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   国姓爺 鄭成功   

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 16:02:28 ID:Mq2fqsz00
意外にも、日中混血児の英雄のスレがまだなかった。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 08:32:30 ID:S95eMOZr0
鄭成功
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%88%90%E5%8A%9F

鄭氏政権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%B0%8F%E6%94%BF%E6%A8%A9_(%E5%8F%B0%E6%B9%BE)

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 08:37:14 ID:S95eMOZr0
父親の鄭芝龍も一代の英雄だね。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 08:50:47 ID:BeUnWCMr0
ウィキを貼る低脳は消えろ

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 10:31:36 ID:RCpFxJHg0
中国でかなり有名な日本人の血を引く英雄なのに、
国性爺合戦があるとはいえ、日本では意外と知名度が低い気がする。

台湾が絡んでくるので、政治面での配慮も働くのかな?


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:31:00 ID:D36wd57V0
5年ほど前に鄭成功の映画見たが、あまり話題にならなかったのが
残念だ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:44:07 ID:QPkSSc+A0
田川福松スレキタ━(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚  )━(   )━(  ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━ !!

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:47:48 ID:hmmhiuT90
>>6
あれは、日中合作映画だったせいか、
台湾は中国ものという主張が前に出すぎて、ドン引きだった・・・・・・

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 22:09:06 ID:JzpYspNA0
鄭芝龍がどうして単身で清に投降したのかが理解できない。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:55:01 ID:Lo0dzhxP0
>9
嘗ての仲間を見限ってまで明に投降して、身分を得た経験が有ったからでは?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 00:18:03 ID:SrsTyv4h0
清側にしたら、鄭氏一族の軍事力と切り離された鄭芝龍個人に投降されても、
あんまり意味なかったんじゃ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 00:42:33 ID:bvteHozZ0
鄭芝龍を遇することで彼を窓口に投降してくるのを期待したとか、
他の明残党とかへのアナウンス効果とか。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:43:46 ID:uiWQfuGdO
降伏してきた敵将を、わざわざ殺してまでして得るメリットもないし。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 12:44:14 ID:+wUjbxxK0
東シナ海の海賊勢力の主立った者は鄭氏の下に集約されていたの?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 22:28:05 ID:K21W8HSh0
鄭成功の子孫って今も残っているの?
清朝に投降したよね。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 15:59:58 ID:Tpv7vz7J0
三藩の乱の時に、鄭経は具体的にはどんな軍事行動を取ったんだ?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 23:37:04 ID:9sIHW2ni0
>>16
福建や広東の沿岸部を占領したけど、
乱の中心である呉三桂らが敗れると、撤退を余儀なくされたみたいだね。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 20:47:25 ID:gGOY0lIe0
伸びない

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 23:54:10 ID:C6N88zGW0
鄭成功って微妙。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 23:59:07 ID:RzjEuNd70
どこが?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 09:25:06 ID:ZlB4cn200
鄭成功の子孫って今は残っている?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 17:21:02 ID:RmYkMLRJ0
少しは自分でググって調べてみろ
すぐわかる
弟の子孫なら横浜に住んでる

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:16:02 ID:mqW2U/k/0
弟?
それは鄭成功の子孫では無いと思う。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 01:33:48 ID:hZMnNoKq0
鄭成功の直系の孫の鄭克爽は、清に投降した後、
清から爵位を貰って、その後長いこと生きたはず。

その系統で子孫はいなかったのかな?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 10:53:39 ID:Yo/Aac+j0
「中国の息子、台湾の父」鄭成功描く『海賊王 鄭成功』完訳本韓国で出版
『海賊王 鄭成功』504ページ。1万8千ウォン。

(ソウル=聨合ニュース)今の中国福建省出身で明末-清初の激変期を生きた鄭成功(1624-1662)は、まこ
とに妙なことに中国人も、台湾人も、日本人も「私たちの先祖」と呼ぶ。

彼が実質的な台湾の建国者であり、ひいては満州族の清に最後まで対立して漢族の伝統を守ろうと苦
労したという点で、現在の中国や台湾で彼を救国の英雄のように担ぐ事実は理解できるが、一体日本
は何を根拠に鄭成功を自分の血縁と見做しているのか?

鄭成功の父、鄭芝竜は南中国海に一代で巨大な海上王国を構築した。これにより彼の活躍した範囲は
このごろの国際海運会社最高経営者(CEO)とほぼ同程度に広かった。中国東南部の海岸は勿論、台湾と
フィリピン、日本まで彼の影響力が及んだし、この過程で田川七左衛門という日本女性を得て鄭成功
を生んだ。このためか、日本には鄭成功に関する研究やパンフレットが多い。

父親が構築した王国をそのまま受け継いだ彼は、明が亡びると北から圧迫して入って来る清軍を避け、
台湾に移ってそこを支配したオランダ勢力を追い出すことで台湾は「中国の一部」という端緒を開く
主人公になった。それ以前、台湾は「中国」の範囲に含まれていなかった。

世界人だった彼は当時、見る人によっては海賊でもあり王でもあったが、その自分は最後まで大義名
分に忠実な士(ソンビ)であろうとした。こんな彼に抗清復明運動は当たり前の事かも知れない。こ
こに1658-59年に船舶3千艘と25万の大軍を率いて南京攻撃に出たが、失敗して1661年には清朝廷が沿
岸五省の民を内陸から移住させる「遷界令」を実施した。台湾に渡って鄭氏王家を開き再起を図った
翌年、急死した。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 10:54:39 ID:Yo/Aac+j0
それなら彼を忠臣にした主体は誰だろう?清王朝だった。1787年、清朝廷は彼を明に最後まで忠誠を
すべて捧げたと言って忠節公と言う諡号を与え、彼を称えたのだ。矛盾のように見えるものの、実際
こんな事は中国や韓国の伝統王朝でたくさんあった。鄭夢周(チョン・モンジュ)も太宗李芳遠(
イ・バンウォン)に殺されたが、彼の息子を起用したのも李芳遠だった。

1971年生まれであるジョナサン・クレメンツ。イギリスの作家であると同時に脚本家である彼は、雑
誌編集長として働きながら日本アニメの専門家で通じる。日本文化に通じ、中国史にも関心のこの上
なく大きい彼がこの鄭成功を主題にした大河歴史物「海賊王鄭成功」を出版したのは2004年。韓国国
内学界ではこのような史学著述には目もくれないが、各種の原典資料を縦横無尽に渉猟して壮大なス
ケールに再構成した鄭成功の王国は、感歎に値する。

原著者より4歳年上の西江大史学科出身、ホ・ガンさんは最近この本の韓国語完訳本(サムバン発行)に
書いた'訳者後記'で「歴史的事件が単純描写や列挙で終わっているという感じを持つかもしれない」
と述べたが、杞憂に過ぎないようだ。

ソース:empas/聨合ニュース(韓国語)<中国の息子、台湾のお父さん 鄭成功>
http://news.empas.com/show.tsp/20080131n15750/

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:47:50 ID:WKbfTKiH0
なぜ韓国が?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 01:16:54 ID:Aslsy4Ii0
ジープンキー!

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