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【闖王】 李自成 【英雄? 逆賊?】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 15:02:18 ID:Dre5JVDc0
李自成(1606 - 1645年)は、明朝を滅ぼした農民反乱の指導者。延安府米脂県出身。

清朝は、李自成によって死に追い込まれた明朝の崇禎帝の仇を取るという名目で中国の支配を正当化したため、清代を
通じて李自成は逆賊とされて貶められた。
一方、共産党政権以後は、毛沢東が李自成の反乱を起義軍と見なしたことから、再評価されるようになっている。

果たして李自成は英雄なのか? それとも逆賊なのだろうか?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 15:05:24 ID:KfmfiTTE0
漢民族としては英雄で、満州族から見れば逆賊

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 15:13:48 ID:Dki/eEXM0
李自成が明を滅ぼしたのは正しかったのか?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 15:49:39 ID:BsG5OiwH0
明は、李自成が滅ぼさなくても、別の誰かが滅ぼしていただろう。
まさに明は天命が尽きていた。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 20:20:09 ID:BoJI/zrIO
呉三桂を臣従させられなかった時点で尾張

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 23:06:36 ID:lGIhyCDw0
一時は、配下に掠奪を禁じ、それで勢力を拡大したらしいけど、
実際のところ、どれぐらいその規律が守られていたんだろう。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 15:25:46 ID:O8SaJtfJ0
にしても、李自成も逸話には事欠かないね。
僧侶になって生き延びたという伝説もあるし、
間違いなく英雄だろう。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 22:48:29 ID:vFr0SExb0
金庸も雪山飛狐や鹿鼎記で、
李自成は実は生き延びていた伝説をネタに使っているな。

中国ではかなり民間で浸透している人物だね。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 17:06:36 ID:N5AfSxer0
中国の大盗賊

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 19:34:51 ID:vx7wTb160
皇なつきの『黄土の旗幟のもと』という漫画は李自成を扱った作品だよ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 13:52:41 ID:7BnuuoTj0
>>8
武侠小説で李自成はいいネタになるね。
碧血剣とか、白髪魔女伝とか。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:00:19 ID:qlgOQugU0
李岩と紅娘子は実在の人物なのかな?

13 :八大王:2007/01/11(木) 22:32:21 ID:WQ9iuqdq0
弱者を助けるため、血の最後の一滴まで絞りだして戦った張献忠先生の方が上。
4人の養子もつわもの揃いよ!

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 23:32:11 ID:z2Cr7Hb00
張献忠公は人道主義に根ざした、正義の英雄だったからな。
あれほどの人格者、歴史全体を見渡してもなかなか見つかるまい。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 23:47:28 ID:qs15dPtQ0
李自成と張献忠は手を組んでいたんだよね。
最終的に訣別したのかな? それとも連携は続いていたのかな?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:59:50 ID:bAr99ni90
進んだ方向が違うから。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:44:06 ID:bfRcKxn80
張献忠(ちょうけんちゅう、1606年 - 1646年)は、明代末期の反乱軍の指導者。
陝西延安衛の出身。崇禎3年(1630年)に王嘉胤が反乱を起こすと、これに呼応した。一時は官軍に降ったものの、間も
なく高迎祥の下に投じて、山西、河南を転戦した。後に李自成との反目から高迎祥の敗死を招くも、湖南、江西から四川
に侵入して独立勢力を形成し、崇禎17年(1644年)には成都府に拠って大西皇帝を称した。
明滅亡後は、清軍の圧迫を受け、粛親王豪格の軍勢と交戦中に射殺された。
張献忠は嗜虐癖が異常に強く、残酷な殺戮を好んだ。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 23:53:57 ID:cfIuXVAX0
李自成の「順」とか、張献忠の「西」といった国号は何を元に決めたのかな?
宋までは、主に地名から国号を取っていたようだけど、
元、明あたりからよく分からんようになってきたな。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 15:39:13 ID:3U9AujMN0
元以降の国号は、陰陽五行とかに基づいたものだったかな。
張献忠は西の方に拠ったから、西とか?w

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:36:09 ID:3Bb/3em00
側近として仕えていた科挙の落第書生あたりが考え出したんじゃないの。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 13:02:10 ID:+0jqJxLK0
>>12
現在のところ実在は否定されているのではなかったかな。

李岩は明史にもちゃんと伝があるんだけどね。
出身とされる河南杞県に戸籍が残っていなかったり、
兵部尚書李精白の二男という記述も、まったく別人が別の場所で死んでいる記録があったりで。
あと李岩の死の前後の記録にも時系列を追っていくと矛盾があったとかなんとか。

紅娘子も各地にいろんな伝承があるみたいだし
そもそも紅娘子って芸名で本名すらわからんしね。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 13:35:25 ID:+0jqJxLK0
うヴぁ、今調べなおしたら間違えてた。

李岩は独立した伝は明史には載ってないね。流賊伝の中で出てくるくらいだ。
「逆案中の尚書李精白の子」としか書いてないし。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 20:13:21 ID:uOw3Xu9i0
伝説の域の人物だね。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 09:54:52 ID:pMnxVBCF0
李岩というか明末農民反乱の問題は文革の影響もろに受けてるからねぇ。
李岩の実在が学問として論議されるのは文革終わったあとの1970年代後半あたりからだから。


明末は、崇禎年間に金属活字が使用されるようになった影響で印刷業出版業が隆盛したため、
情報伝播が速いのが特徴の一つで、李自成の乱を扱った通俗小説が
順治8年〜10年位には複数出回っていたらしい。

これらの通俗小説には李岩の名が散見される。
そこから『綏寇紀略』などの史書に混入し、そこから『明史』に取り入れられた、
のではないかとされてるみたい。

25 :双& ◆zDiHiVbAOM :2007/02/06(火) 21:02:23 ID:1AArhI4a0
你们懂中国历史吗,反正我们汉人恨李自成

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 22:35:58 ID:+L+nj30P0
>>24
>李自成の乱を扱った通俗小説が順治8年〜10年位には複数出回っていたらしい。

早いなあ。まだ一部現在進行中じゃんw

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 14:00:11 ID:7mq7Y+YF0
>>25を直訳

>あなたたちは中国歴史が分かるか、反正の私たちの漢民族は李自成に怨みを懐く

よって李自成は逆賊でした

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 21:42:43 ID:t3m/FXM40
ところが毛沢東が健在だった頃は明末農民反乱が比較的肯定的に評価されてたのよ。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 13:55:59 ID:33ShAuPe0
李自成の反乱軍は起義軍になったんだよね。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 16:34:25 ID:lomVsR7r0
この人は満州族が興隆してきた時期じゃ無かったら新しい王朝を拓けたんだろうな。
時期が悪かった。


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 22:41:36 ID:e3pGHFFm0
>>30
北に満州族が興隆してなくても無理じゃなかったかと思ふ。
結局滅亡に至るまで流賊の組織的体質は抜けなかったみたいだし。
明皇族の残存勢力と争ってるうちにグダグダになって、
そのうち別の実力者が出てきたりしたんじゃないかな。

劉邦や朱元璋のようなアクの強さとかしぶとさみたいなものがないんだよな。
この頃の満州族が凄かったのは確かだが、李自成勢力の瓦解の早さは異常。
天下統一に持っていけるだけの求心力はちょっとないんじゃないかと思うけど。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 22:43:14 ID:RgHqYmkc0
もし満州族がいなくて、漢族の中から明朝に代わる新しい王朝を開く者が出てくるとしたら、
官軍の武将の側から出てくるんじゃないかな。
場合によっては、朱温みたいに、李自成軍から朝廷へ寝返ったような人物。
そして朝廷側で軍閥として勢力を築き、簒奪へと進む。
でも、明朝は皇帝の独裁権力が強化されているし、
簒奪まで進むのは難しいかもね。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 17:01:45 ID:wPRSQBdh0
>>32
呉三桂とか?

明は確かに皇帝独裁権が強くなってるけど、
それと簒奪のしやすさはあまり関係ないんじゃないかな。
明王朝って太祖が以前の王朝と違う手法を色々と採ったけど、
結局子孫達が駄目にしてっちゃった感じ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 16:15:16 ID:THGhnWx10
明朝の場合、地方に封じられた皇族が多いから、
新王朝を開く時は、
その始末も大変なんじゃないだろうか。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 16:35:21 ID:mt0R4hC00

長安を占領した時点で、知識人を登用して国家の体制づくりに
取り組んでいたらもう少しマシな結末だったかも。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 17:17:07 ID:swx1OiNU0
>>35
つ 牛金星
これ置いておきますね。

てか大順政権で他に知識人らしい知識人っていたっけ?

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 01:55:46 ID:askKGAPW0
>36
でも牛金星って架空の人物だって説も有るよね。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 16:02:08 ID:0g4/0Jzc0
>>37
牛金星は実在の人物で確認取れてると思ってたけど。
むしろ宋献策……も実在で確認取れてるはず。

李岩のみが黒に近い灰色だったと思う。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 20:46:17 ID:bj6yZ9qX0
牛金星は最期どうなったんだっけ?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 13:52:06 ID:lhPDK3ys0
牛金星親子は清に帰順し高官になってる。
乾隆帝は牛金星親子があっさりと寝返ったのが気に入らなかったらしく、
牛金星親子は一時的に歴史書から存在を抹殺された。
乾隆帝が死ぬとあっさりと名誉回復。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 14:22:16 ID:jj31+fY/0
>>40
>牛金星親子は清に帰順し高官になってる。

うわー、何か最悪w


42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 02:35:53 ID:tVYskyAI0

結果論だけど、大順が長安を占領したタイミングというのは
略奪型から定住型への組織転換を行う時間的余裕があったわけで、
女真があんなに強いとは思ってなかったための失敗なんだろう

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 23:30:08 ID:UZgTE/bW0
>>43
呉三桂をもうちっと上手く懐柔して女真を防がせられればね。
でもあっさり呉三桂が寝返ってあぼーん。
陳円円の話はともかくとして、呉三桂の父親を人質にしたんだったっけ?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 19:00:43 ID:C/CgKbDZ0

つーか、後智恵的には潼関と函谷関を固めて
北京の明朝廷の出方を見ながら陝西の支配を固めるのが良かったのでは
たしか李自成の集団も湖北、湖南出身者が多かったんだっけ?
それも長安に落ち着きが悪かった一つの理由かもしれんが

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 23:35:34 ID:1aOMKual0
この時期に、陝西一帯を固めるのはどれぐらい有利だったんだろう?

経済力的には、江南の方がずっと重要だよね。
陝西に割拠して、その後の展望はどうなんだろう。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 03:58:40 ID:1nAKY/xE0

陝西に割拠して、清が河北を制圧するのを見物
函谷関を固めて守るぐらいか

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 13:44:04 ID:ci4Bpl270
>>41
清朝に仕えたのは息子で、金星はその邸で養われて二度と世に出なかったとか。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 16:05:05 ID:QgPDcRdG0
逆賊

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 16:33:33 ID:pVKR6dBz0
陝西に引き篭もっても河北を清軍に奪われ
背後に当たる蜀を張献忠に押さえられては
行き着くところは自滅しかないな。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 04:36:26 ID:swVxAeLP0

さあ、それはどうかな。
四川へ兵を出すオプションはあるし、清の動きも流動的だろう。
清が南京の明を先に攻撃したりすると、かなりもつれたのではないか


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 12:03:11 ID:/3O+eK5f0
でも、明の皇族と違って求心力がないね。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 21:38:19 ID:9c9yK4Z10
>>51
そこら辺が李自成の限界、なんだろうな。

実際後世の我々から見てもいまいち強い魅力を感じない。
北京占領して即位したまではともかく、それで気を抜いちゃう辺り、もうねア(ry
陳勝、呉広に似たかませ犬臭さがあるように思う。

結局、李自成の軍が大所帯になり、北京占領までどうにかこうにか漕ぎ着け得たのは
ひとえに宣伝の効果、これに尽きるのかな、と。
「十八子主神器」とか、「闖王を迎え入れれば税を収めなくてもいい」とか
「闖王がくれば食べ物に困らない、着る物に困らない(たしかこんな意味の歌。うろ覚え)」だとか。

結局、明王朝という民衆を苦しめに苦しめた古い体制の破壊者ではあっても、
新時代をつくる英雄の器はこれっぽっちも持ち合わせていなかったのではないかなぁ。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 23:59:20 ID:ti+zFovJ0
税金のない国なんて不可能だからな

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 23:58:56 ID:eYZsfeAp0
税金は課さないが掠奪はするw

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 23:38:46 ID:ICjvRPT90
流賊として掠奪を続けているうちはいいけど、
いざ政権を倒して、それに取って代わる立場となると、
税金のない国にするなんて公約は実現不可能。

何だかねずみ講みたいなの思い起こすな。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 02:21:13 ID:IVdg32M10
明朝を打倒する事を目標としたけど、皮肉にも見習うべきは、
その明を創建した人物なんだよね。

流賊から政権担当者への移行の方法。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 20:03:08 ID:x5hYfGSm0
朱元璋の真似をすればよかったんだ。
功臣皆殺しw

58 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/05/12(土) 18:38:17 ID:CuVG1goa0
始めて書き込みします。

所詮は盗賊ですからね。結局のところ「勝てば官軍、負ければ賊軍」でしょう。
勝って長期政権を樹立した劉邦や朱元璋は英雄となり
一時的には勝って政権を建てたものの結局は短期で終わった黄巣や李自成などは
逆賊ではないかと。
李自成の失敗と朱元璋の成功の大きな原因としては、抱えていた知識人の人数と質の差が
あったと思います。
もちろん有能な知識人を抱えても、それを有効に活用できるか否かはリーダーの資質にも
拠るのでしょうけど。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 23:57:59 ID:0lV/gxfx0
ま、天命がなかったってことでw

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 23:55:00 ID:m5Dx7dNm0
李自成が北京を占領した時って、最初に制圧した陝西のあたりって確保できていたのかな?

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 16:50:40 ID:tPWJIL+H0
西安が一応首都だったんでしょ?
大順帝国の。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 23:54:25 ID:Izw1qIy70
北京を捨てた後、死んだ場所は湖北の方だよね。
追撃が急で、陝西の方へ逃げ込むことはできなかったのかな?

63 :李自成:2007/05/24(木) 11:59:57 ID:21o75wr10
俺は盗賊王

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:34:17 ID:XHzSWgFM0
盗賊王に俺はなる

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 10:37:35 ID:Omo6c0qj0
中国の盗賊って、寨を構えて大王なんて自称するのか?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 14:51:36 ID:ECsUHuO20
襲われたら、大王命ばかりはお助けを、って言うもんね


67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 14:20:08 ID:baelLwuu0
盗賊大王

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:40:20 ID:xwpLA6BG0
>>21-24
李岩は李自成自身の分身的存在として創作された人物なんだと思う。
モデルとなる李岩なる人物は仮にいたとしても、
その李岩自体は大して重要な役割は果たしていないだろう。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:52:04 ID:orazn1Wu0
>>68
ずいぶんとのんびりしたスレだな、8ヶ月も前の書き込みにレスが入るなんて・・・w

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 03:43:31 ID:a28Bsoek0
李自成是阻碍中华民族走向繁荣富强的千古罪人
李自成是到处强奸杀人切断妇女头颅的千古罪人
李自成是屠城放火大肆屠杀爱国官兵的千古罪人
李自成是京城敲诈勒索之后杀人灭口的千古罪人
李自成是没有教养没有文化没有人性的千古罪人
李自成是用爱国军民尸体作为挡箭牌的千古罪人
李自成是破坏国家军民和谐安定生活的千古罪人
李自成是失败以后被老百姓追杀到死的千古罪人
李自成是阻碍未来的祖国走向现代化的千古罪人
李自成是伙同洛阳公主一起背叛祖国的千古罪人
李自成是沽名钓誉强奸无数妇女致死的千古罪人
李自成是党项派来毁灭汉族伟大文明的千古罪人
李自成是千古的千古罪人的千古罪人的千古罪人

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 03:45:15 ID:a28Bsoek0
李自成是坏蛋,大坏蛋!李自成是坏蛋,大坏蛋!
李自成是坏蛋,大坏蛋!李自成是坏蛋,大坏蛋!
李自成是坏蛋,大坏蛋!李自成是坏蛋,大坏蛋!
李自成是坏蛋,大坏蛋!李自成是坏蛋,大坏蛋!
李自成是坏蛋,大坏蛋!李自成是坏蛋,大坏蛋!


72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 03:50:22 ID:a28Bsoek0
李自成是一个杀人放火无恶不作的逆贼。野蛮恶心

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 21:31:17 ID:a28Bsoek0
李自成 = 变态 = 恶心 = 残忍 = 疯狂 = 奸杀 = 走狗 = 杀人 = 背叛
= 可恶 = 去死

我们汉族人最恨李自成了。他是超级王八蛋

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 22:40:05 ID:MP7yDM+/0
>>69
日本には熱烈な李自成ファンはいないからね。

何だか大陸から熱烈なアンチさんが来てくださったようだけどw

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 22:41:58 ID:MP7yDM+/0
>>70-73
漢民族主義?のような立場からは、李自成ってやっぱり否定的な評価になるのかな?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:09:18 ID:LLtk8hhq0
李自成攻入北京,明朝皇帝自杀,李自成大肆奸杀妇女,向官员勒索钱财。明朝
官员很多受到迫害或者杀害。大家心里恨透了李自成,恨他军纪败坏。

明朝大将军吴三桂的全家被李自成杀害,吴三桂被迫投降清朝,与满族联手,
攻击李自成。李自成逃跑途中被湖南百姓追杀死掉。吴三桂协助清朝消灭了
南方的南明政权,杀掉了南明皇帝桂王,清朝统一中国。统一后,吴三桂被
清朝削除权力,吴三桂不服反抗,最后病死,被灭族了。


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:13:03 ID:LLtk8hhq0
李自成 = 变态 = 恶心 = 残忍 = 疯狂 = 奸杀 = 走狗 = 杀人 = 背叛
= 可恶 = 去死


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:23:38 ID:LLtk8hhq0
李自成 = 奸杀狂 = 屠城狂 = 勒索框 = 绑票狂 = 撕票狂 = 诈骗狂
= 破坏狂 = 尸体炸弹狂 = 喝血狂 = 超级杀人狂 = 享受狂
奸杀 = 强奸后残忍杀害,北京城里经常发生
屠城 = 攻入城池,杀死所有反抗的官民和百姓
勒索 = 殴打官员,强剥交出钱财
绑票 = 绑架官员的亲属,强迫对方照自己意思办
撕票 = 对方照办以后,违背承托,杀死人质
诈骗 = 欺骗别人。假装投降明朝,一起抵抗满族入侵。实际上
立刻反叛,连累承诺人被杀。
破坏 = 经过的区域人民生活被破坏
尸体炸弹 = 奸杀妇女以后,割去头颅,利用尸体作为盾牌作战
喝血 = 杀的人太多了,战马不喝血无法前进
超级杀人 = 被他杀死的官兵太多了,罪孽深重
享受 = 进了北京去享大福

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:29:03 ID:LLtk8hhq0
山海关之战: 李自成 vs 吴三桂 + 满清
结果:李自成失败
好消息!李自成逃跑中被杀!!
中国全部人民热烈庆贺中!!!

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 23:34:21 ID:CjEBgadr0
李自成軍は、北京を占領してから盗賊の本性が全開になったからなあw

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 03:59:22 ID:xwFI27pq0
全世界的千古罪人——李自成
罪行全部揭发:
1 疯狂屠杀抵抗的士兵和人民,给中国经济带来严重破坏
2 削弱国家财政,造成严重赤字,使得很多百姓过上痛苦日子。使得更多百姓
变成农民军,军纪败坏以杀人为荣
3 由于李自成背后杀害明朝将官,使得满清势力扩大,造就了中华文明被破坏
4 李自成使用卑鄙方法攻克城池,杀死无辜妇女,利用女性尸体作为盾牌,
他的屠杀造成抵抗者的严重恐惧。由于杀人太多,已经浑身是血
5 李自成过度屠杀汉族军民,沿途经济造成破坏,官僚体制被破坏,盗贼四起。
国家形势不可扭转,而造就了更多百姓受苦
6 受苦的百姓别无选择,被迫加入李自成军队,李自成有了进一步杀人的本钱
7 李自成的部队投降满清以后,参与了令人发指的大屠杀,扬州大屠杀,嘉定
大屠杀以及江阴大屠杀等一系列屠城一人不留大屠杀。这些人原先杀害百姓,
如今继续操刀杀人。扬州大屠杀杀人80万,李自成阴魂不散。
8 李自成在京城勒索官员后,成百的杀死不给钱的人,已经令人发指了
9 李自成的部队在京城参与一些列奸杀和强奸案件。强奸吴三桂的小妾陈圆圆
,大多数官员妻女被强奸,毫无人性,禽兽不如
10 参与撕票案件,屠杀了吴三桂全家。另外很多官员由于确实没钱可交,惨遭
李自成杀害,几百人官员被绑架到院子后,全部杀害
11 逃跑途中屠杀无辜百姓。由于湖北农民基于义愤击毙李自成,李自成部下
将方圆五百里不分老少不分年幼全部杀害,死人堆积成山
12 参与诈骗案件。和明朝军队作战的时候,明朝将领苦苦相劝,如今满清势力
庞大,我们应当团结一致,抵抗满清入侵。李自成假意答应,等脱离了包围圈,
立刻掉头反叛。击杀爱国抗清将士,给抵抗清军造成严重困难。
13 逼杀恩人皇帝 崇祯皇帝一直希望李自成能够为国效力,有杀掉李自成的机会
都希望他能够归顺朝廷。李自成利用这个来诈骗,且最终杀死崇祯
14 生吃人肉 击败明军,捉住福王,把人放到锅里,和饭菜一起煮着吃。
部队没有补给,人肉作为继续作战的粮食

前面写的都是他犯的小错误,这些都没什么
但是重要的是,!!
他没有根据地,!!没有经济和粮食来源,那他的军粮怎么解决,补给怎么解决?
这些都是在喝中国人的血来解决的。生吃福王,这肯定以前做过吃人的事情。
这个问题是我想说的。李自成是个疯子。


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 23:48:33 ID:ya+PITE50
元々盗賊の集合体的な性質が強かったから仕方ないんだろうけど、
李自成軍ってやることが乱暴なんだよね。


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 00:00:26 ID:lMmRWzvO0
李自成なんでそこまで嫌われてるんですか?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 23:35:46 ID:ketb9J/s0
>>83
いや、そんなに極端に嫌われている人物ではないと思うけど、
嫌われる原因として一番大きいのは、
明朝を滅ぼして、結果的には満州族の清朝が中国を支配する事態を招いてしまったからだと思う。


85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:05:41 ID:IKEG7yLo0
それなら呉三桂は・・・・・・

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 00:39:01 ID:uiWQfuGdO
>>85

>>84より李自成は
> そんなに極端に嫌われている人物ではない


呉三桂は普通に嫌われてて、擁護のしようがない。


わざわざ聞くまでのことか?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 23:53:24 ID:RFm0K+SE0
李自成は時代によって評価が変わりやすい人物だね。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 04:20:31 ID:uJZppEhe0
李自成,黨項西夏人,野蠻人。
率大軍攻入明太祖故居鳳陽,屠殺所有風陽百姓及官員,摧毀明朝陵墓
明崇禎帝,命洪承疇率軍平定李自成。李自成率18騎兵逃走。
明朝大軍主動與滿清作戰,10万人一戰明軍全覆沒,洪承疇投降。
李自成重新振作,率大軍攻陷襄陽,生吃福王朱常洵,後進逼北京。
面臨滿清李自成雙重壓力的北京,太監主動開城投降,崇禎自殺。

李自成入城后強姦婦女殺害明朝官員,吳三桂出離憤怒,與滿清聯手。滿清說聯手
條件是吳三桂必須下跪從屬。吳三桂最後同意了
兩路聯軍擊敗李自成大軍,佔領北京,建立了清朝。李自成逃亡途中,被憤怒的明朝
百姓在湖北所殺。吳三桂與南明政府進行了大戰,持續達10多年之久,最終吳三桂替
滿清擊敗了南明,于緬甸追殺南明皇帝一家,徹底滅亡明朝

明朝覆滅后,滿清看准吳三桂民憤極大,殺掉了吳三桂一家。


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 04:26:06 ID:uJZppEhe0
緬甸:中國雲南西南的一個國家,原是明朝從屬囯,同樣有些許漢文化
影響,昂山素姬的家鄉。明永厤皇帝與桂林被吳三桂擊敗,逃亡緬甸。
吳三桂上書滿清請求追殺,最後消滅了南明殘餘勢力。
些許沒有被殺的明朝官員後裔,繼續在緬甸生活,躲避追殺,成爲了
日後的緬甸果敢地區一部分人口。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 11:09:54 ID:jpVML16i0
李自成って異民族の血を引いているのか?
出身地は辺境の方だけど。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 02:17:47 ID:f0F+ZUqg0
李自成,西夏黨項人,乃是西夏皇室李元昊之後

西夏是指黨項族在1038年至1227年闕ン中国西部建立的封建政權。
,與宋,蒙古,金一個時代的國家。
蒙古崛起,滅金,屠戮90%女真族人口(滿族),進攻宋,展開拉鋸戰。
蒙古成吉思汗率大軍攻入西夏,屠城殺人,慾屠滅西夏,卻中途病死。少數黨
項人得以逃生,隱匿自己的種族,李自成擁有西夏黨項李氏血脈


92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 13:38:39 ID:5Dv3Btj20
李自成 = 西夏の末裔説か

なら、大順皇帝じゃなく大夏皇帝と名乗るべきだったのでは?

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 11:47:33 ID:O+009/lZ0
大順=後夏

94 :mugen:2007/11/08(木) 12:28:01 ID:NxcUB4s50
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95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 13:39:15 ID:cyN8O+nm0
樓上是廣告

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 16:52:26 ID:W1RZHXor0
わざわざご指摘、

謝謝w

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 22:14:33 ID:7odwl+Zm0
謝謝 (シエシエ)=  ありがとう
李自成 =  リジセイ
明 =   ミン

我是中國人,對英語很熟練,但是日語基本上不會,中文不懂得全來問我

中國人が僕、英語を上手します、残念ですが日本語を全然入りません。だが、
漢語の達人です


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 19:45:01 ID:e8mSyifZ0
李自成側の立場に立つと
明そのものが異民族王朝の元を北に追いやって出来た王朝だしさ
呉三桂が李自成に降るのを潔しとしないにしても、まさか山海関を開いてまで
異民族に積極的に協力するとは想像の範囲外だったんだろうな
最悪でも後金に亡命とかそのレベルだろうと

満州蒙古を押さえある程度明の遺臣(漢民族知識人)が流入した女真王朝と
中国大陸を支配する順王朝の並立状態は歴史のifとして興味がある
並立すれば軍事的緊張は続くので17〜18世紀のアジア的停滞をむさぼったまま
欧州の産業革命の荒波に翻弄される事もなかっただろうし、女真王朝は満州の
開発しつつアムール川流域で露西亜とぶつかっていたかもしれない

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 23:55:36 ID:C6N88zGW0
ただ、李自成の政権はあまりに基盤が弱いな。
明の残党勢力は残っていただろうし、
並立しての存続は難しい。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 23:27:56 ID:1um7NRQt0
李自成自体があっさりと南明政権に帰順して、王に封じられる展開だってあるかもよ。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 23:54:17 ID:plNSx5TM0
李定国は忠臣みたいになっているけど、
元をたどれば、張献忠の配下にいた人なんだよね。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 17:29:22 ID:g+/UtyLt0
逆賊か英雄かは、立場で違うだろ、勝てば官軍、負ければ賊軍

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 18:46:30 ID:DLvhX4/y0
李自成、一応明には勝てたのにねえ

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 22:14:30 ID:W17f0TDa0
>>68
そのような説が現在のところ有力だったと思う。
李自成の偽名が幾つかあって、岩と音が同じ字があったはず。

李自成の評価に関しては時代によってまちまちかなぁ。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 11:24:23 ID:5KmfmVHt0
中国・明末期の農民反乱指導者だった李自成(1606−1645)は悲運の皇帝だった。明を滅
ぼし、大順国を築いた皇帝として即位したが、北京城入城からわずか40日で清の軍に敗れ、天下を
明け渡したからだ。興味深いのは、李自成の短命の原因として‘餃子’の話があることだ。

中国では肉を入れずに蒸したモチを饅頭といい、韓国で普通‘マンドゥ’と呼ばれる、細長くて肉
が入ったものは餃子という。餃子の発音は‘交子’(子供を授かる)と同じため、餃子は昔から縁起
の良い食べ物と考えられてきた。交には‘長く続く’‘永遠に’という意味が込められているからだ。

このため歴代の中国皇帝は王朝と社稷が永続することを祈願し、正月の春節にだけ餃子を食べた。
ところが李自成はこの不文律を破り、即位後、毎日のように餃子を食べていたということだ。 このた
め吉兆が落ち、王朝が長く続かなかったという面白い説明だ。

餃子の歴史は長い。 紀元前6世紀ごろの中国春秋時代の遺跡からも、餃子を食べていたことを裏付
けるものが見つかっている。 餃子はもともと中国の北方・華北の料理だ。 点心の一つである蒸し餃
子を食べるのは香港など華南地方。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 11:25:01 ID:5KmfmVHt0
一方、日本では‘餃子’と書き、‘ギョーザ’と読む。中国山東省の訛りである‘ギャオズ’に由
来するという説と、韓国の‘交子(ギョジャ)’(交子床=長方形の食膳)の音がそのまま入ってき
たという説がある。 それはともかく、日本人の食生活で餃子は絶対的な存在だ。家庭や中国料理店だ
けでなく、居酒屋・ラーメン店・コンビニエンスストアでも欠かせないメニューになっている。日本
式の餃子は蒸した後、下の面だけをよく焼いた、皮の柔らかい焼き餃子だ。

現在、中国製餃子を輸入して食べた日本人1000人余が吐き気や腹痛を訴え、日本全国が大騒ぎ
になっている。一部の餃子からは殺虫剤成分が多量に検出された。 偶然なのか、問題の餃子が製造さ
れたのは餃子が生まれた華北の河北省だ。蒸し餃子を好むこの地方では昔から「焼き餃子はもともと
食べ残った餃子を集めて焼いて食べるもの」といわれてきた。このように餃子の‘格’までこだわる
元祖としては、今回の事件が中国の責任と確認された場合、自尊心が傷つくことになる。もちろん
‘中国国内の製造過程で瑕疵はなかった’というのが公式立場だ。自尊心も、蒸し餃子も、焼き餃子
も何でもよいが、ただ安全でさえあってほしいというのが率直な望みだ。

中央日報<【噴水台】餃子>
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=95723&servcode=100§code=120

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 15:26:26 ID:SB11O0WDO
>>68
李自成と李岸は元々一人の人間だったんだ
でも李自成が王になるために追い出した善の心が李岸になってしまった

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 23:52:02 ID:vgi3JXYt0
>>105-106
中国では、李自成のような自称に近い皇帝は、
皇帝としてはあまり認められていないんじゃないかな。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 20:19:19 ID:ZPIODiKU0
逆賊李自成を擁護した毛沢東は奸物


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 10:06:31 ID:JtDNXTTs0
李自成就是一个大sb,大傻瓜,他去死最合适

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 16:06:01 ID:o8rlBIRv0
碧血剣age。

勝てば官軍、負ければ賊軍のちょうど境界線にいるような人物だよな。
良くも悪くもめちゃくちゃ人間くさい感じで好きだ。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 23:57:09 ID:ha4+zz7T0
闖王を名乗ったり、庶民的な人気は得やすいタイプだな。
それなりに人物としての器はあったんだろう。

上手く士大夫層を味方につければ、王朝創業者にもなれただろう。


113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 09:06:58 ID:XajQdO6A0
まさか呉三桂が山海関を開くとは思ってもみなかったんだろうなー
明そのものが異民族の漢地支配へのレコンキスタ王朝
成立後も北元を追って皇帝捕虜になったりしてるし、その後も持ち直したかと
思えば、朝鮮への10万単位での援軍や女真勃興による対異民族への軍事
負担の増大という点が明そのものの疲弊の一因だし

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