2Ki+9070
毋丘倹の場合

臣、愚かな意見を申し述べますと、天下において、
急いで除くべきものは二つの賊国(蜀と呉)であり、
急務としますものは衣食であります。もし二つの賊国
が滅亡せず、士人庶民が飢え凍えていますならば、宮
殿を立派にしたところで、なんの益になりましょう。

       陳寿 正史三国志 魏書より

衣食そっちのけで宮殿造営を行って何の得があるのいやマジで
普通に説明つく話を無理やりこじつけて説明しようとしておかしくなってるんじゃない?
第一農地が荒れ放題になってるなんて話、どこに出てくるんだ?

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:48:40 ID:vVt6f7fP0
>>386
貨幣経済は後漢以降gdgdだよ。

陳寿は司馬遷に比べると、庶民の生活や経済状況に関する興味が希薄だよね。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:03:08 ID:uie2qe4M0
比較的豊かだった呆けてないころの孫権の頃でも
優先すべきは衣食って言ってるぐらいだから、その言葉のみで
民衆が飢えていたとするのは無理がないか?

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:23:26 ID:mTaTnXqB0
>>386
一端発達した経済を董卓さまが木っ端微塵に粉砕してくれやがって
後漢末では一斛五十万銭とかいうハイパーインフレーションを巻き起こしてる
これ以降、結局中原では晋が統一するまで経済的には混乱したまんまだったと考えていい
ただ、魏では銭の代わりに色々な物を通貨代わりにしたこともあったりして、
宮殿改修工事でも農民に銭じゃなくて穀物とか現物を配ってたのかなとか思ったり、思わなかったり確証は無し

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:30:06 ID:mTaTnXqB0
ちなみに当時の一家(祖父母、父母、兄弟*4、自分伴侶で10人と仮定)が1年で食う穀物がおよそ500〜600斛
50万銭*500斛=5000万銭

飯食う為の費用2年分で曹嵩が霊帝から太尉を買った時の金額と同等になる
如何に経済が崩壊してたかがここで伺えるだろう
この頃から銭に対する信用崩壊で1枚2枚と使うんじゃなくて、紐通してジャラッと大量に使うようになってったようだ

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:35:52 ID:bvf9z3dZ0
http://jp.youtube.com/watch?v=5SMIgGAHAoU&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=looALHmz6aA&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=XlJkpEsaYMY&NR=1
http://jp.youtube.com/watch?v=aJ47PkaeM_M&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=vsbv9Y-oPxg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=srYyLjVihYQ&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=GyY_GFtj5Tg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=9uF85UO9-lg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=svH44ZUVE4A&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=k9OJL0c-CBg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=I7nMFPYuF7o&feature=related

鉄道をこよなく愛する人たち

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:37:22 ID:rkV4YTo40
>>390
いや、漢の武帝頃を頂点として貨幣経済は衰退を始めていて、在地豪族の力が増した後漢では更に貨幣経済は衰えていた
董卓は最後のトドメではあったかもしれないが、貨幣経済はとっくの昔からかなり貧弱な状態だったよ

あと当然ながら土木工事に従事するのは普通「労役」で、国家に対する義務の一種
この時の工事では特に賃金が支払われたという記録がないなら、強制的な労役として行われたと見るべきだろう
つまり貨幣であれ現物であれ賃金が支払われたかどうか怪しい
食事くらいは保障されただろうが

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:41:43 ID:+aazLHsH0
衣食提供だろ

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:58:19 ID:mTaTnXqB0
>>393
魏は兵戸制でとんでもない高倍率で重い兵役を兵戸に押し付けて一般の兵戸でない民衆からはあまり税金は取らなかったらしい
関税はとってたけど、そう言えば曹丕は関税を安くしたこともあったな
国家の奴隷に近い形の兵戸があったお陰で兵戸でない人間は色々な恩恵を受けていたようだ
税金や義務としての労役がない人間を働かせる時は報酬が必要ということになる

それと貨幣経済は貧弱だったとかそういうレベルの問題じゃなくて董卓の場合
貨幣という存在そのものを鋳造技術無しで悪貨乱発して信用失墜させたのが大きいのよ
それまでは銅の塊として一定以上の純度が保証されているから、同量の銅よりも貨幣の方が価値があった
でも、董卓の改鋳によって、信用による付加価値が失われてしまった
強い弱いの問題じゃなくてもっととんでもない破壊が当時起こったんだ

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 01:09:11 ID:rkV4YTo40
>>395
>税金や義務としての労役がない人間を働かせる時は報酬が必要ということになる
ソースはないよね?
兵戸以外の民は税金無しってのもそうだけど、だから報酬が必要って話が飛躍してない?
兵戸は軍役を負担していたとして、税金や労役は誰が負担してたんだよ

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 01:38:56 ID:+aazLHsH0
ニセクロのサイトは蜀ビイキ

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:11:53 ID:g++vlN4T0
曹操贔屓の本書きよりはマシ
ああいうのは本当に酷いなw
軍事、政治、文化に時代を超越した才能を発揮?
言ってろ、言ってろって感じもうウンザリする。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:19:21 ID:5eDpF7JJ0
兵戸と言うのは屯田兵のことだろ。
もともとは農民が流民化して無人化して荒廃した農地をどうにかしようとして
自国勢力内にいた流民を強制移住させてつくったもんじゃねーかな。

食いはぐれている流民に農具と土地を貸与して納税と兵役を負担させるというやつで
飢餓状態だった流民としては選択の余地は無いのだが、
負担が彼らに集中するわけだから凄く生活が厳しくてほとんど奴隷で
戦奴と農奴を兼任するのが実態だったと思った。

戦功を上げた兵戸に所属する兵への恩賞として当人とその家族を兵戸から外すという例があったと思う。


400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:27:02 ID:rkV4YTo40
>>399
それ、民屯と兵屯が一緒になってるんじゃない?
流民を収容(後には強制的に人狩りした)したのは民屯で、これは国家が荘園経営するようなもの
流民を農奴にするやつだ

兵戸の由来は青州兵とか、各勢力が抱えていた兵など、流民や豪族の隷民を軍事力としていた者をそのまま囲い込んで、子々孫々まで兵士になることを強要したもの

軍事力、生産力ともに農奴だけ、他の民は税金も無しってどんな世界だよ

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:27:44 ID:rcbfvVzj0
>>396
あ、一行目が民屯と兵戸の説明交じってる文章になってる

正しくは
>魏は兵戸制でとんでもない重い兵役を兵戸に押し付けててたし
>民屯でとんでもない高倍率を屯田民に押し付け一般の民衆からはあまり税金は取らなかったらしい

そんで税金や義務としての労役が無い人間を無理に働かせると逃げるだけだよ
そもそも曹操の時代から「働かせる奴は限界まで、他はぬるく」ってのが魏の方針なわけで
一般人を働かせるなら何かしらの対価を準備しないと魏の方針と猛烈に食い違ってくる

>ソースはないよね?
明確なソースはないけど状況証拠っぽいものならあるよ
信賞必罰って言葉は戦国時代からあるでしょ
仕事をしたら対価を払うって考えは昔からかなり一般的
義務として労働とかがなければ、働かせたらその分だけ報酬出すのも普通

ここまで書いて雇用対策以外の理由に気付いた
仮に宮殿改修に使った民衆が、屯田民、つまり国家の奴隷(というか実質曹氏の奴隷)だという事にすると
俺の物を俺が自由に使って何が悪いと、豪族達に示して皇帝権の強化を図ってたのかもしれない
逆に、国家の奴隷でない一般の民衆も強権で使う事によって天下は俺の物っていう宣言に代えてたという事もあるかもしれない
が、兵戸の人間で独身者を強引に結婚させて確保しようとしてる辺り、きっと前者なんじゃないかなと思う
後者のつもりで民衆使ってるなら、兵戸の人口を確保しようとしなくてもいいし

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:30:03 ID:rcbfvVzj0
>>400
武帝紀だと年貢1%とかだから、いかに民屯で働かされてる国家の奴隷が搾取されてるかって事だな

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:38:05 ID:rkV4YTo40
>>402
浅学な俺に何年のところの話かだけでも教えてくれ

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:53:04 ID:rcbfvVzj0
>>403
建安九年の話しだね
今年は無税、基本は1%でよしということになってる

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 11:01:28 ID:E3GQs8wG0
そろそろ曹魏はスレ違いになってきたな。
魏明は孔明と関係あるけれど、曹魏の運営方を語るのは、ずれてる。

孔明の基本は蕭何タイプの人間でしょ。漢中での輸送を見る限り。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 11:13:41 ID:rcbfvVzj0
>>405
蕭何タイプではなく、管仲タイプで文武両道でしょ

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 11:26:18 ID:E3GQs8wG0
>>406
『基本は蕭何タイプ』て言ってるでしょ…つまり蕭何タイプ+αがあるって意味。

脊髄反射はどうかと思う。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 11:28:29 ID:rcbfvVzj0
>>407
基本から管仲タイプでしょ
蕭何は軍略を劉邦に授けたりしないぞ
隆中での話しをなかった事にするなよ
脊髄反射はどうかと思う

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 11:50:26 ID:E3GQs8wG0
隆中での話=隆中策?
なら君の勉強不足になる。

隆中策の元は前漢の時代からある話。

脊髄反射はどうかと思うw

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:00:57 ID:rcbfvVzj0
>>409
昔からあろうと無かろうと蕭何は劉邦に軍略を授けないでしょ
韓信の推挙くらいはしたけども専ら内政と輸送に従事してた

管仲は諸葛亮同様に、軍事から内政まで何でも可能だったじゃないか
軍を強くしつつ商工業に力を入れたのも一緒
自ら軍を率いる事があったのも一緒

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:17:19 ID:E3GQs8wG0
>>410
軍略は賢人の推挙も含まれてるってるんですけれど…
つまり、蕭何が韓信を推挙した事自体が軍略。

現在の価値観軍事と軍略は区別されるが、当時は賢人の推挙も軍略。

鮑叔の管仲推挙は思い切り軍略じゃぜい。

軍略の定義から勉強したら?

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:19:11 ID:PgK3DwZuO
外交の使者もやってるよね
ていうかこれが実質的な孔明のデビュー

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:19:19 ID:E3GQs8wG0
ごめん、訂正。
>現在の価値観軍事と軍略は区別されるが
現在の価値観だと軍事と軍略は区別されるが

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:22:05 ID:mTaTnXqB0
>>413
蕭何って軍を率いたことあったっけ?
孔明なら軍を率いて益州平定戦にも参加してるし、蕭何の輩とは言いにくいよね
蕭何並にスゴイ内政手腕は持ってるのは否定しないけど

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:41:02 ID:E3GQs8wG0
>>414
沛県の暴動を扇動した事がある位じゃね?
…軍を率いた行動って言ってはいけない気もするが…

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 14:11:21 ID:0WHbtsmhO
法統や馬良が生きてればな。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 14:24:09 ID:PgK3DwZuO
兵法の著述を残してる辺りショウカとは違う感じがする

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 21:55:41 ID:FqrIsU2SO
で軍才はあったの?

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 22:18:32 ID:mTaTnXqB0
>>418
少なくとも記録上、会戦やって負けた事は晋書にしかないね
才能の有無だけで言うとあったって言っていいんじゃない?
ただしその軍才は、勝つべくして勝つ事は出来るが、勝てそうも無い時に勝てるものではないと俺は考える

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 22:33:16 ID:HRdlEGyA0
目だった失策は一回目の北伐くらいだしめざましい功績があるわけでもないからまあ一流半くらいが妥当だろ
軍事はそこそここなせるくらいでいんじゃね。プランナーとしては目を見張るけど陣頭指揮はもう一つって所だし

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 22:39:45 ID:mTaTnXqB0
>>420
陣頭指揮というか、戦闘指揮官としてはかなりのレベルだろう
司馬懿フルボッコにしてるし

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 22:42:13 ID:rkV4YTo40
>>419
そこが曹操なんかとの違いだな
勝てそうにない戦いに勝てるのが曹操(ただし勝てるはずの戦でボロ負けすることもある)
勝つべくして勝つが勝てそうにない戦いでは勝てないのが諸葛亮(ただし負けても大敗しない)
韓信などは勝つべくして勝ち、なおかつ勝てそうにない戦いも勝つ

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 22:48:51 ID:VSaeEKoo0
だから応変の将略がなかったのかも、と言われるゆえんだね。
戦場にあっての臨機応変は、戦術に類するから、前もってたてた戦略どおりに
ことが運ぶと隙のない用兵をするが、ほころびたときに、それを立て直すのが遅い
あるいはできない。あるいはほころびたとわかった段階でリスク回避のためやめてしまう。
良く言えば被害を最小限に抑える、かたいやり方だと思う。
まぁ実際、そういう相手のほうが敵に回すとウザイのだろうと思う。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 23:11:25 ID:mTaTnXqB0
>>423
逆言うとそういう相手が自信満々で会戦を挑むって事は
「我に秘策あり」みたいな状況だからね
諸葛亮を敵に回した司馬懿の視点からすると倒したいけど
攻撃してみて勝算ない場合は諸葛亮逃げるから倒せないし
諸葛亮が司馬懿の攻撃に乗って戦闘開始したらそれが負けフラグとか

そりゃあ会戦避けて持久戦狙うしかないわな

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 23:25:51 ID:E3GQs8wG0
孔明は撤退戦のプロでは無いでしょうか?
司馬懿でも迂闊に追撃戦に移れない。
迂闊な追撃は死に繋がるのを証明した張コウさんとか居ますし。

あと、蜀漢を衰退させないで北伐を行なえたのも評価点。

姜維の北伐は蜀漢を衰退させるやり方だから、やはり孔明は一人の英傑になるんでしょうね。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 23:28:10 ID:+aazLHsH0
秘策あるにもかかわらずほぼ敗北

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 23:39:45 ID:E3GQs8wG0
荊州侵略時点で民を思いやる行動、兵の鍛錬をするべき。
そそ様は。その献策を握り潰して赤壁で天下統一のチャンスを逃した馬鹿w


428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 07:55:46 ID:VBYPX4bsO
逆に姜維は大勝もしてるんだよな
王経に勝ったときは三国志全史中最大の被害を相手に与えている
しかしその後冒険し過ぎて段谷で大敗してるのを見ると孔明の方が良かったんだろうな

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 10:13:20 ID:L1kn/XhjO
孔明→谷口
蒋宛→丸井
費偉→イガラシ
姜維→近藤

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 11:01:44 ID:W9eIiXXCO
三国志中最大の被害はイリョウでは?
魏に与えた被害という意味?

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 12:51:00 ID:wQ2PQ0hs0
>>429
近藤は一番先を考えてチーム作ってたからな。自分の代を犠牲にする覚悟で。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 12:54:58 ID:VBYPX4bsO
>>430
実は王経も戦死者数万の被害を受けてるんだよ

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 19:35:09 ID:RXNjk4KP0
官渡の時代なら一戦で決着ついてそうなレベルの大勝だが
こんだけやってもまだ魏は余力あるってのがすごいな
孔明の時代から20年ぐらいでこんだけ差が出来てるんだから
北伐せずに持久戦をとった場合この戦力差がさらに広がってどうしようもないところまでいったはず

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 19:48:43 ID:WZZ8oBKV0
でも、あの時代は北や西の異民族も盛り返してきた時代だからね〜。
持久戦に備えてたら、魏の位置は異民族からも格好の位置なんだよね。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 21:00:06 ID:2iLw4t2m0
諸葛亮は指揮官としての基本スペックは、司馬懿や陸遜らと同格か少し下かも知れないが、
陣形、新兵器、軍制などを最大限に行使した撤退戦を含めた正面攻撃のエキスパートといった感じだな

撤退をしつつ、張コウ率いる(おそらく)精鋭部隊の追撃を破り、年齢と地位から見て、
どうみても後方にいて指揮していたと思われる張コウを戦死させているのだから。
(しかも撤退戦で)

曹真・司馬懿・張コウすら、持久戦による多大なコストを覚悟で正面攻撃を避ける相手。
後に、この三人の名は戦史にほとんど残らず、諸葛亮の名だけが大きく取り上げられるのは、
中国の軍事革新をつながったからだろう。(ハンニバル>大スキピオと同じ)

兵法書も仮託かもしれないが、原型は存在していた可能性も高い。
中国の正史はこういうのを残さないのが、残念だ。


436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 21:13:34 ID:CpIPH2Mz0
で、諸葛亮の軍事革新って何?

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 22:13:15 ID:LkmYfrkh0
唐太宗李衛公問対で
孔明の作った「八陣」は世に言う方陣のことであり
黄帝の「握機文」はただそのあらましを述べたに過ぎないとかいう話はあるが
唐代は名将十人の中に孔明が入ってるくらいなんで
この時代に大々的に再評価されてたのかもね

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 23:27:02 ID:F7XITx5P0
>>436
ここまで読んだなら、いくらかでてるけどな。
武器の大々的な軍事転用は諸葛亮の最たる功績だと思うがな。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 00:04:30 ID:hX6ljMK10
「八陣図」における車を騎兵防御に使う戦術を確立したのは賞賛されていい
後に晋の将軍が異民族討伐にこの戦法を採用している

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 00:24:40 ID:i88gqwnq0
そいつばかりだな

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 10:48:20 ID:Hbek+6wbO
それだけでも凄い事なのだよ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 11:00:36 ID:i88gqwnq0
すごくねーよまねされたやつなんていっぱいいるだろ

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 11:18:07 ID:L1TeVCD70
諸葛亮の粗捜しをする→正論で論破される→悔しさから口汚い台詞で罵倒

この流れのループだな
>>1から読んでみたが、改めて諸葛亮の偉大さを認識できたよ。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 11:40:52 ID:i88gqwnq0
論破され続ける孔明信者の集まりですね

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 11:48:41 ID:L1TeVCD70
早速、中傷か。
情けない。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:01:12 ID:i88gqwnq0
中傷は孔明信者が多い

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:24:37 ID:1n1cSy3g0
諸葛亮と司馬懿が逆の立場だったらと考えると、
司馬懿は孟達や公孫淵討伐で見せた電撃戦と蜀の天険を生かした守備を組み合わせて
正面からぶつかることを回避して、戦うしかないね。
電撃戦は一度きりなら通用するだろうが、軍事研究家の諸葛亮に何度も通じるとは思えない
守備に徹するにしても、謀略や権力闘争は得意でも、高次の政治が苦手で人望があまりない
司馬懿は長く都を留守にできないだろう(この場合、司馬懿は蜀の丞相だから)

リスク回避の諸葛亮が蜀を滅亡させることは難しいだろうが、指揮官交代の混乱をつけば
あるいは、と思う。
少なくとも魏のコストはかなり少なくなるだろう

とにかく、実績だけで実力をはかるってのは、あまりにも短絡思考だろう

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:34:00 ID:hoHNajKxO
まあよくやったんじゃあない?蜀=孔明だからね。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:34:53 ID:wVvirePm0
諸葛亮って北伐の時は正面からぶつかりたがってたよな

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 13:12:23 ID:C+7PKDEE0
>>444
スレの名前がアレだから仕方ない。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 13:23:01 ID:Od6qQtN/O
>>447
諸葛亮が魏に仕えてたら仲達や陳群を抑えてたろうって灰焼死も言ってるくらいだしね

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 13:50:25 ID:vkKBjADZO
>>451
その話は公人としてであって、軍人としての評価じゃなくね?

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 15:09:55 ID:Ivw9sCKOO
要するに、宰相として国家を主導するだけでなく
蜀軍総司令官も兼務せざるを得なかったのが不幸だ。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 15:27:38 ID:1n1cSy3g0
しかし、ここの>>1を含めた、アンチ諸葛亮の笑止なのは
正史にのっていないことと、実績をあげていないことばかりを述べて、
他の史料(注も含む)や民間伝承を全く信用できないと言っている点だな

確かに、演義の方がより歴史を反映していると言っていた変な人も三・戦にはいたが、
演義そのものは明代にできたとしても、
もととなった晋代の頃からあると思われる伝承や説話を完全に無視するのも
歴史を学ぶ姿勢としてどうか思う。
信用できないといっても、それができた背景を考えることも重要だ

また、兵法や陣形も後世の仮託といっているが
(八陣は馬隆が使っているから時代的に諸葛亮が開発したとしか言いようがないが)

それならば、曹操の孫子注釈も怪しむことができるのにそれをしない
(もっといえば、酒の開発や詩も本人の創作か怪しむことができる

ダブルスタンダードもいいところだろ

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 16:13:54 ID:L1TeVCD70
>>454
そういうのを理解できないから
アンチになるんだよ
正史絶対主義に浸るのは一過的にあることかもしれんが
それが定着してしまうと偏屈で自分勝手な価値を
押し付けるだけの傍迷惑な存在になるからね

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 16:22:14 ID:7y9BXR420
じゃあ諸葛亮神様でいんじゃね

黄巾から戦い続けた曹操や劉備はどうなるんだって話だけど

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 16:34:24 ID:C+7PKDEE0
>>456
孔明さんは、実際道教とかで神になってるよ・・・

劉備は皇帝即位してるから天子。
曹操は後漢丞相。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 16:39:21 ID:Ig97jsO10
>>454
曹操がやったのは酒の開発じゃなくて
ある人がやった酒の仕込み方を記録として朝廷に残した事

なんだけど

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 17:31:56 ID:7y9BXR420
>>457
いまは道教神の話でしたか?違うよね

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 17:32:53 ID:7y9BXR420
付け加えて言うなら曹操は最終的には魏の武帝ね

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 18:17:12 ID:C+7PKDEE0
>>459
>じゃあ諸葛亮神様でいんじゃね
実際に神様になってるって言っただけじゃん。
何でそんなに短気なんだ?

>付け加えて言うなら曹操は最終的には魏の武帝ね
死後は天子(天子の意味位調べてね)になれない。
曹操の時代、天帝の変りに地上を治めたのは後漢献帝。

武帝は曹魏からの追号。結局天子じゃない。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 18:20:10 ID:C+7PKDEE0
>>459
追加、アンカー使ってくだされ。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 18:35:04 ID:/+uOnMXX0
ソウテンコウロで、曹操を初代皇帝と書いていたから、その辺で勘違いしているのも
まだいるのかな? いまさらという気もしないでもないが。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:10:50 ID:GF6GDKHo0
むしろ後漢丞相で終わってりゃその名声は孔明を凌いでたろうに惜しいことしたな
袁紹が劉虞を担ごうとしたとき反対し、飽くまでも献帝を擁護して東奔西走し
魏王なんてなろうとせず一丞相のまま生涯を全うし、息子じゃなく徳のある人物に後を託す・・・
・・・だったら朱子学者たちには今頃大絶賛されてたろうにね

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:11:50 ID:L1TeVCD70
ID:7y9BXR420は見苦しい
諸葛亮は神様でよくね?→>>457「諸葛亮は神様になってる」
今って道教の神様の話だっけ?

こうやってアンチは
自分勝手に話題を提示して
それを論破させると逃げ出すのか?

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:14:33 ID:i88gqwnq0
道教で神様 笑

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:17:09 ID:C+7PKDEE0
>>466
すまん、君が何を言いたいのかが解らない。

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:20:40 ID:i88gqwnq0
それなら関羽最高だな
劉邦とかより

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:28:36 ID:C+7PKDEE0
>>468
関羽は一時期、最高神になたからね。(その後降格しちゃったけれど・・・)
三清より上に位置づけされたのは凄い事だね。

で、そそ様は?(笑)

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:30:16 ID:i88gqwnq0
曹操は道教なんて糞教なんてどうでもいいんだろう

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:36:13 ID:C+7PKDEE0
>>470
ここで張魯(五斗米道)の話を持ってこない時点で君は、
まるで駄目だなw

五斗米道を保護した、そそ様可哀相。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:48:14 ID:L1TeVCD70
>>467
陶弘景の当時の神々のヒエラルキーを描いた「真霊位業図」では
実は劉備や曹操も神として名を連ねてる
第7階鄷都北陰大帝の官僚として秦始皇帝を筆頭幹部とした組織に所属
しかし、あまり力を持たない神
天帝の一人にまでなった関帝とはまさに天と地の差

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:48:52 ID:L1TeVCD70
すまん、>>469向け

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 20:02:22 ID:C+7PKDEE0
>>472
467へのパスで何が有るんだろうと考えてしまったw

真霊位業図は劉備(三国志の中で)だけが神の位に居るのかと思ってた。
そそ様も神の位置に居たんですか。勉強になりました。

でも真霊位業図では、まだ関羽は評価されていないですよね?

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 20:10:09 ID:L1TeVCD70
関羽は隋代に仏教からのアプローチほうが
速かったとも言われてるからね。
この頃はまだ評価されてなかったはず。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 21:30:01 ID:a5iksmlT0
劉備さんは部下の方がはるかに出世しまくってるな
張飛ぐらいか一緒に付き合ってくれてるのは

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 17:13:01 ID:bQuREpV90
影響力でいえば曹操より孔明のほうが100倍上


478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 18:03:26 ID:Qq+BAFVc0
>>477
おいおいw

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 18:54:36 ID:+0GYSfzgO
陳寿「孔明に軍事の才能とか無くね?えらそうに北伐とかやってんじゃねーよ(笑)」

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 19:06:09 ID:sgrEIcjk0
百倍は言い過ぎ、せいぜい十倍くらいだろう
身の処し方が明暗を分けてるところは多分にあるが

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 19:06:59 ID:pxCatIPA0
>>479
正史読んでない奴がえらそうに語ってんじゃねーよ(笑)

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 19:12:47 ID:g4qDJSbo0
でも、正史っていかにも怪しいよな
曹操の称え方なんてまるで北の将軍様みたいだよ

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 20:45:12 ID:K3y6DGV10
仮に電撃戦で長安を落としたとしてもその後が続かない。魏は長安を落とされてもそこまで深刻というわけじゃない。ギエンの策は単なるイノシシ。
蜀が勝つには長安を落とすと同時に洛陽を落として司隸方面を安定させることが必要。孔明が全権を握った時点でほぼ不可能。
可能性があるとすれば呉との連携がもっと上手くいけば、だけど同格同士が連携して格上を潰すなんて個人間でも難しいのに、国同士ではまず無理。

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 21:16:03 ID:zt4kE8uJ0
安土桃山時代や江戸時代だと、孔明は日本にも影響を及ぼしている。
曹操はその期間は日本じゃ評価対象外。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:00:20 ID:K3y6DGV10
後世への影響では孔明>>>曹操だな。
曹操がこんな高い評価されているのは陳舜臣以降の日本限定。中国本国ではいまだ曹操は極悪人だよ、

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:02:26 ID:sgrEIcjk0
楠木流兵学が諸葛孔明の流れを組むとか竹中半兵衛が今孔明だとかみんな孔明大好きだよな
つかさ「お前を得てまさに劉備が孔明を得たような気持ちだ」とかは言えるし
実際言った人もいるけど「お前を得てまさに献帝が曹操を得たような気持ちだ」なんて言ったら
言われた相手はこの人俺のことが嫌いなんかと思ってしまうよね
曹操はその人生そのものに暗い影が差している、これが孔明の十分の一でしかなくなってしまった理由

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:14:41 ID:eEoEDmNv0
>>485
適当な事を言うな。曹操が評価されてるのは毛沢東からだぞ。
逆に言えばそれまで、敵役だったのに国のトップが評価しただけで手の平を
返すのがあの国なんだし。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:29:11 ID:K3y6DGV10
それは始皇帝。毛沢東がいつ曹操を評価した?

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:33:50 ID:K3y6DGV10
悪い、変なこといった。毛沢東からじゃなくて郭沫若からだな。
ただそれが一般には全然浸透してない。相変わらず京劇では悪人扱いだろ。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:35:15 ID:eEoEDmNv0
毛沢東 曹操でググレ

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:38:25 ID:K3y6DGV10
再度訂正。

毛沢東も曹操を評価する言葉を残しているが、本当の意味での曹操再評価の動きは郭沫若から。郭沫若に対して批判が集まったことからしても毛沢東の言葉はあまり重みが無かったことがわかる。
しかしそれは中国本国では一時の流行で終わって、曹操の評価ということに関しては伝統的なものとあまり変わりない。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:39:52 ID:eEoEDmNv0
それこそなに言ってるんだ?
京劇なんていろんなシナリオ、地方色が高くて郷土の英雄が主人公の
話が多くて、それこそ呂布ですらメインだったり蜀将が敵役の話もあるんだぞ。

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:43:35 ID:K3y6DGV10
メインは明らかに演義ベースの劉備=善、曹操=悪だろ。一般にまでこんな曹操再評価が浸透してるのは日本だけだよ。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:52:27 ID:eEoEDmNv0
基本的に考え方がおかしい。
今の日本の三国志の下地になっているのは演義ではなく吉川三国志。
もともと、再評価とか悪という感覚をあまり持ち合わせていない。
あの国も最近までは学ぶことが多数の人間ができなかったから
娯楽的なものとかが中心であっただけ。
情報過多の今は三国志すら知らない人も多いし、正史も知識人のみの
ものでもなくなっている。

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:56:37 ID:zt4kE8uJ0
>>492
>呂布ですらメイン
京劇見た事ねーんですかい?
呂布と貂嬋、覇王別姫、は超人気演目ですよ?
覇王別姫はマジで泣ける。

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:58:27 ID:K3y6DGV10
???

「中国でのメインは」といったつもりだが。解るか?

「伝統的な評価」曹操極悪人→「中国現代」同じ。

上から分かれて日本「吉川三国志」魅力的な悪役→日本「秘本三国志」他三国志の真の主役

となったわけだが。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:59:01 ID:eEoEDmNv0
>>495
演義の呂布と京劇の呂布。
この二つの意味をもう一度考えてごらん。

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:02:52 ID:eEoEDmNv0
>>496
中国人を馬鹿にしてないか?
地方の農村とかは知らんが、ある程度の知識をもってる人は正史と演義
分けていたぞ。

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:04:43 ID:zt4kE8uJ0
>>497
京劇の話題を振ったのはあんただ。
自分で話題振って、それから逃げるってどうなのよ?

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:08:16 ID:eEoEDmNv0
>>499
俺からじゃねーよ。適当にレス読んでるのか?

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:11:40 ID:zt4kE8uJ0
>>500
489からか…正直悪かった。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:16:55 ID:3RIBIx2T0
曹操再評価の先駆けは李卓吾だと言ってみる。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:23:41 ID:zt4kE8uJ0
曹操再評価なんってどうでもいい。
孔明の話しようぜぃ。

日本への三国志の輸入は何時だか定かではない。
でも、蘇我入鹿の時代には三国志が輸入されてるみたいだね。
董卓の如しと言われてるし。

孔明の話は太平記にあったな。それより前ってある?

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:42:50 ID:sgrEIcjk0
空海が孔明について触れてるのが一番最初か?

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 00:03:13 ID:GpeU3C560
曹操再評価ってほど大袈裟なものでもないだろ
大悪党から悪党くらいに引き上げられた程度
過去からの伝統だが、あの国の偉人は「義」に厚くないと
認められんのよ
偉大な漢帝国をぶっ潰した大悪党
この汚名はいつまでも付きまとうだろうな

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:08:19 ID:mhPlRsyb0
曹操は中国最大の過大評価

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:22:28 ID:LhSFVfWz0
またかよ、って思う。
なんで孔明評価スレで曹操の評価がこんなに問題になるんだが。

以前にも出たが曹操を低く評価しても孔明の評価には関係ないし、そもそも後世の
評価なんてものを持ち出したところで当人の実績・能力の証明にもならないだろう。

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:23:03 ID:M1jh++v90
帰国した遣唐使が八陣を大宰府の役人に授けたのが記録上たぶん日本最初の孔明体験
空海より前の話

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:47:59 ID:1JEVpUWm0
>>507
曹操スレは別にあるのになーw

>>508
孔明が編み出して、晋時代に使った八陣図?

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:50:34 ID:M1jh++v90
このとき大宰府の役人が孫子九地も授けられてる事実は
日唐で孔明が兵法家に準じた扱いをされてたことの傍証になる
単にめぼしい陣法が少なかっただけかも知れんが
ちなみに蘇我入鹿を董卓と呼んだのは奈良時代の文献なので
飛鳥時代に三国志があったかは不明
日本人が三国志・後漢書で漢末の事物に触れるのはたぶん奈良時代以降のこと

あと鎌倉時代の禅僧が朱子学研究で出師の表を読み込んだあたりから
日本の孔明評価は忠義の人ということで固まりつつあった

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:56:14 ID:1JEVpUWm0
>>510
あなたは神だ。
勉強になりました。

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 15:09:15 ID:nUholBJCO
陳寿「張良から比べたら孔明は雑魚じゃね?北伐なんて無駄」

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 15:29:14 ID:4BLEBYGp0
孔明の軍事能力と関係ないほうに話が進んでいくー!

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 16:29:11 ID:q2hs2ah/O
たぶんこのスレは『陳寿の人物評価は妥当か!?検証スレ』なんだよ。
誰かの話で盛り上がり、飽き足ら孔明の話をチョコっとする。
で、また違う人の話をして…の繰り返し。

純粋に軍事的な話で盛り上がるとは思えないし、こんなもんじゃね?

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 16:52:29 ID:vDJy9jN/0
つうか、>>512みたいなのは、陳寿に対する冒涜だよな。
どうせなら自分の責任で言えばいいのに、陳寿をひきあいに
だしているところが卑怯で惨めだ。
陳寿がそう記しているならともかくとして。

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 19:01:07 ID:GpeU3C560
そんなこといったら、演義冒涜なんて酷すぎるにもほどがあるぞ。


517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 19:59:28 ID:ygIxC/T30
>>516
話の流れと関係無さそうだけど、一応どういう冒涜か具体例挙げてくれ

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 20:05:56 ID:1JEVpUWm0
>>516
三国志=正史であり歴史書

三国志演義=四大奇書&講談の集大成
      つーか小説

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 20:33:35 ID:vDJy9jN/0
>>516
演義は演義でおもしろいから好きだが、あれを評価の一端として
持ち出すことはできない。
徳川吉宗の評価するのに、暴れん坊将軍もってはこないでしょ?

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 21:30:06 ID:ZquGVD350
演義だと仲達が孔明に勝ってたり敗因は曹真が足を引っ張ったりとかしてるけど
残念ながら正史じゃほぼ一方的にやられてるんだよな・・・

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:24:51 ID:GpeU3C560
>>516
中国では三国志と言えば常識は演義
正史はあってないようなもの
当然、中国人も演義と正史の区別は理解できているし
正史の意味合いも知っている
しかし、演義こそが正統として語り継いでいる
一部の厚顔な日本人がそういう価値観を勝手に捻じ曲げている
中国伝統文化である三国志演義への侮辱であり、傲慢すぎると思わないか?

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:25:30 ID:GpeU3C560
すまん、>>517向け

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:29:03 ID:ygIxC/T30
やっぱり流れと関係無かったなw

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:32:51 ID:GpeU3C560
それはすまなかった
まあ、言いたいことを漏らさず言いたかっただけさ

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:48:37 ID:q2hs2ah/O
>>516
演義はなんら冒涜してないだろ?

孔明は賢者であり、神秘的、魔術師的な能力の持ち主であっても、
それ以上の存在であるような描かれ方はしてないんじゃない?。
史実をもとに書かれてるだけあって、史実にあるように

軍事面<その他の能力

という評価は変わってないと思う。
演義では長安〜洛陽まで落としたが、その巨大すぎる功績を疎まれて、
撤退を余儀なくされた――とかいったフカシもないし、
やはり司令官としては、能力的な限界があったという評価しかできないよ。

そういう意味では演義も、陳寿と同じ評価をしてると思う。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 00:17:37 ID:ZwD3l4HW0
三国演義を冒涜していると言っているんでしょ。
わからなくもない。いわゆるにちゃんの正史厨というやつか?

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 00:26:10 ID:Mc49kfRt0
そういった話はよそでやってくんない?
>>516も言いたいこといっただけで流れと関係無かったと認めてるし

528 :名無しの権瓶:2008/05/02(金) 00:47:08 ID:QE1COodn0
正史ってのは、次の時代の権力者が作ったもので、いくらかは捏造があるらしい。

正史は晋で作られているので、魏にかなり有利に作られていてもしょうがないらしい。

演技は蜀の将軍だった人(違ったらごめん)が作ったから、これまた蜀に有利に作られているらしい。

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 00:53:57 ID:qsueS7tqO
よく知らないなら無理に語るなよ馬鹿が

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 01:25:14 ID:pAfenFAf0
後世、朱子学の「蜀漢正統論」の影響から魏が必要以上に貶められ蜀が持ち上げられたのもあるだろう。
で、曹操は不当な評価を受け諸葛亮は過剰な評価を受けたんだろ

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 02:02:04 ID:MddGv/3M0
三国志 有利順 正統魏 皇叔の蜀 蛮族の呉

魏は帝位で書いてある。
蜀は先主とある。(一応漢の皇叔だからか?)
呉はそのまま孫権とか名前だけ。

司馬炎は孔明の様な人物を、宰相として欲しがったと漢晋春秋にある。
宰相だから軍才は無いと思ったのかね?

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 02:04:31 ID:l/Jxejkf0
皇叔って演義設定書いた時点で説得力皆無になるよ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 02:16:03 ID:c8Fs6Pv9O


534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 02:24:23 ID:MddGv/3M0
>>532
正史でも皇叔の称号をもらってなっかったっけ?
それとも自称か私の勘違い?

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 02:33:04 ID:MddGv/3M0
調べ治したら、漢景帝子中山靖王勝之後也、とある
少なくとも皇室から繋がる人物である事は、自称はしていたみたいだね。

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 07:51:32 ID:/M5/I5RB0
先主姓劉諱備字玄徳たく郡たく縣人 漢景帝子中山靖王勝之後也
この「也」が何で「自称」と訳されるのか分からん
景帝の子孫であることは間違いないだろ?価値があんまりないってだけで

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 08:53:10 ID:Ui6VcoLv0
>>536
子供だけで数十人いる前漢の王の子孫だからね
無価値とは言わないけど

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 09:29:33 ID:JZypClbDO
>>531
晋書では司馬昭が孔明の兵法を研究させたり羊コが孔明以上だと褒めたたえられたりしてる
蜀の民でしかない陳寿と直接戦った魏晋の将軍たちとの認識の違いということかも知れない
前者にとっては有能な統治者でしかないが後者にとってはただの手強い敵でしかない

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 09:42:35 ID:Gauq0dva0
>>537
孫堅の「おおよそ孫武の子孫なのだろう」(蓋孫武之後也)
よりは確からしいんだろう。

陳寿が敢えて蜀と呉に差をつけようとしたのかもしれないけど。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 11:26:55 ID:F1QVRJLc0
劉備が皇帝の末孫である証拠として残ってる家系図って
劉勝の代から200年くらい抜けてていきなり劉備のじいさんの代まで飛んでるんでしょ
孫堅の孫武の末裔ってのとドングリの背比べだと思う。

確かだとしても劉勝って子沢山だったし傍系まで考えたら相当縁は遠いんじゃない?劉虞とかのがよっぽど正当性あるんじゃないか?

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 12:53:40 ID:JZypClbDO
>>540
正史=歴史の記述を覆したいならちゃんと根拠を挙げないとな
小説だと「自称」という表現を使ってることはよくあるし、それとごっちゃになってない?

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 13:02:13 ID:Gauq0dva0
>>540
少なくとも「陳寿は確からしいと考えた」んだろう。
わざわざおおよそ(蓋)ってつけられた孫堅と比べれば。

てかここで劉虞と比べるなよ。

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 13:41:38 ID:F1QVRJLc0
>>541
別にそんな大それたモンじゃないよ
ただこういう話もあるし、劉備だけ特別信憑性あるってわけじゃなくね?と思ったしだいでありまして

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 13:59:49 ID:JZypClbDO
>>543
系図が載ってないのは劉焉、劉表、劉曄それぞれの伝でも同じだよ
表現の仕方も全く同じで姓名字を紹介した後、魯恭王や光武帝の「後也」で締めてるのも同じ
むしろ何であなたは劉備だけ特別に疑問視するの?

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 14:06:40 ID:MddGv/3M0
劉備スレからコピペ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 15:53:23 ID:Ov2VhAAJ0
 劉備は自ら西漢の景帝の第8子、中山王劉勝(生年不詳 - 前113年)の末裔と主張していた。劉勝には、劉貞を初め、孫
も含めて120人以上の子を残しており、劉備の直接の祖とされる劉貞は、紀元前116年に涿郡涿県の列侯として爵位を賜
った。だが、紀元前112年の年始頃に、劉貞は皇族のみに課された漢朝への上納金を納めなかったために、叔父である武
帝の逆鱗に触れてしまい、侯の地位を取り上げられそのまま涿県に住居していたという。そのため、系図もそこで止まって
おり、劉備との系図の繋がりを確認することはできない。以降の劉備の家系は歴史研究学者の事実に基づいた検証の積
み重ねの成果と、まだ発掘されてない当時の記録書が発掘されることを期待するのみである。

 その一方で、当時の東漢では西漢以来の歴代皇帝の末裔に対して幅広い税の減免が認められていたため、一般の住
民が勝手に漢の皇帝の末裔の証しとも言える劉姓を名乗ることは重大な違法行為であり、もちろんそのような事を行なうこ
とは困難であったとされている。そのため、劉備の主張を単純に嘘と決めつける事はできない。

 また、中山王劉勝は淫色に耽った王として有名であり、子は50人以上もいたため、約300年後の当時には中山王の末裔
は中山国を初め、涿郡や常山郡などに拡がっていたと思われる。仮に劉備が中山王の末裔だとしても、あまり価値はなく
劉備同様に没落して庶民同様に零落した家は珍しくなかったと思われる。 逆に言えば、劉備が中山王の末裔だった可能性
も充分にあると言える。

 なお、『三国演義』では献帝の前で、劉貞から劉雄までの間の13代を読み上げられる場面が書かれているが、これはもち
ろん創作である。



だとさ

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 14:09:33 ID:c8Fs6Pv9O
少なくとも、孫武の子孫説とどんぐりの背くらべって事は無い

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 14:20:15 ID:MddGv/3M0
劉備が帝位についた正当性の一つに、中山靖王の後裔であることを根拠にしている。
孔明の策なんだけどね…

孔明は軍才よりも、政才の方がLV高いね。
この場合は戦略と考えた方がよろしいかな?

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 14:50:23 ID:F1QVRJLc0
いやだから血統としてそんなに抜きん出ているのかと…
別に劉備だからウソだろうって言ってるわけじゃないんだよ
ただよく繋がりがわからない劉備よりは同時代の群雄にもっと皇室に近いヤツが居たんじゃない?って言ってるんだよ
正当性を主張するんならさ。
まあそれ言ったら袁家でも袁紹よか袁術のが血筋がいいし、乱世だから実力が第一ってのはわかるんだけどさ。
そんなに高らかに正統だ!って言える血統なのかと思ってさ

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 15:53:48 ID:fXCE4cdM0
>>548
劉備は史実では皇族の遠縁でそれ以上でもそれ以下でもない
前漢の血筋だから、後漢時代では本当に劉氏ってだけの存在

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 16:41:24 ID:JZypClbDO
そりゃあ劉表が奮起して許都から帝を救出して曹操と全面対決するような人物だったら
孔明も劉表に仕えてただろうし、劉表が漢中王や帝に推挙されていたろう
漢室の末裔は数多くいても義士として動く人となるとそれは少かったということだな

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 18:12:15 ID:fXCE4cdM0
>>550
奮起してもそんな救出だなんて事出来る状況じゃないんだが

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 18:32:34 ID:McsFN53E0
「孔明」で検索して、2ちゃん中のスレッドをいったが、アンチの粘着ぶりは相当なものだな

擁護する相手は全て信者呼ばわりで、『ファビョる』など口汚い、低レベルな悪口に終始している。
こんなことに人生を捧げている連中は絶対にバカだろ


553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 18:37:16 ID:KGaFN/PE0
>劉備は自ら西漢の景帝の第8子、中山王劉勝(生年不詳 - 前113年)の末裔と主張していた。
これは嘘だろ・・・孔明が主張してるというのなら分かるが(孫権への使者になったときや漢中王推戴時など)
ひょっとして演義とごっちゃになってるのか?なら話は分かる
自己紹介するときに自分で漢室の末裔だと名乗りまくってるからな

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 18:53:06 ID:Vo8PkcYL0
>>552
世の中では通用しない妄執に浸ってるアホなんてほっとけって。
いつの時代でも諸葛亮は中国を代表する大人物という事実は揺るぎようがない。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 20:17:20 ID:MddGv/3M0
>>552
なんで孔明って叩かれるのかな?
魏延スキーなら、解らなくもないけれど。

演技で劉登場早々、こいつ裏切ります劉備殿。とか、北伐で爆殺しようとしてるしね。孔明がw

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 20:55:41 ID:tPO7xR/K0
そういう有名人や偉人は「実はたいしたこと無い」と貶すことで自分の惨めな境遇を忘れたい輩が多いのさ。
アンチイチローとか週刊現代とか。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 00:02:01 ID:sbPnx3tz0
やっぱ演義と正史で明らかに評価分かれてるから二極化するんだろ
ちょうど曹操のように

演義系から入ったやつは大抵蜀が好きになり正史系から入ったやつは大抵魏が好きになりマンガからは言ったやつは大抵呉が好きになり…
やっぱどんだけ知識は増えても最初のイメージってなかなか抜けないしなあ

ついでに言うと俺は吉川三国志から入ったのに曹操が好きになった少数派な人だがw


558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 00:10:34 ID:SlUTQmtb0
>>557
吉川三国志は曹操を蒼天よりも魅力的に描いているだろ
少数派とは言わん

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 00:26:21 ID:CLJ56cHH0
>正史系から入ったやつは大抵魏が好きになりマンガからは言ったやつは大抵呉が好きになり…

この辺もどうだろう…
呉好きはゲームから入った人が多そうだ

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 00:28:11 ID:jNBOMYmr0
でも、吉川三国志や横光三国志で魅力的な悪役に引き上げてもらったのに
何故かそれらの作品を叩きまくる奇妙な曹操好きも居るよな

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 00:38:27 ID:OguqYeWr0
>>560
人、それを蒼天厨と言う。
吉川三国志や横光三国志をダサイと言う奴に多い。

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 00:57:30 ID:sbPnx3tz0
>>558
そうかあ!?けっこう情けないじゃんw
確かに魅力的な悪役だけど

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 02:17:29 ID:4GH/nXI10
>>205
わざわざ性器を見せる意図は?

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 08:05:55 ID:b0aC2eXPO
演義の曹操は主人公っぽい、悩むし泣くし笑うし部下たちとの仲も良さそう
でも孔明が現われると主役交代が起こる…ってこれは吉川さんも言ってたかな
でも正史から入ったから魏好きになるというのはどうだろう?
演義の存在しなかった時代、正史のみしかなかった時代でも後世の受けはやはり孔明>曹操だった

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 08:42:53 ID:J5mOrIWV0
知識人の間でも蜀漢正統論が結構出るくらいだしな。
国の成り立ちとか陳寿の微妙な蜀贔屓とかが
蜀の地位を引き上げてるんじゃないかね。

魏は禅譲を受けた、実質的に最大の政権という点があるけど
呉には何も無いなw 演義の成立過程で地味な役になっていくのも分かる。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 08:58:24 ID:rPjonKKG0
正史から入る人はむちゃくちゃ少数派
魏派はゲームの曹操の能力値の高さに魅了されたからか、蒼天から入った人が多い

だから、魏派は蜀や呉に比べて、「蜀や呉が魏に比べて、人材の能力が低い」だの、
「曹操は空前の英雄、蜀や呉(時々、劉秀、李世民や韓信など)はゴミにすぎない」
「演義しか読んでいない蜀信者」「無双しかしていない呉信者」
などという低レベルかつ下劣な書き込みをするものが圧倒的に多い。

一番の戦犯はやはり、ゴンタ『そうてんこうろ』
周瑜は魏の武将では約20位。孔明は曹操の記憶では影のうすい存在。
公式にこういう人を貶めるやり方をバカどもに教えやがった。

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 10:25:20 ID:jNBOMYmr0
正史ははっきり言って読み物としては凄まじくつまらないからな。
例え正史好きでも、演義を土台にして「ここは正史と違う、正史ではこうだ!」と
言いながら見るのが魏ファンの幸せな見方だと思う。

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 13:42:54 ID:5QFOzuBV0
>公式にこういう人を貶めるやり方をバカどもに教えやがった。

これは演義の方が罪深いな。
蜀側の人間ではないというだけで、死に方や没年まで変えられてまで
単なる笑い者のやられ役になり下がった偉人は数えきれない。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 14:35:55 ID:sbPnx3tz0
正史って読み物って言えるのかアレ?紀伝体で物凄く読みにくいし完全に歴史の本って感じだよな。
ていうかね
>公式にこういう人を貶めるやり方をバカどもに教えやがった。

とかって言う人のほうが実は一番漫画とかのイメージにこだわってるし影響されてると思うのよね

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 15:14:50 ID:uXhNTO3I0
そもそも何度もどこかここでも言われているように、国史である《三国志》と
講談をもとに綴った小説『三国演義』を同じ土俵で語るからおかしくなるわけで。
『蒼天航路』や『吉川・三国志』『英雄ここにあり』とかを同列に語っていくならともかく。
ちなみに、マンガとしての『蒼天航路』は好きだ。
しかしあれをもとに、曹操や諸葛亮を評価することはありえない。

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 15:49:42 ID:HgWO3Hhz0
どうしても曹操およびそのファンを貶さないとやっていけんのかね孔明ファンは

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 15:59:36 ID:uXhNTO3I0
べつに諸葛亮ファンに限らないんじゃない?
歴史好きは、特定の個人だけを手放しで誉めたおさないでしょ。
あれはいいが、ここは悪い、とするのが公正かつ理性的な評価というわけで。
それをせずに、だれそれ一番、とか言ってる手合いを嫌うってのが本当ではないかなと。

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 16:26:34 ID:J5mOrIWV0
>「蜀や呉が魏に比べて、人材の能力が低い」だの
って感じのは蒼天が流行る前(あるいは蒼天の官渡以前まで)
のころから居るしなあ。
記述量だけ見りゃ魏の武将のほうが多いんだし。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 16:40:32 ID:4BW79n3f0
>>573
蒼天ってもう呂布戦の頃には画力がスゴイだのなんだのと騒がれてたし
董卓の辺りではネオ三国志とか言ってかなり売れてるんだが
何で官渡?

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 16:47:58 ID:OguqYeWr0
>>571
孔明の軍事の才を計るのに、曹操を持ってくるのが個々のアンチ孔明の人
>>1とかね

>>574
>董卓の辺り
まだ原作者(原案者)が生きていた

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 16:52:02 ID:J5mOrIWV0
>>574
官渡以前の蒼天で魏が好きになっても、
それで史実の魏将が褒めるような発想にはならないでしょ。
官渡まではかなりオリジナルな展開だから。

官渡〜赤壁以降は若干史実寄り(と感じさせる)展開になってくるでしょ。
温恢や蒋済がでてきたり、夏侯淵がクローズアップされたり。
それを史実の評価に直結させるような人も居るんじゃないかと思うんだよね。

別に官渡以前は蒼天流行ってないよ、とかそういう話じゃないよ。(あるいは〜ってつけてるでしょ)

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 17:29:18 ID:4BW79n3f0
>>576
曹操マンセーなんて官渡以前からずっとやってたじゃないか

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 18:06:35 ID:uXhNTO3I0
蒼天の曹操は官渡前までのほうが、魅力的だと思うな。最近読み返したからなお。

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 18:50:47 ID:J5mOrIWV0
>>577
内容の話だよ。ほぼフィクションの前半と
史実っぽい雰囲気の後半。

前半見て曹操を好きになるのは、演義見て劉備好きになるのと一緒でしょ?
あくまでフィクションとして好きなわけで。
後半見て、それを史実だと思って史実の曹操を好きになられるから困るわけで。

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 18:58:32 ID:jNBOMYmr0
>>568
その元祖が正史でしょw
勝った側の国が「正史」なんて言葉で自分達の国の
正当性をアピールしてるんだから
寧ろ、正史でとりあげられなかった民間の話の方が事実に近いように思えるよ

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 19:39:48 ID:uXhNTO3I0
民間伝承って、趙雲が針刺されて死んだ、とかいうやつですか?
それが事実なら…

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 19:44:39 ID:4BW79n3f0
>>579
いや、史実っぽくない
あれはあれで中華風ファンタジーだったじゃん
正史正史って言うようになっただけで

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:13:38 ID:W3CuSyrvO
三国志の場合は、
負けた側が正史によって引き立てられてる珍しい例。

陳寿が晋の正当性を明らかにするなら、
魏書だけ書けば十分だった。

それをわざわざ蜀書と呉書を書いてだことに意味がある。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:15:25 ID:jNBOMYmr0
でも、結局は曹操マンセーが内容の大半だからな>正史
相対価値としてちょろちょろ書いておき、意図的に
魏の価値を上げたかったんじゃないの?

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:24:49 ID:4BW79n3f0
>>584
正史三国志をちゃんと読んでればそんな妄言を思いつく事もないのだが…

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:26:51 ID:J5mOrIWV0
>>582
だから「あれを「史実」と勘違いされたら困るなあ」って言ってるでしょ?読んでよ、ちゃんと。

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:29:23 ID:4BW79n3f0
>>586
あんなもんどうやったら史実と勘違いするんだ?って言ってるんだが
どう見ても中華風ファンタジーだろ

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:36:02 ID:N3SOyaD0O
馬謖め。
成功すれば長安や童関が落とせたのに。
白眉最も良しの兄貴が居れば間違いなく後継者だったのにな。

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:40:20 ID:4BW79n3f0
>>588
白眉な兄貴は軍の統率に携わった記述を見ないから未知数
残ってる業績だけで考えると外交官って感じだし

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:01:07 ID:J5mOrIWV0
>>587
蒼天以来夏侯淵やら法正やらがやたら高評価されるようになったと思うんだが。
あとは荊州関羽を巡る情勢についての議論の下敷きとして
蒼天の描写がやや入ってきたり。

全くそういうのを感じなかったんなら別に良いよ。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:14:03 ID:uXhNTO3I0
>>590
それをもっとも端的に評価したのは、たぶんコーエー。
三国志好きの大半はコーエーゲームから入っていると思われるから
その影響を二重に受けていたとしても不思議はない。
「武」とか「儒」とか一文字で表すようになったのも、その辺の影響と思われる。
演義とは違い、正史に準拠しているエピソードの類が、アンチ演義として認識され
それがなんだか正史と勘違いした人はいたかもしれないが。

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:16:10 ID:M3Z5SQ1jO
>寧ろ、正史でとりあげられなかった民間の話の方が事実に近いように思えるよ

こいつは民間伝承すら読んだ事ないのではと思うほどの妄言ばかりだな
万里橋の民間伝承が史実なら諸葛亮がわざわざ北伐しなくても魏への遠距離攻撃できるだろw

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:23:35 ID:4BW79n3f0
>>590
>あとは荊州関羽を巡る情勢についての議論の下敷きとして
具体的に何?
煽りじゃなくて本当に興味深いので教えて欲しい


594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:25:47 ID:uXhNTO3I0
そういえば、おれが知らんだけだったけど
関羽の北上で、曹操の膝元で反乱続出、ってのはにわかに言及されだしたような…

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:29:07 ID:RudueTz+0
>>589
馬良が生きてたら、間違いなく彼が後継者だったと思うよ?
荊州閥の古株の有力者だし、孔明に兄事してたみたいだし。
街亭で馬謖を無理押ししたのも、益州閥への牽制じゃないかと深読みしてみるテスト。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:31:43 ID:J5mOrIWV0
>>593
・同時期の魏領内での叛乱がやけにクローズアップされるようになる
・関羽が独断で動いていたという前提になる
・趙累の名前が出るようになる
・関羽軍の兵糧奪取がクローズアップされるようになる
・関羽北上が魏にとってかなりの危機感を煽るものだったとされる

別にこれらが間違ってるとは言わないけど
蒼天以前と以降じゃだいぶ議論の印象が違う。

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:41:25 ID:RudueTz+0
>趙累の名前が出るようになる

趙累に誤れ!
彼にだって語られる権利はあるんだ!

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:56:41 ID:4BW79n3f0
>>596
>同時期の魏領内での叛乱がやけにクローズアップされるようになる
元々
>関羽が独断で動いていたという前提になる
関羽が独断だったってのはもっと前から言われてた
結局独断じゃない事が傍証によってほぼ確定してるけど
>趙累の名前が出るようになる
これはその通りだな
>関羽軍の兵糧奪取がクローズアップされるようになる
元から
>関羽北上が魏にとってかなりの危機感を煽るものだったとされる
元から、ってかこれ演義ですら危機的だったって話になってるぞ

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 22:17:19 ID:OguqYeWr0
スレ読み直して『曹真』の名前が『曹操』より少ない事に落胆した。

孔明の前半の相手は曹真だろ…

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 22:19:19 ID:b0aC2eXPO
兵糧奪った話なんか「孔明99の謎」レベルの本でも載ってた話じゃん
蒼天厨のレベルって一体…

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 22:27:38 ID:b0aC2eXPO
>>590
あと法正も元々評価されてただろう
まさか「法正が生きていれば」って言われ出したのは蒼天以降だと思ってるのか?

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 22:31:14 ID:OguqYeWr0
>>601
Wikipediaからで悪いが、孔明曰く、
法孝直若在、則能主上制、令不東行。就復東行、必不傾危矣
ってあるな。

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 22:31:17 ID:sbPnx3tz0
あの漫画は曹操以上に関さん強すぎるからなw
やっぱ印象が強くなったんでないかい?

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 23:18:56 ID:SlUTQmtb0
>>603
あれの関羽と夏侯淵の描き方はひどかった
あれではどっちも狂人だ

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 23:40:19 ID:4BW79n3f0
あのマンガは普通の基準で言えば主要人物はほぼ全員気狂いの部類だよ

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 23:42:52 ID:SlUTQmtb0
>>605
あの漫画の基準で考えても狂ってたよ
特に司令官みずから万歳突撃を敢行した夏侯淵

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 23:48:21 ID:4BW79n3f0
>>606
蒼天的には万歳突撃はかなり優れた策なので問題なし
曹仁も関羽も、果ては若き日の曹操も万歳突撃ばかり

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 23:51:53 ID:SlUTQmtb0
>>607
いやいやいや
あれは張飛その他勢ぞろいしてるのに片腕負傷してる自分ひとりで突っ込んだんだぜ?
しかも最後は現実逃避しちゃってたし
実力の裏づけがあってやってた呂布とか関羽とはレベルの違う頭のおかしさだった

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 00:00:29 ID:3VFg2vw50
>>599
演義でボコられただけの人に用はないというわけですよ

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 01:07:31 ID:BaDlWD+R0
>>607
ナポレオンも司令官みずから万歳突撃して勝った事もあるような

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 01:26:43 ID:GvojCUqg0
>>610
光武帝だって万歳突撃してるよ
万歳突撃は全く効果ない訳じゃない
ただ蒼天はやり過ぎじゃないか?と言う話

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 04:28:53 ID:FHpm/R+OO
淵の万歳突撃はなあ、する必要のない万歳突撃だからアホに見えるんだよな
関さんの万歳突撃は切羽詰まっての突撃だったから違和感はなかったんだけどね

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 05:10:57 ID:iuWdhy870
そうてんこうろはスレ違い。

もうやめろよ…ウザ過ぎ

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 05:47:59 ID:QJSZvUa8O
たかが漫画の演出を真面目に語りすぎ

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 09:44:38 ID:myZFFFRr0
関羽は万人の敵と正史に書かれちゃうぐらいの武勇の持ち主だからなぁ。
張飛のように長坂橋の超人的活躍があれば判りやすいんだがそういうのも無いし
これをどう料理するか創作者も悩むだろう。

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 09:48:45 ID:Ya5xaVZc0
>>583
陳寿が魏書だけ書いて、
劉備、孫権らのことは群雄として袁術や袁紹の扱いに留めてたら、
「三国志」でさえなかったかもねえ。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 11:53:12 ID:BLF/ZO5G0
そんな現実無視の史書なんて正史になれなかったよ。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 11:58:59 ID:oYNAqrDHO
>>615
華雄撃破や五関突破をそのままやればよろしい
前者の酒が冷める前に倒して帰って来る演出も心憎いが後者の柱の後ろに隠れた便器様を
柱ごと輪切りにするという殺陣も素晴らしい、すぐに怪力乱神に走る蒼天は見習うべき

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 12:20:01 ID:3VFg2vw50
>>618
蒼天は関羽じゃなくて既に関帝様なのかと
思わせるほど人間離れしてたからなw

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 16:23:53 ID:rwyKOjJAO
(´・ω・`)あげ。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 17:56:29 ID:vy/Ymvz00
設問1
司馬懿は守りに入った司馬懿を倒せるか?
設問2
陸遜は司馬懿を何回遠征すれば倒せるのか?
設問3
曹操や劉備(in法正)であれば司馬懿を翻弄できたか?

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 17:57:28 ID:vy/Ymvz00
蒼天の夏侯渊万歳突撃の真の被害者は黄忠、
うそっしょぼい

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 18:59:27 ID:BLF/ZO5G0
>劉備(in法正)

アーッ!

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 18:57:58 ID:u33BsB1n0
あげ

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 20:49:01 ID:YIIbjYcIO
陳寿「無駄に北伐する孔明って何なの?あいつに軍事の才能は無かったんじゃないだろうか(笑)」

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 21:24:42 ID:q4vuAw5z0
習鑿歯「蜀漢を正統王朝としない三国志は価値無し。陳寿は馬鹿学者(笑)」

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 21:29:53 ID:q4vuAw5z0
朱熹「陳寿は正統王朝漢(蜀漢)を裏切った逆賊。神(諸葛亮)を評価できない愚か者。」

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 21:42:15 ID:YTXezlt0O
習鑿歯なんか東晋の人なのに既に蜀派に傾いているという…
朱子は張良と孔明を人物として評価したらしいがこれは人格者としてより王佐の才を評価して?

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 22:02:04 ID:dpNLgGN00
でも陳寿ってかなり諸葛亮のこと高評価してるよね

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 22:06:59 ID:q4vuAw5z0
習鑿歯の評

諸葛亮
まさに天才。軍事、政治、外交全てパーフェクト!
先主が夷陵で負けていなければ、蜀漢が天下を取ったであろう。

比較対象は何故か曹操w
簒奪者、親殺し、非道、外道、問答無用の屑野郎。

この人、曹操嫌いすぎw

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 22:10:59 ID:q4vuAw5z0
>>629
孔明党や、蜀漢正統論者の人からは、普通に評価低いよ?陳寿。


632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 22:36:24 ID:lFtqTmKm0
>>631
あれで評価低いのか…

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 22:48:04 ID:MN3Meqe4O
>>628
朱子が諸葛亮を評価したのは、彼のいた時代に関係がある。
北方の王朝が前王朝を滅ぼしたからといって、正統王朝とは認め難かった。
ましてや前王朝の血を引く人物が南方で王朝を開き、
その再興に人生を捧げた者を非難するなんてできやしなかった。

司馬温公も時代が時代なれば、同じ論調になったやもしれぬ。

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:15:18 ID:SsCL0Ujl0
>>632
そうでなきゃいくつかの陳寿私怨説が出てくるわけがない。
>>631がいう孔明党ってのは過去の知識人とかのことを指してると思うけどね。

今の日本の諸葛亮ヲタには陳寿の評価高いだろう。
一番手軽に入手できるちくま正史に陳寿が諸葛亮を褒めてる旨が書いてるし。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:16:30 ID:q4vuAw5z0
>>632
晋書の陳寿伝をみれば、その評価が解る。ボロクソに叩かれている。

まぁ…晋書自体の評価が低いんだがなぁ…

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:27:50 ID:lFtqTmKm0
史臣曰のところ?

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:31:13 ID:XSHyPFgr0
>>630
中国の伝統的評価じゃんw
ただ、東晋の時に知識人である習鑿歯がすでに諸葛亮伝説を形成していたとはな
実績がちょっと微妙でここまで讃えられた人って日本史でいえば、
聖徳太子・菅原道真・坂本龍馬ぐらいか?

でも、陳寿も哀れだな。後にここまで諸葛亮の再評価が高まるとは
本人は「地方政権の宰相にしては、とてもすごい人だったよ
    応変の奇略が足りなかったけどね」
って軽い気持ちで書いただけだろうに
(むしろ、蜀の人としてもっと讃えたかったのに、無理に抑えたと思われる)
後世、ここまでぼろくそにいわれ、諸葛亮アンチにまで発言をねつ造され、利用されるとは

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:44:25 ID:q4vuAw5z0
>>637
聖徳太子は外しとけ。
煬帝の頃、実際に手紙出してる人。

聖徳太子らしき人は隋書に実際に出てくるから。

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:51:25 ID:q4vuAw5z0
陳寿は儒教でも批判される人物だと言う事を、忘れちゃなんねーですよ。
当時のあの国で反儒教的行ないをしている時点で、人格者として否定されちゃう。
陳寿の評価が低い理由の一つにこれが有る。


640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:54:07 ID:7yV0+CEO0
陳寿といい司馬彪といい史家はどうもその時代の評判が悪いものなのかもしれん

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:24:59 ID:YA0kGPnZ0
>>640
華陽國志
『位望は其才に充たず、當時之を冤とす』
陳寿は下級官僚のまま生涯を終えた。

確かに漢書の班固とかも獄死だよね。

ただ班昭は出世しまくりだが…。処世術の違いかな?

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:26:53 ID:GLLOvuI50
>>641
下手に事実を書いて当時の王朝を軽んじると
司馬遷みたいにチンポちょん切られたりするのを恐れたんじゃないか?

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:29:07 ID:rMEpQzM20
>>641
司馬遷:宮刑
班固:獄死
范曄:反乱処刑

実は陳寿は正史の編者にしてはマシな方だ

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:37:57 ID:YA0kGPnZ0
>>643
房玄齢:秦王府十八学士筆頭

凄い人はやっぱり凄いですよ

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:42:44 ID:GLLOvuI50
>>644
房玄齢は唐王朝の中心的人物でもあったから
唐王朝を悪く書くような真似なんてしないだろう
陳寿の場合は、その立場が微妙なんだと思う

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:59:13 ID:YA0kGPnZ0
>>645
どうやったら、その時代の人物がその時代の正史を撰するんだ?
タイムマシーンでも使うのか?

房玄齢達が撰して作り上げたのは正史なら晋書だけだぞ?

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 01:28:44 ID:QUveKKur0
房玄齢は現代でいう監修者みたいな役回りだったのでは?

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 03:20:54 ID:kruTfKNT0
当代の正史を撰してはいないが
高祖・太宗実録を編修したのが旧唐書のおおもとになったて話だろう

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 06:00:32 ID:YA0kGPnZ0
裴松之の名前が出てないね。
この人の「注」が入った物が本物の三国志ではなかろうか?

陳寿の三国志で出て来ない
孟獲の逸話などが「注」入りから見受けられる
何故陳寿の三国志に出てこないのか。
これの理由は曹魏と関係が無いからと推測される

「注」入りから
諸葛亮は孟獲に対し、実際に七縱七禽を行なったとされる。
また、孟獲は漢族と南蛮族とのハーフであるとの事。

陳寿の三国志だけ見ていては
諸葛亮の軍事能力が解らない根拠になるね。

裴松之自体は、陳寿の事を敬愛していたみたいだけれど
これが後の演技への伏線である(笑)

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 09:21:39 ID:/47VbuVwO
>>638
聖徳太子の隨への国書の逸話は日本書紀には載っておらず
たまたま礼儀知らずな手紙を書いたことを後で気付いて抹消しようとしたというのが正確なところか

>>644
それまでは個人が書いた歴史書の中からいいのを官選としてたけど
唐の太宗からは企画段階から国が関わる完全な国家事業になったからな
反抗的な人物がそもそも筆を取ることすらなかったんじゃないか

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 10:15:31 ID:YA0kGPnZ0
>>650
>聖徳太子の隨への国書の逸話は日本書紀には載っておらず
>たまたま礼儀知らずな手紙を書いたことを後で気付いて抹消しようとしたというのが正確なところか

蘇我馬子と聖徳太子が編纂したとされる国記&天皇記、は乙巳の変で燃えちゃってる。
(両紀共に日本書紀以前に編纂されているとされる)
現在発掘中なので、日本書紀に無いからって適当な事を言うのは荒唐無稽。

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 10:18:49 ID:Q5bc7z7f0
聖徳太子について実在したかどうかじゃなくて
実績が微妙って例で挙げたんでしょ?
昔歴史の授業で教えられたような憲法や官位制度を作ったとかそこらへんが本当なのかどうか。

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 10:21:34 ID:YA0kGPnZ0
>>652
国記&天皇記が発掘されるまで、評価待ちですよ。実際のところ。
倭はもういいわw

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 18:33:09 ID:VRoj6OL50
あげ

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 18:52:35 ID:jU6cM5DS0
>>637
かもしれん
陳寿も裴松之みたいに「孔明に比べたら仲達や陳群なんて問題じゃねえよw」
って言いたかったのかもな・・・当時は絶対無理だったろうけど

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 19:19:35 ID:0bL/t9GH0
>>655
それで、婉曲に蕭何とかの名前だしているわけね。

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 22:02:13 ID:RNNMBSNY0
>>637
>ただ、東晋の時に知識人である習鑿歯がすでに諸葛亮伝説を形成していたとはな
襄陽記によると呉最後の丞相張悌の時点で既に神格化されてたみたいだなあ
もっともこの襄陽記も習鑿歯の書いたものなんだけど
逆にこのエピソードから孔明信奉者になったのかもしれないし鶏が先か卵が先かみたいな話だな

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 22:42:32 ID:MR+d2/vp0
三国志のスレなのに何で架空キャラの聖徳太子が出てくるんだ?

659 :小川和子:2008/05/06(火) 22:50:38 ID:CDIZszTE0
光子ニャニャ

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 00:37:26 ID:km5E2b3pO
所詮チャンコロオナニーキャラだね
世界じゃゴミ

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 02:05:03 ID:OyA8NN340
かえさるもオナニーきゃらだぜw
「ブルータス、お前もか」wwwwwwwwwwww


イスカンダル位だね。西暦以前で活躍が認められる、中華以外の人物はwwww
イスカンダルは中東&中央アジアの英雄。
どっかのペストで死にまくりの田舎地方の英雄じゃねーぜw

あ、中華以外でもボクトツ様が居たかw

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 14:02:22 ID:JC16pPvh0
襄陽記によれば蜀末期には既に神の様に祀られてたとなるからなー、先主を差し置いて

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 15:02:56 ID:0Z4wG8sqO
「馬謖、お前もか…」

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 20:29:35 ID:KB4vyQVI0
夷陵で負けて足を引っ張ってるしなあ、先主

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 21:47:49 ID:DX1VriIH0
管仲・蕭何と比べてる時点で「シバイとかそんなん比べ門になんねえよ。」と主張している希ガス。

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 21:59:18 ID:i4wHGuwq0
>>657
むしろ、なぜ、そこまで早期に伝説を生まれているかが気になるなあ
今までの学説などではあまり説明できないような・・
(東晋と蜀漢って状況がそれほど似てるか? 同情論は無理があると思う)

むしろ、司馬一族や晋の重臣(魏の家臣の子孫)の圧力があって、魏の不名誉な敗北を
陳寿が筆を折らされて、記述から消されたという可能性も考えられる。

それならば、知識人のあそこまでの陳寿批判も説明がつく

それが(地名だとか戦いの内容はもちろん無茶苦茶だが)
反映されて、説話や稗史として生き残り、『三国志演義』にも採用された。
曹真や司馬懿の正史にない敗戦もあるいは真実かも知れない

こう考えるのは想像しすぎか?

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 22:05:14 ID:by5J8nda0
東晋も蜀漢も中原から落ち延びてきた連中が建てた政権ってところが似てるかな。
いずれの王朝も中原を奪回しようとするもなかなか上手くいかないところとか。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 22:42:00 ID:KB4vyQVI0
同情論なら何で呉は無視されてるのかが説明つかない
南朝はいずれも呉の位置にあったというのにね
そもそも孔明を称えてるからといって決して劉備を称揚してるわけじゃないし
姜維はやっぱり微妙な評価のまま・・・ということを考えると
やっぱ孔明の存在がインパクトあったから、なんじゃないのかねえ

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 22:56:36 ID:by5J8nda0
桓温や劉裕の時は、蜀も東晋の領土だったよ。

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:04:05 ID:uRR3Y1Lo0
>>666
東晋と蜀漢は似ているよ
どっちも正統を主張しているが中原からは追いやられている

同情論というより、蜀漢を持ち上げることが間接的に自分の王朝=東晋を持ち上げ、中原の蛮族は所詮僭称者だ、と言うことになるんだよ

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:25:44 ID:H09W7TWN0
漢の末裔の劉淵とかいう奴が中原奪って勝手に劉禅に追尊してるのに
そこまで蜀に思い入れを抱けるのか・・・?
第一魏は別に蛮族じゃなかったろう

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:26:07 ID:i4wHGuwq0
敵が似てないんだよなあ
魏=漢からの正統禅譲者(その正当性が怪しいがまあいいだろう)
  紛れもない漢民族。
五胡=異民族。晋から見てただの侵略者
(懐帝などから形式上はあったかも知れないが晋は認めていない)

晋は魏から一応、正統に禅譲を受けているから東晋といえども、蜀漢を持ち上げ、これと自分を同一視するのは
難しいと思うのだが。別に中原の胡人は僭称者なのは明白だろう。
魏を無視してまで、蜀漢を持ち上げるまでの要因になるのは難しいと思う。

劉備はそれほど讃えてないし、諸葛亮は正史以上の活躍があったからではないか。
陳寿批判が強かったのも、司馬懿称賛の声が少ないのも、
当時の知識人の間で諸葛亮・偉人説が伝聞や稗史などで常識となっていたからじゃないかな?

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:35:31 ID:uRR3Y1Lo0
>>672
魏が漢からの正統を受け継いだという考えに必ずしも立たなくていいんだよ、晋は
蜀漢も打倒しているから、晋としては正統は
漢→蜀漢→晋
で魏は偽者でした、って言っても無問題
むしろ、南へおいやられた東晋の正統を自認するためには、「実力は弱くて追いやられていても前の王朝の血統を継ぐ方が正統です」
って言わなければいけないので、漢→蜀漢の流れを認める方向に傾く
漢魏革命を素直に認めて蜀漢を否定してしまうと、「前の王朝の血統だろうが実力がなければゴミ」ということになり、東晋も一緒に否定してしまう危険をはらんでいる
これは例えて言えば外国人排斥を主張する右翼が実は外国人でした、みたいなアイデンティティの危機で、感傷では済まされない重要な問題なんだよ

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:41:38 ID:H09W7TWN0
>蜀漢も打倒しているから、晋としては正統は
>漢→蜀漢→晋
>で魏は偽者でした、って言っても無問題
これを裏付ける資料がないだろ?晋が正統を魏から蜀に振り替えた記述なんてあんの?
劉淵みたいに劉備らを祀ったりでもしたの?

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:47:07 ID:uRR3Y1Lo0
>>674
漢晋春秋という書があってだな

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:58:02 ID:i4wHGuwq0
>>573
しかし、劉淵・劉聡がその漢の後継者を名乗っている点がなあ
晋も正統は蜀漢とまでも言っていないからな。
蜀漢を正統とまで認めていたら、貴殿の意見も同意できるのだが

天命の流れとしては
後漢→蜀漢→しばらく不在→匈奴漢
後漢→魏→晋

ここで蜀漢を認めたら、匈奴漢の方が正統を持ちかねない
(そのころには石氏政権ができていて、無問題だったかもしれないが)

少なくとも、魏は偽物でした、とは晋はすませていない

また、ここでは諸葛亮の評価が異常に高い理由を論じているわけだが、
蜀漢の評価より、実態がすごかったといった方が納得がいく

所詮、今となっては分からないことだけどね

677 :676:2008/05/07(水) 23:59:18 ID:i4wHGuwq0
間違えた
>>573ではなく、>>673

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 00:02:55 ID:5r/MW5LH0
>>673
五代十国でいうところの、後梁を無視する正統論に似ているね。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 00:04:08 ID:5lhTY7R80
>>676
確かに晋が公式に魏を否定したわけじゃあないね
でも東晋知識人に実際に魏を偽朝と切って捨てた奴がいたのは、
やはり自分たちが属する東晋が正統であることを再確認するためなんだろうと思う

諸葛亮の評価は実はそれ以前からかなり高いから、東晋の蜀漢へのシンパシーは諸葛亮高評価が維持された一因であっても原因ではないなあ

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 01:03:08 ID:0y/i1E4g0
陳寿は三国志以外にも、単品の諸葛亮集も作って司馬炎に奏上してるんだよな。
ただ、三国志と同じで裴松之に『注』を沢山付けられてしまったわけなんだが…

陳寿の三国志は呉書と蜀書はかなり削ってるから、
諸葛亮集もかなり削られてるぽいんだよね。

対司馬懿で、諸葛亮が勝つ様な文献が有った場合は無視した可能性が高い。
それを取り入れてたら殺されるし。
だから諸葛亮の対司馬懿戦で、謎の戦いが存在する可能性は否定出来ない。

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 06:24:22 ID:pz789W3fO
東晋と同じく南方に逃れた南宋期にも、蜀漢正統論が出てきてる。
北宋は金に滅ぼされ、中原も支配されている。
血統以外に正当性を主張できる部分がなく、そこは蜀漢と共通している。
東晋では北方出身者が優遇されたのは、あくまで南方は仮の住まいで、
中原を支配するのが、本来のすがたである。
――という、蜀漢のスタンスに似た部分があったからと考えられないだろうか?


諸葛亮が崇拝され、劉備の個人崇拝がなかったのは、
仮にも皇帝になった人物を、一家臣が崇拝するのは、立場的に問題があるからでは?
後年、岳飛が自身の出世のスピードを、宋太祖と比べた発言をしたら、
皇帝になりたいのか?
と、誤解を受けている。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 07:30:20 ID:sahXBMtN0
岳飛の例えは全然違うだろ
別に自分を劉備になぞらえるわけじゃないし

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 10:46:59 ID:CyUpNB7IO
唐代でも孔明は名将十選に入ってるから政治的な思惑とはまた別でしょ

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 11:22:47 ID:ZRwQMFtz0
十選ではないぞ

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 13:03:02 ID:5r/MW5LH0
>>682
だから、岳飛のように勢いとはいえ、軽々しいことを言わなかったのが諸葛亮。
それに諸葛亮がなぞらえるとすれば、劉備ではなく劉秀の線が濃厚となるな。

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 22:45:40 ID:/aHvPoicO
岳飛「あいつ軍事の才能無さすぎ(笑)馬謖の採用とかありえん(笑)

北伐なんて無駄(笑)」

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 23:09:43 ID:0y/i1E4g0
>>1=自称中学生=>>686=ID:/aHvPoicO
習鑿歯が、既にその件を突っ込んでるの知ってる?
後、それは軍事じゃなくて人事だな。

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 00:09:49 ID:N6zfrXSE0
軍人の人選ミスったら…政治よりか、やっぱり

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 01:09:14 ID:69nvfOMt0
>>688
軍人の人選ミス位なら、どんな偉人でもやっとるよ。やっていない人の方が実は少ない。

始皇帝 楚の平定の初期、王翦の献策を無視して若い武将を使ったら、楚の項燕にボロ負け。

高祖 冒頓単于戦の前に有能な臣下を煮て食っちゃたため、冒頓に本当に殺されかけた。

光武帝のミス 張良タイプのケ禹を使って延岑戦で、ボロ負け。

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 07:21:21 ID:9XgYvoRf0
曹操だったら、そもそも任せる人材に適任がいないk(ry
それは冗談として…
>>686
ネタにしても、歴史を知らなさすぎる。ちっとは勉強しろよ。
岳飛は誰の書を写したんだっけ?

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 23:24:00 ID:NAEewLPM0
>>686
>岳飛「あいつ軍事の才能無さすぎ(笑)馬謖の採用とかありえん(笑)
>北伐なんて無駄(笑)」
お前ただの煽りだろ?
どこの石碑わからないが、ソコに刻まれた北伐前の出師表を写した人が岳飛だ。

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 08:59:08 ID:BzgGi0EX0
>>686
アンチ諸葛亮は、ほんとに下劣な煽りが多いな

人材についてだが、あの時代の蜀も少ないが、曹操軍にしても正史を見ても、
軍事能力は、曹操>劉備、張繍>張遼、曹仁、夏侯惇、夏侯淵らとある

漢中で誰を使っても万全といかないのが、魏軍の悲しさ。張繍と張衛は死蔵。
こちらは批判の対象とならないの?
(劉備側の劉循も同じだが)

それより、正史、正史と叫ぶ、魏シンパが劉備と張繍の軍事能力を高く評価しない
のが不思議。ダブルスタンダードだろ

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 10:18:37 ID:+fvB8ete0
なんだかんだで劉備軍を潰せなかったしね>曹操軍

軍事力、国力も桁違いなはずなのに
赤壁、漢中では劉備軍、呉軍に大敗
一地方軍に過ぎないはずの関羽軍の
軍勢に破竹の快進撃を許し、遷都まで考えた大国の主
しかも、他国の増援を得てようやく撃破
ここらへんの記述を見ると、魏が勝っていたのは
量だけとも思えてくるくらいだよ

もしくはそれだけの国力差を根っこで支えていた諸葛亮は
大した逸材だと思うんだけどね

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:38:28 ID:k9GuP+bv0
>>691
>>686が煽りであろうとネタであろうと、ちょっと該当する本でも読んでいれば
ああいうことは口をついて出てくるとは考えにくい。
単に、自分が無知だと広言していることに気づいていない手合いだ。
ああいうのが、単純に個人の能力とかで歴史を語るから、へんに歪な誤解が
生じてしまうんだ。別に>>1のこととは言わんけど。

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:41:04 ID:RR0tmAZyO
赤壁も漢中も部下の進言を無視して自滅だからな…
特に漢中は住民を全部引き払っておいて駐屯軍を置くという非常に中途半端な措置
夏侯淵を殺したのは曹操だ…結果的には

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 14:06:47 ID:D6m1KVir0
なんせ漢中は魏にとっては陸の孤島みたいなもんだし
少しズレるかもしれんが、夏侯淵ではなく韓浩なら守りきれたなんていう
意見なんかも史料の何をみてどういう考察してるんだとは思うね

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 14:33:52 ID:9Dw6UyGo0
>>696
そうなると、曹操の戦略がそもそもの大失敗だったという695の言うとおりだったということになるんだよな

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 14:58:50 ID:xYCpVMS30
>>693
赤壁じゃ劉備軍は何もしてない
赤壁は魏と呉の戦い

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 15:04:45 ID:BzgGi0EX0
魏シンパの抗議を反映させて、
ゲームで魏武将の能力値向上をさせ、蜀武将の能力値を低下させたけど、
アレじゃ、人間同士でプレイしたら、漢中の戦いや関羽の快進撃を再現することは
できんわな。ゲームバランスまで崩してしまった。
しょせん、ゲームだが、正史を妄信した結果の傍証の一つにはなりうるかもだ。

常に結果論で評価するのが、魏シンパの考え。だから、関羽や諸葛亮は能力を低く評価。
そして、見苦しい言い訳をされるのが、夏侯淵と于禁と張コウ
「たまたま前に出て、やられた」「雨が降っただけ」「ただの流れ矢」

劉備、関羽や諸葛亮、孫権や呂布にはあれだけ厳しく評価するのに、この甘さ
どういう基準で考察している気分になっているんだろう

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 16:46:59 ID:k9GuP+bv0
正史を妄信してなんで、蜀将の能力を下に見積もる必要がでてくるの?
それは正史の妄信ではなく、アンチ三国演義かソーテンコーロじゃないのだろうか。
魏シンパ(曹操厨?)は正史妄信組ではないと思うぞ。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 17:44:48 ID:y6rZmmmq0
>>698
武帝紀(曹操伝)には『赤壁では劉備に敗れた』と、記述されている。
蜀書では『先主と孫権は赤壁で曹操を打ち破った』ってある。
少なくとも連合軍だったのだけは確か。

赤壁自体、確かな史料が無いと言われているのだが…
あなたの手元には前哨戦も含めて、
赤壁を曹操軍と孫権軍だけで戦った確かな史料はあるのかね?

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:03:04 ID:+fvB8ete0
>>700
張遼の武勇は大甘のべた褒めな癖に、関羽の顔良斬りのエピソード
程イク伝の万人敵評には「信じるに値しない」「1人で1万人の敵を相手にするなど無理」など
同じ正史の記述なのにばっさり斬り捨てるアホもたまに見かける

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:23:26 ID:JhEHAdpG0
一人で一万とかありえねえし
ドラゴンボールならあるな

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:49:53 ID:k9GuP+bv0
>>702
その逆で、関羽の顔良斬りは持ち上げまくって、張遼のはそのとき顔良に勝てなかった
からといって、それだけで下に見ているのも見かけた。
>>703
あれは「大勢」ってほどの意味で、まんま1万人を指しているわけではないんだが。

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:51:40 ID:uuozIH7E0
例えだろ白髪三千丈の世界だぞ

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:53:44 ID:y6rZmmmq0
>>703
関羽、敵勢一万の中に突撃して顔良の首を刎ね斬って引き返した。
袁紹軍の諸将のうちでも敵対する事ができる者はなかった。

こんな感じの記述が正史の関張馬黄趙伝にあるのだよ。
もし、意味が解らないならロムってなさいな?

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:59:48 ID:+fvB8ete0
>>703
まあ、完全に関羽>張遼ではないだろうけど
関羽は軍としての戦いのセオリーを超えた剛勇を見せ付けたからね
様々な策が飛び交い、色々な説もあるけど
軍の奥にいる大将を単騎(もしくは共数騎と)で討ち取るなんて
軍のしての戦いが纏まりつつあるあの時代ではまず考えられない
そういうのを見たら、もしくは聞いたら万人敵ともいいたくなるんじゃないかな

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 20:15:57 ID:k9GuP+bv0
>>707
それはわかっているが、「万人敵」がそのまま一人で1万人と匹敵する、というのとは
ちょっとニュアンスが違う気がしてね。
「英雄本学万人敵」は北宋の詩だけど、これは項羽のことを指している。
項羽の言った、剣は一人を相手にするものだが、おれは万人を敵とする術を学ぶ
というセリフでの「万人敵」=多くを打ち負かす、という意味のほうが強い気がするのだ。
これは武勇もあれど、基本的に兵法の妙を言っているわけだから、関羽には
そういう風格があったのじゃないかと。
一人で1万人切り伏せる、というのではないと思っているのだが… どうかな。

後漢末期とちがって五代末期の話だけど、宋太祖趙匡胤も、3万の敵軍を向こうに回して
直入して敵将を二人、捕縛している。
そういう神がかった武勇も、関羽はもっているのだろうけど、より衝撃を与えたのは
趙匡胤と似た感じで、相手の虚をついた迅速な攻撃、というところじゃないか?

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 20:18:50 ID:y6rZmmmq0
198年当時なら、張遼は高順以下は確実。
高順は劉備&夏侯惇を容易く打ち倒している。
その後の合肥駐屯時はどうだか解らないけれどね。

曹魏の誰かがその能力を褒めていたはず。誰でしたっけ?


710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 20:53:48 ID:lAN9sCIB0
『廿二史箚記』で関張の個人的武勇を論じた趙翼だが
『陔余叢考』ではなぜか三国ベストバウトに呂布vs郭を選んでて笑える

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 20:57:34 ID:k9GuP+bv0
一騎討ちと戦場での個人武勇は違うからじゃないの?
夏魯奇VS単廷珪&元行欽のほうが、勝負はつかなかったけど、好勝負なんだぞー(関係ないけど)

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:39:23 ID:xYCpVMS30
ここ、演技厨ばかりいそうだな

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:51:36 ID:XXT0oGyE0
>>709
当時すでに有名だった高順とまだ若造の張遼じゃ格が違うんだから
単純に当時の功績で優劣つけても意味ねーべ、つか先主伝注によると
張遼も高順とともに劉備討ち破ってるんだけどね

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:51:34 ID:+fvB8ete0
>>708
そりゃさすがにそうだろう
話半分で考えても1人で1万人を相手に出来るというのは無理がある
ただ、そう言わせるほどのインパクトがあったんじゃないかな

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:15:51 ID:ltCEny3y0
>>706
都合のいいところだけ抜き出さないように。
顔良切りは事実だろうが、いかにも単騎駆けのように書かれてもね。

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 05:38:57 ID:4t8OVmMe0
本題の諸葛亮軍事の才に戻るが、
第一次北伐は戦略的には成功する可能性はあったのですか?
(馬謖の戦術ミスを無しとして)

否定派は、
街亭は大軍と対峙してしまう地形なので、守れる場所ではない。
馬謖では臨機応変な対応は無理。張郃に勝てるであろう人物ではない。
つまり始めから負け戦。

肯定派は、
当時の街亭は要害の様な物。後に孔明が使う祁山に近い。
諸葛亮の指示を無視(道筋を押さえるように命じた?)しなければ防げた。
南安・天水・安定等を制圧した、北伐本軍も時期にやってくる。
北伐本軍なら張郃を撃破して関中を押さえることは出来たであろう。


どっちですかね?

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 19:02:03 ID:vXoo6vZg0
>>715
それは曹魏の面子においては大甘な正史信者にも言えることだな
陳寿は諸葛亮や関羽、張飛あたりにも一級の将としての評価を与えてるんだぞ
それこそ万人敵なんて評は正史発だからな

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 19:48:24 ID:bKS8A92w0
う〜む。
>>717
曹魏ファン=正史「信者」と結びつけるのはどうかと思うが。
つまりは、単純にしか考えていないのが問題であって、正史が悪いと誤解しそうな
そういう一文は、悪いけどいい気がしない。
それに通常、《三国志》に論拠を置くなら、曹操サイドの贔屓にばかりならないと
思うんだけどな。それこそ、劉備や諸葛亮や周瑜もスゲーになりそうなものを。
というか、特定の個人を完全無欠に錯覚したがるから、いびつな評価や貶めになるんだろう。

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 20:07:58 ID:/FDr3qwZ0
>>716
ちゃんと陣地を構築して防御すれば防ぐのは十分可能だったと思う
実際この後第4次で王平は張郃を撃退しているし
最悪勝てないまでも後退戦術で本隊が再集結する時間を稼げばそれで十分だったろう

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:17:12 ID:IHeB4su/0
筑摩の訳だと関羽は単騎駆けしてないんだけど、本文だとしてるの?

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:19:16 ID:N/ThnySa0
>>720
自分で原文読めば?web上にあるよ。

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:43:42 ID:4XtZnkRg0
一騎打ちとか単騎駆けってのは確かに戦い方としては不合理な感じだが
まったく行われた事がないとか、過剰に否定される傾向があるんだよな
三国志の本出してる東洋史の研究者も「三国志には一騎打ちは存在しなかった」て断言してるし

陔余叢考も「一騎打ちは古来行われてきた事であって雑兵の妄説ではない」(←うろ覚え)
て前フリのあとに歴代タイマン勝負を列挙してる訳で、個人の膂力の否定は昔からあったらしい
力比べは脳ミソ筋肉のやる事と思われてたんだな

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:45:42 ID:zMb99w9M0
>>718
確かに、曹魏ファン=正史「信者」ではないね。
実は曹魏ファン(の一部)が正史を一番、理解していない。

曹魏シンパに正史の都合のいいところばかりを抜き出して、蜀や呉、他の群雄の人物を
過小評価し、愚弄する輩が多いのが事実。

大体、正史は魏晋に有利だし
(蜀や呉の批判は陳寿が個人的中傷を受けるだけですむが、魏晋は命すらも危うい)
長らく、陳寿が蜀に同情的だったため、「正史は蜀贔屓」だという誤解がまかりとおった
(確か、この板でもそんなレスがあった)

また、陳、田中、ゴンタの三人が正史を持ち出してアンチ演義をやったので
正史=真実、演義=創作という見解が広まった。
(後者はそう思ってもらってもよいが、稗史を全く無視する歴史観は変だろ)

そこに、わっと湧いた曹操信者が群がり、魏持ち上げ工作がはじまった
これはまあいいが、他の勢力や他の時代の人物のこきおろしまでやりはじめ、
正史を都合のいいようにもてあそびはじめ、初心者もそれに同調した
そして、今に至る。今でも、多くの三国志サイトがそんな感じだよ。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:26:14 ID:/KKUWgkQ0
史記漢書三国志辺りは稗史から正史に認定されたので
後世の正史と一緒くたに考えるのは変

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:33:43 ID:W1czbVX00
>>708
>「英雄本学万人敵」

なるほど。
言われてみれば史記で項羽がそんな事を言った記憶がある。
それで叔父は項羽に兵法を教えたわけだ。

ひょっとすると万人の敵とは兵法(組織による戦術)を意味し
関張の武勇は万人の敵とは、この二人の武勇は戦術を無効化するぐらい強力なもの
という意味で正史では書かられたのではないかと思った。


726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:39:28 ID:J1qOTYuO0
>>725
万人の敵になる優秀な戦術家ってことだろ

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:49:44 ID:bKS8A92w0
>>725
実際にそれを思わす場面があり、それが特に鮮烈に記憶にあるものだから
ことさらそれを強調して言葉にするのも、慎重を期すための進言であったと思う。
だから、その言葉そのままそっくり受け取るのは、実像から大きく離れてしまう
危険性が大きい。


728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 23:42:22 ID:vXoo6vZg0
>>725
関羽は敵中を突破して、敵大物の大将を自身の槍で仕留めた
ってのは正史にもある記述だしね
俺も秀逸な武威を褒め称えた言葉のように思えるよ

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 01:07:46 ID:ODuNl7H10
街亭で時間稼いでも肝心のロウ西制圧が進まないと言うのがある
高翔は援軍到着の報を受けた郭淮に簡単に包囲を破られてしまうし、
南安の反乱軍も蹴散らされてる
孔明本隊はキ城にいたと思うが、分遣して小城を1つ1つ落としてたんかね?


730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 05:00:02 ID:Ay3Mh9OM0
>>715

>いかにも単騎駆けのように書かれてもね

じゃ、原文持ってこいよ
出来なければただの中傷じゃねえか

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 05:25:13 ID:Ay3Mh9OM0
殆ど関係ない張遼の話しを何でしてんだよ、魏スキーさんよ?
諸葛と関羽は関係あるけれど、張遼は殆ど関係ねーじゃねえか
対呉で語るべき人物なんだから、張遼は
諸葛関係なら、曹真、司馬懿、張郃、郭淮、夏侯淵、曹休、曹操、とかだろ
話に出すとしたら、他にも曹洪とか居るじゃん
曹真とかの戦才を語るなら解るが、
張遼スゲーって、自己満足するのは勘弁してくれ

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 07:18:26 ID:mUF0gh/e0
そもそも最初に張遼の名前を出したのは>>702なんだが
ちゃんと流れ読んで書き込んでくれ

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 07:37:32 ID:lR2zLBUT0
蜀で大地震

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 18:41:50 ID:DwwWo89l0
>>732
でも、始めに暴走し始めたのは魏スキーさんからだしなあ

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 18:44:36 ID:jbzSA/y30
>>730
原文原文言っても、魏書武帝紀じゃあっさりした記述なんで、どう取るかというところだけど

「羽望見良麾蓋、策馬剌良於万衆之中、斬其首還」
(蜀書関羽伝)
万衆(大勢)の中で馬刺し…いや、策馬(馬に鞭をいれる)し顔良を刺し、その首を斬り戻る。
実際、単騎かどうかは明言されていないが、まわりの連中があっけにとられていたであろう
光景は想像に難くない。
騙まし討ちっぽい説もあるようだけど、否定する材料もまた少なくない。
まぁ、どれがより可能性が高いか、というところだわ。

ちなみに関羽のコレがすごーいということで、似たような事例もあげておこうか。
あんま関係ないので、トリビアとしておいてね。

「姚鳳衆号十五万、塞清流関、.走之。追至城下、皇甫暉曰:“人各為其主、願成列以決勝負。
”太祖笑而許之。暉整陣出、太祖擁馬項直入、手刃暉中脳、並姚鳳禽之」
(宋史太祖本紀)

皇甫暉と姚鳳は南唐の迎撃軍3万を率いて、15万と号して清流関に拠り、2千の先鋒隊を率いた
趙匡胤に、「陣列を並べて決戦しようぜ!」と言った。
趙匡胤は笑って承諾し、開始の合図と共に馬に伏せて疾走し、すれ違いざまに皇甫暉の頭を
殴打し、続いて姚鳳も捕縛した。

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:03:29 ID:DwwWo89l0
>>735
単騎駆けでいいんでないの?
自分の槍で突き刺して首取ってるんだし
共がいる場合はそういう記述もあるんじゃないのかな


737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:06:33 ID:BnICM5pi0
>>736
武帝紀読め

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:10:52 ID:Ay3Mh9OM0
>>732
関係無い
>>716を無視している時点で問題外
魏スキー扱いで十分だろう?
>>735
原文提示無しの否定ってムカツクじゃねえ?それだよ
しかもオレは単騎とは書いてねえしな
突撃と書いて、単騎って読んじゃうのは理解力が足りネーんだと思うぜ



街亭が要害じゃねえって否定する奴って現在の地図から調べたらしい
1800年も経てば地形なんか変わっちまうから
根拠にならねんじゃねえか?

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:13:56 ID:DwwWo89l0
>>737
そういうのが一番困る
めんどくさいので説明宜しく

俺は俺の思う事を書いたまで

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:14:14 ID:jbzSA/y30
>>737
武帝紀では起きた事象の結果を、おおまかにしか書いていないあっさりした記事なので
最初にそう書いたわけだけど。
武帝だけなら、張遼と関羽で仲良く顔良を討ち取ったみたいにみえるしね。

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:16:45 ID:jbzSA/y30
>>738
ちなみに、自分は>>715ではないんだわ。

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:18:17 ID:Ay3Mh9OM0
>>737
1行否定はつまらねー
解釈自体が人それぞれだろうが
原文提示してからレスしてみたら?

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:26:49 ID:Ay3Mh9OM0
>>735
あー、失礼
>原文提示無しの否定ってムカツクじゃねえ?それだよ
これは貴方ではなくて
>>715が理解力も無く
原文も使わないで否定しやがるからムカツクて意味

貴方の事は尊敬してるよ
原文使ってくれてるしなw

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:54:54 ID:mUF0gh/e0
>>738
>>716以降張遼の話はされてねーだろが
それ以降は関羽の話に移ってる、
>>724
暴走ってどの書き込みのこと言ってるか知らんが俺には脱線した
責任は両方にあるようにしか見えん、ちなみに俺は別に魏スキーってほどでもない

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:55:50 ID:mUF0gh/e0
間違えた、>>724>>734あて

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:00:59 ID:BnICM5pi0
>>739>>740
つまりそのまま仲良く撃ったんだろ
武帝紀の通り張遼と関羽が出撃
関羽伝だと関羽が突撃して顔良を打ち取る
総合すりゃあ一騎駆けなんてどう考えてもありえない
さもなくば張遼は見物でもしてたんか?
>>742
解釈以前の問題
つーかお前ら全員一緒に出撃した人間がいるのに特に離脱の記述も無しに存在を無視すんなよ

荀攸説公曰「今兵少不敵,分其勢乃可.
公到延津,若將渡兵向其後者,紹必西應之,然後輕兵襲白馬,掩其不備,顏良可禽也.」
公從之.
紹聞兵渡,即分兵西應之.
公乃引軍兼行趣白馬,未至十餘里,良大驚,來逆戰.
使張遼、關羽前登,撃破,斬良.
奇襲をかけて混乱してる中で関羽と張遼が派遣された

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:14:09 ID:TZKC1gih0
軍の常識からすれば大将自ら白兵戦で敵の大将を討ち取るってのは
ある意味「単騎駆け」と言えるんじゃないかね。
それもかなり混戦状態だったか、関羽がやや突出していた状態で。

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:22:17 ID:jbzSA/y30
>>747
そういうのまで「単騎駆け」にしてしまうと、そういった事例は多くなるよ?
今はあまりいなくなったが、ちょっと前までこの板では、関羽のこの事例が
歴史に稀少だからと持ち上げていたのが、崩れてしまう。
一部隊の将が真っ先を走る、ってのはわりかし多いし、討つことも決して稀ではないよ。


749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:28:12 ID:BnICM5pi0
>>747
関羽伝の記述見る限りそれも怪しい

羽望見良麾蓋、策馬剌良於万衆之中、斬其首還

羽良の麾蓋を望み見て、策馬し良を万衆の中において刺し、其の首を斬りて還る

関羽は顔良が天蓋の付いた指揮用の戦車に居るのを見つけたので、
馬に鞭を入れて(急行して)顔良を夥しい人の居る中で刺し、その首を切り落として帰還した

戦場に将軍が一人ポツンと立っているものかね?
しかも奇襲された側じゃなくて奇襲した側が相手の位置まで把握できる程に余裕のある状態でだよ?

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:46:16 ID:Ay3Mh9OM0
>>746

紹聞兵渡,即分兵西應之。公乃引軍兼行趣白馬,未至十餘里,良大驚,来逆戦。
使張遼・関羽前登,撃破,斬良。

この時点なら張遼より、関羽の方が格上なんだよ
それなのに張遼が前に記されている時点で曹魏(曹軍)寄りに書いてある
信用できる物じゃないとオレは解釈するが?

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:55:49 ID:Ay3Mh9OM0
直訳なら、
張遼、関羽を前方(張遼)、先鋒(関羽)に遣わし、撃破せしめ、顔良を斬った。
って感じだしな
軍事用語で考えるとしても先鋒を先に記すのが普通
そして前方の意味を考えると、前方に配置したとなる
実際に戦ったのは先鋒である関羽って解釈になるのが普通だ
先鋒の意味位解れや

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:10:12 ID:jbzSA/y30
「前登」は、前に登らせ で、前に押し出す、とかいうほどの意味じゃないか?
つまり、張遼関羽を使い前に押し出す…
という感じ。武帝紀でのココの文は両者を同列に書いていると思えるけど?
「登」が先鋒の意味も含むとは知らない。

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:20:51 ID:BnICM5pi0
>>750
直訳だと「張遼、関羽前登」は「張遼と関羽を先鋒として用いて」だよ
この文の場合、漢文の文法だと張遼と関羽は同格に置かれているので2人とも先鋒として派遣されたことになる

使張遼、關羽前登,撃破,斬良.
張遼、関羽を前登に使わしめ、撃ちて破り、良を斬る。
張遼と関羽を先駆けとして遣わし、顔良を撃破して斬った。

>>752
前登=先駆け
熟語

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:31:17 ID:jbzSA/y30
>>753
なるほど、サンクス。
手元の辞書にはなかったから。
しかし「前に押し出す」も転じれば「先駆け」「先鋒」になりますわなw
失敬、失敬。

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:50:01 ID:Ay3Mh9OM0
前登=先駆け…あ、マジだ…阿津賀志山の戦いで載ってる…

これで勝ったと思うなよ〜(笑)

調子こいてました
スイマセン

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:55:27 ID:jbzSA/y30
勝ったり負けたり、関係ないって。
日々これ勉学なり。
しかし、>>これで勝ったと思うなよ〜
誰のセリフだっけかな…?

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:55:50 ID:BnICM5pi0
>>755
せめて後漢書と言ってくれよwww

前登→ゼントウ→セントウ→先頭とか言ってみるテスト

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 23:48:50 ID:DwwWo89l0
一応決着したか。
関羽フィーバーは一度火が付くと凄いな〜。

759 :劉邦:2008/05/14(水) 10:11:15 ID:u64Tg7540
諸葛亮は、本宮 ひろ志さんの天地を喰らう!でファンになった。一番印象に残っているのが、16歳まで精通してないかどうか劉備に尋ねてたところ。天界にいける条件らしい。

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 12:42:59 ID:Mu0sDUkx0
劉備スレからコピペ。先主の評価。孔明でこんな感じの作れる人います?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 17:25:40 ID:Bug5+iGV0
劉備ってこんなヤツ

劉元起 「一門の人間の中で並みの子供ではないからだ」(先主伝)
麋竺 「劉備でなければ徐州を治めることが出来ない」(先主伝)
袁紹 「劉備は度量が広く立派な信義のある人物だ。劉備が徐州を治めることは私の希望に沿ったものでもある」(先主伝注)
呂布配下諸将 「劉備はしばしば態度を変えるしてなづけるのは不可能。始末するべき」(先主伝注)
程c・郭嘉 「ずば抜けた才能を持ち人心もつかんでる。最後まで人の下にいる人物ではない。始末するにしくはない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
呂布 「この男が一番信用できんぞ」(呂布伝)*
曹操 「今、天下に英雄と言えるのは君と余だ。袁紹などは問題にならん」(先主伝)
程c・郭嘉 「劉備を自由にしてはいけない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
董昭 「劉備は勇敢にして大きな野望を持ち関張がその羽翼となっているので信頼してはいけない」(董昭伝)
曹操・郭嘉 「劉備は人傑であり今攻撃しないと後の災いとなろう。袁紹は機を見るに敏でなく行動を起こさないだろう」(武帝紀、郭嘉伝注)
張遼他 「北方討伐の隙を突き劉表に説いて許を襲撃するに違いない」(武帝紀、張遼伝注)
傅巽 「劉備では曹操に対抗できない。仮に対抗できるとしたらいつまでも劉jの下位にはいないだろう」(劉表伝)
程c 「劉備は英名があり関張の武は万人に相当する。孫権は彼らと協力し我らに抵抗するだろう。それはやがて分裂するだろうが、その時にはもう劉備を殺すことは出来ないであろう」(程c伝)
曹操 「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」(武帝期注)
劉巴 「劉備は英雄で受け入れれば必ず害をなすので断るべき」(劉巴伝)
黄権 「劉備は勇名を馳せており、部下として遇することは出来ず、賓客として扱えば二君を認める形になる。国境を閉鎖して入国させてはならない」(黄権伝)
劉巴 「劉備に張魯を討たせることは虎を野に放つのと同じことだ」(劉巴伝)
趙戩 「用兵は稚拙で逃走にあけくれてる。一方、蜀は小国と言えど堅固な地である。併合は不可能だろう」(先主伝注)
傅幹 「劉備は度量があり部下に力をふりしぼらせる事が出来る。また政治・戦略に優れた諸葛亮が大臣となり、勇敢で万人を相手に出来る関張が将軍となっている。成功しないことがあろうか?」(先主伝注)
張魯 「曹操の奴隷となっても劉備の上客にはならん」(文帝紀注)
劉曄 「劉備は人傑で度量もあるが行動は遅い。今蜀を手に入れたばかりでまだ治まってないので今これに付けこんで押しつぶすべき。さもないと政の諸葛亮、武の関張らを用い要害を利用して防備し再び犯すことは不可能となろう」(劉曄伝)
曹操 「玄徳がこのような策を考えつくわけがない。誰かの入れ知恵に違いない」(法正伝)
龐徳 「劉備は小物に過ぎない。わしは国家の鬼となっても、賊の将にはならん」(龐徳伝)
賈詡 「劉備は優れた才略を有し群臣にこれに匹敵するものがいない」(賈ク伝)
劉曄 「劉備と関羽の関係は道義では君臣だが恩愛では父子。小国といえども必ず報復の軍を起こすだろう」(劉曄伝)
曹丕 「劉備は戦争を理解していない」(文帝紀)
陳登 「傑出した雄姿を持ち王覇の才略を備えている点で劉玄徳を尊敬している」(陳矯伝)
裴潜 「中原にいれば乱を齎すことは出来るが太平を招くことは出来ない。しかし要害の地を占めれば一方面のあるじとなるだけの器量はある」(裴潜伝)
彭羕 「劉備は老いぼれて話にならん」(彭羕伝)*
(*付きは悔し紛れの罵詈雑言なので除外してもいいかな?)

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 12:51:40 ID:Mu0sDUkx0
蜀政権から見ると、張飛の死はかなりの痛手だった様にみうけられるね。
関羽が死んでも、張飛が軍権を持っていれば、
孔明は政治に専念出来たかも知れないし。
まあ先主が馬鹿やっちまう訳ですが。

ソコを立て直した孔明は凄いってなるのかな〜?
でもそれって、軍才じゃなくて政才だね。

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 16:45:17 ID:f1bYd6Tk0
http://www.nicovideo.jp/tag/%E5%A4%A9%E7%BF%94%E3%81%91%E3%82%8B%E8%8B%B1%E9%9B%84%E3%81%9F%E3%81%A1
軍才ありすぎwwwww

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 22:20:41 ID:ctWQ/FnAO
劉備が死んだら誰が残っても孔明が軍権も掌握してたと思うけど
やっぱり張飛には譲らざるを得ないかな?皇叔だしw

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 02:29:12 ID:EE9c1TmwO
張遼「孔明=結果的に自滅(笑)。真理だよな。

北伐なんて無駄(笑)」

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 07:43:08 ID:1jGulpml0
まだいってるのか

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 10:46:25 ID:9g0UkxgdO
いい加減飽きられてるぞ、そろそろ他のネタを考えろ

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 17:21:09 ID:dxXQ1yOG0
孔明信者のカルトぶりは酷いよね。孔明って同時代のそこそこの将にも負けてるよ。

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 18:39:23 ID:yqsMMjY00
>>767
お前の同胞だと思うんだけど
>>764みたいな奴の方が遥かに酷いぞ

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 18:42:20 ID:5du9rHPB0
そろそろ関羽で、そのセリフ書いてくれんかな?

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 18:57:10 ID:yqsMMjY00
関羽の話は中身が備わってるだろ
>>764みたいのは単なる誹謗中傷なんだよ
こういうのは話の輪が広がらなくてつまらない

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 19:44:29 ID:5du9rHPB0
>>770
まぁそうとんがりなさんな。
陳寿、曹操、岳飛、張遼ときたから、そろそろかと思ってな。

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 21:11:11 ID:8v0Trizw0
>>767
いよいよ湧いて出たか。汚い誹謗中傷しかできない伝統アンチが。
『信者』や『カルト』など下劣な決めつけが、こいつらのお得意の台詞。
お次は、正史か『そーてん』の都合のいい抜き出しか?

そこそこの武将って誰だ? 郝昭か? 城攻めなら曹操も、審配にかなり苦戦している
郝昭が審配以下となぜ言い切れる?

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:17:27 ID:XTBI5X6V0
>>767
何時の時代の誰に負けたんだ?

蜀時代で考えると北伐になるのだろう?君の考えだと。
兵糧切れの撤退を敗北と定義するならその通りだが、
蜀という国の内政を考えての行動と取れば、
北伐はしなければいけない行事みたいなものだしなw

勝てる要素が少なくとも、しなければいけない行事なんだよ、北伐は。
それが漢としての蜀の存在意義だし。

で、孔明が全滅に近い大敗したって記録は一度も無いんだぜ?
曹操のセキヘキ 劉備のイリョウ 孫権のガッピ
みたいなの。

孔明の北伐時の蜀は内政の衰えは無いし、逆に発展してたりする。
さらに、四相が存在した時代は、魏よりも内政が安定してたりするんだな〜。
蜀ってさw

黄皓がアホやり始めるのも四相が最後の一人、董允の死後だしね。

姜維の北伐行事をみれば少しは解ると思うんだけれど…
ソウテンコウロ(笑)にはないんだっけか?

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:27:24 ID:XTBI5X6V0
勝たなくともやらなければいけない。それが北伐。
思ったんだが、孔明アンチの人って北伐の意味を理解してないのかね?

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:50:24 ID:/ukvjhnH0
審配は優秀だな。防御戦しかしていないが。

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 23:19:04 ID:/OzGGo/mO
姜維が王経を破ったとき戦死者だけで数万というイ陵かそれ以上の大戦果を上げたが
魏軍はなおも継戦能力を有し、逆に蜀軍はその後の戦死者と捕虜がややもすると万に届くほどのレベルの敗戦で
半身不随となってしまう…このことを考えたら孔明の戦法しかなかったと思う

そして生産力に差がある以上座してただ戦力差が広がるのを待つのは論外

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:09:11 ID:Zl5e5O510
>>776
>そして生産力に差がある以上座してただ戦力差が広がるのを待つのは論外

費イはそう考えていなかたみたいだがな〜。北伐より、今は内政って立場だし。
まあ北伐を出来る将が居なかったのも、原因かもね。
姜維や自分や他の蜀将では、孔明の様な北伐は出来ないと見ていたみたいだし。


あ、四相最後は費イだった。ごめんごめんw
董允の死て斜陽しちゃうイメージが強かったから、順番間違ったw

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:10:34 ID:+krV/APb0
>>777
その時点に至ってはもう圧倒的差ができちゃってるからじゃないの?

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:40:32 ID:69iNtZtO0
第二次北伐で20万もの兵を率いていて
郝昭率いるわずか1000余りの兵で守る城すら落とせなかった孔明(笑)
戦が下手にもほどがある

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:50:34 ID:Zl5e5O510
>>778
費イの時代は曹魏が内乱や謀反で戦できる状況じゃないっすよ。
それに費イ自体、曹魏の討伐軍を撃退してますし。

>>779
蜀の総人口は約90万と記されているのですが…
20万も孔明さんは集めたのですかwww

それじゃ幼兵や老兵や女兵で戦どころじゃありませんねwww

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:07:15 ID:69iNtZtO0
しょうがないじゃん
20万と記述があるんだからw
20万にいかないにしても1000余りの兵で守ってる城落とせないんだから
戦ベタには変わりない

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:13:48 ID:Zl5e5O510
>20万にいかないにしても1000余りの兵で守ってる城落とせないんだから

1000余りも疑うのが普通じゃないのかね?(笑)

何故20万は否定してるのに、1000余りの記述を否定しない?
自説の有利な様にしか曲解出来ないのかね?(笑)

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:21:06 ID:69iNtZtO0
でもどの資料を見ても多少の差はあるものの1000余りとされてるぞ(笑)
自説の有利にしか曲解しないのはお前だろ(笑)

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:26:12 ID:69iNtZtO0
孔明が戦ベたな様子を正史から抜粋しただけなのに自説の有利なようにしか曲解できないってw
そんなこと言い出したら正史にある記述すべてを疑わなければならないから大変だな

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:27:47 ID:Zl5e5O510
>>783
じゃお前の頼りソースぷりーず(笑)

ってか、第二次北伐の本来の目的って、そこじゃないらしいんだけれどね…

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:30:43 ID:Zl5e5O510
>>784…あ、曹魏の誇張の仕方とか、正史の読み方しらない馬鹿だったか…すまんw
君はもういいやw


787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:31:23 ID:XiDcGFVr0
蜀の二十万って戦力には何の疑問も抱かないという程度のおつむって…

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:38:16 ID:69iNtZtO0
正史の曹魏の誇張もあるけど諸葛亮の誇張だって相当なもんだろw
そこは疑わないんですね


789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:46:28 ID:69iNtZtO0
結局煽るだけか
諸葛亮にとって都合にいい記述だけ引き出してるお前も馬鹿だけどな
僕が一番正史の読み方をわかってるってか(笑)


790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:46:48 ID:Zl5e5O510
もはやイチャモンれべるw
底浅いですなw

孔明の誇張って意味不明過ぎるw

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:48:06 ID:Zl5e5O510
いや…ソース出さないでそう言いますか?
本物の馬鹿ですか?

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:59:55 ID:69iNtZtO0
何か言えば馬鹿と返し
ソースとして記述を示せば曹魏の誇張
結局、わずかな記述を元に推論することしかできないというのにね
陳倉を攻めて落とせなかったのが嘘だとでも言いたいのか?

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:01:06 ID:Zl5e5O510
じゃあ読み方を少し、
曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから。
まあ全部が全部じゃないけれど。実際、誇張や修飾が多いよ。

郝昭軍の守りには3000〜5000位の兵が居た。と、考えるのが正しいそうだよ。

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:05:05 ID:Zl5e5O510
>>792
>でもどの資料を見ても多少の差はあるものの1000余りとされてるぞ(笑)
で、どの史料?まだソース出てないのに出した宣言?
議論にならんのだが…ね?(笑)
ま、君じゃ無理かなw

795 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 02:08:18 ID:TVw3P5sL0
ちょっと気になったんだけど、20万の根拠って、後主伝の注に引く、
諸葛亮集に記載された劉禅の詔勅の事?

だとしたら、この20万が誇張か否かはともかく、陳倉を攻撃した時に20万を率いてた事にはならんでしょ。
これはあくまで、蜀の全軍を統率させた事を示しているのであって、陳倉攻撃の兵力じゃないし。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:13:52 ID:69iNtZtO0
いちいち、煽るな屑

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:24:37 ID:Zl5e5O510
>>795
諸葛亮集って陳寿の?あれも誇張あるんだよね…


>>796
ん?資料は嘘だったって事でOK?
じゃ勝利宣言しま〜す!(古いw)

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:36:54 ID:69iNtZtO0
曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

でこれが正しいというソースは?
陳倉の戦いは正史にも詳細に記されてるわけだが・・・
で結局これも魏の誇張と逃げるんだろうけどね

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:43:12 ID:Zl5e5O510
>でもどの資料を見ても多少の差はあるものの1000余りとされてるぞ(笑)
正史以外の資料があるんだろほら出せよ、ジャンプしろオラ!早く!早く!
オラ!オラ!おら持ってるんだろ早く出せよw

800 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 02:44:15 ID:TVw3P5sL0
>>797
ただ誇張と言うだけでは、相手も納得しないと思うよ。

ついでに聞いておくけど、魏の戦果が10倍で報告されると言うのは、
国淵伝に「破賊文書、旧以一為十」とあるけど、
被害を少なく報告したという事の根拠は不明瞭だと思う。

例えば、姜維伝等では王経を破った時に死んだ魏軍を数万とし、
その戦いに関する魏の詔勅では「死者は四桁を以って数える」とあり、
そこに乖離があるけど、これはどちらが誇張であるかは断定できないし。

801 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 02:54:30 ID:TVw3P5sL0
?昭の率いていたのが千余人だというのは、そもそも三国志には見えない。
あるのは明帝紀の注に引く魏略だね。
また、資治通鑑、水経注巻十七渭水上のも同様の記述があるけど、これは恐らく魏略をもとにしたもの。
通典の州郡典にも、諸葛亮が数万を以って攻め、?昭が千人で二十余日守った事が記されているけど、
これも魏略が出典だろうね。

802 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 02:55:52 ID:TVw3P5sL0
む、文字化けしてる。
「?昭」は「郝昭」の事ね。

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:56:35 ID:Zl5e5O510
>>800
既に300辺りでその論争してるから、読み直してくおくんなさいまし。

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 03:02:07 ID:69iNtZtO0
何の解決にもなってないけど・・・・・・

805 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 03:10:31 ID:TVw3P5sL0
>>803
「魏には誇張したという記述はあるが、蜀にはそれが無い」という事?
そういう風に考えるのはありだろうけど、魏における被害の過小報告の根拠にはならないような。

王経に関して言えば、彼が狄道に逃げ込んだ時に1万しか率いていなかったのは明らかだから、
死者はともかく、損失全体では万以上なのは間違いないだろうけどね。

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 08:36:04 ID:rJZKyh3k0
たとえ1000人ほどであっても、要害に篭って堅守されたら、攻撃側の人数の多さは
意外と関係なくなるよ。
この場合、諸葛亮を落とすんじゃなくて、カク昭を誉めるのが順当だろう。

わずか1000人の守兵に、当時中華最強軍がてこずった事例=西暦958年1月、楚州城の戦い

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 09:06:17 ID:XiDcGFVr0
陳倉城って後漢末の王国の包囲にも耐えてたはず

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 10:40:29 ID:4OhVNagg0
いいところに来てくれたからスレ違いでも聞いとくか
通典の

一説:凡立軍,一人曰独,二人曰比,三人曰參,比參曰伍,五人為烈,烈有頭。
二烈為火,十人,有長,立火子。五火為隊,五十人,有頭。
二隊為官,百人,立長。二官為曲,二百人,立候。二曲為部,四百人,立司馬。
二部為校,八百人,立尉。二校為裨,千六百人,立将軍。
二裨為軍。三千二百人,有将軍、副将軍也。

を根拠に三国の一軍=3200人で通ってるみたいだが
後漢末期や三国の各勢力にバッチリ当てはまるとする根拠は?
漢代の単位だから大外しはないと思うが

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 11:28:37 ID:QeFf7m3mO
陳倉の戦いって20日間しかないから1000で耐えたってのは十分ありだろ
陸抗が火事場泥棒的に魏に落とされた蜀を攻めたとき3か月以上攻撃を凌いだ奴が確かいたはず
あれの戦力差は陳倉と比べてどのくらいだったのかな

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 14:53:56 ID:QeFf7m3mO
自己レス、羅憲な
手持ちが元々2000しかなく、さらに応援を要請するため一軍裂いて包囲を突破させてるから
陳倉と同じ1000余レベルだな、一方包囲軍は援軍が3万とあるから全部で5、6万ぐらい?
しかも3か月どころじゃなくて半年も持ち堪えてるじゃないか
50倍以上の戦力差で半年持ち堪えられるんなら陳倉の戦いは十分可能だ

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 15:34:38 ID:+krV/APb0
>>808
少なくとも曹操は古式ゆかしい軍構成で戦ってたって後世から評価されてるから
まあバッチリとは言わないまでも、近い数字じゃないかね

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 15:35:00 ID:2IAF32zN0
>何時の時代の誰に負けたんだ?
三国時代の将に負けた

>蜀時代で考えると北伐になるのだろう?君の考えだと。
>兵糧切れの撤退を敗北と定義するならその通りだが、
そのとおりだろ。
アホかお前は。だったら、どこの時代の将も負けねーだろボケ。

>蜀という国の内政を考えての行動と取れば、
>北伐はしなければいけない行事みたいなものだしなw
ならなんで

>勝てる要素が少なくとも、しなければいけない行事なんだよ、北伐は。
>それが漢としての蜀の存在意義だし。
勝手に決めるな

>で、孔明が全滅に近い大敗したって記録は一度も無いんだぜ?
>曹操のセキヘキ 劉備のイリョウ 孫権のガッピ
>みたいなの。
どこもそれらは全滅ではない
そんな次元で考えてしまうと、誰も敗北はなくなる。
そうやって孔明だけを擁護する論調を使うから、孔明がアホになる。

>孔明の北伐時の蜀は内政の衰えは無いし、逆に発展してたりする。
で、それと軍事才能関係あるの?

>さらに、四相が存在した時代は、魏よりも内政が安定してたりするんだな〜。
>蜀ってさw
だから関係ない


813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 15:37:52 ID:2IAF32zN0
北伐しなきゃ行けない?ならなんで、孔明死後の姜維の北伐は無謀で、その他の北伐はないんだろうか。

馬鹿だよね孔明信者って。


814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 15:38:56 ID:2IAF32zN0
そもそも、羅憲の戦績は物凄いものだからそれを普通にする時点でおかしい。

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 16:42:27 ID:rJZKyh3k0
>>812
>>三国時代の将に負けた

名前、位階と職掌、官名、将いた人数、どこで交戦したか、どれほどの結果を残したか
そこまで記述しなければ、あなたの虚言w

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 16:52:53 ID:2IAF32zN0
だったら孔明だって戯言だなははは

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 17:02:15 ID:JtsL7/uS0
孔明の軍事の才能は中国史上で見ればそんなに大したこと無いレベル
三国時代に限定すればそこそこの名将ってことでいいんじゃない?

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 17:10:44 ID:2IAF32zN0
ふざけるな

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 17:11:06 ID:2IAF32zN0
それなら曹操も凡将なってしまう

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:01:43 ID:Zl5e5O510
>>812=自称中学生>>1

>三国時代の将に負けた
だから誰?

>そのとおりだろ。
>アホかお前は。だったら、どこの時代の将も負けねーだろボケ。
国力差とか考えてみた?

>ならなんで
漢の正当王朝である事を維持する為

>勝手に決めるな
そっちこそ勝手に決めるなw

>どこもそれらは全滅ではない
>そんな次元で考えてしまうと、誰も敗北はなくなる。
>そうやって孔明だけを擁護する論調を使うから、孔明がアホになる。
アホは言葉のトラップに掛るw
私は全滅したとは言ってない。全滅に近いだ。
ちなみに3つ上げた戦は、全て、その国の国力を傾けた敗戦だw
理解しろ。愚か者w

>で、それと軍事才能関係あるの?
曹操のセキヘキみたいな負けがねーってことだよ。

>だから関係ない
ってか四相てだれだかご存じ?(笑)


>北伐しなきゃ行けない?ならなんで、孔明死後の姜維の北伐は無謀で、その他の北伐はないんだろうか。
孔明の北伐は国を衰退させてないのが一番の違い。それすら解らんか?

>馬鹿だよね孔明信者って。
いや、ソウテンコウロ(笑)信者には負けるw
あ、君は曹操厨かw
ごめんごめんwww

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:08:38 ID:Zl5e5O510
>>812=自称中学生>>1
>ならなんで
中原を取り戻す為の方がいいかしら〜(笑)

でもこれは出師表読んだ方が早い>>1、君がねw

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:12:10 ID:69iNtZtO0
何でも魏の誇張と言い張ってる人が来たw


823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:20:31 ID:Zl5e5O510
君はソースを提示してね。私の質問の方が早いんだからw
君がソースを提示してから、私がソースを提示するのが筋ってもんさw

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:24:18 ID:69iNtZtO0
いや、だって魏や晋の史書だったら誇張って言い張るじゃないかw
君が正しい正史を編集してみたらw
きっとすばらしい正史が出来上がるんだろうね
三国志演技みたいなやつがw

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:33:38 ID:rJZKyh3k0
最近の曹操厨も質が奈落の底だな。
かつて専制国家という人がいたが、あれがマシに思える。
>>823
あんまり遊ばないようにw

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:45:10 ID:69iNtZtO0
誇張 誇張 誇張 誇張 誇張

いやすばらしい言葉だね
都合の悪い記述は誇張って言い張ればいいんだからw

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:59:43 ID:erKZ5FIC0
誇張の夢

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:05:05 ID:Zl5e5O510
779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:40:32 ID:69iNtZtO0
第二次北伐で20万もの兵を率いていて
郝昭率いるわずか1000余りの兵で守る城すら落とせなかった孔明(笑)
戦が下手にもほどがある


780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:50:34 ID:Zl5e5O510
>>778
費イの時代は曹魏が内乱や謀反で戦できる状況じゃないっすよ。
それに費イ自体、曹魏の討伐軍を撃退してますし。

>>779
蜀の総人口は約90万と記されているのですが…
20万も孔明さんは集めたのですかwww

それじゃ幼兵や老兵や女兵で戦どころじゃありませんねwww


781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:07:15 ID:69iNtZtO0
しょうがないじゃん
20万と記述があるんだからw
20万にいかないにしても1000余りの兵で守ってる城落とせないんだから
戦ベタには変わりない


782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:13:48 ID:Zl5e5O510
>20万にいかないにしても1000余りの兵で守ってる城落とせないんだから

1000余りも疑うのが普通じゃないのかね?(笑)

何故20万は否定してるのに、1000余りの記述を否定しない?
自説の有利な様にしか曲解出来ないのかね?(笑)


783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:21:06 ID:69iNtZtO0
でもどの資料を見ても多少の差はあるものの1000余りとされてるぞ(笑)
自説の有利にしか曲解しないのはお前だろ(笑)


最初に馬鹿やったのどーち?(笑)

>>825
いやー私でも釣れるのが楽しくってさw

コテが来た時は焦ったが…
真面目に史料を見つめ直さないとあかんしw

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:24:05 ID:69iNtZtO0
早く出せよ、誇張じゃないって証拠を

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:25:27 ID:69iNtZtO0
魏略は誇張になるから駄目なんだよねw

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:27:59 ID:69iNtZtO0
ID:Zl5e5O510

早く出せっつてんだろ、誇張としかいえないID:Zl5e5O510

逃げるなよ

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:31:15 ID:Zl5e5O510
>ID:69iNtZtO0
筋を通すのが先。まず君からだ。

>でもどの資料を見ても多少の差はあるものの1000余りとされてるぞ(笑)
『どの資料』その全てを上げてみたまえ。
君が根拠とする物を。
ソレが出来なければ戯れ言でしかないと知れ!

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:38:32 ID:Zl5e5O510
あー一つ忠告。
魏略を始めて出したのは、コテさんであり、>ID:69iNtZtO0
君ではない。
まあ、がんばりたまへw

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:40:28 ID:69iNtZtO0
誇張と言い張ってるからだろ、本当に卑怯者だな
あんたが魏の史書は誇張または脚色されてると言い出しといて逃げるなよ
あんたの言うとおり魏の史書が誇張または脚色されてるものが多いのなら
その史書はまったく意味のないものとなる。
そんなものあんたに出しても無駄だろ、魏のものは誇張、脚色が多いんだからな

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:43:05 ID:69iNtZtO0
ID:Zl5e5O510 あんたの出してくれるものは誇張、脚色がまったくないものといえるんだろうな
早く出せよ、

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:57:39 ID:69iNtZtO0
やれやれ、資料といったって魏晋代のものばかりだから難癖つけるし
資料も魏略を基にしたものが多いから言ったってお前が調べてないとか言うしどうしようもないんだがな

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:01:57 ID:Zl5e5O510
>ID:69iNtZtO0
『どの資料』を全て提示すれば納得も出来るさw
君が出せないだけではないのかね?

私の問いが先。問いを問いで返すとは愚かの極み。
さて、本当に卑怯者なのはどちらかな?
私の問いが先なのを、忘れずにw

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:04:30 ID:Zl5e5O510
>やれやれ、資料といったって魏晋代のものばかりだから難癖つけるし
全て原文での提示を求むよw
どの書のどの評にあるのかをねw
出来ないんだろ?
出来るならもうやってるもんね?(笑)

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:06:46 ID:rJZKyh3k0
>>833
おいおいw
またまた原文合戦やらかすつもり?
自分は《三国志》しか手元にないから、「いろいろ」は出せないけど…
明帝紀の注に引く、《魏略》の一文より抜粋。
「(諸葛)亮自以有觿数万、而(郝)昭兵纔千余人」(漢字間違ってるかもしれん)

でも、これだと魏側の記録ってことで、敵は大勢、味方は少数で、強大な敵に対してけなげに
戦い撃退しと意図的に曲筆してるんだぞ(ちょっと杉山節入ってる?すまんね)、という主張と、
いやそんなことない、という主張とで言い合いになっているから、出してきても無意味だなw

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:07:49 ID:+krV/APb0
>>831
先ず蜀軍20万の根拠を示そうぜ

・軍事権限として20万人統率している(後主伝)
・丞相は文武百官の長なのでこれが各地の守備兵も含めた蜀全軍だろう
・漢中常備兵が数万規模
↑姜維が大敗を繰り返した後漢中防衛ラインを下げて守備兵を少なくても保てるようにした後で
剣閣に篭る姜維の手持ちが4〜5万から計算
・蜀滅亡時兵士は10万、漢中の兵士1万+姜維の持分をここから差し引くと4〜5万
常備兵として各地の兵士は4〜5万はいた
この辺の守備体制は漢中のもの以外大きな改変は見られないので諸葛亮時代とそれ程差はないと考えられる

さらに同時期にというか前年12月から20日間陳倉囲んでおいて
翌年春(1月〜3月)に武都・陰平を「攻略」してるってことは陳倉攻めつつ別働部隊の陳式も動いてたと考える方が自然
漢中から出るだけで月単位の日時がかかるのだからな
と言う訳で仮に諸葛亮が20万動員できる権限があったとしても実際に動かせるのは10万くらいで
しかもその10万から武都・陰平を制圧できる分は差し引く必要がある

最大動員してても5万くらいが関の山じゃないかね?

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:08:18 ID:69iNtZtO0
すべてなんて出せるわけないだろw
その資料だって魏略を基に書いてんだろうしな
元がはっきりしてるんだから十分だろ
でまた、誇張脚色で逃げるんだろw
君の出すソースはもちろん魏晋代に書かれたものじゃないよね?
誇張、脚色があるからねぇ・・・・・魏晋代のものは

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:11:35 ID:2IAF32zN0
だから誰?

>国力差とか考えてみた?
お前は馬鹿だ。
なぜなら兵糧切れでの撤退が負け無しだと判断されるなら、どの将も負けはすくなくなるだろう。
そして、なんでそこに都合がいい基準を入れるんだ。
そこに国力差という基準を入れると孔明もっと不利になる。

>漢の正当王朝である事を維持する為
なら他人だってやるはずだな。
劉備と孔明くらいしかやっていないけれども

>アホは言葉のトラップに掛るw
>私は全滅したとは言ってない。全滅に近いだ。
>ちなみに3つ上げた戦は、全て、その国の国力を傾けた敗戦だw
>理解しろ。愚か者w
全滅に近い意外は、負け無しなら
やはり他の将だって負け無しになる。

>孔明の北伐は国を衰退させてないのが一番の違い。それすら解らんか?
お前は馬鹿だな。国を衰退させないではなくて、蜀が北伐をするかどうかだろ?


843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:13:00 ID:QeFf7m3mO
陳倉のとき援軍に行くことになった張コウが
「ついた時には食料なくてもう逃げてる」って予見して実際その通りだったけど
そもそも20日ぐらいしか戦ってないわけで陳倉が3日で落ちてても、そもそも城がなくてもろくに進軍出来んよな?
となると従来第二次第三次と分けてた北伐って、一つの作戦として孔明は元々陽動担当だったんじゃないか?

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:18:19 ID:Zl5e5O510
>>841
愚かw

>>842
苦笑するしかないw

所詮曹操厨などこの程度w

さて、原文合戦は怒られそうだから、また釣りに来るねw

てか、オレ如きに釣られんなよな〜w

ま、1000行って終わりが一番!

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:24:06 ID:rJZKyh3k0
>>844
曹操厨釣るつもりだったんなら、ここじゃなく三戦板の曹操VS信長に来ればよかったのに。
もう終わって、今は素敵なことになってるけど…

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:25:10 ID:69iNtZtO0
>>844
はいはい、結局なにもないんだろ、納得させるものなんて(笑)
誇張って言えばなんでも論破できるもんね、いやすごいね

847 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 20:31:35 ID:NHYYkwO+0
>>808
恐らく俺に聞いていると思うので答えると、明確な根拠は無かったと思う。
俺自身、一軍3200人というのを何かで読んだ記憶があったので、
それを頼りに通典を引いて考えただけなんだよね。

「戦術に関する考察は、仮定や推測を多分に含むことになる」
というのは何処かで述べてあったはずだけど、該当記事では、
確かにそれが事実であるかのように書いてしまっている。これは俺のミスだな。
まぁ、あの記事自体、4万人で構成される野戦軍の正面と縦深をある程度考える必要があると思って、
色々とこじつけながら書いたものだし、その旨は記事内で述べてあったはず。

ただ、それが少なくとも唐よりは前のものである事と、司馬法や唐の軍制でも一軍は3,4千人であるし、
軍の規模がいきなり1万やらに増えたりとか、1千とかに減ったりという事は考えがたい。
また、十や五を基調とした軍制が過去にある以上、敢えてそれと大きく乖離させる必要もないだろうから、
おおよそ間違ってはいないと思う。
歩戦令からは、伍長、什長、都伯という隊長の存在と、更にその上に部と曲があり、部曲の更に上に校があった事が分かる。
だからやはり、五や十は部隊を編成する基本にはなっていたと思う。


848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 21:31:57 ID:69iNtZtO0
ID:Zl5e5O510

結局逃げだしやがった
結局ID変わるまで逃げ回るんだろ、
煽るだけ煽っといて結局何も答えなかったな
早く答えろよ、ヘタレ


849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 21:38:49 ID:69iNtZtO0
ID:Zl5e5O510 の理屈

魏晋代で書かれてるものは誇張脚色があり資料として参考になりません。
孔明を貶めるような記述のあるものは誇張脚色があります。
なお、孔明を高く評価しているものだけが参考になります。



850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 21:42:09 ID:hp2HfvAj0
>>843
ただ「兵糧が足りなくて」撤退したのか、「二郡を落せる目算付いたので正面決戦を嫌って」撤退したのかは
もう少し議論の余地があるところではないかな

どちらにしても兵を向ければ簡単に諸葛亮が引く事を見抜いた張コウはやはり名将だと思うがね

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 21:42:46 ID:rJZKyh3k0
>>848
いや、違うと思うが。
ID:Zl5e5O510は史書に対するスタンスを暗に示しているものと読めるが、
諸葛亮20万、郝昭1000の論拠のひとつが、魏書明帝紀注の《魏略》というのは
皆の知るところだとみるが、君の言う「どの資料をみても」の>>783の論拠を示せていないから
それの明示を求めているのじゃないのか?
まず、そこのところはどうなんだ? あるのか、ないのか。
あるなら、どういう書であるのか。
その論拠となるものが誇張かそうでないか、はその次の話としてね。


852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 21:46:28 ID:rJZKyh3k0
>>850
前後の事情に詳しくないから、こういうことを言い捨ててみる。

諸葛亮が陳倉を、陥とせなかったのか、陥とさなかったのか、どちらであっても
大過のない戦略が組まれていたか。
>>843のレスでは、3番目が濃厚ということで、結構考えさせられる。

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 21:51:12 ID:69iNtZtO0
ああ、自分の持ってる資料関連で多少の差はあるが1000余りの兵ってやつね
結局、どの資料も魏略を元にしてんだからそれで十分だろって前にも言ってるけどな

でID:Zl5e5O510 は魏の誇張脚色が多くあるといって逃げ回っている。


854 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 21:57:14 ID:NHYYkwO+0
>>843>>852
渡邉義浩先生が、陳倉の攻囲は二郡(武都・陰平)攻略の為の陽動だと、その著作の中で述べている。
自分もそれに触発されて考えた所、陳倉の攻略も目論みつつ、
それに失敗しても敵領土の切り取り、すなわち武都と陰平の攻略は達成できるように戦略を立案していたという結論になった。

ただ、>>843の言うように、食料の不足を以って、陳倉の攻囲が完全な陽動だったとは思ってない。
陽動でもあるし主攻でもあるというスタンスだね。
軍需物資の殆どが食糧だった時代、軍隊が物資の欠乏に苦しむのは城塞を攻囲する時が殆どなので、
移動中は、よほど貧しい土地で無い限りは給養できるものだから。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 22:00:58 ID:rJZKyh3k0
>>853
いや、ID:Zl5e5O510はおそらく、先日、原文原文言ってた人だと思う。
つまりは、その根拠の明示と、それについて論考することが目的…
今日は釣りだったみたいだが、千歩好意的に解釈するとして… だと思えるから
まず、彼をして言い負かすには、《魏略》が元であろうと、君のいう資料を書かないと
なんにもならないのと違う?

>>魏の誇張脚色
魏書に限ったことではないよ、その誇張過少の記録。
それこそいろいろな史料を多方向から検証することによって、より真実に近づく
これが歴史学。

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 22:12:47 ID:69iNtZtO0
だから無駄だって言ってる
資料出せって言ったってそれが魏略を基にしているんだから
それで十分だろって話だ
ID:Zl5e5O510は蜀にとって都合のいい所のみごり押しする
蜀にとって都合の悪い部分は誇張脚色と言い張るんだからね

資料なんて何の役にも立たないよ、彼にはね
自分の考察が一番正しいと思ってんだから



857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 22:30:50 ID:rJZKyh3k0
>>856
う〜ん。でもなぁ。
自分だって興味あったりするんだよな…
これまでご自身で指摘していないのだから、>>801の言う史料ではない
ということなんでしょ?
なにをもといとして、20万と1000を出したのか、歴史に親しむ者なら興味を持っても
そう不思議でもないと思うんだ。
ID:Zl5e5O510のことは、あっちに置いといてw

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 22:35:46 ID:QeFf7m3mO
>>854
なるほど、しかし20日は流石に短すぎないかと思う
三国志で他に1か月弱で食料尽きて退却した攻城戦なんてあるのか?(あったらゴメン)
諸葛格が20万の大軍で合肥新城を包囲したときでも何か月かは対陣出来てるんだから

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 22:36:06 ID:69iNtZtO0
自分で調べればいいだろ、煽って遊んでるよう屑の同類
お前の相手はしてないんだよ

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 18:33:38 ID:rJZKyh3k0
最近の曹操厨も質が奈落の底だな。
かつて専制国家という人がいたが、あれがマシに思える。
>>823
あんまり遊ばないようにw


860 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 22:52:48 ID:NHYYkwO+0
>>858
20日で完全に尽きたわけではないと思う。
その後に諸葛亮が建威まで出て陳式の援護に回っている事を考えると、
恐らくは、後方から輸送を行ってまで攻囲を継続する事で、
陳式の方の作戦すら失敗する事を恐れたんじゃないかと。

陳倉が攻略できないまま魏の援軍が到着する事で予測される戦況の推移、
撤退に必要な日数、輸送を行った場合に到着する物資の量と、それに必要な期間。
諸々を勘案しての結果が、20日での撤退という事なんだと思う。

諸葛恪による合肥新城の包囲も、数ヶ月分の食糧を全て一度に持っていったわけではなく、
水路による後方からの輸送という手段を使っていただろうから。
仮に穀物の消費を1人当たり1日1kgとしても、20万人の数ヶ月分は一度に携行できる量じゃないのが分かると思う。

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:03:29 ID:QeFf7m3mO
>>860
なるほど、いわゆる応変の奇略ということでアドリブで対処した結果ということも考えられる訳か

862 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/16(金) 23:20:26 ID:NHYYkwO+0
>>861
もともと、諸葛亮の作戦では陳倉はすんなり攻略できるはずになっていたとは思う。
陳式を別に派遣したのも、武都・陰平を攻略する事以外に、
郭淮に自分に先んじて陳倉に入られない為、というのもあるだろうから。
千人で守っている城と、5,6千で守っている城ではその攻略の困難さが明らかに違うからね。

陳倉を攻略した後、後方からの輸送を確立しつつそこで待つか、
或いは、三輔に存在する村々より徴発しつつ東進し、魏の援軍を撃破するつもりだったんだろう。
ところが陳倉攻略を為しえぬままに援軍が到着しそうになったので、
陳倉の確保はおろか、敵の大軍との会戦を準備する余裕すらなくなったと。

そこで、援軍が二郡に対する作戦に気付いて、そちらへの対処に動き出す前に、
一気に二郡を攻略する方に作戦を切り替えた、って所じゃないかと思う。

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:36:21 ID:ulNGaeYAO
>>850
いいこと言うね。孔明の行動は他人からしたらバレバレなんだよね。孔明は軍事の才能も無いのに、なに調子乗ってんだろーね(笑)

北伐なんて無駄(笑)

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 00:48:01 ID:0aqlcLdl0
>>862
こっちは止めておいた方がいいぜ
後期スレまた作るか?
てか、二次はそもそも魏が対呉戦を始めたのに合わせて、
急ぎで1ヶ月分くらいの輜重だけで進軍しただけでしょ
まぁ、陳倉くらいは抜けると思ったんだろうけど

865 :Jominian ◆Henri9gNlM :2008/05/17(土) 01:23:01 ID:51SeXoe00
>>864
曹休が敗れたのが9月であるので、遅くとも夏の間には諸軍は前進を開始している。
この戦役が、そもそも周魴による偽の投降を用いた呉の計略で始められた事を考えれば、
呉が、蜀に対して呼応するよう請うていた場合、夏の初めには諸葛亮の耳に届いているはず。
それにしては、実際に動き出したのが年末になってからで、曹休が退いてから三ヶ月以上後のことになっている。

魏の目が東方に向いている内に攻める、としては遅きに失しており、現に急ぎ張郃が派遣されている。

第二次北伐を企図した理由に呉の勝利があったとしても、単純な前進ではなく、
二郡の攻略も包括した、十分に練られた戦略の上だったと思うよ。
「呉が勝ったからとりあえず陳倉を攻めよう」なんて理由で攻めたと考える方が不自然に思える。

あと、後期スレまた作るか、ってのがよく分からん。
中英にそんなスレあったっけ?

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 07:27:50 ID:H9eMYMWf0
色々とアンチ諸葛亮側は言っているが、

陳倉を二十日間、包囲して、陥落させられなく撤退した。
撃滅させられたわけではなく、無事、撤退し、その後も軍事行動を行っている
また、陽動や牽制であった可能性も否定できないのに、

→『諸葛亮に軍事才能はない。戦下手』
という結論に飛躍する時点で彼らの論理的敗北は決定している。

郝昭が軍事経験のない人物ならともかく、それなりに実績のある人物。
兵力差はあれど、包囲解除後、無事、撤退に成功しただけでも、諸葛亮が凡将ではないと言い切れる
無様な撤退を行い、少数の城防御軍に追撃をうけ、大損害を被った戦歴は多い
ましてや、敵に援軍が派遣されている状態ならなおさら。
撤退の時期を逸し、挟みうたれる例もまた多い。

諸葛亮擁護側が『諸葛亮が古今を絶する名将である』と言い張っているならともかく、
『三国時代の中ではすぐれた将』と言っているのに過ぎないのだから、勝敗は見えている

そもそも、歴史を語るのに、勝ち負けにこだわる姿勢が原因。
それにこだわっている限り、アンチ諸葛亮がいかに資料をあさろうが論破され続けるだろうね


867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 07:44:36 ID:IPeq9QLgO
陸抗が後年羊コを評して「楽毅、諸葛亮以上の名将だな」と言ってる(晋書)けど
陳倉での見切りの速さ、追撃をまんまと殲滅するなど色々対応出来た孔明に対して
羅憲相手に何の工夫もなくただダラダラと包囲して援軍来たら普通に得るところもなく引き揚げた自分を省みて
何か思うところがあったのかも知れないなあ…と妄想した

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 07:50:41 ID:8q7P/UTU0
>>866
ご心配なく。どうやら論拠の提示はついにされませんでしたので。
知っていることを書くのが、そんなに労力を費やすのかと不思議ですが。
おそらく、勢いで書いただけみたいですね。
一瞬期待はしたんですけどね、史料ではなく「資料」の提示を。
「資料」なんですから、研究書それも日本語の、と思ったのですけどね。

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 09:33:31 ID:3WIYo2qk0
>色々とアンチ諸葛亮側は言っているが、
そういう言葉を使ってしまうのは君は信者だからだ

>陳倉を二十日間、包囲して、陥落させられなく撤退した。
>撃滅させられたわけではなく、無事、撤退し、その後も軍事行動を行っている
>また、陽動や牽制であった可能性も否定できないのに、
君のレベルの低さは証明されている。
何故なら、陽動の可能性を証明できなければ何一つ意味が無い。
そして、撤退とその後軍事行動はまったく違うものである

>→『諸葛亮に軍事才能はない。戦下手』
>という結論に飛躍する時点で彼らの論理的敗北は決定している。
>兵力差はあれど、包囲解除後、無事、撤退に成功しただけでも、諸葛亮が凡将ではないと言い切れる
>無様な撤退を行い、少数の城防御軍に追撃をうけ、大損害を被った戦歴は多い
相手は少数ですよ
そして相手は「王双」なんてまったく活躍してないやつです。
凡将だ、落とせなかったのは。そして追撃では愚将だ。
話にならない。

>ましてや、敵に援軍が派遣されている状態ならなおさら。
>撤退の時期を逸し、挟みうたれる例もまた多い。
援軍が付いてるころには逃げてました

諸葛亮擁護側が『諸葛亮が古今を絶する名将である』と言い張っているならともかく、

レベルが低い諸葛亮信者の論理的欠点は「まったく関係ない事柄を結びつける」ことと
「恣意的な判断基準を設定してしまうこと」の二点だ。

ここの論調では上なのだが、その後の軍事行動と、陽動の証明がなされていないと
ただのトンデモ論にすぎない

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:02:00 ID:IPeq9QLgO
第二次北伐は明帝紀によると12月の出来事で20日余り対陣した後引き揚げている
しかし第三次北伐は翌年の春(旧暦の春は1月から3月)に起こった戦役であり、曹操が陳倉から漢中までの進軍に3か月かかったことを考えると
孔明が同時進行で戦略を進めていたと考えないと説明がつかない
1:兵糧の余りの少なさ、2:諦めが早すぎること、3:敵の追撃に対して余りにも対応が完璧すぎる
以上の理由から2郡攻略の陽動の蓋然性は高い

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:25:16 ID:DCa+cguC0
>>868
結局、誇張脚色で逃げる低脳がなに言ってるの?
早く出せよ、知ってるんだろ、うじ虫

ID:8q7P/UTU0  = ID:Zl5e5O510

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:38:00 ID:DCa+cguC0
結局煽るだけで魏晋の史書は誇張脚色があるの一点張り
都合の悪い部分は絶対に認めようとしない
そして史書が伝えるのは北伐の失敗


ID:8q7P/UTU0


873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:47:29 ID:DCa+cguC0
868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 07:50:41 ID:8q7P/UTU0
>>866
ご心配なく。どうやら論拠の提示はついにされませんでしたので。
知っていることを書くのが、そんなに労力を費やすのかと不思議ですが。
おそらく、勢いで書いただけみたいですね。
一瞬期待はしたんですけどね、史料ではなく「資料」の提示を。
「資料」なんですから、研究書それも日本語の、と思ったのですけどね。

勝手な思い込みでまた言い出してるよ
期待してたのに結局煽るだけで何も出しやしないし
魏略を元にしたものだからそれで十分だろうといってるのにそれも無視だし
結局、誇張脚色がある魏晋の時代にかかれたもので考察するしかないのにね

魏晋のものは誇張脚色があるので駄目だと言い張る低脳 ID:8q7P/UTU0



874 :ID:Zl5e5O510:2008/05/17(土) 11:50:04 ID:NmdXdCqQ0
ありゃりゃ、他人に被害いってるわ…
>ID:DCa+cguC0
おれはココだぜw

ってか、おれのカキコミには特徴があると思うのだが(笑)
見分けろよ、そのくらい(笑)

で、オレの問いが先。
先攻はこっち。忘れるな?
凡夫w

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:51:34 ID:DCa+cguC0
IDが変わったとたんに沸いて出てくるうじ虫ID:8q7P/UTU0



876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:55:17 ID:DCa+cguC0
ああ、間違えたか、申し訳ないID:8q7P/UTU0

誇張脚色くんが何いってるの?
魏略で十分だろっていってるだろ、それを基にしてるんだからな

877 :ID:Zl5e5O510:2008/05/17(土) 11:56:13 ID:NmdXdCqQ0
844=874がオレ様w844以降、874までオレはカキコしてねーつーのw

しかし
本物釣っちまったのか、オレ?

てか、あれですね攻撃が無差別になってますね。
雑魚野郎w

で、こっちが先攻なんだって言ってるだろうがw

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:59:07 ID:NmdXdCqQ0
異議あり!
魏略の提示は君ではない。
『どの資料』の提示を求む

ま、できんのだろうがw

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 12:03:06 ID:DCa+cguC0
魏略を基にしてるんだからそれで十分だろって話だ
で魏の時代に書かれたものは誇張脚色が多いというなら
どの部分が誇張脚色か教えてくれよ
誇張脚色が史書にあるのはわかるけど、どこを誇張脚色とするかは
人によって解釈が違ってくるしな

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 12:05:12 ID:NmdXdCqQ0
>ID:DCa+cguC0
ま、提示は無理だろう?

今回のカキコはあんたが他人様を
オレと間違えて罵倒しているから、カキコしただけ(笑)

あんま迷惑かけんなよ〜w
じゃ、勝利宣言して。ばいば〜いw

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 12:05:53 ID:DCa+cguC0
魏略は他の人が出したもんだから駄目
勝手に自分ルール作るなよw
さすが都合の悪い記述は誇張で逃げ回る低脳だ

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 12:10:40 ID:DCa+cguC0
>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

結局これが 正しいと証明することもなく勝利宣言だけして逃げてしまったな
すべての曹魏の戦果にこれが当てはまるわけでないのにねw

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 13:26:58 ID:8q7P/UTU0
>>877ごくろうさん。へんに誤解を生んでしまった。申し訳ない。

>>873
ところで、自分が提示しなければならない資料ってなんだろ?
自分は、>>839で《三国志》しか手元にない、と明記しておるのだけどね。
それで、《魏略》の一文は確認できたが、>>783の言う複数あるであろう資料を
教えて欲しいと言っているだけなんだが…
たとえ、その《魏略》をもとにしていても、《資治通鑑》とか、書くだけなら簡単だと思ったんだ。
間違いなら間違い、知らないなら知らない、魏略のことだけなら魏略のことだけ、と明記してくれれば、
こっちはこれ以上聞かないのに。

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 13:32:27 ID:DCa+cguC0
あんたは相手にしてないって言ってるだろ
匿名の掲示板だから間違えてあんたを批難したところは謝罪する
それとアンタは面白がって首突っ込んで煽ってるようなような人間だから相手にする価値もない


885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 14:08:02 ID:8q7P/UTU0
>>884
ふぅん。まぁいいか。これ以上せがんでも提示してくれそうにないしな。
あと、別に面白がっちゃいない。そこも訂正しておいてほしいな。

>>869
>>相手は少数ですよ
>>そして相手は「王双」なんてまったく活躍してないやつです

以前に活躍したかどうかは、あんまり問題にならないのと違う?
自分がときおり明示している、西暦958年1月の楚州城の戦い。
時代は違えど、少数で強大な敵を食い止めた事例としてあげている。
これは、当時近代無比と言われるほど精強だった後周近衛軍を相手に、わずか1000人足らず
で40日ものあいだ徹底抗戦した戦い。
そのときの楚州防御使・張彦卿は南唐でも無名の将。これまでの活躍の記録などない。
最後は後周世宗が河を浚渫させて、闘艦を直接乗り入らせたので、落城したけど
それはハードウェアによって敗北したのであって、ソフトウェアの面では、当時最強の軍隊
に伍するものをもっていた。
そして誰が守ってもできたかどうかは、非常に疑わしい。
城攻めというのは、一致団結して徹底抗戦されると、簡単にはいかないものなんだよ。

>>援軍が付いてるころには逃げてました

いやいやw 敵の援軍が到着してから逃げ仕度してたら遅いでしょ。
まぁ、さっさと逃げ出したから偉い、とは言わんけどね。

>>まったく関係ない事柄を結びつける

まったく関係ない、というのが時代のことをいうのであれば、それはどうかと思う。
違う内容の戦闘と比べても、あまり意味はないとは思うけど、似たような状況であれば
判断材料のひとつにできると思うのだがな。

>>恣意的な判断基準を設定してしまうこと

これは人によってさまざまだから、その都度指摘して糺していかないとならないな。
自分の論も見る人によっては、恣意的とも映るだろうし。
どう恣意的なのか、指摘する側は説明する責任があろうと思う。


886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:02:43 ID:H9eMYMWf0
>>869
すげえな・・
これがアンチ諸葛亮か・・>>1なんか、かわいいものだな
>陽動の可能性を証明できなければ何一つ意味が無い
以前のレスで話されているじゃん。870氏がそれはよくまとめてくれている
それなら、そっちこそ陽動ではないということを証明してくれ。
大体、『可能性』という話をしている。可能性が無いという証明の方が先だ

>そして相手は「王双」なんてまったく活躍してないやつです。
>凡将だ、落とせなかったのは。そして追撃では愚将だ。

これが最も論外だと思うけどな。戦歴豊かな曹真がわざわざ追撃の武将に
やられるために、愚将を(おそらく精鋭の騎兵部隊をつけてやって)派遣すると思うか?
正史に記述がないだけで、王双がそれなりに実績のある武将であることは想像できるだろ?

いや、これはさすがに釣りかもしれん
これ以上は相手しない方がいいかもな


887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:19:53 ID:mGDBMv5x0
みんな知識は豊富だけど言ってることは強引だな〜

と、思う今日この頃

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:24:20 ID:NmdXdCqQ0
さて、もうあれ無視して

私は曹真の先見を褒めるべきだと思うのだが。
陳倉に郝昭を配置させ、防御に徹すれば、突破は難しいってやつ。
実際に孔明は突破出来なかったしね。
郝昭なら守れると見抜いた人物眼も高評価でしょ。

別の戦いだと有名な長平の戦いとか参考にならんかね?
白起相手に防戦できていた廉頗を趙括に変えたら、
白起にあさっり撃破されてるし。

曹真は過小評価されている感じがする。
しかし、孔明は撤退戦はプロだねw

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:25:20 ID:8q7P/UTU0
>>887
耳が痛いわw
文字数制限のある掲示板で、ちゃんと文章にしないといけないから
いろいろ負担かかるんだよ…
で、手抜きしてると、誤解を生んだり、強引に結論に結びつけたり。
自覚はあるんだけどな。まだまだ文章を書くということがヘタクソでしょうがない。

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:34:20 ID:DCa+cguC0
>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

都合の悪いことは無視
で、これが正しいということを説明してくれ

ID:NmdXdCqQ0

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 18:50:51 ID:3WIYo2qk0
>以前に活躍したかどうかは、あんまり問題にならないのと違う?
>自分がときおり明示している、西暦958年1月の楚州城の戦い。
>時代は違えど、少数で強大な敵を食い止めた事例としてあげている。
>これは、当時近代無比と言われるほど精強だった後周近衛軍を相手に、わずか1000人足らず
>で40日ものあいだ徹底抗戦した戦い。
>そのときの楚州防御使・張彦卿は南唐でも無名の将。これまでの活躍の記録などない。
>最後は後周世宗が河を浚渫させて、闘艦を直接乗り入らせたので、落城したけど
>それはハードウェアによって敗北したのであって、ソフトウェアの面では、当時最強の軍隊
>に伍するものをもっていた。
それならそいつが凄かったと称えられるだけで無名の新人に負けるのは
そいつ自身が駄目だったのか、相手自身が強かっただが、
そのたたきは相手自身が称えられるべきな戦いだし
一回もそいつは負けていない。

そして、王双は野戦だ。全然シチュエーションが違う。
そうやって、都合のいい事例を挙げて、
孔明を擁護しようとしているが逆のパターンなどいっぱいある。
はっきりいうが、王双は無名で活躍は見られない。

>そして誰が守ってもできたかどうかは、非常に疑わしい。
>城攻めというのは、一致団結して徹底抗戦されると、簡単にはいかないものなんだよ。
ならお前は、孔明相手に当時の軍隊で止められるよな?すげぇな。無理だと思うけど。

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:01:51 ID:zMKEYnjC0
あんたら、一体いつから・・・
そろそろ「足るを知る」でええんでないの?

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:28:43 ID:8q7P/UTU0
>>891
(;゚Д゚)

…ああ、すまんすまん。一瞬意味がわからなかったが、そうか陳倉の攻防戦とは
別の話だったんだな。
しかし挙げた事例は、城攻めの困難さと、過去の有名無名が影響していない
いい事例だったろ?

>>相手自身が強かっただが

そ。郝昭の必死の抵抗がすごかったわけだ。
諸葛亮を貶める材料とはならない。逆に郝昭を誉めるべきところ。
そして考えるのは、最近話題に上がっている、それが陽動のための戦いであり、
その軍事行動に自ら時間制限をかけていたかもしれない、っていう可能性。
どちらにしても、諸葛亮は時間内に陥とす気満々で、できなかったのだから
その攻防作戦には失敗=敗退は変わりない。
しかしこの事例だけで、軍才がないに直結するなら、他の三国時代の大将は
どうなるかな?

>>ならお前は、孔明相手に当時の軍隊で止められるよな?

張彦卿(郝昭)がすごいと言っているのがわからないってこと?困ったね。
つうかその喧嘩腰、なんとかならんのか。

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:30:20 ID:3WIYo2qk0
駄目だなあ。
そいつほめて孔明を貶すにきまっている。

ただ孔明の―は少なくして、そいつのプラスもある程度でいいはずだが
うまいとは言わない。

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:32:37 ID:3WIYo2qk0
ほかの将軍は他の事例があるから軍才が認められる。
孔明は負けだらけだろ。
第三次では2郡だが物足りない。


896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:36:17 ID:8q7P/UTU0
>>895
そうだったのか。ただ寡聞にして知らないから、三国時代で敵領土を切り取った
他の将軍というのを教えてくれないか?
君の言う軍才ある将軍な。
どうも後期はちょいと苦手でね。
曹操だったらいくらでも事例あげれるんだけどな。あの人は混乱期にのし上がったから
鼎立期とはいささか事情が違うのだよな。

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:50:20 ID:3WIYo2qk0
お前はなんで後期に限定するんだ馬鹿。曹操は、袁家と自分よりでかい勢力相手に切り取っただろ。あれこそ最高の軍才だ。
後期に限定するのはただの汚いだけだ。

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:01:34 ID:8q7P/UTU0
>>897
いや、諸葛亮が軍権を得ていた時期に近い方が、より比較しやすいだろうに。
政治的背景、勢力の拠って立つ状況、後漢末期よりよほど関係のある比較の
しかただと考えるがいかに?
ああ、その場合、後期ではなく前〜中期か。すまんすまん。訂正する。
それに曹操はすごいよ。そんなこと誰でも知ってる。
曹操の次に諸葛亮がいるの?

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:05:07 ID:3WIYo2qk0
条件の設定に当てはまってるかどうかで孔明はない。曹操はあるだけだ


900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:19:44 ID:NmdXdCqQ0
そろそろ石勒様召還していい?(笑)スレも終わろうとしてるしなw

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:41:13 ID:8q7P/UTU0
>>899
恣意的でない判断基準にのっとって、諸葛亮のいた三国時代初中期で
敵「国」の領土を切り取り、かつ諸葛亮より軍才があると思われる将が
いるのか、いないのか。
いるとして、誰?
これなら、まったく関係ない事柄を結びつけられることも少なくなると思うけど?
やはり曹操が話題に上らんと納得できませんか。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:58:23 ID:CkMbaslg0
>>901
陸遜かな
一度は荊北落してるし

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:15:52 ID:NmdXdCqQ0
>>901
魯粛とかどうよ。戦わずして、荊南三郡を取り返してる。
『孫子』的には、これを軍才と称していいんじゃね?

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:29:42 ID:DCa+cguC0
>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

何沸いて出てきてるの、ID:NmdXdCqQ0
これさっさと答えろよ、答えられないんだろ、この計算式の正当性を

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:40:34 ID:xsmEjflxO
劉備と共に、劉璋のいる蜀に侵攻したメンツは?
張飛は単なる猪武者じゃなく、それなりの指揮能力を見せてるし、
結果的には魏延がなったとはいえ、漢中は張飛だよねって皆が思ってたんでしょ?

三国鼎立以後にしないと、厳しくね??

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:41:02 ID:nnt/nm+i0
>>902
荊南じゃなくて?

>>903
三国時代初中期ではないな。
諸葛亮のいた時代なら魯粛も該当するとは思うが…

燕を滅ぼしたり上庸取り返した司馬懿は?

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:52:12 ID:NmdXdCqQ0
>>905
三国鼎立てーと、孫権が皇帝即位後と捉えていいのかね?
それだと…難しくなるな。
>>906
曹魏からみれば、上庸は反乱、公孫淵(燕)も反乱。
でも、公孫淵って半独立勢力みたいなもの…どうなるんだ?

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:54:04 ID:rXd2uZ/e0
>>906
三国志では隠蔽されているけど襄陽は陸遜らの手で落とされているよ

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:54:33 ID:8q7P/UTU0
各諸氏
自分が三国時代と後漢末期時代とを、明確に分けたいのは
戦乱の余波で、拠るべきものを失い、人心が惑い、強きものに容易に与してしまう
そういう風潮があるため、それぞれに拠るべき正義を見出した「国」が現出した時期とは
比べるには慎重を期す必要があるかもしれない、と思ったからです。
その国それぞれが、人心を失い腐敗の兆しをみせると、また崩壊に至るのは歴史の常識
なんで、そういう腐敗がない時期、つまり三国鼎立初期中期あたりを、この際土俵にした方が
公平な価値基準になるのじゃないだろうか、と。

>>906
陸遜、司馬懿はそりゃ該当するだろうね。>>1君はなぜか取り上げようとはしませんが。
しかしながら、燕がどの程度なのか、という議論の余地はありますがね。
蜀にとっての魏ほどの存在感があるのか、とか。

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:54:40 ID:DCa+cguC0
自分で言ったことも説明できないのか、ID:NmdXdCqQ0

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

やっぱり嘘だったんだな、嘘まで入れて偉そうに講釈たれるなよ



911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:57:02 ID:NmdXdCqQ0
>>908
マジっすか!?
何時落としたんすか?

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:58:07 ID:FPCFqGlr0
>>908
くわしく

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:05:35 ID:DCa+cguC0
人の言うことは誇張、脚色があるといいはり
自分の言うことは都合のいいことばかり取り上げその中に虚偽までいれるID:NmdXdCqQ0

>>911
そんなID:NmdXdCqQ0がついた大嘘

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:12:01 ID:8q7P/UTU0
こういうの見つけた… 詳細はわからない。

ttp://mujins.chicappa.jp/search2.cgi?text=xiangyang3

>>三国の時代、陸遜が襄陽を攻略したときにも、ちょうどこの穴の中から数十匹の馬が飛びだしてきた。

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:19:44 ID:NmdXdCqQ0
>>914
襄陽耆旧記か。これは閲覧した事も無いなぁ
…著者は晋の習鑿歯か…ふむ…

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:23:58 ID:DCa+cguC0
ID:NmdXdCqQ0 の主張

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから


917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:26:15 ID:rXd2uZ/e0
>>911
三国志曹仁伝を見ると、曹仁は襄陽にいた孫権の将を破って襄陽に入っている
関羽を倒した直後、曹仁らには襄陽を保持する余力すらなかったらしい

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:27:52 ID:DCa+cguC0
>>915
なあ、あれだけ人を愚かだの罵っておいてID:DCa+cguC0は
自分の言い出したことの正当性も答えれないのか?

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから




919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:29:24 ID:DCa+cguC0
>>915
なあ、あれだけ人を愚かだの罵っておいて ID:NmdXdCqQ0は
自分の言い出したことの正当性も答えれないのか?

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:40:45 ID:NmdXdCqQ0
>>917

曹仁伝
孫権遣将陳邵拠襄陽,詔仁討之.仁与徐晃攻破邵,遂入襄陽,使将軍高遷等徙漢南附化民於漢北,文帝遣使即拝仁大将軍
なるほど…

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:44:13 ID:DCa+cguC0
>>920
なあ、あれだけ人を愚かだの罵っておいて ID:NmdXdCqQ0は
自分の言い出したことの正当性も答えれないのか?
答えられない挙句無視か?

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:46:04 ID:rXd2uZ/e0
>>920
武帝紀や文帝紀ではその辺の事情が分からないあたりが隠蔽と呼んだ所以
赤壁と同じ構造なんだよね

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:49:26 ID:DCa+cguC0
>正史以外の資料があるんだろほら出せよ、ジャンプしろオラ!早く!早く!
>オラ!オラ!おら持ってるんだろ早く出せよw

こんな低脳な煽りいれといて自分は何も出せないんだもんな
早く正統性を言えよ、ID:NmdXdCqQ0は

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:52:04 ID:NmdXdCqQ0
>>922
1関羽が本当に凄まじかった(もしくは内乱)

2呉が強かった

3呉の二虎競食の計

…3番?

武帝紀や文帝紀には無いのか…知らんかった…

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:54:27 ID:DCa+cguC0
>>924
お前は議論に入る必要はないんだよ、虚偽まで言いだすような人間なんだからな

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:55:33 ID:DCa+cguC0
ID:NmdXdCqQ0

>曹魏の戦果は5〜10倍。討ち取った敵の数とかね。
>で、逆にやられた時は50%〜10%位になってるから


927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:56:35 ID:rXd2uZ/e0
劉備が荊州奪回に動かずにいたら荊北も呉の手に落ちたかもしれないなあ

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:18:48 ID:DNWnwIFg0
>>927
曹丕は皇帝を名乗れなかった可能性はあるな。
孫権が魏に臣従して益州以外が収まった形で名乗ったんだから。

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:26:18 ID:rXd2uZ/e0
>>928
いや、曹丕即位時点ではまだ曹仁は襄陽を取り戻していなかった可能性が高い
曹仁が襄陽に入って大将軍になったのは黄初2年だから
魏視点では呉が背いたのは黄初3年ということになっている(文帝紀)から、襄陽が孫権に占拠されているのは反乱じゃあない、ということにして黙殺し、即位を強行したんだろう

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:38:39 ID:ynZ1KrA00
孫権も陸遜もあほだなあ、んな火事場泥棒やってたんじゃ蜀軍攻めてきてもそりゃ魏は冷ややかだわ
そういや孔明死んだときも国境に軍勢を押し出したりしてたんだっけ
呉に信念という言葉はないのか?

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:41:04 ID:rXd2uZ/e0
>>930
逆だよ
火事場泥棒だろうがなんだろうが、荊州から益州へと支配領域を広げるという信念に基づいているんだよ

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:45:55 ID:CkMbaslg0
しかも落してるのは襄陽だけでなく房陵とかもだから、後は宛取って北を目指すだけ状態
襄陽奪還のタイミング的に夷陵がほぼ同時期にあって魏蜀の共同作戦の様相すら呈しているという…

劉備は多分判ってやってる
だから趙雲も「親分そりゃないっすよ」って言ってるんだと思われる
孟達の降伏が、何故魏に対して行われたのかをもう少し吟味すると
魏蜀の協力というこれまでは全く考えもされなかった新しい視点になったりならなかったり

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:50:01 ID:CkMbaslg0
劉備が魏と密かに手を組んでると仮定した場合に
夷陵敗戦後の「魏が攻めて来たんでしょ?俺が魏をボッコボコにしてやっからちょっと荊州通らせて、ニヤニヤ」っていう手紙が色々と面白い
無論こんなのは小説的な考え方で史学的に考えると、敵の敵は味方理論で
敵同士だけど連携して動いてるかのように見えてしまっているだけなんだろうな

勿論劉備は呉への嫌がらせを判ってやってる筈

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 23:55:47 ID:rXd2uZ/e0
劉備は分かってやってるだろうね
そもそもイデオロギー的には魏と蜀は本来は相容れないわけだけど、
「天に二日なし」のはずなのに蜀と呉が後に同盟しているように、実際には魏と蜀だって本当に必要とあらば同盟関係にだってなり得るんだし

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:02:18 ID:U9vD23YV0
>>930
呉に信義や信念なんてもんはないよ
呉の最後の丞相が国に殉じるときに孔明を持ち出すくらいだからw

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:06:35 ID:OvocAzzE0
>>934
ま、だからこそ孫権は劉備が死ぬまで執拗に南中で交州ルートから反乱煽ったりしてるんだよな
諸葛亮時代になってからは嘘のように蜀を信用するけど、孫権の劉備不信はもう行き着くところまで行き着いてる

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:11:05 ID:/qZ6lGq90
三国志スレって必ず殺伐な雰囲気になるよな。
なんでかな?

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:14:12 ID:S8NObewT0
>>936
それは人を信用するというレベルの問題じゃあないと思うな
劉備の敗北により荊州支配が固まったから当面は蜀を敵に回す必要がなくなったことと、魏が対呉を重視していたこと、
及び劉備死後は蜀の方が呉に歩み寄ったから呉も敢えて敵対しなかった、ということなんじゃないかと
隙あらば蜀を取ろう、蜀が何かやれば自分への敵対行動かと疑う、という点では劉備死後も呉のスタンスは全く変わってない


939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:20:42 ID:OvocAzzE0
>>938
劉備という個人に対する孫権の不信感ってのは拭えないんじゃないかな
かれこれ15年くらい2人はずっと騙し合ってたのだし

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:20:41 ID:lFW8tKOi0
ちょっと領土獲得重視の軍事能力討論って流れになりかけているけど、あまり、好きじゃないな
アンチ諸葛亮が湧いたのはそれを持ちだしたからだしさ

それを言ったら、杜預>(越えられない壁)>羊祜、陸抗
ってなるし、それはないだろうと思う。
三国時代で諸葛亮を超える実績といえるのは、司馬懿、陸遜、陸抗、トウ艾、そして張コウ
ぐらいだろうけど、
陸抗は自軍の内乱の際に羊祜を破っているけど、国力差もあるのに、ただの守備の一言で
終わらせられるのかって感じだし。
司馬懿だって、第四次北伐で大敗しているしさ
(「晋書」どおりだったら、司馬懿の大勝利が三国志正史に書かれないのは不自然過ぎる)
第一次北伐、第二次北伐で大いに功績をあげた張コウだって追撃で戦死させてるし
陸抗の羅憲との戦いの手際と比較すると、諸葛亮の方が上のように見えるし
陸遜とだって、基本守備と積極攻勢とでは条件が違いすぎる気もするし

あまりにも、学者などの書物で「領土を二郡しか奪っていない」「結局、全て撤退」
という点が強調されすぎて、彼らが軍事知識に乏しいのにも相まって現在の状況になったと思う
結果論から来る実績は分かりやすいが、その点にとらわれるのもちょっとどうかな。

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:23:35 ID:F7EczmjP0
孫権がしたたかになったのは劉備の影響がほとんどだけどなw
若い頃は坊ちゃんみたいな騙されかたしてるし。

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:30:39 ID:S8NObewT0
>>940
V9時代の巨人を率いて勝率6割の監督と
1年目の楽天を率いて勝率5割の監督
どっちが監督として上なのか、ということだな

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:30:52 ID:OvocAzzE0
>>941
今度、散々上の世代の劉備や士燮にやり込められて来た孫権が同世代の曹丕をもう散々にやり込めてるの見ると
「ああ、経験って大事だな…」って思うよな

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:31:09 ID:U9vD23YV0
>>941
孫権がしたたかと言われると齟齬を感じる
単にわがままだっただけだろ?
張昭を丞相にしないで無口で自分を立てる顧雍を任命したりとかさー

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:35:12 ID:Ie1UtrQX0
>>944
孫権と張昭の喧嘩は殆ど喜劇だよな。

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:44:02 ID:o88xoi2+0
>>945
よく関係続いたと関心するよ

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 00:58:43 ID:OvocAzzE0
>>946
喧嘩するほど〜の典型だろ
お互いに、好悪の感情があったから喧嘩してたんじゃなくて
お互いに好きで、だから悪い部分を遠慮せず言い合っての喧嘩だし

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 01:04:33 ID:tkCdOUv60
>>947
その発想がキモすぎる

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 01:11:52 ID:Q12q3jJA0
>>947
降伏するよう勧めたことを皮肉られて深く恥じ入って官位と領地を返上したのが
「喧嘩するほど〜の典型」?それはないわ
第一群臣が張昭どのをと2回も薦めて2回とも蹴ってるんだよ孫権本人が

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 01:19:16 ID:E8wTuhtTO
>>948
呉はホモ需要で商売が成立ってるのできもい妄想は許してやってくれw

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 01:19:30 ID:OvocAzzE0
>>949
別にそれだけじゃないだろ

虎狩りとか、公孫淵関連とか見てると仲良いから喧嘩してるように思えるよ?
降伏するように勧めるのは、軍事的なその辺の情報持ってなかったからだし、戦って降伏するより
戦わずに降伏する方が戦後の扱いがいいのだから、降伏勧めること自体は別に孫権のことを蔑ろにしてるわけでもないし

952 :1:2008/05/18(日) 01:20:31 ID:Z0P8Q+XI0
スレ建て依頼

孔明に軍事の才能はない3

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 01:21:44 ID:OvocAzzE0
>>950
ホモとかどうしてそうなるんだ…
孫策に託孤寄命された孫権に対する親心みたいなものがそこかしこに溢れてるじゃないか

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 02:59:51 ID:Ie1UtrQX0
>>951
孫権の酒乱の宴を諭した話しとかもありますな

疑問なんだが、キモすぎるとか、呉はホモ需要とかが、何で話題に出てくるんだ?
実際ワケ解らんよ

>>952
次スレはいらんだろ

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 08:00:17 ID:cYVDUWkf0
>>951
それは張昭が忠臣ではあっても孫権が張昭のことを疎んじてない説明にはならんな
わざわざ人の古傷抉るのが「仲がいい」人のすることなのか?

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 12:30:46 ID:lFW8tKOi0
なんか、昨日のレスに対してアンチからの反撃がないのだが、
一応、納得したと考えていいのかな?
なら、このスレも終了でいいか

(まあ、尋ねたら、『諸葛亮に軍事才能はない』とはいかずとも
 『諸葛亮は凡将』程度の回答が返ってくるだろうけどね)

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 12:34:09 ID:9b+FICqg0
>>1は次スレを希望してるみたいだが。
まだいい足りないらしい。

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 12:39:03 ID:FpezoVRT0
>>955
張昭生前の孫権は、酒の席以外ではあまり他人を腐すような事言わないけど
張昭とか限られた人にはそう言うこというんだよね
気の置けない仲でなければ、そんな事にはならん

張昭死後に陸遜に本音を言ったら憤死しちゃうし
遠慮なく本音で言い合える仲の人ってのは本当に得難いものだよ

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 13:49:20 ID:Ie1UtrQX0
孫権が一番信頼していたのは諸葛瑾、次が魯粛
張昭は亜父みたいな感じ
周瑜は義兄だね(呉夫人の言葉もある)
陸遜はただの部下って感じだったんじゃね?

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 13:53:01 ID:Ie1UtrQX0
>このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
>ハヤテのごとく!カプ話総合スレ1、1 [漫画サロン]


おいおい…
腐な人が居るから、ホモ論争があったのか?

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 13:58:18 ID:9b+FICqg0
ホモとか下ネタだすのは、にちゃんという閉鎖空間では日常茶飯事と違う?
いまさら驚くに値せんよ。ネタでしょ、ネタ。

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 14:02:13 ID:Ie1UtrQX0
>>961
いや、違う
下手すると無双厨が、孔明を貶しているって話にもなってしまう…
コーエーのシュミの方の三国志でもいいけどさ

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 14:52:41 ID:E8wTuhtTO
>>958
ほん…ね?
あれは単に孫権が陸遜信じずにざん言信じたってだけの話だろ
さすがにその意見は庇い切れん、頭の中お花畑と言わざるを得んわ
無双厨だからなのか?

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 15:26:04 ID:F7EczmjP0
950 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/18(日) 01:19:16 ID:E8wTuhtTO
>>948
呉はホモ需要で商売が成立ってるのできもい妄想は許してやってくれw

963 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/18(日) 14:52:41 ID:E8wTuhtTO
>>958
ほん…ね?
あれは単に孫権が陸遜信じずにざん言信じたってだけの話だろ
さすがにその意見は庇い切れん、頭の中お花畑と言わざるを得んわ
無双厨だからなのか?

もう少しお勉強しましょう。陸凱伝あたりを読めばちょとは賢くなりますよ。

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 15:37:44 ID:S8NObewT0
>>964
まあそうあおらずに

あの時の陸遜の上奏はあまりにもタイミングが良すぎた
孫権が極秘で皇太子換えを検討していた時に「皇太子廃立反対」とか必死で言い出したから、陸遜が自分らをスパイしてるのかと疑った
(事実皇太子がしていたわけだが)
陸遜自身には非はなかったにしても、孫権の愚行で片付けるのは短絡的だな
まして丞相で荊州牧の陸遜の影響力は大きすぎるのに、「都に乗り込んでとっくりと話し合いたいのですが」なんて申し出は皇帝に喧嘩売っているようなもんで、ただで済むわけが無い。

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 16:15:33 ID:FpezoVRT0
>>959
血縁上は孫権は陸遜の義理の叔父なのでただの部下じゃあないよ
呉の四姓の一つ陸氏の総帥だし(陸績死んでからは)

>>963
本音だろ
陸遜は姻戚関係者でもあり、豪族たちの代弁者でもあるのだよ?
そんな奴が奇妙な動きするんだから「おい、何でだよ!」って普通なる

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:09:56 ID:PaLnzUi60
孫権と張昭の喧嘩が喜劇に見えるってのは
蒼天か何かしらないけど、変なのに影響受けてるんじゃないか。
虞翻とか周瑜の息子とかへの対応も見れば
普通に孫権と張昭の確執にしか見えないだろうに。

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:15:42 ID:OvocAzzE0
>>967
虎狩りの話読めよ
あと土盛り合戦も

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:18:40 ID:PaLnzUi60
>>968
孫権がただのわがまま君主だとしか見えないが。

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:21:33 ID:OvocAzzE0
>>969
だから、喜劇に見えるんだろ
当然ながらやってる本人達は全然楽しんでるわけじゃなかろう
至って大真面目でやった結果がアレだから喜劇みたいだと比喩されるわけだ
何でお前はそこまで言われないとわからないのだ?


971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:25:09 ID:F7EczmjP0
元が劉備の話だからだろ、孫権の話題は矛先を変えてるだけだし。

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:25:12 ID:Ie1UtrQX0
>>967
君の中では張承(長男)は酷い扱いになってるのかね?
変な影響受けてるのは君じゃないか?

孫権と張昭のエピソードが殆ど喜劇みたいだって事だよ。
虎を狩るエピソードで、孫権は死にかけてみるし。で、張昭に叱られる。
だけども孫権は懲りずに虎を狩りをするんだ。木箱みたいなのに入って。
笑えるエピソードだとおもうのだが?
分かんないかな?

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:30:29 ID:F7EczmjP0
呉アンチもレベルが低いなw
要するに、荊州問題とかを孫権のわがままに持っていきたいのがバレバレw

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:32:56 ID:Ie1UtrQX0
>>973
君が無双厨かね?

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:57:00 ID:PaLnzUi60
>>972
笑えねえって。
ましてや>>951>>958みたいに「仲がいいから」とか「信頼し合ってるから」みたいな解釈は無理が有るだろ。

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 18:02:05 ID:OvocAzzE0
>>975
要するに朴念仁なんだろ

それか喜劇的なものも理解できない程頭悪いか

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 18:07:36 ID:Ie1UtrQX0
>>975
いや、別に君個人が笑えなくともどうでもいい。感性の問題だしな。

>「仲がいいから」とか「信頼し合ってるから」
知らんよ、そんなのw
発言者が私じゃあないんだし。

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 18:37:11 ID:OvocAzzE0
>>975
嫌ってたら、張昭を呼び戻したりしないっての

厭味言って張昭が恥じて官位、領土を返上した後に改めて官位に爵位、領土与えたし
結局81で死ぬまで張昭を相談役にしてただろ
後漢の常識で考えれば引退は70だぞ

権常曰「孤與張公言,不敢妄也.」
孫権は日頃から「張昭が私にくれた言葉は、蛮勇を諌めるものだった」と言っていた。
信頼でもしてなければ、こういう言葉は出ないから

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 18:44:48 ID:gnnSwe4i0
>>978
でも結局丞相にはしてないんじゃね?
張昭は嫌いだけど政治家としての孫権がそういう行動を取らせるんじゃないの。

孫権と張昭のエピソードは喜劇って言われるとちょっと違う気がする。
土盛りとかは大人げないなあ、とは思うけど、
虎狩りとか別に微笑ましくもない。

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:03:44 ID:Ie1UtrQX0
>>979
まず日本語の勉強が先みたいだね。
『喜劇』その言葉の意味を、広辞苑で調べなさい。

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:12:14 ID:OvocAzzE0
>>979
性格考えたらほとんど狂狷の徒である張昭を清濁併せ呑む丞相なんか付けられないっての
むしろこっちこそ、政治家としての孫権が私情を矯めて人事を行った例だろが
初代丞相に地元の豪族採用して色々気を使ってるんだしな

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:24:26 ID:FVqNRGNVO
面白い、面白くないは、感性の問題。
喜劇に思えないなら、それはそれで良いんじゃないか?
映画の寅さんを観て、サイコサスペンス的な恐怖を感じる人は、実在するし。

資料持ち出してまで立証するものでもあるまい。

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:35:10 ID:gnnSwe4i0
>>981
>初代丞相に地元豪族
揚げ足とりになるが初代丞相の孫邵って地元豪族なの?北海群の人なのに。
たぶん顧雍のことを言いたいんだろうけどさ。

本伝でも陳寿評でもしっかり孫権の張昭に対する態度について触れてるし
そんな無理に張昭と孫権が仲よかった、なんて解釈をしなくてもいいと思うけど。

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:48:02 ID:F7EczmjP0
本伝でも陳寿評でもしっかり孫権の態度について触れてるし
そんな無理に孫権がわがまま、なんて解釈をしなくてもいいと思うけど。

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:50:53 ID:9b+FICqg0
>>983 >>984
そういうときは、引用もとの文を引いてくれば、手元に資料のない人でも
どういう解釈ができるか、わかりやすくなると思うよ。

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 20:04:20 ID:gnnSwe4i0
>>985
http://www.hoolulu.com/zh/25shi/04sanguozhi/t-052.htm

昭?朝見,辭氣壯氏C義形於色,曾以直言逆旨,中不進見

張昭は朝見するたびに、辞気壮麗で正義を色にして直言を行ったため(孫権の)旨に逆らって、宮中に進見できなくなった。

張昭受遺輔佐,功勳克舉,忠謇方直,動不為己;
而以嚴見憚,以高見外,既不處宰相,又不登師保,
從容閭巷,養老而已,以此明權之不及策也

張昭は遺命を受けて(孫権を)補佐し、功績を立てて、整った忠義の直言(?)を行い、己のために動くことは無かった。
しかし厳しかったから憚られ、見識が高いから疎んじられ、宰相にもなれず、師保(?)にもなれず
結局民間のなかで暇な余生を送ることしかできなかった。このことから孫権が孫策に及ばないのは明らかである。

訳はやや適当


987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 20:16:34 ID:osgG8w5H0
まあ孫策が生きてれば丞相になれてたのは確かだな

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 21:18:02 ID:9b+FICqg0
>>986
これだけ見てると
清廉で直諫を憚らなかったため、ついに最大級に重役に用いられなかった
ということで、孫権の孫策に比べての狭量を説いているな。
孫権がわがまま、というのとは違う気もするが、好意的とも違うな。

李世民の魏徴、趙匡胤の趙普、みたいな関係はなかったのだろうか。


989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 23:37:46 ID:OjsY3Q/s0
孫権にとっての張昭 = 徳川家康にとっての本多作左衛門重次

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 01:30:47 ID:ErsseDPk0
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|   あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|    『おれは孔明スレを読んでいたと
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ     思ったらいつのまにか張昭スレを読んでいた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人      な… 何を言っているのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ     おれも何をされたのかわからなかった…
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ     頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r ー---ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    いつの間にか別のスレを開いていたとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ   そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ     もっと恐ろしい話題脱線の片鱗を味わったぜ…

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 03:14:48 ID:uUWSOOk2O
次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレ次スレは?

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 10:01:37 ID:zMO0AhoY0
いらん

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 11:44:02 ID:Iq3ML8aD0
いらねー

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 15:11:17 ID:oa3iECrtO
>>990
後主の丞相かつ師父になれた諸葛亮の比較材料になるから全くの無駄でもないだろう
諸葛亮にあって張昭になかったものでそれが分かる

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 16:08:55 ID:zMO0AhoY0
変なのが煽らなきゃもうちょっと有意義な議論になったかもな>張昭

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 18:02:00 ID:AdJZYTul0
ホモ談義埋め

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 19:04:51 ID:IJQAXzTD0
さ、終わった終わった

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 19:21:29 ID:wfZ/RXMI0
>>994
孔明もああ見えて先帝先帝言っててうるさ型だったと思うんだけどなー
Wikiによると後主への忠誠ではなく劉備への思慕で頑張ってたと渡邊氏は述べてると書いてるね

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 19:58:39 ID:MgpCT1w70
1000はもらう!

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 19:59:02 ID:MgpCT1w70
孔明の軍才はクズ

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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